(潜在的)地震恐怖症 / seismophobia

2018年6月18日(月)の午前7時58分

大阪北部地震で、この辺りも震度5弱の揺れがあったらしい。「らしい」と言ったのは、私は震度5弱と思える揺れを体感していないからだ。

普段は車通勤の夫が、その日は夕方から打ち合わせを兼ねた宴会に出席するというので、私が珍しく職場まで送って行った帰り道に地震が発生。といっても、私はスマホのアラームにビックリしたものの、「もしかしてちょっと揺れたかな?」というくらいで、そのまま走り続けたのだ。(たぶん、アラームのせいで、前後の車も徐行してたけど)

その5分後くらいに帰宅すると、家の中も外もなにも変わっていなかった。鴨居にかけていたハンガーも、そのまま。しかしよく見ると、金魚の水槽の水が少しだけこぼれていた! 

地震発生時、学校(@京都)の教室にいた息子や、うちからさほど離れていない職場にいた夫も、ものすごい揺れだったと話していたので、揺れの恐怖を感じなかった私はラッキーだったのかも。

私はいまだに震度4までしか、体験したことがない。どうも潜在的な地震恐怖症らしく、太平洋岸にも、高層マンションにも、住みたいと思ったことがない。というより、絶対住みたくないのだ。地震国である日本に絶対安全な場所なんて、ほぼないだろうと思うけど、それでも地震が来てもまだ大丈夫そうなところを選んで住んでいるつもりだ。(とりあえず生き延びれそうなところ。)

そして今回なによりも実感したのは、家族が一番ということ。みんな無事で一緒にいられることが、本当に幸せなのだ。ありがとうね。

*関連記事「私の東京脱出の理由(阪神淡路大震災の日に)

第13回『お坊さんと話そう』比叡山回峰行者の葛川夏安居について(2018.06.17.)

比叡山無動寺谷で相応和尚が始めた回峰行。その相応和尚が比叡山よりさらに北の山中で不動明王を感得したと言われる大津市葛川(かつらがわ)。そこに建てられた明王院では、今も毎年7月16日~20日まで回峰行者が集まり修行を行っているそうです。今回は平安時代から続く、この修行について伺いました。

紅茶を飲みながら、英国の歴史を考える(さすがブリカス)

私も夫も朝はコーヒーと決まっていたのに、なぜか夫が去年あたりから紅茶を飲むようになった。私も紅茶好きの友人たちの影響もあり、最近になって夫と共に紅茶を飲むように。また、友人たちから紅茶の淹れ方や、カップのことやらアフタヌーンティーの歴史などを聞きかじっている。先日も、そういった本を貸してもらって読んでいたら、学校のテスト勉強をしていた息子の世界史の範囲と被っていたらしく、ふたりでしばし英国の歴史談義。(今では私が息子に教えてもらう側なのだが。)

ついでに、私が録画していたエリザベス1世メアリー・スチュアートのドキュメンタリー番組も一緒に見たのだが、見終わったあと、なんとも言えない気持ちになり、思わず言ってしまった。

結局、よそのお家のゴタゴタじゃない!? それをわざわざ世界史で勉強して、テストすることないよね~!?

すると、息子がこんなことを教えてくれた。ネットの世界でイギリスは「ブリカス」と呼ばれているのだと。

ブリカス!? 

つまり、ブリティッシュはカスってことね!? 確かに、いま現在の世界の大問題の原因は、そもそもブリカス(や欧米)が作ったものだと言えるし。世界史を勉強すると、「結局、イギリスが悪いんじゃねぇか!」という気分になるわけだ。納得。

紅茶にしたって、英国お茶が入ってたかだか350年ほどの歴史しかないくせに、「何をえらそーにアフタヌーンティーとか言ってんだ!?」と言いたくもなるのだが、それでもその優雅な雰囲気に憧れの気持ちも抱いてしまうのは、私も欧米文化に洗脳されている証拠!? 反発がありながらも、英国ドラマのあの雰囲気はやっぱり好き。

ちなみに、日本に初めてお茶を持ち帰ったのは、遣唐使だった最澄と言われている。805年お茶の種子を持ち帰ったそうで、今も比叡山の麓に日本最古の茶園がある。(日吉茶園)最近、ここのお茶のDNAを調べたら、最澄が留学していた中国・天台山お茶のDNAと同じことが判明したらしい。

ところで、よく考えたら、私も高校生の頃、シュテファン・ツヴァイクの『メリー・スチュアート』を読んだ記憶が蘇ってきた。小論文まで書いた記憶があるのだけど、本の内容はさっぱり思い出せない。やはり所詮、よその家のゴタゴタなのだ。

さっき聞いたばかりの新語「ブリカス」も、間違えて「ブリクソ」と言ってしまったし、私の記憶力、衰えてる! ま、カスもクソも似たようなものか。実は私の故郷では、「ブリ(本当はブチ)」は「very」の意味なので、「ブリカス」は「めちゃくちゃカス」という意味にとられそう。

*もしかして、「ブリクソ」と勘違いしたのは、「ブリクサ」のせいかも!? → ブリクサ・バーゲルトドイツのバンド、アインシュテルツェンデ・ノイバウテンのリーダー。こういう名前はちゃんと覚えているのが、我ながら不思議!

何のためにブログを書くのか

最近、「好きなことを仕事にしよう」とか、「ネット(SNS)を利用して自分の好きなことをビジネスにできる」といった主旨の本がたくさんあって、私もいくつか読んでみた。確かに時代は変わったと実感するし、大きな可能性も感じるのだが、「では自分に何ができるのか?」と考えると、ビジネスに繋がるようなことは思い浮かばない。

そもそも、このブログも2004年にデジカメを手に入れたことが嬉しくて、自分のために始めたものだし。今となっては、自分にとっての貴重な記録となっているので(両親を看取るまでの期間は特に)、やっていて良かったと思うけれど、金銭的にはなにも得ていない。

お金を払ってでも私にやってもらいたいことはなに?」と周りの人に聞いてみるといい…というのを本で見て、早速、夫にこの質問を投げかけたら、「う~ん」と言ったきり返事がなかった。が~ん、何もないのかよ。

このところ「作戦会議」と名づけて、ときどき集合して夢を語る(?)仲間がいるのだけど、思ったことはすぐに行動に起こす友人にかなり触発されながらも、私はまだ何もできずにいる。というか、何をしたいか、この年になっても、よくわかっていないという…。もちろん、基本的に家にいるのが好きなので、今のままでハッピーなんだけど、何歳になっても夢は持っていたいから、いろいろと模索中。今は天中殺期間だし、次のステップの準備期間と思って、いろいろ勉強しようと思っている。もともとパソコンを使いこなせていない私が、ワードプレスやったり、ポッドキャスト作ること自体が、すでに自分にとっては大きな挑戦! やり続けていたら、いつか新境地が開けてくるかも!?

*もしかして先日の子亀の親か!? 亀の歩みって、意外と早い! 見習わなくちゃ。

第12回『お坊さんと話そう』比叡山・明王堂、相応和尚について(2018.06.10.)

比叡山のパワースポット(?)、無動寺谷明王堂についてお話を伺いました。不動明王が祀られている理由は? 回峰行の始まりは? 回峰行を始めた相応和尚とは? そしてお護摩とは? (今回も喉の調子が悪くて、すみません。)

ジョーダン・ピーターソン教授の論争で知った新たな人称代名詞

今年のバレンタインデーにKindleで『12 Rules for Life: An Antidote to Chaos』という本を購入した。アメリカのベストセラーとして紹介されていて、面白そうだなと何気なく買ったのだが、同じ日に買った『Crushing It!』を先に読んでしまい、そのまま忘れて未読のまま。著者のジョーダン・ピーターソン氏がどういう人かも知らないままだった。

ところがその後、YouTubeピーターソン教授とBBCCathy Newmanという女性キャスターの議論(!?)の映像を見て、この著者が現在、英語圏で大きな論争を呼んでいる話題の人だと知った。カナダ、トロント大学の心理学の教授で、自分の講義をYouTubeで流したり、ネット上で質疑応答などをしているうちに特に若者の間で評判となり、今年1月に発売となった冒頭の著書が大ベストセラーとなっているらしい。
ミレニアル世代の白人男性、特にオルトライトオルタナ右翼)に強烈に(!?)支持されていることから、彼を危険視する人たちも多いようだ。

ピーターソン教授はそもそも「ポリティカル・コレクトネス」に異を唱えたことで有名になり、Cultural Marxism(文化的マルクス主義というのか?)を忌み嫌っているそうだ。Cultural Marxismは、伝統的な道徳観や家父長制、愛国心、人種・ジェンダー差別などが抑圧を作り出していると考えているらしい。それがゆえに現在では、アファーマティブ・アクションなどに代表される「アイデンティティ・ポリティクス」が行われているが、ピーターソン教授はこのアイデンティティ政治なるものが教育システムの中に入りこんでおり、これが全体主義に繋がりかねないと警鐘を鳴らしているのだ。

確かに90年代から特にアメリカでは「ポリティカル・コレクトネス」として、女性はMissやMrs.ではなくMS.と呼ぶとか、ChairmanはChairpersonと呼ぶとか、「使っていい言葉、いけない言葉」がいくつも出てきたが、最近ではジェンダー・アイデンティティによる新たな人称代名詞がいくつも生まれているらしい。主語の場合は、「Zie, sie, ey, ve, tey, e」など何種類も! しかも、それぞれに活用形もあるわけで…。カナダでは、こういった正しい人称代名詞を使うことが要求されているとかで、ピーターソン教授は「自分はこういった代名詞は使わない!」と断言して物議をかもしたようだ。ジェンダーは主観的なものではないし、これらの人称代名詞の使用を法律で強要することは、思想・言論の自由を封殺することになる–というのがピーターソン教授の意見らしい。

私には難しいことはよくわからないが(そもそも英語だし)、ピーターソン教授の動画にはなぜか引き込まれてしまう。どんな議論をふっかけられても、カッとすることなく冷静に淡々と切り返し、それでいて情熱も感じられる話し方だからなのだろうか。そもそも、彼の主張の大まかなところは共感できるからだろうか。私自身も「ポリティカル・コレクトネス」は行き過ぎだと昔から感じていたし、言葉狩りが行き過ぎて、Zie, sie, ey, ve, tey, e…なんて新語を作り出すなんて、滑稽にすら思えるのだ。

ピーターソン教授が言う「アイデンティティ政治が教育システムの中に入りこんでいる」という現象のひとつに、国の政策として人種差別やフェミニズムなどの教育や研究に多額の予算が組まれるということがあるらしい。そういえば、最近、日本の国会でも、反日的な研究をする大学教授などに文科省から多額の研究費が下りていることが指摘されたが、逆にその指摘が「学問の自由への攻撃だ」という反論が…。なんとも難しい問題。

日本の学校教育でも、伝統的な家庭のあり方を否定(軽視)したり、変なフェミニズムが浸透しているように思う。私が小学生の頃は、学級名簿は男女別々にアイウエオ順になっていたが、我が子の時代には男女の別なくアイウエオ順になっていた。昔は男子は「○○君」、女子は「○○さん」と呼ばれていたのが、どちらも「○○さん」となったり。個人的には男女別の方がわかりやすくて便利だと思うのだけど。特に昨今は男子か女子か判別しがたい名前も多いから…って、そういう問題じゃない!?

もちろん、いろんな意見があっていいのだが、90年代に「ポリティカル・コレクトネス」が盛り上がっていた頃から私自身が感じていたのは、「これが正論だ!」と言わんばかりにドヤ顔で主張する人たちの圧力の不快感。うまく反論できないけれど、どこか違和感が拭いきれない。あなたたちが言ってることは正しいかも知れないけれど、でもちょっと違うんじゃない!?というモヤモヤ感

ピーターソン教授は、このモヤモヤをクリアにして、しかも左翼の論客たちに堂々と反論してくれたからこそ、こんなに人気が出ているのかも知れない。(ピーターソン教授は自身を、英国古典的自由主義者?とみなしているらしい。)私自身は、かつて、中野剛志氏の議論をYouTubeで見た時と同じような高揚感を久々に覚えてしまった。

アイデンティティ・ポリティクスを信奉する英米のメディアや言論界からは、ピーターソン教授への反論や抗議、また教授を危険視する論調が多いようだが、それもいわば彼の人気&影響力の大きさの裏返しということだろう。反発が大きいほどさらに人気を呼ぶという悪循環、じゃなく好循環!?

カナダの大学では、ピーターソン教授の映像を授業で学生に見せた教師が懲戒処分を受けた際、上司がピーターソン教授のスピーチをヒトラーの演説となぞらえたことが問題となり、後にその上司は謝罪したのだとか。ピーターソン教授は、結果的にこれが本の宣伝になったと冷静に受け止めていたようだけど。日本では、左翼の人たちが安倍首相ヒトラーになぞらえることがあるけれど(そんなポスターも作っていたよね)、それはまったく問題にならないのは、どういうわけなのか?(逆に自分たちがヒトラーに例えられたら、怒るんじゃないかなぁ!?)

ピーターソン教授にせよ、安倍首相にせよ、ヒトラーに例えられるというのは、それだけ一部の人から恐れられているということなのだろう。それくらい手ごわい存在なのだ。しかも、安倍首相に関しては、政策批判ではなく単なる個人(人格)攻撃、悪口としか思えない批判が多すぎて驚いてしまう。日ごろ、人権擁護に熱心な政治家や大学教授など、知識人と思われる方々がそのような低レベルの批判しかできないとは…。しかも、その人の品性を疑うような下品な言葉の数々に、憐れみさえ感じてしまう。どうしたら、個人的な関係があるわけでもない人のことを、そこまで憎めるのだろう?と逆に不思議。そんなにマスコミや左翼知識人に恐れられるというだけで、大物の証拠なのだろう。

それよりも、私はKindleの『12 Rules for Life』を早く読まなければ!!!

↓なお、これがピーターソン教授とキャシー・ニューマンの議論。(視聴回数が1千万回を越えている!)

関連記事:「早寝、早起き、朝ごはん」は憲法違反by日教組

シンプルマインズとプリテンダーズ

ハリウッドの思い出で、なぜかシンプルマインズサンフランシスコの思い出で、なぜかアズテックカメラの曲が出てくるとは。どちらもグラスゴー出身のバンドではないか。これも私のスコットランド好きがなせる技か。

シンプルマインズジム・カーといえば、プリテンダーズクリッシー・ハインドと結婚していたのをご存知だろうか。まさに私がハリウッドを訪ねていた頃、ふたりは結婚して、娘さんが生まれていたらしい。(その頃、”Don’t You“がアメリカで1位になったのだとか。)クリッシーザ・キンクスレイ・デイヴィスと付き合って、すでに長女がいたのだけど、84年のオーストラリアツアーでシンプルマインズと出会って結婚するも、ジム・カーがツアーやレコーディングに出たきりで、離婚に至る。クリッシーはその後、コロンビア人のアーティストと結婚。ジムも女優のパッツィ・ケンジットと結婚して息子が生まれるけれど、両者ともその後、離婚。パッツィはその後、オアシスリアム・ギャラガーと結婚して次男が生まれ、その彼がいまモデルとして注目されているとか。いやはや、なんともややこしいセレブの世界。

実は昨年、プリテンダーズクリッシー・ハインドの自伝『Reckless』を読む機会があったのだが、ジム・カーのことは見事に一言も出てこなかった。レイ・デイヴィスの名前は出てくるし、娘たちが生まれたことにも言及してあったけど、シンプルマインズの字も、ジムの字も(音読すると変!!)出てこない。この本はそもそも若い頃の話が中心ということもあるけれど、読者が本当に聞きたいことには触れず、きれいごとを並べただけの自伝という印象で、正直がっかりした。しかも感動的なエピソードも、尊敬できる部分もあまりなくて、さらに残念。確かに根性がある強い人なんだろうけれど。彼女がロックの殿堂入りだなんて。そんなにすごい人だったのか~。

確かにゴシップ紙の記事を読むと、ジム・カーも当時25歳の若さでスターダムの絶頂時に娘が生まれ、家庭にうまくおさまることができなかったようだが、それでもクリッシーの自伝で一言も触れてもらえないなんて、ちょっと不憫な気が…。今では娘とも、うまく折り合っているようで何よりだけど。

さてジム・カーについては、さらに驚くことが! なんと、シチリア島の四ツ星ホテルのオーナーになっているのだ。シチリア島のタオルミーナが好きすぎて、ホテルを建ててしまったらしい。それがこちら→ Villa Angela 

さらにもうひとつ驚きのニュース。シンプルマインズは今も活動を続けているのだけど、この夏のツアーではプリテンダーズと共演するらしい。離婚してすでに30年が過ぎたクリッシージムが、ステージを共にする!? 66歳と58歳という年齢にも、いささかビックリだけど、何歳になっても夢を追い続ける人生を送らなきゃね。私もタオルミーナの景色、見に行きたい!

サンフランシスコの思い出

前回の続き。30年以上前の私の「アメリカ・カナダを回る大学卒業旅行」の最終地点は、サンフランシスコだった。途中、カナダの友人を訪ねた際に、サンフランシスコには友達がいるからと連絡をしてくれて、私は彼女の友人宅に泊まることになった。

その友人はショートカットでおしゃれな女性で、聞くと音楽事務所に勤めているという。昔はロサンジェルスに暮らすロック少女で、同じレコード店のバイト仲間がその後、モトリー・クルーのメンバーとして成功していたんだと。で、昼間は彼女の勤務先に連れて行ってもらった。そこはサンタナジャーニーの事務所で、彼らのゴールドディスクなどが飾ってあった。彼女のボスのそばには犬がいて(ゴールデンレトリバーだったか?)、アメリカのオフィスはペット同伴できるんだなぁと感心した記憶がある。

夜は彼女のお気に入りのクラブに連れて行ってもらった。なんでも、とても気になる男性がいて、そのクラブのバーテンダーとして働いているのだという。そのおしゃれなクラブは、ちょっとロンドンっぽい雰囲気で、最新のヒット曲が流れていて、彼女によると曜日によって「ゲイの日」があるとのこと。その日は「普通の日」だったけど、サンフランシスコだけあって、ゲイっぽい人たちもちらほら。彼女は私に自分の気になる男性の感想を聞かせてほしいと言う。で、恥ずかしそうに私の背後から、「ほら、あのカウンターの奥にいる人よ」と耳元で教えてくれるのだが、その様子を見て、そばにいた見知らぬ人が私たちに声をかけた。

“Are you in love?”

うっひょ~、私たち、レズビアンのカップルと間違えられたのだ。彼女も、意中の男性がもしかしたらゲイかも知れないと思い、私に感想を求めていたのだけど…さすがサンフランシスコだなぁと妙に感心した。

さて、私のアメリカでの最後の夜、彼女のボスが素敵なシーフードレストランに招待してくれた。彼女と私と彼女のボスとその奥様(?)の4人だったように思う。眺めのいいレストランで夜景を楽しみながら、シーフードを堪能して、私は翌朝、日本行きの飛行機に乗った。(彼女のボスが車で空港まで送ってくれたと思う。)

帰国後、「ああ、楽しい旅だった!」と余韻に浸っていたら、カナダの友人から手紙が来た。(そう、まだインターネットなんてものはなかったのだ。)「サンフランシスコの友達が、厚子のことを心配しているわよ」と。なんでも、彼女もボスも、あの日のシーフードにあたって、翌日は大変なことになったらしい。「厚子は飛行機の上で、お腹を壊して悲惨な思いをしたんじゃないか」と彼女もボスも気の毒がっていたのだとか。

実はその話を聞いてビックリしたのは、私の方。だって、私のお腹はなんともなかったのだから。「美味しかったな~、楽しかったな~」と余韻に浸っていたので、まさかそんなことになっていたとはビックリだった。

それ以来、一度もアメリカには行っていない私。サンフランシスコは、もう一度、行ってみたい!!

*サンフランシスコで通りかかったクラブで前日アズテックカメラのライヴがあったことを知り、「見たかったな~」と思ったことをいまだに思い出す。その後、日本でライヴも見たし、ロディ・フレイムにもインタビューしたけど、今はどうしているのかな。

ハリウッドの思い出(これもシンプルマインズ絡み)

もう30年以上前の私の「アメリカ・カナダを回る大学卒業旅行」の出発点は、ロサンジェルスだった。当時、ロサンジェルスにペンパルがいるにはいたが、それほど親しくなかったので、泊めてもらうことは考えていなかった。その頃、東京に住んでいたユダヤ系アメリカ人の友人(そもそもはユダヤ系カナダ人の友人の紹介で知り合ったのだが)がロサンジェルス出身だったので、ロサンジェルスの友人宅に私が泊めてもらえるよう手配してくれた。私の到着時に空港まで迎えに来てくれると聞いていたのだが、いざ到着してみると、迎えはおらず、しかもスーツケースも出てこない。間違えて別の空港に行ったみたいだから、みつかったら連絡すると言われ、宿泊先の住所を知らせ、航空会社のお泊りセットをもらって、ひとり空港を出た。

宿泊先の住所(ハリウッドのどこか)は持っていたので、そちら方面に行くバスに乗った。大柄の黒人の運転手さんに行き先を言って、それらしいところで降りて、だだっ広い道路を渡り、なんとか目的の家をみつけた。今思うと、よく見つけられたな~と感心するけど、よく考えたら、スーツケースが行方不明になって助かったのだ。もし大きなスーツケースを引きずりながら移動していたら、大変だったはずだし、下手すると泥棒に狙われたかも知れない。(スーツケースはその翌日だったか、航空会社が届けてくれた。間違えてラスベガスまで行っていたらしい。)

到着した家の呼び鈴を押すと、感じのいい小柄の女性が出てきた。空港に迎えに来るはずだった東京の友人の友人は留守で、彼女によると、「彼はいい加減だから…」とのこと。そのシェアハウスには3人の住人がいて、もうひとりはBBC記者のイギリス人で、取材で留守にしている間、彼の部屋を使っていいということだった。赤の他人の部屋を留守中に使っていいのか、少し気が引けたが、趣味のいい居心地のいい部屋で、なんと赤いウォーターベッドがあった。ウォーターベッドに寝るのは初めてで、とても不思議な体験だった。

結局、車もないので、ろくな観光もできず、家でのんびりしていたのだが、共用のトイレにシンプルマインズのボーカル、ジム・カーのモノクロ写真が飾ってあるのを発見。先ほどの女性に、「あのジム・カーの写真、素敵ですね」と話したら、あれは自分が撮影したのだと喜んで話し始めた。彼女はしばらくジム・カーと付き合っていたという。私はシンプルマインズが大好きだったので、興味津々で彼女の話に耳を傾けた。

それをきっかけに私たちは仲良くなり、当時、定職に就いていなかった彼女が車で私をあちこちに案内してくれた。あのハリウッドグリフィス天文台や夜のライヴハウスにも。彼女は戦時中にドイツからアメリカに渡った映画監督のお父さんと、イタリアからアメリカに渡ったお母さんの下、ハリウッド近辺で生まれ育ったそうだ。今でも忘れられないお父さんからの誕生日プレゼントは、ポニーだったという。

その後、彼女は音楽を志してロンドンに渡り、イギリス人の彼と結婚し、今もロンドンに暮らしている。そもそもハリウッドの家を紹介してくれた友人とは、いつのまにか音信不通になったけれど、この彼女と私は今も友達だ。彼女がロンドンに渡って以降、何度もロンドンの家に泊めてもらった。あの時、シンプルマインズの話をしなかったら、この友情も芽生えていなかったかも知れない。

ちなみに、私がハリウッドのその家を離れる時、彼女が私のために大音量でシンプルマインズの曲を流してくれたことが忘れられない。(↓私が一番好きだった曲『さらば夏の日』)


Someone Somewhere in Summertime by Simple Minds
(アルバム『New Gold Dream(81-82-83-84)』も傑作! 邦題も『黄金伝説』と洒落ていた!!)

同性婚をしたアメリカのペンパル

ユーレイルパスでのヨーロッパ旅行に続き、私は大学の卒業旅行としてアメリカ・カナダを回った。今度は航空会社の乗り放題パスを使った。空席があれば、その航空会社のどの便にも乗れるというパスだ。満席の場合は、次の便を待つしかないのだけど。そしてヨーロッパの時と同じように、また高校時代からのペンパルを訪ね歩いたのだが、その中のひとりに同い年のデイサという女性がいた。金髪でブルーの瞳の美しい女性で、かつては南部の大都市で暮らしていたが、その頃には南部の中都市の実家に戻り、母親と継父と暮らしていた。

私は彼女の家に一週間ほど泊まらせてもらったのだが、彼女には年上の親友R(女性)がいて、どこかに出かける時は必ずRも同行した。両親と暮らすRの家にも、しょっちゅう行って、長い時間を過ごした。私はなんの違和感もなく、デイサの家族ともRの家族とも接していたが、今でも悔やんでいることがひとつある。それはRの父親が見せてくれた旧日本兵が持っていた英語の辞典。その辞典をどうやって手に入れたか、経緯も聞いたはずだけど、うろ覚えで思い出せない。とにかく私はその辞典に目を奪われた。そこには万年筆で名前が書かれ、持ち主と思われる日本兵の写真もあったからだ。恐らく戦死したと思われるこの日本兵の家族がこの辞典を見たら、喜ぶに違いない。これは、この人の家族に戻してあげるべきだと思ったけれど、いろいろなアンティークと共にこの辞典を嬉しそうに見せてくれたRの父親に、私はそんなことは言い出せなかった。「この辞典を持ち主に返したい」という言葉が出てこないだろうかと、密かに願っていたのだけど。

私が帰国してしばらくしてから、デイサは大学に入り直し、教師の資格をとった。そして南部の大都市の高校に職を得て、Rと共にその大都市に引っ越して新生活を始めた。デイサは、その後、高校教師の団体の研修旅行で念願の来日を果たし、数日間、京都を訪れた際に我が家にも泊まってくれた。その際、いろいろ話を聞いてみると、南部の大都市でついに家を買い、彼女が住宅ローンを払い、Rが主婦として家を守っているということだった。その時ようやく私は、デイサとRは同性カップルだったのだと確信が持てた。京都の街で偶然出会った知り合いのオーストラリア人が、彼女と英語で会話をしたあと、「彼女の使う語彙などからして、彼女はきっとゲイだね」と私に教えてくれたのだが、彼が一瞬で気づいたことに、私は20年近く気づかなかったのだ!!

現在、アメリカではすべての州で同性婚が認められているそうだが、数年前にデイサとRは正式に結婚した。(とフェイスブックで見た。)デイサは今も高校教師として働き、Rも主婦&アーティストとして暮らしている。デイサの継父は亡くなり、年老いた実母が今では大都市の彼女の家に引っ越して、一緒に暮らしている。女3人の生活、楽しそうだ。

初めてのアメリカ旅行で、デイサと過ごした時間を今しみじみと思い出す。日本好きの彼女が連れて行ってくれた日本レストランが、あまりに日本らしくなくて違和感だらけで苦笑してしまったこと。それから、週末の夜に、デイサとRと3人でドライブインシアターに行ったこと。私はこれを一度やってみたかったのだ。その時に見たのは、アメリカの高校の生徒間カーストを描いた『ブレックファースト・クラブ』。この映画の挿入歌『Don’t You』で、シンプルマインズはアメリカでブレイクすることに…。ああ、なんて懐かしい!!

Don’t you forget about me…


*このシンプルマインズのPVに映画『ブレックファーストクラブ』のシーンが少し出てくる!