原爆の思い出と原発事故

今朝、5時起きで子供は合唱団の全国大会へと旅立って行った。目的地は西日本なので震災の影響もないのだが、しみじみと見送ってしまった。

亡き母は原爆が落ちたとき14歳で、広島の田舎の女学校の生徒だった。原爆のあと、学校から選抜された生徒たちが救護隊として送られ、母もそのメンバーだった。

そのとき祖父が「お前には行かせたくない」と母に言ったという話を聞いて、「自分勝手な父親だ。そう思っても、それを口に出してはいかんだろ」と思ったことがあるのだが、いま自分も親となり、祖父の気持ちが痛いほどわかる。特に母は6人兄弟の末っ子で、祖父母からそれはそれは可愛がられていたらしい。自分が行くならともかく、子供を行かせるのは忍びない。それが親の気持ちだろう。

先日、子供とテレビを見ていたとき、思わず我慢していた涙がどっと溢れた。そして、ひとしきり子供と話した。これからこの国を復興するには長い年月がかかる。お母さんたちももちろん頑張るけど、この国の将来を担っていくのは、お前たちの世代だから、しっかり頑張ってくれよと。

それにしても…被災地のために義援金を送るといった支援はできても、原発に関して私にできることは何もない。ただただ一日も早い収束と、現場で作業する方々の安全を祈るのみ。

*新潮社『Foresight』の記事、お薦めです。
 原子力安全委員会はどこへいった?

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