この世で出会う人たち

昔から、とんでもない場所で知り合いと遭遇するとか、友人・知人が実はほかでもつながりがあったとか、そんな偶然がたくさんあるのだが、これは私に限ったことではないのだろうか。長く生きていれば、こういう偶然も増えていくのだろうか。

大半の人は気づいていないだけで、回りの友人・知人が互いにつながっているというのは、実は普通のことなのかも知れない。これまでの偶然の数々を思うと、この世で私たちが出会う人たちは、最初から決まっているのかなと思ってしまう。この人生で出会う人たちは、まさにご縁のある人たちなのだ。

きょうも息子の同級生のお母さんと初めてのランチに出かけたのだが、その方とも不思議なご縁があることが発覚! これから、今までの数々の偶然を振り返ってみるつもり。(乞うご期待!?)

昨日の敵はきょうの友

たかだか週2日か3日のパートだが、あまりに劣悪な職場環境にどっと疲れている。気分転換にちょっと外で働こうという目論見だったが、こんなひどい人たちの中で時間を過ごすことになるなんて・・・。

先日、珍しく現場トップの上司がオフィスにいたのだが、狸の置物のようにただ席に座っているだけで、何もしない。彼の面前で、スタッフが忙しく働いているのだが、全員の手がふさがっていて電話が鳴り続けても、彼は決して電話に出ない。なのに、スタッフの言動、特に電話の応対には聞き耳立てて、隙あらば説教をするらしい(とあとで聞かされた)。で、その日は私がそのターゲットとなったのだ。

電話を取り続けながら、入力作業も続けて、忙しくしている私を、その狸は呼びつけて、「さっきの電話は、どういうことだった?」と言う。「○○からの問い合わせでしたが、忙しい日の○○の注文は無理してとらなくていいと言われていたので、その日はもういっぱいでしたし、断りました。」と答えると、「じゃあ、ほかの業者だったら、どうした?」とくる。もう面倒くさくて、「どうすれば、いいのでしょうか?」と丁寧にお伺いを立てると、ぐだぐだと説教を始めた。しかし、こう言ってはなんだが、狸の話は要領を得ず、何を言いたいのか、よくわからない。なのに時々、こちらに質問をするので、ものすごく迷惑。テキトーに答えると、「違う。わからないのか?」となるし、「わかりません」と答えても、「わからないのか?」となるし、「さあ、どうすればいいのでしょうか?」と答えても、「わからないのか?」となる。で、また説明が始まるのだが、「そんな話、初耳だよ。誰もそんな説明してくれてねーよ」という内容か、あるいは「研修中に聞いた話と違うじゃねーか。いつも指示を出す人は、違うことを言ってるよ」という内容なのだ。もしかして、ただいちゃもんをつけて、えらそーに説教したいだけのおじさんなのか!? 「あ~、疲れるな~」と思いながら、しおらしく話を聞いて、席に戻ったのだが、なんで説教されたのかよくわからない。だって、結局、私の電話の対応は間違ってなかったんだよ。(それは狸も認めていた。あの業者は断っていいと。)なんちゅー理不尽な・・・と思っていたら、例のキョーレツおばちゃんが私に話しかけた。

「きょう、お昼、一緒に行こ!」
ぎょ、ぎょえ~!と思ったが、おばちゃんは弁当持参のはず。
「すみません、私、きょうお昼持ってきてないんです」と答えると、「あっそ、じゃあ、一緒に外に食べに行こ」とにこにこ。普段は交互にお昼休みをとっていたのだが、これはもう断れない。逆に、おばちゃんは私に言いたいことがあるのだろうから、これは情報収集のいいチャンスかもと、一緒に出かけた。

おばちゃんによると、きょうの狸の説教はまだやさしい方だという。そりゃ、そうだ、私の電話対応は間違ってなかったんだもん。これまで新しく入ってきた人は、みな狸の説教という洗礼を受けてきたらしい。狸だけでなく、社長の怒号を浴びる人もいるらしい。彼らの過去のイビリや暴言の数々をおばちゃんは教えてくれた。それを聞いて、ここは長くいる場所じゃない、早く脱出しなきゃと思いながら、「そんな中で耐えて、頑張ってらして、素晴らしいです!」とおばちゃんを褒めちぎる私。

その日の午後は、やけにおばちゃんが私にやさしく、協力的で、びっくりしてしまった。そして狸がいなくなると、場がなごみ、嫌味な社員さんたちも口調がやわらかくなり、軽口も出る。なるほど、朝は狸がいたせいで、みんなピリピリしていたのだ。

しかし、こんなひどい職場は初めてだ。客商売とは思えないし、経営陣も人として終わってる・・・。頼むから、あの怒鳴り声だけはなんとかしてくれと思う。あ~あ、疲れた。

業務日誌

新しく始めたパート仕事。2週間の研修が終わり、私ともうひとりの新人パートさんとで、平日の2日か3日で交互に出勤している。せっかく仲良くなったのに、もう職場で顔を合わせることはないのだが、今では平日は毎日のように出勤した方がもう一方に「業務日誌」メールを送っている。まるでストレスを発散するかのように、かなり詳細にその日の出来事を書き綴る。お互い、その場にいなかったのに、手に取るように状況がわかる上に、次の出勤日の予備知識として役に立っている。

相棒さんからのメールには毎回、もう笑うしかないというような事件が記されている(気の毒なんだけど)。例の強烈なキャラ変更おばさんが、元のキャラに戻ったらしい。朝から対応の仕方がわからない電話を何本もとっていた相棒さんは、そのたびに強烈おばさんに訊いていたので申し訳なく思い、その後はセクションの全員に聞こえるように「○○の電話が入っているのですが・・・」と対応していたら、おばさんにこう言われたそうだ。
「あなた、私の名前、知らないの?」
「もちろん、存じております。」
「名前、呼ばないから、知らないのかと思った。」
「・・・・」
おばちゃんが感じよく対応してくれていたら、相棒さんだってわざわざセクションのほかの人にまで呼びかけるようなことはしなかっただろうに。

その後も、相棒さんがわからないことを質問したら、「前に教えたと思いますけど」と社員さんに突き放され、そこでおばちゃんの説明が始まり、「どこがわからない?」と訊かれたので答え始めたら、「いま人が話しているんだから、聞け!」と怒鳴られたのだとか。いやはや・・・。相棒さん、よく耐えてるな~。辞める時は私も一緒に辞めるよ~と思いつつ、応援メールを送ったのだが、この業務日誌のお陰で、なんとか続けられているような気も。私たちの絆だけは深まるのであった。ふぅ。

キャラ変更

始まったばかりのパートだが、職場環境は劣悪な上に同じ部署に「ナイス」な人が皆無という、恐ろしい状況だ。「これは、常にポジティブな意識を持つための訓練なのだ」と自分に言い聞かせているのだが。

中でも厄介な人物が、最年長のパートのおばさん。かなりの年配で、電話をとると大きなだみ声で喋るのでうるさくてたまらない。社員の方が私たちに研修しているのに、その人が席を立ったりすると急にしゃしゃり出て、私たちに偉そうに仕事を教えたり、指示を出したり。もうひとりの新人さんは、私より若い上に、たまたまそのおばさんの隣の席になったものだから、細々と指示や文句をつけられたり、嫌味を言われたらしい。おばさんがここに入ったときは研修なんてものはなく、いきなり仕事をさせられ、うまく出来ないと叱られていたのだとか。わからないから質問すると、「こんなこともわからないのか!」と叱られ、自分で判断してやると、「どうして質問しないのか?」と叱られ、結局、何をやっても叱られていたのだそうだ。そのことをずっと根に持っているのか、直接、叱った相手に反撃できない分、自分より弱い立場の新人をいびっているのかも知れない。

私も研修中に一度、その人の指導を受けて、その嫌味ったらしい口調を聞くこととなった。それまではメモを取りながら研修を受けていた私だが、このおばさんは何かあるとテスト形式でこちらを試すので、メモはとらずに、おばさんの話に集中した。実際問題、おばさんの説明はわかりづらくて、メモをとる気が失せたのもある。すると、それが気に入らなかったのか、「メモは取らなくていいの?」とくる。さらに、「○○はよく出てくる業者だから、○○の業者コードはきょう明日くらいで覚えてな!」とか、「△△の地域コードくらいは、きょう明日で覚えてな!」とか命令するのだ。まだ仕事に慣れてないから、入力作業は常に項目を間違ってないか確認しながら行っているので、たとえコードを暗記したとしても絶対にコードリストに照らし合わせるつもりなので、「別にきょう明日で覚える必要はないじゃん・・・」と思って聞き流した。

そして、その二日後だったか、研修をしてくれる社員さんがいなくなった隙に、いきなりそのおばさんが私の席にやってきて、「○○の業者コードは?」と質問したのだ。「なんじゃ、このおばさん!」とビックリしたが、うまい具合に机に広げていた研修ノートのページにその業者コードが書いてあったので、「xxxxxxxx」と即答。すると今度は、「△△の地域コードは?」ときた。これは覚えてなかったので、素直に「すいません、覚えてません」と答えた。だが彼女は黙って立ったまま。そこでもう一度、「すいません、覚えてません」と繰り返したが、それでも無言。なので、今度は「コードではなく、マウスでクリックして入力していたので、番号は覚えてません」と言ったら、「まあ、いろんなやり方があるわな」と不機嫌そうに自分の席に戻って行き、大きな声で、「ああ、気ぃ悪い!!」と言って席についた。

ところが、このおばさん、私のひとり勤務の初日、なぜかやけにやさしくなっていたのだ。もしかして、社員さんに「新人パートに辞められたら困るから、やさしく指導するように」とでも言われたのだろうか!? 一番、びっくりしたのは、彼女が昼休みに出る際に、「鳩胸さん!」と私に声をかけて、「ガンバ!」という感じのポーズをして見せたこと。いやはや、吹き出しそうになるのを堪えたのだが、いきなりのキャラ変更、ついていけません。

易経、あなどれじ

先日からいよいよパートに出ている。わりと近所で、週2、3日の仕事なので楽勝・・・と思いきや、最初の2週間は週5で研修と相成った。本来の仕事のほかにも、いろいろとやって欲しいことがあるらしく、いくつかの部署を回り、たくさんのことを教えられた。事務所での仕事のはずが、いきなり初日の午前から接客の仕事をさせられ、びっくり。まあ楽しかったけど、冷や汗かいた。ものすご~く忙しいときは手伝いに駆り出されるかも知れないとのこと。うむ。

で、本来の部署での仕事も覚えなくてはいけないことが多くて、たじたじ。システムが複雑すぎるし、不必要に商品の種類が多いし、はっきり言って非効率だな~と思うことも多々ある。さらに、私語も殆どない事務所の空気がたまらない。社長を始め、幹部のおじさん連中の威圧感。さらに、仕事を教えてくれる同じ部署のベテランさんたちも、たまに意地悪な言動があったりして。いまどき、こんなおばさんがいるんだな~と笑いそうになったけど、一緒に研修を受けているもうひとりの新人さんは完全にビビっていた。

毎日、昼休みにはその方とふたりで思い切りグチって、ストレスを発散していたのだが、研修も終盤のある朝、彼女が社員さんに叱られていた。彼女のミスで損失が出たらしい。とはいえ、新人の彼女の仕事はすべてベテランさんがチェックしていたのだから、要は叱っているその本人のチェックミスなんだけど、あからさまな責任転嫁。この複雑なシステムこそが、ミスを誘発していると思うのだが、それを改善しようという考えはないらしい。恐らく社長のケチケチ方針のせいだと思われる。

てなわけで、落ち込む彼女に「気にしな~い、気にしな~い、私たちの会社じゃないし。損失出ても、気にしな~い」と声をかけた。「それから、あのおばさんに意地悪言われても、ひるんじゃダメよ。むしろ笑顔でスルーして、何も気にしてない風を装って。意地悪しても効き目ないと思ったら、もう変なこと言わなくなるだろうし。思い切りバカのふりして、やりすごそう!」と励ました。彼女と友情を築けたのが、この研修の嬉しい副産物だったかも。

研修が終わると、私と彼女は交代勤務となり、職場で顔を合わすことはなくなるのだが、互いにメールで業務日誌交換をしようと約束した。そして研修後の第一日目は私の勤務。家を出る前に久しぶりに易経占いをした。すると、なんとも悪い卦が出るではないか。「ふさがる」という意味もあると。幸先悪いな~と思いながら、いつも通りに家を出ると、道路が渋滞していてまったく進まない(車通勤)。3月というのに雪が積もったものの、家を出る頃には溶けていたのに。これは事故渋滞に違いない。反対車線はスムーズなのに、こちらは1センチも動かない状態が延々と続く。結局、所要時間15分のはずが、出社が1時間20分ほど遅れてしまった。遅刻したのは私だけではなかったのが幸いだったけど。

それにしても、道がふさがっていたなんて・・・易経の言う通り。

偶然の意味

きょうは結婚記念日。正確には入籍記念日。私たち夫婦は結婚式も披露宴もしていないのだ。私は昔から結婚したいと思いながらも、披露宴だけはしたくない・・・と思っていた。「披露宴はお嫁さんのためにあるのよ」というセリフをよく聞くが、私は「絶対お断り!」だった。自分が主役の宴会というシチュエーションに堪えられない、別にお披露目しなくていい・・・という気持ちだった。

当時、私はいわゆる晩婚だったし(その後、世間の晩婚化はさらに進んだけど)、いろいろと難しい状況の中で結婚にこぎつけたので、夫も私も入籍できればそれで満足だった。実をいうと、結婚生活はとうに始まっていたのだが、夫がある事情から跡継ぎのいない家の養子になっていたことが入籍を阻んでいたのだ。夫自身は望まない縁組だったので、いつか離縁できたらと思っていたようだ。とはいえ、籍を抜くのは大変なことで、相手方に了承してもらうまではすったもんだがあった。よく入籍できたなぁと、いまだに思うが、愛情のないつながりは切れてしまうということなのかも。

さて、私の親戚に算命学の大家がいるのだが、当時、やけに私の結婚を心配して、「結婚するなら、この頃よ」としきりに伝えてきた。あとで聞くと、その頃の2、3年の期間が私が結婚したいと思う星回りで、それを過ぎると、一生独身で過ごしそうだったので、何度もせっついてくれたらしい。そのため、私が夫と出会ったことをとても喜んでくれたのだが、入籍するなら天中殺の前にと釘をさされていた。夫と結婚を決めた翌々年が私の天中殺だったからだ。

しかし、養子先の問題がすったもんだしたことで、気がついたら天中殺の年を迎えていた。親戚によると、算命学の新年は1月1日ではなく、節分明けとのことだったので、ぞろ目の2月2日に入籍しようと決めたのだが、夫の手違いですべての書類が揃ったのがなんと節分の夕方。しかし、その年の旧正月が2月5日だったので、その前なら大丈夫と、翌2月4日に役所に向った。すると、入籍の手続きをしながら、自分の用意した書類をまじまじと見ていた夫が驚きの声をあげた。件の家の養子となったのも2月4日だったのだ。養子手続きは、その家の人が勝手に進めたので、自分がいつ養子になったのか正確なことはまったく知らなかったのだという。

夫の手違いで2月2日に入籍できなかったことを私は責めてしまったのだが、それは2月4日に入籍するための天のはからいだったのかも知れない。2月4日は、私たちにとって意味のある日にちだったのだ。振り返ると、けっこう大変なこともいろいろあったような気がするが、我が家はいつも幸せな空気に満ちていると思う。夫に出会えたことに今も日々感謝しています。

*我が家の敷地に勝手に入りこむ近所の猫たち。黒猫と三毛猫が仲良くうずくまっている。
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共感ー亡き父を偲んで

年明けに父が亡くなったあと、いろいろな手続きをした。3年半前に母が亡くなったときの経験があるので、特に戸惑うこともなく、わりとスムーズにことは進んだ。(といっても、すべて終えたわけではないのだけど。)

中でも、かんぽ保険は、広島に行かず、こちらの郵便局で手続きできるので助かった。近所の郵便局に2回、足を運んだが、たいして時間はとられなかった。最初に行ったときは、私より少し若そうな男性職員が対応してくれた。てきぱきしていたが、わずかに慇懃無礼な態度と口臭が感じられて、不快だった。

二回目に訪れたら、今度は私より年上と思われる女性職員が対応してくれた。最近はけっこう年配でも勤められるのだな~と思いつつ、彼女の動きや口調から、「これは、かなり時間がかかりそう・・・」と不安になった。「まだ、あのちょっと嫌な感じの男性職員の方がよかったな~」と、心の中でため息をつきながら待つことに。

やがて、他の職員さんに確認しながら手続きを進めていたその年配女性に、名前を呼ばれた。思ったほど、時間は経っていなかった。彼女はまず、「お父様ですか?」と、お悔やみの言葉を述べてくれた。そして、「大正2年生まれとは、私の父と同じです。長生きされましたね」と言ってくれた。
「そうなんです、100歳の大往生で・・・。そちらのお父様は?」
「うちは数年前に亡くなったんですよ。」
「それでも長生きされましたね。」
などと、しばし雑談。父は入院や手術を一度も経験することなく、自然に亡くなったことも話してしまった。その方も、「うちの父も老人ホームに入って、元気だったんですけど、認知症で暴れたりして、大変なこともありました」と言いながら、「それでも、長生きしてくれてよかったですけどね」と微笑んでいた。なんだか、お互い、気持ちを分かり合えたようで、一瞬、心が温かくなった。

その後、書類を見ながら、その方がまた声をあげた。「お父さんの誕生日、私と一緒です!」
ちょっとした偶然が、さらに共感を高めてくれたようで、ちょっと嬉しかった。

自然な老衰、100歳の大往生ということで、「めでたし、めでたし」と言いながら、実は心の中にぽっかり穴が空いていたのだな~と、そのとき気づいた。何歳だろうが、父がいなくなって寂しい・・・という気持ちを、一瞬でもこの方と共有できて、なんだかほっとしたのだ。

手続きを終えた私は、「きょうはいい日だわ!」と思いながら、郵便局を出た。もう顔も覚えていないけど、彼女のことは一生忘れないと思う。

by 鳩胸厚子

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日常会話で死はタブー?

早いもので、今年もすでに1/3が過ぎてしまいました。
今さらですが、実は年明け早々に父が亡くなりました。100歳の大往生だったので、「こんな風に人生を終えられて羨ましいな~」と感動をもって見送ることができました。このことは別の機会にまた詳しく話すとして、きょうは「死はタブーなのか!?」という話です。

年末に、友人に紹介されたとある方と会う約束をしました。その時点で年明けのスケジュールがお互いにはっきりしなかったので、お正月休みが明けたら連絡しましょうということに。ところが、父が亡くなったことで私からの連絡が遅れてしまい、落ち着いた頃にメールでその旨を書いて詫びたところ、その方から返信があり、結局2月に会うことになりました。それはそれでよかったのですが、その方の返信メールには私の父の訃報について一切、触れてありませんでした。まだ直接会ったことがない方に、父が亡くなったと書いて気まずい思いをさせてしまっただろうか・・・と反省しましたが、その方は霊界に詳しいスピリチュアルな方と聞いていたので、逆に不思議な気もしたのです。もしかしたら、日常的に魂の話をしている人にとって、あの世に旅立つことはたいしたことではないのかも・・・などと考えたりしました。

それから、昔、暮らしていた山の集落の友達に久々にメールをしたときのこと。街に引っ越してからも、彼女とは時々会って、お喋りをして、互いの近況報告などをしていました。私が遠距離介護をしていたことはもちろん、母が亡くなるまでの経緯や、老人ホームの父の様子なども、会うたびに話していました。彼女も周りにお年寄りが多い環境で暮らしている上、いまは医療機関に勤務しているので、そういう話題をよく語り合ってきました。今回は久々に連絡事項があってメールをしたのですが、そこに「年明けに父が亡くなってバタバタしていました」という一文も入れておきました。すぐに返信メールが届きましたが、父については一言も触れてありませんでした。

前述のスピリチュアルな方は、2月にお会いしましたが、とてもすてきな方でした。山の友達も、近所の高齢者のことも心配してあげるような優しい人です。だからこそ、どうして父が亡くなったことについて一言も触れないのか、解せないでいます。単に見落としたのか!? 私の書き方が変だったのか!? なんと言葉をかけていいか、わからなかったのか!?

3月になって、ご近所のママ友たちと久しぶりに集まる機会がありました。私がここに越してきてすぐにお話をするようになった同じ町内の同級生のお母さん方です。以前は定期的に集まってお喋りしていましたが、子供たちが中学生になってからはそういうこともなくなっていたので、本当に久々にみんなで顔を合わせました。帰り際にその中のひとりとふたりきりで話す時間があったので、父が亡くなったことを伝えました。私が毎月のように広島に帰っていたのをご存知の方だったので、報告の意味でさらっと伝えたつもりです。けれど、彼女から言葉はありませんでした。その場で固まっていたのかも知れません!?

その後、別の近所のママ友とメールのやりとりをしたときも、一切、なんの反応もありませんでした。今までお互いの個人的な事情はけっこう話して、知っていたはずなのに。

もちろん、温かい言葉をかけてくれたり、お花を持ってきてくれたママ友たちもいます。反応の違いは単に親密度の違いなのかも知れません。とはいえ、親密度に関わらず、ご身内にご不幸があったと聞いた際には、お悔やみの言葉を述べるなり、何らかの反応をするのではないかな~とも思うのです。常識も教養も思いやりもある方々だと思っていただけに、いまだに解せない。日常生活の中で予期しないときに、「死」に反応する心の準備ができていないだけなのでしょうか。

日常会話で「死」の話題はタブーなのね・・・と改めて感じています。

後悔の嵐

私の痔の物語を語り終えぬまま、しばらく時間があいてしまいました。中途半端ですみません。手術をしたお陰で、いまは快適な生活をしています。痔の悩みがなくなって、なんとすっきりしたことか! 先生には感謝してもしきれません。

先生が職場に復帰されたらお礼に伺いたいと思いながら、子供の受験等でばたばたして、気がつくと一年以上が過ぎていました。実は、先生が復帰されたかどうか、その後も病院のHPを何度か見ていたのですが、予定より遅い時期に先生のお名前をみつけたものの、肛門外科の診療はしておられない様子。フルタイムの復帰ではなさそうで、気になってはいたのです。

同じ病院に勤めている同級生に訊けばいいのですが、手術の直後に「先生にお礼をしたい」旨を告げた際にうまく話をそらされてしまい、そういえば病院内にお礼などはしないようにという貼紙があったことを思い出し、以来、彼女には訊けずにいました。「先生が復帰されたら教えてね!」とは伝えていましたが。

そして、ちょうど一週間前。彼女から久しぶりにメールがきました。先生は、この夏、ご逝去されたとのこと。あまりのショックに、うちのめされました。首のコルセットを見て、私は怪我の治療だと勝手に思っていましたが、実は癌だったそうです。

ああ、先生に一言、お礼を言っておきたかった・・・と、後悔の嵐です。
先生の最後の患者のひとりになれたことは幸運でした。
詳しいことはまた後日。

by 鳩胸厚子

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