湖畔の生き物

山奥の集落に暮らしていた時は、さまざまな生き物に遭遇した。家の周りに鹿サルが出てきたり、ヘビタヌキイノシシなど。家の中にもが入ってきたり、ガマガエルムカデカメムシカマキリヒルヤモリなど、なるべくなら出会いたくないような生き物が否応なく出現した。

新興住宅地に引っ越してからも、ムシや鳥や小動物には遭遇したけれど、その後、湖のそばの現在の家に暮らすようになってからは、湖畔の自然の豊かさを実感している。いろいろな生き物が生息している上に、湖畔の自然環境の中での生態を観察できるからだ。

例えば、朝から窓の外を眺めていると、スズメが遊びに来たり、が歩いていたり。ほぼ日に一度、イタチがうちの庭を横切るし、近所の飼い猫もうちの庭に侵入する。湖のそばの林には、たくさんの鳥類がいる気配だ。トンビタカ類?と思われる大きな鳥も、時々、優雅に飛んでいる。ここに引っ越してきた当初、オオタカ?の子供と思われる鳥がうちの窓に激突して、脳震盪を起こしたのか、窓の外で気を失っていたことがある。(その後、意識が戻って、飛び立っていったけど)。

それからカラス。夏の晴れた日には、家族なのか3羽のカラスが芝生の斜面で羽を広げて日干しする姿を見かける。まるでコウモリ傘が並んでいるかのような光景だ。といっても、本当に日干しかどうか、わからないんだけど。

↓ちなみに今はまだそこまで暑くないからか!?、羽を全開にしていない。しかも2羽のみ。

(潜在的)地震恐怖症 / seismophobia

2018年6月18日(月)の午前7時58分

大阪北部地震で、この辺りも震度5弱の揺れがあったらしい。「らしい」と言ったのは、私は震度5弱と思える揺れを体感していないからだ。

普段は車通勤の夫が、その日は夕方から打ち合わせを兼ねた宴会に出席するというので、私が珍しく職場まで送って行った帰り道に地震が発生。といっても、私はスマホのアラームにビックリしたものの、「もしかしてちょっと揺れたかな?」というくらいで、そのまま走り続けたのだ。(たぶん、アラームのせいで、前後の車も徐行してたけど)

その5分後くらいに帰宅すると、家の中も外もなにも変わっていなかった。鴨居にかけていたハンガーも、そのまま。しかしよく見ると、金魚の水槽の水が少しだけこぼれていた! 

地震発生時、学校(@京都)の教室にいた息子や、うちからさほど離れていない職場にいた夫も、ものすごい揺れだったと話していたので、揺れの恐怖を感じなかった私はラッキーだったのかも。

私はいまだに震度4までしか、体験したことがない。どうも潜在的な地震恐怖症らしく、太平洋岸にも、高層マンションにも、住みたいと思ったことがない。というより、絶対住みたくないのだ。地震国である日本に絶対安全な場所なんて、ほぼないだろうと思うけど、それでも地震が来てもまだ大丈夫そうなところを選んで住んでいるつもりだ。(とりあえず生き延びれそうなところ。)

そして今回なによりも実感したのは、家族が一番ということ。みんな無事で一緒にいられることが、本当に幸せなのだ。ありがとうね。

*関連記事「私の東京脱出の理由(阪神淡路大震災の日に)

子亀みつけた

玄関前で小さな亀が歩いていた。
夏になると、大きな亀を湖の近くで見ることがあるのだけど、これはきっと子亀。
無事に大きくなってね。

比叡山のセッコク

もう何年も前にもらったセッコク。夫が切った木の上に置いておいたら、いつのまにか花が咲いていた!

セッコクは、木や岩に着生するランの名前。比叡山の杉林にも着生しているらしく、台風のあと、セッコク好きの人が木から落ちたセッコクを拾ってきたものを分けていただいたのだが、何年たってもちゃんと咲いてくれるのが嬉しい。

ふと足元を見ると、雑草の中にも白い花が。雑草も意外と可愛いのね。草ぼうぼうの我が家の庭も、雑草の庭と思えばいいのかも。

ひからびるヤモリ

棚に埃がたまっているなぁと思い、夜遅くに掃除を始めたら、小さなヤモリを発見。色も薄いし、まだ子供のようだ。子ヤモリは慌てて方向転換。そのまま逃げるのかと思いきや、そこで止まってビクともしない。仕方ないので掃除は中断して、寝たのだが、翌朝見てビックリ。

ヤモリはまだ同じ場所に、同じ姿勢(というのか?)でいるではないか。夜の間に、姿を消すと思っていたのに。

夕方になっても、まだそこにいる。しかも色が少し濃くなってきたような。乾燥して、ひからびてきているような気が…。なんとかしたいけど、私には触れない。帰宅した夫に頼んで、外に放ってもらったので、たぶん大丈夫だと思うけど。ちなみに夫もその日、車庫でヤモリを見たらしい。もしかして家族かな。


*これはひからびる前のヤモリ

ヒヨドリ…かな?

今森光彦さんの『オーレリアンの庭』を見て以来、いつもにも増して窓の外をじっくり眺めている。春になると虫が増えるのは当然だが、鳥は一年を通して姿を見せる。

この季節になると、この家の前の住人さんが植えたサクランボの木に鳥がやってくる。サクランボといっても小さくて酸っぱくて、とても人間には食べられないのだが、鳥には美味しいらしい。去年まではメジロの一群が一斉に食べに来ていたが、今年は見かけていない。

代わりにもう少し大きな鳥がやってくる。鳥のことはよくわからないけど、たぶんヒヨドリか!? 部屋の中から口笛を吹いて呼びかけたら、振り返ってくれた! ちょっと嬉しい。

今森光彦『オーレリアンの庭』のシンクロニシティ

いつもは5時半起きだけど、きょうはお休みなので朝寝坊した。朝食の用意をしてテレビをつけたら、NHK今森光彦氏の『オーレリアンの庭』という番組が始まり、その心癒される映像に魅せられ、ずっと見入ってしまった。

今森光彦氏は、琵琶湖を臨む里山にアトリエを構える写真家として有名だ。そのアトリエは、たぶん私の大好きなドライブコースのあの辺りにあるんだろうな~と前から思っていたのだが、この番組ではそのアトリエを囲むお庭の四季をあますことなく見せてくれた。『オーレリアン』とは『蝶を愛する人』という意味だとか。今森氏は大好きな(やその他のいきもの)が集まるよう、庭にいろんな工夫を施している。番組の中では特に黒いアゲハチョウが舞っているシーンが印象的だった。

今森氏があちこちに手を入れて作った里山の環境…自然の色彩があまりに美しくて、心が癒されたのだが、その後、ふと外を見たら、我が家の庭にも黒いアゲハチョウが舞っているではないか!! 今年、黒アゲハを見るのは初めてだったので、思わず外に出て写真を撮っていたら、もう一羽、黒アゲハが飛んできた。それから白い蝶も! なんだか嬉しいシンクロニシティ!!

草ぼうぼうになってしまった我が家の庭も、自然のままだからこそ(!?)いろんな生き物が来てくれるのか!? 私も心癒すお庭を作りたいものだわ。

シリアも春の兆し(でもちょっと絶望的?)

ようやく暖かくなってきた。本当に久しぶりに庭の草むしりをしたら、桜が咲いていた!(実のなる桜で、いつも開花が早いのだ。)今年初めてのウグイスの鳴き声も聞こえたような・・・。

春の兆しに嬉しくなり、シリアのおじさまに写真を送ったら、シリアも花が咲いているよと写真が送られてきた。↓
とはいえ春が訪れても、平和が訪れる兆しはなく、いつまで耐え忍べばいいのだろうとおじさまは嘆く。
しかも雨はもう長いこと、一滴も降っていないそうだ。
それでもおじさまは神を信じて、祈り続けるのみ。
私にも祈ることしかできないけれど。

スーパー・ブルー・ブラッド・ムーンと室内履きの謎

昨晩は、月が地球にもっとも近い「近地点」にあり(Supermoon)、その月の二度目の満月であり(Blue moon)、さらに月食で赤味を帯びる(Blood moon)「スーパー・ブルー・ブラッド・ムーン」であった。私は空が暗くなりきらないうちから、ときどき窓から月をチェックして、月食が始まってからは近所を散歩して、月の姿がなくなるのを見届けてから家に帰った。

なんだか月のパワーをたくさんもらった気分だ!

おかげで今朝は爽快な気分で目覚めたのだが、私の愛用の室内履きが足元にない! 季節柄、家の中で室内履きを脱ぐのはお風呂とトイレ以外にあり得ないのに。寝室、廊下、玄関、洗面所、キッチン、居間など、私が通過する場所をすべて見て回ったのに(しかも2回も)、室内履きは見当たらない。まさにキツネにつままれた気分。月のマジックで消えてしまったのか!?

仕方なくそのまま台所に立って、子供を送り出したあと、夫に室内履きが見当たらないことを話したら、今度は夫が家の中を見て回ってくれた。そして、あっという間に私の室内履きを手に戻ってきた。

「すごい! どこにあったの?」と訊くと、2階の洗濯部屋のベランダの前にあったという。そうだ、すっかり忘れていたが、昨夜寝る前にもう一度、窓から月を探したけど見えなかったので、2階のベランダに出て頭上の月を確認したのだった。

な~んだ、月のマジックで消えたのは、室内履きではなく、私の記憶だったのだ。がっくり。

私の東京脱出の理由(阪神淡路大震災の日に)

阪神淡路大震災があった1995年1月17日からきょうで23年である。

あんなに憧れて東京に出た私が、東京脱出を決意したのはその前年の1994年だった。本当は自分自身の問題だったのかも知れないが、当時の東京に閉塞感を感じて、とにかく東京、いや日本を出なければと思っていた。バブル崩壊後の世の中に、なんともいえない厭世観というか、ネガティブな空気が満ちている気がして、どうせなら優雅に楽しく下り坂を転がっていかねば…と思い、そのお手本として一足先に下り坂のヨーロッパを見てきたいなぁと考えていたところ、ひょんなことで中国に行くことになった。本当のところ、私はただあの当時の東京、日本を出たかっただけで、行き先はどこでもよかったのかも知れない。とにかく、あの空気に耐えられなかったのだ。

春に中国に行こうと準備していた矢先に、阪神淡路大震災が起こり、私の東京脱出の決意はますます揺るぎないものとなった。幸いなことに私は震度4以上の地震を経験したことはないのだが、それでもひとりで暮らす東京のマンションの部屋で夜中に震度4の揺れを感じたときは恐怖だった。丸の内や大手町のオフィス街で働いていた頃はさほど気にならなかったのだが、その後、渋谷に通勤するようになってから、渋谷駅前の大きな歩道橋を渡るたび、「いま大地震がきたらどうなるんだろう」と漠然とした不安を抱くようになった。トラックが通過するだけで歩道橋が揺れるので、これで地震がきたら…と思うと、自然と小走りになった。そう思いながら地下鉄に乗ると、またも不安になる。真っ暗なトンネルの中にいるこの瞬間に、地震がきたらどうなるんだろうと。

ひとり暮らしであったことが、一番の不安の原因だったと思う。何かあっても、家族がいれば探しに来てくれるだろうが、ひとり暮らしではどうにもならない。だから「万一のとき、こんなところで死ぬわけにはいかない! 早くここを出なくては!」と思ったのだが、そんなとき地下鉄サリン事件が起こり、私は決意を固くした。

その後、日本に帰国して、京都に暮らすことになったときも、郊外の山に囲まれた物件を借りた。裏に小川と畑があったので、たとえ地震がきても、なんとかなりそう…と思えたのだ。その後、山奥の過疎地で茅葺屋根の古い家(平屋)に暮らし、いまは湖のそばに住んでいる。いつどこで何があるかはわからないけれど、少なくとも東京にいた頃と違い、自然の景観に恵まれた場所で、家族と共に心穏やかに暮らしていることは確かだ。