古事記の世界、我らムシの子孫

きょうは父の96歳の誕生日。朝、近所の評判のお店で買ったイチゴのショートケーキをこっそり持ち込み、父に食べさせた。(食中毒などを懸念して、ホントは食べ物の持ち込みは禁止なのだが)。施設の方によると、「朝から、きょうは誕生日と自分で言っておられましたよ」とのこと。

とはいえ、このところの父はおとぎ話の世界の住人になっていることが多い。「人間と犬が一緒に寝ている」とか、「人間と魚が一緒に暮らしている」とか…ダイニングルームの景色がそんな風に見えるらしいのだ。昨日は、新しく入所した方のことを、「あの人は着物を着とると立派じゃけど、着物を脱ぐとカエルなんよ」と言うので、私と息子は吹き出してしまった。

で、きょうもケーキを食べた後で、「ここの人たちは人間の格好をしとるが、本当は虫じゃ。虫なのに、日本語を喋りよる」と言い出すので、またも大笑い。いや、本人はいたって真剣なんだけど。

その後、買ったばかりの『古事記と日本書紀』という本を開いたところ…。

古事記によれば、まず天の中心に原初の神が出現。次に二柱のムスヒの神が出現。これは「苔むす」のムスで、生命の出現を意味する。「」は、このムスが名詞化した言葉。マムシという言葉があるように、古代ではヘビムシ族の一員で、そのヘビの血を受けた子孫が倭の王になった。初代天皇の妻は蛇神の娘だったのだ。「ムスメ、ムスコ」として生を受ける私たちはみなムシ族の一員草と虫と人がつながって生きている世界古事記は表している…。

と書かれているではないか。「父が言っていることも、まんざら嘘ではないのかも!?」とムスコと感心した次第。このことを早速、夫に報告したら、「う~ん、それは確かにムシできんな」とのこと。あ~あ。

*きょうは快晴!
30jul09

母の転院先の不思議な縁

去年の夏の同期会で久々に再会した同級生に、この夏休み
中は帰省していると連絡をした。それで何度かやりとりし
ていたら、彼女は数年前まで母が転院した病院で診察して
いたことが判明。しかも専門は心臓。母の今の主治医は彼
女の後輩なのだと。

今朝、そのことがわかってびっくりしていたのだが、母の
病院に行く前に息子とお昼ご飯を食べようとファミレスに
入って、またびっくり。隣のテーブルに見覚えのあるおば
さんが座っている。転院前の病院で、母の隣のベッドにい
らした方だ。転院の日に、泣きながら母に話をしていたお
ばさんが、すでに退院され、「今では家族ともうまくやっ
ているとお母さんに伝えておいて」とのこと。

そして病院に着くと、事務室のおばさんに呼び止められ、
「まあ、あなた、○○先生と同級生だったんですね」と、
しばし○○先生の話で盛り上がった。初めてこの病院に来
た日から、とってもやさしくしてくださった事務室のおば
さんは、彼女とは長い付き合いなのだそうだ。

不思議な縁というか、世間は狭いというか。みんなつなが
っていると思うと、それだけで心強い!

*道路工事は着々と進む! 国道はまだ片側通行。
29jul09

伯母から聞く祖母の話

関西に暮らす伯母が母のことを心配してくれているので、
時々電話で様子を知らせている。夏休みに入って、私と
息子がふたりで実家に戻っていることを知らせると、き
ょうも電話がかかってきた。結局、延々と喋ること一時
間半!

去年、夫を亡くして、ひとり暮らしになった80代半ばの
伯母は、よく電話で喋っていた妹(うちの母)も入院し
てしまい、話し相手が欲しいのだろう。

身内の私には、気兼ねなく話ができるようだ。私の知ら
ない昔の話を、きょうはたくさんしてくれた。私が生ま
れる前に亡くなっていた祖父母の話など。母より7歳年
上の伯母は、母の知らない祖父母の姿も知っているのだ。

伯母は、亡き祖母に私の母を守ってくれるようお願いし
ているのだと、何度も繰り返した。祖母が亡くなるとき、
末っ子の母を見て、「そこに私の可愛い○○ちゃんがい
る」と最後に言ったのだそうだ。

確かに、母だけでなく、人間誰しもいろんな人に守られ
て生きているのだろう。

*渋滞中の峠の道から、実家のある海辺まで見渡せた!
28jul09

母は食欲旺盛

雨がやんでる間にと、午前中に母の病院に行った。
国道が途中、片側通行になっていたが、わりとス
ムーズに到着。このところ、母は食欲がでてきて、
「食べたいもの」が毎日いくつも出てきている。

握り寿司、ちらし寿司、いなり寿司…と連日食べ
ているのだ。病院食はどろどろのおかゆなのに!
甘いデザートも欲しがるようになり、どらやきも
おはぎもぺロリと食べた。

転院前後の検査結果には、生きているのが不思議
と思える数字が出ているのだが、本人の姿をみる
となかなか調子がよさそうに見える。おかしな話
だが、数字よりも目の前の生きている母の様子こ
そが現実なのだ。

嬉しい現実に感謝して、大雨になる前に帰路につ
いた。

*息子の好きな定食屋さんに着くと、黒い雨雲が!
26jul09

遠距離介護のせいで塾デビュー!?

息子と一緒に帰省したはいいが、ここには遊び相手もいない。
実家は住宅地ではなく、国道沿いの商業・工業エリアにある。
私が東京にいる頃に両親が引っ越した家なので、近所に私が
よく知る人はいない。

いっそ習いものに行けば、子どもに会えるかも…とネットで
探したが、スイミングスクールも小学生の夏期講習をやって
いる塾も近くにはなさそう…。

同級生に聞くと、かつて私たちが小学校時代に通った塾が、
今いちばん評判が高い受験塾だという。実は私と彼女が初め
て出会ったのが、その塾だったのだが、残念ながら私たちが
通った教室は今はないようだ。この街では受験熱は高くない
のだろう。

と思ったら、その塾は母の病院がある隣の市につい最近、教
室をオープンしたとのこと。小学生向けの理科実験講座があ
ると聞き、早速申し込み、息子は昨日、参加してきた。田舎
だと思っていた隣市が知らない間に発展していて、駅前の新
しいビルにあるという塾を探していたら、白衣姿のお兄さん
に声をかけられた。何かの勧誘か?と身を引いたら、理科実
験講座の先生だった!!!

あとで迎えに行ったら、息子は楽しかったらしく、すっかり
馴染んだ雰囲気で喋っていた。このところ、病院や施設に行
くだけでエネルギーを消耗していたせいか、塾に行って、子
どもや先生方の活気に触れて、本当にほっとした。

それでついつい夏期講習まで申し込んでしまった私。こうや
って塾の世界に取り込まれるのか…。ま、今だけだし、子ど
も楽しそうだから、よしとしようっと。

*広島銘菓はもみじ饅頭だけではありません。
 大好きな川通り餅!
23jul09

母の病院で部分日食

きょうの午前に母の病院で栄養士さんとの面談があった。
母の食事について相談するのだ。こちらに転院してから
以前よりもずっと飲み込みができるようになり、食事の
量も増えたようだ。ミキサー食を前のようにきざみ食に
変えてもらうようお願いした。

この数日で、母は驚くほどの食欲を見せ始め、そうめん
が欲しいだの、おはぎが食べたいだの言い出して、実際
に持っていくと、ぺろりと食べたのだ。

さて面談が終わり、11時近くになったので、私と息子は
日食を見ようと病院の玄関を出た。遮光板はあきらめて、
丸い穴をあけた紙や手鏡を用意していったのだが、まっ
たく日食の様子が見られない。薄曇ではダメなのか…。

すぐ横で、病院のスタッフらしき方がサングラスと携帯
カメラを持って、「あ、見える!」と興奮していた。そ
の方が「ちょっとだけなら大丈夫よ」とサングラスを貸
してくださったので、ほんの一瞬、見せてもらった。

おおっ! 三日月のような太陽がちゃんと見えた!!!
夫に連絡したら、あちらでも見えたようだ。よかった!

*日食だとわからないけど…。
22jul09

母の病院と父の施設へ

きょうは息子とふたりで病院と施設へ。
施設で息子が「トイレに行きたい」というので、
場所を教えたのだが、息子はみつけられずうろ
ちょろ。すると父と同じテーブルにいたおばあ
さんが、大きな声でスタッフの方を呼び始めた。
このおばあさん、耳はちゃんと聞こえて会話は
理解していらっしゃるようなのだが、言葉をは
っきり発することができず、何を言っているか
がわかりにくい。

やっと息子はトイレをみつけて用を足してきた
のだが、おばあさんは相変わらずスタッフの方
を呼びかけている。しかし忙しく動き回るスタ
ッフの方は気がつかない。

とうとう息子が「おばあさんが呼んではるで~」
とスタッフの方を呼んできた。「あ、トイレ?
いま別の人が入ってるから、待っててね」と立ち
去るスタッフの方。

ようやくトイレが開くと、おばあさんは息子に
トイレに入るよう促した。ありゃりゃ、おばあさ
んは息子のためにずっと声をかけてくれていたの
だ。すみません、ありがとうございました…。

結局、施設を出るのが8時近くとなり、閉店間際
のホームセンターで遮光板を探したのだが、案の
定、売り切れていた。昨日はまだあったのに!
昨日、一枚購入したのだが、一枚だけでは十分で
ないとわかり、もう一枚購入したかったのだ。

でも心配なのは遮光板より、明日の天気! 

*大雨で川がすごいことに!
21jul09

電車が不通のおかげで

実家のためにこまごまとした買い物をして、
母の病院に行き、父の施設に行ったら夕方
となり、夫を最寄のJR駅に送った。夫は明日
からまた仕事の日々。私と息子のふたりが、
実家に残る。

と思ったら、夫から携帯電話に連絡が!
なんと大雨のせいで、電車が不通なのだと。
急遽、駅まで戻り、広島駅まで車で送ること
となった。父親と離れるのが寂しかった息子
は嬉しそうだ。

駅に着いたら6時半。三人で駅ビルでお好み焼
きを食べた。これも電車が不通のお陰。次は
いつ会えるかな~。

*川の上の線路。
20jul09

移動後は疲労困憊

昨夜はやはり深夜の到着となった。
実家に来るのは久しぶりの夫は、早速、家のこまごまとした
雑用に着手。(エアコンの掃除、古い郵便受けの交換や、ち
ょっとした家の修理!)

久々に三人で父と母にも会いに行く。もちろん孫の姿は、ど
んな薬よりも強力だ。父も母も、表情が違う!

夫も息子も、転院後の母の病院に行くのはきょうが初めて。
ここは施設もかなり古く、母は6人部屋のため、ひとり分のス
ペースは狭い。前にいた救急病院と違い、ベッドもトイレも
旧式だ。さらに同室の4名の方は、殆どなんのリアクションも
返せない、寝たきり状態。それでも毎日、家族の方が通って
こられて、「お母さん、きょうは○月×日よ」などと話しか
け、身体をさすったり、歌をうたって聞かせたり。さらに、
介護士さんたちのチームがおむつ交換にやって来る。そんな
ときは、私たちは病室から出るように言われる。母によれば、
皆さん、とても手際がよく、あっという間に作業は終わるそ
うだ。

幸い、父も母も落ち着いた状態で、きょうは孫の顔を見てさ
らに元気になったようで、私は昨晩の疲れが残りながらも、
まぁまぁいい気分だった。しかし夫は母の病院を出た後から、
どっと疲れが出たようで、眼精疲労と頭痛を訴え、急遽、私
が運転を代わった。昨日、ずっと運転していたのだから、当
然と言えば当然。しかし、夫は普段、車の運転でこれほど疲
れることはない。仕事の疲れもたまっていたのだろうと心配
したが、どうもさっきの病院の様子を見た影響も大きかった
ようだ。

私が毎週の帰省でどっと疲れていたのももっともだと納得し
たらしい。いや、私にとってはもうこれは普通の光景になり
つつあるし、この病院は他と比べれば、ずっとずっといい所
だと心から思っているのだが。私より8歳若い夫にとって、
「老い」の現実はまだもうちょっと遠くにあったのかも。

父の施設も母の病院も、中に入るとすぐに排泄物の臭いがす
る。どちらも清潔にしてあるのだが、臭いを消すことはでき
ないようだ。人間、生きている限り、食事と排泄をするのだ
から。

*こんなところに道路を作っている!!
19jul09

次から次へ・・・

遅くとも明日中には三人で広島に帰り、私と息子はそのまま
夏休み後半まで滞在する予定となった。と思ったら、連休明
け早々に母の食事について栄養士さんと面談するよう連絡が
入り、父の施設からはメガネを落として壊れてしまったと連
絡が入った。自宅でレンタル中の介護ベッドの返却や、父が
長期で入れる施設探しや、他にも雑用はいろいろたまってい
る。実家の片付けはどんどん後回しになりそうだ。

明日の朝も、複数の方と会う約束をしているし、なんだか慌
しい。でも、しばらく会えないから、いろいろ話しておかな
くては!!

さらに、さっきショックなことがあったけど、きっと大丈夫。
いや、絶対に大丈夫!!!

17jul09