(潜在的)地震恐怖症 / seismophobia

2018年6月18日(月)の午前7時58分

大阪北部地震で、この辺りも震度5弱の揺れがあったらしい。「らしい」と言ったのは、私は震度5弱と思える揺れを体感していないからだ。

普段は車通勤の夫が、その日は夕方から打ち合わせを兼ねた宴会に出席するというので、私が珍しく職場まで送って行った帰り道に地震が発生。といっても、私はスマホのアラームにビックリしたものの、「もしかしてちょっと揺れたかな?」というくらいで、そのまま走り続けたのだ。(たぶん、アラームのせいで、前後の車も徐行してたけど)

その5分後くらいに帰宅すると、家の中も外もなにも変わっていなかった。鴨居にかけていたハンガーも、そのまま。しかしよく見ると、金魚の水槽の水が少しだけこぼれていた! 

地震発生時、学校(@京都)の教室にいた息子や、うちからさほど離れていない職場にいた夫も、ものすごい揺れだったと話していたので、揺れの恐怖を感じなかった私はラッキーだったのかも。

私はいまだに震度4までしか、体験したことがない。どうも潜在的な地震恐怖症らしく、太平洋岸にも、高層マンションにも、住みたいと思ったことがない。というより、絶対住みたくないのだ。地震国である日本に絶対安全な場所なんて、ほぼないだろうと思うけど、それでも地震が来てもまだ大丈夫そうなところを選んで住んでいるつもりだ。(とりあえず生き延びれそうなところ。)

そして今回なによりも実感したのは、家族が一番ということ。みんな無事で一緒にいられることが、本当に幸せなのだ。ありがとうね。

*関連記事「私の東京脱出の理由(阪神淡路大震災の日に)

NCISはファミリードラマ

我が家は昔から、基本的に朝ご飯と晩ご飯は家族3人で食べている。子供が中学に入って以降だろうか、いつのまにか夕飯時には、録画している1時間ドラマを一緒に見るのが習慣となっているのだが、3人共通で楽しめる英米のドラマを見ることが多い。今まで我が家で人気だったのは、『BONES』、『ホワイトカラー』、『スーツ』(ハリー王子と結婚したメーガン・マークルも出演)、『シャーロック』など。最近では『ツインピークス』や『スニッファー ウクライナの私立探偵』が好評だった。

けれど、我が家でダントツの人気ドラマシリーズといえば、『NCIS~ネイビー犯罪捜査班~』。アメリカ、ワシントンDCにある海軍犯罪捜査局を舞台とした一話完結のクライムドラマ。私はそんなに入れ込むほどではなく、夫と息子がえらく気に入っていて、なにがそこまでいいのだろうとずっと思っていたのだが…。

最近になって久しぶりにまた『NCIS』を見始めたところ、遠くにいた家族に再会したような喜びで妙に心が温かくなり、私もかなり『NCIS』にやられていることを実感。FOXで現在、シーズン15を放送中だが、我が家はまだシーズン14を見ている最中。ずっと前に録画してそのままになっていたものを、満を持して毎晩、3人で鑑賞しているのだ。

シーズン14ともなると、私たち、視聴者にとっても番組のキャラクターは長年、付き合ってきた友人のような存在になっている。そもそも、ボスのギブスを中心とした捜査班は「チーム」というより「ファミリー」なのだ。(実際、ドラマのセリフでもファミリーと言っている。)それぞれ個性のあるキャラたちの過去のトラウマなども、ファミリーは(そして視聴者も)知り尽くしていて、その都度、互いに助け合い、絆を深めていく。だから、視聴者にとっても彼らは愛おしいファミリーのような存在になっているのだ。

もちろん、長年の間にはメンバーの移り変わりもあるので、いくつもの別れや悲しい出来事もある。さらに、毎回、悲惨な事件が起こるのに、それでも最後にはジョークを言ったり、おちゃらけてしまうアメリカ的な明るさに救われることも多い。「なんだかんだ言って、アメリカ人って明るくて強いな~、前向きだな~」と感心する。

そしてもうひとつ感心するのは、このドラマがある意味、海軍の宣伝番組にもなっていること。軍関連の制度やサービスなどの広報、あるいは一般的な啓蒙を兼ねた内容になっていたり、クリスマスやその他の折に触れて、「国のために戦っている皆さん」への感謝のメッセージを発信している。日本人である私はその都度、新鮮な感動を覚えるのだが、よく考えればこれ、当たり前のことなのだろう。

ロシアでは5月9日の戦勝記念日がもっとも重要な祝日で、若者が第二次世界大戦を経験したお年寄りたちに、「国のために戦ってくれてありがとう」とお礼を言うと聞いたことがある。ひるがえって日本はどうなのか…考えさせらる。

Once a Marine, Always a Marine.


↑これは琵琶湖のクルーズ船

*関連記事『NCIS~ネイビー犯罪捜査班

シャバーサナの度に蘇る母の愛

このところポッドキャストでいろんな番組を聞いている。いろんな人の人生の物語を聞く番組が面白くて、刺激を受けているのだが、やはり幼少期の経験がその後の人生に大きな影響を与えているのだなぁと実感する。特に成功者といわれる人は、幼少期に辛い思いをした人が多いような気もする。その辛い経験を乗り越える力があったからこその成功なのだろう。中でも、親との関係に恵まれないことは、よほど辛いことなのだろう。親から愛されていると実感できずに大人になり、その思いを何歳になっても持ち続けている人は意外と多いのかも…。

さて、私は健康のためジムに通っているのだが、そこのヨガのクラスで最後に行うのが屍のポーズ、「シャバーサナ」。仰向けに寝て、全身をリラックスさせて、目を閉じる…。たいてい私は眠りに落ちて、大きな寝息や、下手をするとイビキをかきそうになって焦るのだが、これ、本当に心地よい時間なのだ。

このとき、なぜか私は子供の頃、母と一緒にお昼寝をしていたときのことを思い出す。甘えん坊の私は、小学校の低学年になっても、学校から帰ると母に抱きついて、一緒に寝転んでしばらく昼寝をすることがよくあったのだ。ぽっちゃりした母に寄り添って寝る安心感。私にとって至福の時間であった。

その後、私自身が母親になり、息子とのお昼寝の時間が一番の幸せな時間となった。今では息子もすっかり大きくなったけど、いまだに私は何かあると思い出したようにつぶやいてしまう。「一緒にお昼寝していた頃、楽しかったね~」。あんな幸せな時間はなかったよ、と心から思う。

子供として、親として、こんな幸せな時間を持てたことは、本当にありがたいことだ。この幸せな思い出があるから、「何があっても大丈夫!」と思えるのだから。今も横になれば、すぐに母の温かな腕に抱かれていたときを思い出せる。シャバーサナのたびに、亡き母のぬくもりを感じて、ぐっすり寝てしまう私なのだ。

ちなみに、今年の母の日は私のアピールが効いたのか、息子が初めて花束をプレゼントしてくれた。でも、「お母さんにもらったお金で買ったんだけどね」だと。

結婚記念日を終え、天中殺について考えた

結婚記念日、日曜日だよ」と息子に言われ、おとといの日曜日は3人でお祝ランチに出かけました。しかし、月曜になってわかったのですが、息子は日曜日にインフルエンザを発症していたようです。小学校以来のインフルエンザ…。本人曰く、疲れが溜まっていたそうです。

ところで、結婚記念日については、このブログ日記で何度も何度も書いた気がしますが、私と夫は算命学の大家の助言に従い、私が天中殺に入る直前に入籍しました。本当は節分(2月3日)の前日の2月2日に入籍を予定していたのに、夫の書類が間に合わず、一時はどうなることかと思いましたが、その年の旧正月が2月5日だったので、無事に2月4日に入籍して、今に至ります。今も、この人と結婚できて本当によかったと毎日、感謝する日々です。

ところで、眞子様と小室圭さんのご結婚に向けた行事の延期を宮内庁が発表したとのこと。実は眞子様も私と同じ戌亥天中殺。昨年の婚約内定の発表後、「眞子様、天中殺に結婚されるなんて、大丈夫かしら?」と勝手に心配していました。

当初の予定では、納采の儀 2018(平成30)年 3月 4日(日)、告期の儀 2018(平成30)年 10月 7日(日)、賢所皇霊殿神殿に謁するの儀 2018(平成30)年 10月31日(水)、朝見の儀 2018(平成30)年 10月31日(水)、入第の儀 2018(平成30)年 11月 4日(日)、ご結婚式 2018(平成30)年 11月 4日(日)と、すべて眞子様の天中殺期間。しかも「賢所皇霊殿神殿に謁するの儀」から「ご結婚式」までは年の天中殺だけでなく、月の天中殺にも当たっています。

小室圭さんは、2月4日から4月4日が月の天中殺なので、納采の儀はまさにその期間。それが月の天中殺に入った途端、その予定が延期されたという…。小室さんの天中殺は2022年からなので、2020年に延期であれば問題なさそうですが。

皇室の方々はこういった大切な日取りについて、算命学でなくとも、なんらかの方法で縁起の良い日を選ぶということはされないのでしょうか!? それとも、そういうことを考慮した上での当初の予定だったのでしょうか!? ともかくも、天中殺のご結婚を回避されたことが吉と出るよう、影ながら眞子様のお幸せを願っております。

ブログ移転の理由

家族で山奥の過疎地に暮らしていた13年前に、このブログ『鳩胸厚子の日記』を始めました。
そもそものきっかけは、当時、夫にデジカメをプレゼントされて、嬉しくて、毎日のように回りの景色を撮っていたので、それを遠くの街々に暮らす友人たちに見せたいという思いから。いきなり田舎に引っ越した私たちが、どんな場所でどんな生活をしているか、知ってほしいという気持ちでしたが、そもそも日記なんていつも三日坊主だった私が、「ブログならもっと長く続けられるか!?」というチャレンジ精神もありました。毎日、文章を書くという訓練を自分に課すという意味もありました。

結果は、自分でも驚くほど長く『鳩胸厚子の日記』は続きました。その間に両親ともに他界し、我が家は二度も引越し、保育園に通っていた子供は高校生となりました。近年はしばらく日記をさぼっていたのですが、今、昔の日記を読み返してみると、自分にとっては貴重な記録となっていることに気づきました。(特に両親の遠距離介護から看取りまでの頃!)しかし、それが無料ブログに書き溜めてあることに一抹の不安を抱き、夫のアドバイスを参考に、自分のページを作って、そちらに移転することにしました。(かなり夫に助けてもらってます!)

誰のためでもない、自分のために書いてきたものなので、他人様に読んでもらいたいというものではないのですが、それでも一応、「他人に読まれても恥ずかしくないものを書く」ことをモットーとしてきたので、過去の日記もまとめてここに置くことにしました。私がパソコンに強くないため、いまだに試行錯誤の繰り返し。しかも寄る年波のせいで、今までにない眼精疲労。作業もなかなか進みません。それでも、今はまた時間ができたので、『鳩胸厚子の日記』を本格的に再始動するつもりです。

最後に、前にも書いたことがあるけど、『鳩胸厚子』というのは私が高校生の頃にできたペンネーム。私の体型を表わした名前です。あれからすでに40年!? でも、中高時代って、いろんな意味で自分の人生の原点って気がします。わが子が今、まさにそんな時期なので、私は羨望の気持ちを抱きつつ、(生)温かく見守っているきょうこの頃。これから、このページがどんどん進化していくよう、頑張ります!

by 鳩胸厚子

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偶然の繋がり(2)

ずっと昔の話になるが、息子が小学校に上がる一年前、親子で英語学校の子供向けイベントに参加した。そこで同い年の男の子と出会い、ご両親とお話をしてみると、音楽の趣味が同じだったりして、かなり盛り上がった。途中からうちの夫も合流して話していたら、なんと、そこのご主人が同じ高校の一年先輩だと判明し、びっくり。なにせ、ふたりの出身地はここから離れた他県の田舎なのだ。何かご縁があるのかも…と名刺交換して別れたが、そのまま月日は流れた。

さて、その後、我が家がそのご一家と再会を果たしたのは、息子の中学の入学式だった。息子にとっては、受験塾での何人かの友達を除いては知り合いがまったくいない状況。もちろん私たち夫婦に至っては、顔を見知った人さえいない状態で、入学式を終えて帰途につこうとしていたら、なんとなく見覚えのあるご夫婦がいたのだ。「あ、あの英語学校で会ったご一家だ!」と瞬時に記憶が蘇り、声をかけた。お互いに再会を喜びつつ、子供たちを見ると、なんのことはない、ふたりはすでに受験塾で顔見知りだったという。しかも、中学では同じクラスとなった。

やはりご縁がある人たちだったのだ。

天に帰る

このところ訃報が続いている。同級生のお父様、夫の職場の方、そして息子の学校の修道士様。皆さん、病気ではあったが、今すぐ命に関わる状態ではなかったのに突然、病状が急変して亡くなられた。気温の変化の激しいこの冬の気候も影響しているのだろうか。

夫にとっては、つい数日前まで一緒に働いていた方が亡くなったことはショックだったに違いない。長年、仏様に仕えてこられた方だ。

息子の学校のブラザーは、戦後まもない頃に異国から日本にやってきて、ずっと学校運営を支えてこられたようだ。私は直接お話したことはないが、昨年のバザーの準備会や報告会では、神父様のマジックとブラザーの歌を鑑賞した。先週末の高校の卒業式でも歌を披露されたあと、その日のうちに亡くなられたという。
日本の若者の教育のため長年、奉仕され、今年の卒業生を見送ったあとにご帰天されたと知り、涙がこぼれた。

自分の家族を持たず、神や仏に仕えて生涯を終えられた方々に、尊敬と感謝と哀悼の意を表します。

偶然の意味

きょうは結婚記念日。正確には入籍記念日。私たち夫婦は結婚式も披露宴もしていないのだ。私は昔から結婚したいと思いながらも、披露宴だけはしたくない・・・と思っていた。「披露宴はお嫁さんのためにあるのよ」というセリフをよく聞くが、私は「絶対お断り!」だった。自分が主役の宴会というシチュエーションに堪えられない、別にお披露目しなくていい・・・という気持ちだった。

当時、私はいわゆる晩婚だったし(その後、世間の晩婚化はさらに進んだけど)、いろいろと難しい状況の中で結婚にこぎつけたので、夫も私も入籍できればそれで満足だった。実をいうと、結婚生活はとうに始まっていたのだが、夫がある事情から跡継ぎのいない家の養子になっていたことが入籍を阻んでいたのだ。夫自身は望まない縁組だったので、いつか離縁できたらと思っていたようだ。とはいえ、籍を抜くのは大変なことで、相手方に了承してもらうまではすったもんだがあった。よく入籍できたなぁと、いまだに思うが、愛情のないつながりは切れてしまうということなのかも。

さて、私の親戚に算命学の大家がいるのだが、当時、やけに私の結婚を心配して、「結婚するなら、この頃よ」としきりに伝えてきた。あとで聞くと、その頃の2、3年の期間が私が結婚したいと思う星回りで、それを過ぎると、一生独身で過ごしそうだったので、何度もせっついてくれたらしい。そのため、私が夫と出会ったことをとても喜んでくれたのだが、入籍するなら天中殺の前にと釘をさされていた。夫と結婚を決めた翌々年が私の天中殺だったからだ。

しかし、養子先の問題がすったもんだしたことで、気がついたら天中殺の年を迎えていた。親戚によると、算命学の新年は1月1日ではなく、節分明けとのことだったので、ぞろ目の2月2日に入籍しようと決めたのだが、夫の手違いですべての書類が揃ったのがなんと節分の夕方。しかし、その年の旧正月が2月5日だったので、その前なら大丈夫と、翌2月4日に役所に向った。すると、入籍の手続きをしながら、自分の用意した書類をまじまじと見ていた夫が驚きの声をあげた。件の家の養子となったのも2月4日だったのだ。養子手続きは、その家の人が勝手に進めたので、自分がいつ養子になったのか正確なことはまったく知らなかったのだという。

夫の手違いで2月2日に入籍できなかったことを私は責めてしまったのだが、それは2月4日に入籍するための天のはからいだったのかも知れない。2月4日は、私たちにとって意味のある日にちだったのだ。振り返ると、けっこう大変なこともいろいろあったような気がするが、我が家はいつも幸せな空気に満ちていると思う。夫に出会えたことに今も日々感謝しています。

*我が家の敷地に勝手に入りこむ近所の猫たち。黒猫と三毛猫が仲良くうずくまっている。
cats

孫パワー

私自身は大きな病気にかかったことはないけれど、このところ身体のあちこちに経年劣化現象がみられる。体重増加と運動不足のせいで、今まで普通にできていた動作ができなくなっていて、びっくり。いや、本当に焦る。ヤバイ!!!と思う。

それで数年前からジムに通っているのだが、平日の午後はほぼ私よりも年配の方ばかり。しかし、皆さん、頻繁に通っていらっしゃるだけあって、身体能力は私よりも優れている。そんな先輩方の話は、とても参考になる。

その中でもよく雑談をする方がいるのだが、近隣都市に暮らすお孫さんが中学受験されるというので、この間から経験者の私に話を聞いていらした。「詳しいことは聞いてないけれど、娘の年賀状の一言が不安な心を表わしているようで、心配なのだ」と。そう話しながら、目がうるうる。少し前までは娘さんの一家とわりと頻繁に会っていらしたのに、受験前の一年は塾の勉強で忙しく、ほとんど会えてないらしい。

そして先日、ジムに行くと、お孫さんが第一志望に合格したことをその方が報告してくださった。お祝の言葉を述べていると、すでにその方の目がうるうる・・・。孫のこととなると、こんなに感激するのだなぁとしみじみ。

そういえば亡き母も、息子の受験のことなどを気にしていたなぁと思い出す。母のお導きもあってか、いまこうやって毎日、楽しく学校に通っている息子を見て、母がいちばん喜んでいるのだろうと思う。どうしてなのか、息子はすごくまじめに学校の勉強や行事に打ち込んで、成績も優秀で、親の私がびっくりするくらいなのだ。私は弁当を作る以外はなにもしていないので、これも亡き母のお導きなのか。というか、私がなにもしないのがいいのかな。

息子を見て、亡き母や父を思うきょうこの頃。ほんとうに、子は宝ですね。

瞬間移動装置

前回、この家に暮らすことになった経緯を長々と書いてしまいましたが、この家について運命的と思えることは他にもあります。

今まで暮らしていた賃貸住宅に比べ、この家はずっと広いので、実家の家具等、使えそうなものはこの家に持ってくることにしました。母がいつも座っていたソファや、父が老人ホームに移った際に購入した椅子を始め、たくさんのものを運びました。中でも実家のダイニングの壁面の下半分を覆っていたキャビネットが、我が家のダイニングにぴったりと収まりました。我が家を訪ねた人たちが、この部屋にもともと取り付けられたものだと思うほど。

それから・・・今までは和室がなかったのですが、この家にはりっぱな和室があるので、実家の仏壇も持ってきました。すると、これまたぴったりと収まるではないですか。私の両親はお寺の熱心な檀徒で、母は元気な頃は朝晩、仏壇の前で読経していました。私も両親が病院や老人ホームに移ったあと、実家に帰るたび、母に代わって仏壇に手を合わせていましたが、今ではこの和室で毎朝、仏壇に手を合わせるようになりました。

すると、なんとも心が落ち着くのです。まるで、実家に帰ったのかと錯覚するほど。そして部屋を見回してよくよく考えてみると、この和室の造りや方角が実家の和室とまったく同じであることに気づきました。どちらも西側に窓があり、北側に床の間と仏壇、そして押入れが並んでいるのです。同じ造りの和室に、仏壇を始め実家にあったものを配置したのですから、実家にいるような気分になるのも当然です。

お陰で私は、故郷から遠く離れたこの家で、まるで両親が暮らしていた実家にいるかのように日々を過ごしています。懐かしくて、なんだか守られているような、本当に幸せな気分です。

この和室、私にとっては懐かしい実家への瞬間移動装置となっています。この家と出会えたのも両親のお陰かしら。感謝感謝。