天中殺の始めと終わりに入院

前にも書いたことがあるが、算命学ではどんな人にも12年のうち2年間の「天中殺」が巡ってくる。空間の世界である「十干」と、時間を示す「十二支」を組み合わせたとき、「十二支」がふたつ余ってしまう。「十干」は神様の宿る空間であり、「十二支」は神様が通過する方向を示すのだが、余った二つの時間は神様がいない時間となる。神様不在、つまり神様の力を得られないこの2年間を天中殺と呼ぶ。天が味方しない時間は魔が差すことが多いため、新しいことを始めるのは避けるべきと言われている。転職、引越し、結婚などなど。しかし、むやみに怖がる必要はなく、季節でいえば冬と考え、春に向けての準備期間とすれば、やがて来るときに活動を始めて花開くことになるのだろう。

で、私の場合。戌亥天中殺なので、ようやくこの節分で2年間の天中殺が明ける。思い返せば、戌年を迎える前年の秋、私は突然、入院した。出産と痔の手術以外で入院したのは初めてのことだった。それまで1年近く勤めていた職場のストレスが相当溜まっていたことが、一番の原因だったように思う。当時、算命学の先生に「天中殺前にお知らせ現象が起こることもある」と聞いたことがあった。この入院も、ある意味、そうだったのかも知れない。この時、入院したおかげで、天中殺の間、私はいつも以上に体調に気をつけ、無理をしないように過ごしたからだ。

なのに、なのに…天中殺が明ける直前の昨年末、私はまたも緊急入院してしまった。謎の体調不良が続いたあと、ある日、お腹が痛くなり、救急病院に駆けつけ、そのまま入院。原因は胆石だった。もう20年近く前に胆石があることはわかっていたが、それが痛くなったのは初めてだった。幸い、胆石の痛みはすぐにおさまったのだが、諸々の検査の結果、別の病気があることが判明。おそらく検査をしなければ、発症に気づかなかっただろうから、胆石が痛んでラッキーだったのだろう。(主治医もそのような見解だった。)算命学の先生も、この時期に持病が出ることは、むしろ良いことなのだと言ってくださった。

今は既に元の生活に戻り、いや、以前よりも健康的な生活を送っていると思う。天中殺が明けても、しばらくはのんびりと、少しずつ活動を始めようかと思っている。病気はある意味、自分が作り出しているのだと、しみじみ思う。さらに言えば、病気になる時期にも意味があるのだろう。天中殺の始めと終わりに、じっくり自分自身を見直し、いろいろと考える時間を与えられたのはありがたいことだと思う。


無事にお正月を迎えられて良かった!!

指圧の心は母心(小学校時代の思い出)

いつもポッドキャストで聞いているラジオ番組『飯田浩司のOK! CozyUp!』で、きょうは飯田浩司さんの小学校時代の担任の先生からのメッセージが読まれた。それを聞いているうちに、思わず自分の小学校時代の恥ずかしい思い出が蘇ってきた。

確か私が2年か3年の頃。当時、テレビで「指圧の心は母心」というのが流行っていた。浪越徳治郎という温和な顔のおじさんが、「指圧の」と言いながら親指を立てた右手を前に出し、次に「心は」と言いながら親指を立てた左手を前に出し、最後に両手を胸に当てながら「母心」と言うのだ。

ある日の休憩時間、私は教室のドアのそばで、友達の前でそれをやって見せていた。ところが、「指圧の心は」と手を出した瞬間、クラスの男子が教室に入ってきて、私のげん骨が彼の顔を直撃。そして鼻血が出てしまったのだ。ビックリした私は、ともかく平謝り。「ごめんね、大丈夫?」と何度も謝ったが、大勢の女子の前で鼻血を出してしまった恥ずかしさからか、彼は無言のままだった。そして、その後、私とは口をきいてくれなくなった。

こちらも悪気があったわけではないことは、わかってくれていたと思うけれど、そのまま無視され続けて、週末を迎えたので、さすがに私もなんとかせねばと思い、家で謝罪の手紙を書いた。そして月曜の朝、早めに登校して、彼の机にその手紙を入れた…つもりだった。ところが、授業が始まってしばらくしてから、彼とは別の男子が突然、大きな声を上げたのだ。

先生! 僕の机の中にラブレターが入っとる!

「ぎょえっ! それ、私の手紙だ!!」と焦っても、もうあとの祭り。当時そのクラスでは、縦の列の席順は同じまま、毎週、廊下側から窓際に1筋ずつずれることになっていたのに、それを私は忘れていたのだ。なんという不覚。

先生はその男子から受け取った手紙を開封して読んでいる。「ああ、どうしよう…!!」と焦る私。手紙を読み終わった先生は、「これはラブレターじゃなかったよ。本当は○○君じゃなくて、xx君に宛てたものでした」と言うと、その手紙を今度は声を出して読み始めた。ますます焦る私。そして先生は読み終わると、「というわけだから、xx君、鳩胸さんを許してあげなさいね」と言ったのだ。

さすがにみんなの前でそんなことを言われたxx君は、もちろん許してくれたのだが、2度も大勢の前で恥ずかしい思いをさせたようで、私は申し訳なくて仕方なかった。私が席を間違えさえしなければ、こんなことにはならなかったのに。その後、彼は以前と同じように、仲良くしてくれたと思うけど、今でもこの事件が彼の記憶に残っているのかなぁと気になっている。

ちなみに、その後、私の母と彼のお母さんは同時期に同じ病院に入院して、彼のお母さんが弱っていた私の母の病室まで来てくれたりしていたそうだが、結局、彼のお母さんの方が先にお亡くなりになった。そして、その後、我が家と同じ霊園に彼のご両親のお墓があるのを発見。お墓参りに行くと、彼のご両親のお墓にもお参りすることにしている。

実は最近になって広島の高校時代の同級生から、このxx君と飲み屋で偶然知り合ったと連絡がきた。出身地の話が出て、私と同じ小学校だったと判明したらしい。なので、連絡しようと思えばできるのだが、私はいまだに「指圧の心、ラブレター事件」で気が引けて、連絡できずにいる。

それはそうと、そもそも「指圧」って、浪越徳治郎氏が始めたのだそうだ!!! 歴代総理大臣、モハメド・アリ、マリリン・モンローなど、たくさんの著名人を治療して、指圧を世界に広めたすごい人だったのだ。

シャバーサナの度に蘇る母の愛

このところポッドキャストでいろんな番組を聞いている。いろんな人の人生の物語を聞く番組が面白くて、刺激を受けているのだが、やはり幼少期の経験がその後の人生に大きな影響を与えているのだなぁと実感する。特に成功者といわれる人は、幼少期に辛い思いをした人が多いような気もする。その辛い経験を乗り越える力があったからこその成功なのだろう。中でも、親との関係に恵まれないことは、よほど辛いことなのだろう。親から愛されていると実感できずに大人になり、その思いを何歳になっても持ち続けている人は意外と多いのかも…。

さて、私は健康のためジムに通っているのだが、そこのヨガのクラスで最後に行うのが屍のポーズ、「シャバーサナ」。仰向けに寝て、全身をリラックスさせて、目を閉じる…。たいてい私は眠りに落ちて、大きな寝息や、下手をするとイビキをかきそうになって焦るのだが、これ、本当に心地よい時間なのだ。

このとき、なぜか私は子供の頃、母と一緒にお昼寝をしていたときのことを思い出す。甘えん坊の私は、小学校の低学年になっても、学校から帰ると母に抱きついて、一緒に寝転んでしばらく昼寝をすることがよくあったのだ。ぽっちゃりした母に寄り添って寝る安心感。私にとって至福の時間であった。

その後、私自身が母親になり、息子とのお昼寝の時間が一番の幸せな時間となった。今では息子もすっかり大きくなったけど、いまだに私は何かあると思い出したようにつぶやいてしまう。「一緒にお昼寝していた頃、楽しかったね~」。あんな幸せな時間はなかったよ、と心から思う。

子供として、親として、こんな幸せな時間を持てたことは、本当にありがたいことだ。この幸せな思い出があるから、「何があっても大丈夫!」と思えるのだから。今も横になれば、すぐに母の温かな腕に抱かれていたときを思い出せる。シャバーサナのたびに、亡き母のぬくもりを感じて、ぐっすり寝てしまう私なのだ。

ちなみに、今年の母の日は私のアピールが効いたのか、息子が初めて花束をプレゼントしてくれた。でも、「お母さんにもらったお金で買ったんだけどね」だと。

矯正歯科から口腔外科へ(これも親知らずのせい)

うちの息子はまだ乳歯が生え始めの頃、カーディーラー店のツルツルの床の上で滑って、上の前歯3本歯茎にめり込んだ。しかし、しばらくすると、歯茎からまた歯が出てきて、ほっとしたのだが、その後、3歳を過ぎた頃、保育園でまたも転んで前歯を打って、その後、上の前歯が2本、抜けてしまった。そのとき歯科で診てもらったら、「永久歯の芽のようなところを傷つけていたら、生えてこないかも知れないが、その時期になってみないとわからない」と言われた。

結局、息子はその後の数年間を「歯抜け」状態で過ごすことになった。上の前歯がないので、たとえば熱々のチキンにかぶりつくとか、そんなことは出来なかったはずだ。満面の笑みも、「歯抜け」のせいでどこか間抜けな感じだったが、まあ、それも今となってはいい思い出だ。

息子は、歯科の匂いや音など経験したせいなのか、あるいはもっと以前からの印象のせいなのか、とにかく歯の治療は痛くて怖いと思い込んでいて、小さい頃から歯磨きはきちんとやっていた。虫歯にだけは、なりたくなかったらしい。(ま、病院全般、怖くて嫌みたいだけど)

その後、心配していた前歯の永久歯もきちんと生えて、息子はようやくきちんと歯も生え揃い、しかも虫歯のない小学校生活を送っていたのだが、小学校の最後になって学校の歯科検診に引っかかってしまった。せっかく生えた上の前歯がどんどん出っ歯になってきて、矯正が必要だと指摘されたのだ。確か5年生で指摘され、そのまま放置していたら6年生でさらに出っ歯度がひどくなったようで、再度、指摘され、息子が大嫌いな歯科を再び訪れることとなった。そこで言われたのは、「矯正歯科の専門の先生に診てもらう必要があるが、もしかしたら抜歯が必要になるかも知れない」ということ。息子の顔から血の気が引いた。虫歯の治療はもちろんだが、抜歯なんてことだけは絶対に経験したくないから、今まで毎日きちんと歯磨きをしてきたというのに、歯を抜かれるかも知れないのだ。虫歯は一本もないのに…。息子のこれまでの全人生の努力はなんだったのか!?(って大げさ!?) さすがに私もちょっと息子のことが気の毒になった。私よりずっと丁寧に歯磨きしていたのだもの。

当時、中学受験を控えていたこともあり、また歯科医から「永久歯がすべて生え揃ってから、どういう矯正をするか決めた方がいいかも知れません」とアドバイスされたこともあり、矯正は中学入学後に検討することとなったので、息子はとりあえず小学校生活の最後は歯科とは無縁で過ごすことができた。

そして中学生になった初めての夏休み、ホームページをチェックしてアポをとった学校近くの矯正歯科で、「抜歯せずに矯正できる」と言われ、息子はそこに通うことになった。最初の3年間は毎月1回、通って、痛そうな器具を装着して、専用の歯ブラシ等で歯磨きも丁寧に行った。矯正歯科で撮ってもらったビフォー・アフターの写真を見ると、前歯の矯正のプロセスがよくわかった。自分の息子ながら、真面目で優秀な患者だったと思う。文句も言わずに、よく頑張ったと褒めてやりたい。(インビサラインという矯正装置を使っているらしい。)

その矯正歯科も腕のいい、きちんとしたところだったのだと思う。私も同伴した最初のカウンセリングで納得したから、そこを選んだのだが、その後、あれよあれよと患者さんが増えたのか、1年後には息子の学校近くのビルの1室から、市の中心部の自社ビル(だと思う)に移転して、歯科医の数も倍以上に増えているらしい。

高校になってからは、3ヶ月に1度、通っているのだが、その間、とうとう一箇所、虫歯になってしまった。矯正歯科でのチェックの頻度が減ったこともあるのだろうが、やはり装着器具のせいで、きれいに歯磨きができていなかったようだ。しかし息子ももう高校生。怖がることなく、矯正歯科に紹介された歯科に行き(当たり前だが)、あっという間に治療をしてもらった。予約もすぐに取れたし、治療も痛くなかったし、良心的な歯科だったらしい。

このまま無事に歯科矯正も終了するかと思いきや、昨年末に矯正歯科に行った際、息子は親知らずが出てきていることを指摘されたらしい。そして、「今のうちに歯科で抜いてもらってください。受験生になったら大変でしょう?」と言われたらしい。またもや「抜歯」と聞いて恐怖におののいた息子は、歯科に行くのをずっと先延ばしにして、ようやくこの春休みの終盤に受診したのだが、そこでまたもや恐怖の宣告をされた。「下の親知らずが普通に抜けない場所にあり、神経に近いところでもあるので、大学病院の口腔外科に行ってください。」

一応、左右上下の親知らず4本とも抜く予定なのだが、下あごの親知らずについては「抜歯手術」となるらしい。春休みの最後に、大学病院の口腔外科に行って検査をしたものの、念のため、今週もう一度CTを撮ることになったようだ。そしてその後、抜歯手術となるらしいのだが、なんという高校3年生の始まりだろう。(そういえば、息子はかつて中学3年生の始業式の途中に腹痛を訴え、そのまま入院して虫垂炎の手術を受けたのだった。)

あんなに歯医者に行かなくてもいいようにと、一生懸命、歯磨きをしてきた息子が口腔外科通いをすることになろうとは!!!
しかし、これ、もしかしたら「歯医者に行きたくない」という思いが強すぎたことで、逆に引き寄せてしまったのかも…と思ったり。(エイブラハムの本によれば、「ものすごく求めていること」も「ものすごく求めていないこと」も、同じように引き寄せるのが引き寄せの法則ポジティブであろうがネガティブであろうが、思いの強さが問題なのだ。)
ま、でも、こんなことでもなかったら、大学病院の口腔外科の世界を見ることもなかったのだから、何事も経験と思うしかないよね、わが息子!

*ちなみに、矯正歯科に紹介された歯科は本当に良心的なところみたいで、春休みに受診した際、レントゲンを撮って検査して、大学病院への紹介状を書いてもらったのに、料金はまったくとられなかったそうだ。

アマロリ・・・なんと尿療法


先日、字幕ドラマについての記事を書いたとき、アメリカのドラマ『BONES』のセリフに、日本のロリータファッションの一種、「アマロリ(甘いロリータ)」という言葉が出てきたことに言及した(
1月22日の記事参照。)

ところが先日、「アマロリAmaroli)」という本を偶然みつけたところ、副題がなんと「フランス版尿療法のすすめ」! アマロリは、著者ドクター・ソレイユ(医師、研究者、教育者からなる5人のグループによる共同執筆)の造語のようだが、古いサンスクリット語からとった言葉らしい。ヨーガ根本経典に「アマローリー」という言葉が出てくるそうだし、シヴァの水(すなわち尿)はアマリーと呼ぶのだとか。

尿療法インドのアーユルヴェーダはもちろん、エジプトなど世界各地で古代から伝わるもので、マハトマ・ガンジーも実践していたそうだ。実は100歳で大往生した私の父も、尿療法を実践していた時期があったらしい。父は、私が生まれる頃まで結核で療養院に入っていたそうだが、それ以降は一度も入院することなく生涯を終えた。だいぶ年をとってからだと思うが、四国に暮らす戦友(第二次世界大戦末期に父は徴兵されたのだ)からある日、郵便が届いたそうだ。「癌で死にかけていたが尿療法で元気になったので、ぜひこの健康法を戦友であるあなたにも知らせたい」という手紙を添えて、尿療法についての小冊子が入っていたとか。父は戦友の勧めに従い、尿療法を実践し、その効果を実感していたようだ。持病がたくさんあって、まるで仕事のように病院通いをしていた母に向かって、あるとき「健康になりたいなら、騙されたと思って、一度、尿療法を試してみるべき」と言ったのだとか。

以上の話は、母がだいぶあとになって教えてくれたことだ。父は私の前では一度も尿療法に触れたことはない。母から話を聞いたときは、げ~っと驚いただけだったが、その後、子供が生まれ、京都の山の麓の一軒家に引っ越した後、なんともいえない体調不良が続いたとき、ふと父の尿療法の話を思い出した。その体調不良というのが、鼻が異常に詰まったり、ひどい頭痛がしたり、目の奥が痛かったり、身体がだるかったりと、それまでに経験したことのないもので、病院に行こうにも何科に行けばいいのかわからず(一応、耳鼻科や眼科には行ったけど)、自分でもどうしていいかわからなかったのだ。それでも「尿療法なんて…」と最後まで抵抗する自分もいたのだが、ちょうど知り合いのとてもおしゃれなご夫婦から、「実は私たち、尿療法を始めて、すこぶる元気なんです」と告白されて、「それなら私もやってみよう」と踏み切ったのだ。

「一度やってみて、嫌だったら止めればいいだけだし」と思ってやってみたら、初日、事前に読んだ通りの好転反応(!?)と思われる症状が出たので、これは効きそうだと思い、結局、一ヶ月ちょっと続けてみた。というか、一ヶ月ほど続けたら、体調が良くなったので、止めてしまったのだけど、やはりこれは効いた!ということだよね!?

あとでわかったのだが、私たちが引っ越した築15年の家(賃貸)のセントラルヒーティング(と書いてあった)のガス暖房には、山のような埃が溜まっていたのだ。たぶん設置後、一度も掃除したことがなかったのだろう。山の麓の寒い場所だったので、強力なガス暖房はありがたかったのだが、家で仕事をしていた私は一日中、そのガス暖房のすぐそばに陣取って、知らず知らずのうちに15年分の埃を日々、吸い込んでいたのだ。夫と子供は昼間は仕事と保育園に行っていたので、体調を崩したのは私だけだったのが幸いだった。ある日、夫がガス暖房の設置面を解体して、おぞましい量の埃が出てきたときは、本当にびっくり。せっかく山の麓の自然いっぱいの静かな環境に引っ越したのに、家の中が埃だらけだったとは!!

ともかくも、この経験から、私の中では「いざという時には尿療法」という思いがある。先日も高いサプリを成り行きで買ってしまったのだけど、もともとこういうもの(錠剤)を飲むのが大嫌いなので、すぐに止めてしまった。そんなものを飲むのなら、尿療法の方が断然お薦め。自分だけの特効薬で、しかも無料。「世界を牛耳る巨大製薬会社には支配されない!」というささやかな抵抗でもある。

それにしても「アマロリ」だなんて、さすがフランス。尿療法までおしゃれな響き!

顔面麻痺、その後。

見た目は、ほぼ完治しています。
退院後も飲んでいた耳鼻科の薬も、年末で終わりました。
病院でもらった「顔面マッサージ」のプリントも、しまいこんでしまいました。

なのに、今年に入ってから、右の眉の辺りが痛くなってきました。
寒さのせいもあるのでしょうか!?
比叡山に初詣に行った日も、ずきずきしました。
耳鼻科の先生が言った通り、今度は右側にきているのでしょうか!?
今までにない場所で今までにない痛み。それもけっこうずきずき。

疲れ目のツボとして、目の回りを自分で押すことがあるのですが、今回は押すと本当に痛くて痛くて…。
気がつくと、右眉の上の辺りがふくらんでいました。膿でもたまっているのでしょうか!?
もう治療が終わったはずの耳鼻科に、もう一度行かねばならないか…!?

我が家には、いたって健康な息子がいるのですが、その口癖が「気のせいだよ」。
だから私も言い聞かせました。

右眉が痛いのは、気のせいだ。右眉の上がふくらんでいるのも、気のせいだ

で、現在。
本当に痛くなくなりました。
耳鼻科に行かなくてよさそうです。

気のせいだ!

この魔法の言葉が効きました! ほんとに。

『成功の実現』中村天風述


顔面麻痺で入院した直後は、目薬が手放せなかったくらいで、読書をする余裕はなかった。その後も、ステロイドの点滴のせいで逆に身体が弱ったのか、読書をする元気がなかった。入院後、しばらくして、ようやく夫に持ってきてもらっていた大量の本を読み始めたのだが、その中でも一番役に立ったのが中村天風のこの分厚い本だ。中村天風述となっているように、これは天風先生の10回にわたる講演会をまとめたもののようだ。

1876年(明治9年)生まれの中村天風氏は華族の出で、小さいときから武術や英語に長け、今で言う軍事スパイとして日露戦争時に活躍。その後、不治の病を治すためアメリカに行き、コロンビア大学で医学を学び、さらにヨーロッパに渡り、それでも病気はよくならず、日本に帰国する途上のエジプトで出会ったヨガの達人についてヒマラヤ山麓で修行をして、悟入天地を拓いた。日本に初めてヨガを伝えた人と言われている。帰国後、実業家として成功したにも関わらず、43歳で突然、地位も財産も投げ出して、救世済民のため辻説法を始めた。その人生哲学に各界の重鎮初め、さまざまな人が感銘を受け、天風氏が自ら創設した公益法人「天風会」は現在も全国で活動を続けている。天風氏は、1968年(昭和43年)、護国寺内に天風会館が落成した年に92歳で亡くなった。

この1万円以上する本をなぜ持っているかというと、ずっと以前に夫が仕事の関係で天風会の方と知り合い、それから何年か後に、その方がわざわざ夫の職場までこの本を届けて下さったから。それを私が読み始めたのだが、分厚くて重かったので、読みかけのまま放置していたのを、「病気になった今こそ!」と思い出し、「これだけは病室に持って来てほしい」と私が夫に頼んでいたのだ。

そして、それは正解だった。病気の時だからこそ、すべての言葉が身体の芯まで沁みこんでくる。今だからこそ、心底、理解したい、吸収したいという思いで一字一句を読み続けた。講演録なので、天風先生の時にべらんめぇ調の話しぶりが非常に愉快! 明治の人の話し方って、こんなだったのか~という面白さもある。とにかく、すべてにおいてなにがなんでも前向きに!というのが天風先生の哲学の基本なので、どのお話も明るくて、思わずぷっと笑ってしまう。

しかも天風先生が教えて下さるのは考え方だけではない。身体を健康に保つための簡単な呼吸法など、具体的な実践方法も説明してある。私も早速、病室でやってみた。

それももちろん素晴らしいのだが、何より一番面白いのが、天風先生の身の上話! まるで壮大な大河ドラマを見ているかのような波乱万丈の人生! 「本当に!?」と思うような驚くエピソードばかり。多少、ご自分で誇張されている部分もあるかも知れないけど、それを差し引いたとしても、あまりにドラマティックて引き込まれます。昔の人って、スケールが大きいなあ。天風先生の交友関係もなかなかすごいものがあります。

未だに大勢の人が天風哲学や健康法に心酔しているのも納得の1冊。生涯、我が家の宝とします!

去年、顔面麻痺になりました。

去年の秋、入院して、複数の診療科でお世話になったのですが、そもそもの始まりは顔面麻痺でした。
その1、2週間前から左耳の裏が痛くて、「どうしたんだろう?」と思っていたのです。以前から、耳の裏が痛くなることはたま~にあったのですが、そのときは今までにない痛みで、しかもなかなか消えなくて、不思議だったのです。
さらに、疲れ目がひどくて、大好きなドラマを見ていても、涙目になり、それが日に日に悪化して、変なだるさのような痛さで目も開けていられないくらいに。それでもドラマを見ていたんですけどね。(夫と一緒に、珍しく日本のドラマ『しんがり~山一證券 最後の聖戦』を!)

たまにまぶたがピクッとすることって、ありませんか? 
私の場合は、耳の裏の痛みの次に左のまぶたがピクピクし始めて、しかも四六時中ピクピクするので不安になり、ネットで調べてみました。
すると、ピクピクはまぶたから頬に、最後は口までだんだんと下がっていくと書いてあるのです。確かに、一日くらいの間に痙攣する場所が徐々に下がっていきました。目はずっと涙目で、開けているのがつらいのですが、開けないわけにもいきません。しかもそんな状態なのに、友人が行けなくなった玉三郎公演を代わりに観に行ったという…。「美しいものを観ると目によいかも」という思いもありまして(苦笑)。ただし、出かける前に化粧をしていたら、左の目がうまく閉じられなくて、アイシャドーが塗れなかったのです。「これはちょっとヤバいな」という思いが頭をよぎりました。

翌朝、鏡を見たら、左の顔が固まっていることに気づき、「これはホントにヤバい!」と、スッピンのまま病院の救急に行きました。(日曜日だったのです。)症状を話すと、すぐに脳のCT検査となり、異常がなかったので、とりあえずビタミン剤を処方され、翌日、耳鼻科を受診して、いろいろ検査したところ、他にも異常がみつかり入院することになったのですが、最初の一週間は耳鼻科顔面麻痺の治療を受けました。

ヘルペスによる顔面麻痺だろうということで、点滴治療を受けたのですが、寝ている間も目をきっちり閉じられないらしく、目が乾燥して傷つかないようにと目薬をもらい、最初のうちはしょっちゅう目薬をさしていました。(そうでもしないとやってられないのです。)私の場合はそこまで重症ではないとのことでしたが、それでも左が麻痺していることは見ればわかります。口を開けると、左右が違うのです。ご飯を食べても、左側で咀嚼するのが難しく(左側にご飯が溜まっていくのです)、牛乳のストローもきちんとくわえることができません。見た目にはわずかな麻痺でも、こんなに支障があるのかと驚きました。洗面時には、左目がきちんと閉じてないので、目に水が入ります。シャワーは、目にガーゼを貼って入りました。

耳鼻科では、聴覚と味覚の検査も受けました。その後、症状が良くなったかを調べるため、同じ検査を再度受けましたが、その後に受けた神経の検査というのが、めちゃくちゃ痛いのです。右側と左側の頬に電気ショックを与えて比較するのですが、右も左もめちゃくちゃ痛い! 拳で殴られたことはないけれど、まさにそんな感じの痛さ。電気ショックだけに、ガツーンと火花が出そうな痛さでした。それを何度も何度もやられるので、ちょっとした拷問です(笑)。実際、「始めますよ」と言われて、「はい」と答えかけた瞬間に痛みが走り、上下の歯がズレたくらいです。その後はしっかり歯を食いしばりました。

幸い、私は治りも早い方だったらしく、見た目はほぼ完治しているのですが、主治医からは「抵抗力が弱まると、今度は右に出てくるかも知れないから、気をつけて」と言われています。皆さんも疲れはくれぐれも溜めないように!

痔の手術ー追記

痔の手術のあと、すぐに病院に来てくれなかった夫のことをいまだに恨んでいると12月18日の日記に記した。当時、小学生だった息子を優先するのは当然なのに、なんでそこまで…と自分でも不思議だったのだが、ふと遠い過去の記憶が蘇って、腑に落ちた。

そもそもは、痔の手術で初めて脊髄麻酔をすることに不安を感じていたのだが、実はそれよりずっと昔に私の潜在意識に「痔の手術は怖い」とインプットされていたことに気がついた。

それは東京でバリバリ働いていた20代の頃の話。職業柄、回りの先輩方には痔持ちが多かったが、私はまだ痔とは無縁の頃。職場では、いくつかの取引先の担当者と毎日のように業務連絡をして、たまに雑談もしていたのだが、ある日、ひとりの担当者がお休みしていた。いつもなら、前日に「明日はお休みします」と断りを入れる丁寧な人なのに、その日は突然、別の人が出てきて、「○○は、2日ほどお休みしますので、私が代わりに担当します」と言われたのだ。知らない人なので、特に雑談することもなく業務連絡に徹していたのだが、2日過ぎても、3日過ぎても、4日過ぎても、その人が担当のまま。いったいどうなっているんだろう!?と訊いてみたら、その○○さんは亡くなっていたのだ。

当時、私と同じく20代の○○さんは、痔の手術のためお休みをしていたという。理由が理由だけに、取引先には何も言わずにお休みしていたらしい。痔の手術自体は成功したのだが、その夜、入院先の病院で持病の喘息の発作が起き、亡くなったという。同僚の方は詳しく話してくれなかったが、彼が喘息持ちということを病院側がちゃんと認識していなかったのだろう。普通に、迅速に対応していれば、彼は元気に退院していたはず。今思えば、訴訟になってもおかしくないケースだったのかも…と思うが、よくわからない。

代わりの担当者は顔すら知らない人だったし、「痔」の手術ということで、それ以上、突っ込んで話を聞くことができなかったのだが、あっけなくいなくなってしまった担当者さんの話は、けっこう衝撃的だった。

その後、痔の手術を経験した私だから言えるのだけど、脊髄麻酔がまだ切れていないうちに喘息の発作が起きたのだとしたら、いつも使う薬などを手元に置いていたとしても、彼は手を動かせなかっただろう。回りに誰かいれば、なんとでもなるけど、ナースコールだって押せないのだから、どんなに苦しい思い、無念な思いをしたことだろう。

彼が元気な頃、「自分は喘息持ちなんで、水泳をやって、鍛えているんですよ」と打ち明けてくれたことがあった。そうやって前向きに健康になろうと生きてきた若い青年が、なんともないと思われた手術の夜にひとりで発作に苦しんで亡くなったなんて、あまりに可哀想だ…。この情報が、私の脳にしっかりインプットされていたのだと思う。

だから、誰もいない病室で、麻酔のせいで身体が動かせない状況でひとり過ごす時間が恐怖だったのだ。 
by 鳩胸厚子

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7)後悔の嵐
8)痔の手術の後日談
9)肛門外科の先生
10)痔の手術ー追記(本記事)

ポケモンGOは地方都市の中高年の健康法

去年の夏から始めたポケモンGO、いまもほぼ毎日、続けている。息子は小さい頃からテレビでポケモンを見たり、ポケモンの本を買ったり、映画を見に行ったり、DSのゲームをしていたけれど、私自身はポケモンの詳しいことを知ることもなく、過ごしてきた。ところが現在、息子はスマホも持たず、特にゲームにはまることもなく過ごしているのに、なぜか私が夫につられてポケモンGOを始めてしまった。

近所のポケストップやジムを巡るのが半ば日課のようになり、これが今では私の健康法の一部となっている。「健康のために歩きましょう」と言っても、寒い冬空の下、目的もなく歩くのは辛い。だけど、ポケモンGOをやっていると、つい「もうひとつ先のストップまで行ってみよう」などと頑張ってしまうのだ。このゲーム、いろんなことがよく考えられていて、たとえば、「30分以内に10ヶ所のポケストップを回ると、ボーナスがもらえる」のだ。ただし、10ヶ所はすべて別々の場所で、しかもそれぞれ10分以上の間隔があいてはいけないという条件つき。大都市だとポケストップはそこら中にたくさんあるだろうが、この地方都市ではまばらにしかないので、30分で10箇所回ろうと思うと、かなりスピーディなウォーキングをすることになり、健康的なのだ!

逆に、歩くのは大変だからと、地方では車で移動しながらポケモンGOをやる人も多いはず。私も朝、息子を駅まで車で送る際には、息子にスマホを持たせて、ポケモンGOを代わりにやらせている。お陰で、息子からポケモンのさまざまな情報を教えてもらい、この年になって息子と共通の話題ができたと喜んでいる。

たまに夕飯のあと、夫とふたりでウォーキングがてらポケモンGOに出かけるのも、楽しい習慣となっている。一応、ふたり仲良くやっているけど、互いに対抗心もあり、捕まえたポケモンの種類や経験値などを競い合ったりもする。そんな時、私は息子とタッグを組み、夫と対抗する。

ポケモンGOがどれくらいの人気なのかは知らないけれど、この辺りのポケストップでは中高年層をよく見かける。対戦ゲームの面よりも、毎日、こつこつと続けていくことの面白さ、街に出ていくことの面白さが強調されているゲームなので、確かに若者よりもシニア向けのゲームだと思う。毎日、外を歩くのはもちろんのこと、ポケモンの名前を覚えるのも脳トレになるのだから。

そういえば、高須クリニック高須先生や、岩井志麻子女史や浪速のモーツァルト、キダ・タロー先生ポケモンGOにはまっているというし。さて、私もきょうの一回り、してこよう!

*2017年12月30日の記事『ポケモンと仏様の世界

*2018年8月27日の記事『進化するポケモンGOのSNS化