新しいポッドキャスト、始めました。

なかなか記事もポッドキャストも更新できないでいましたが、実は友人と新たにポッドキャストを始めました。
よかったら聞いてみてください。↓

『生きたい人生を生きる—厚子とリンのFelicite Cafe』

紅茶と星詠みのスペシャリストである「ティー・アストロロジャー」のリンさんには、なにかあれば相談にのってもらい、アドバイスや励ましをもらってきましたが、なによりも、いつ会っても楽しくお喋りの花が咲き、あっという間に時間が過ぎているのです。このポッドキャストで、そんな心地よい時間を少しでも共有できたらいいのですが。

リンさんのブログ↓
RINのオフィシャルブログ カメリアズティーハウスロンドンに恋をして

『鈴木るみこさんを偲ぶ会』を終えて

photo by Rin Matsubara
比叡山坂本の「むあ文庫」

2019年11月4日(祝月)に開催された『鈴木るみこさんを偲ぶ会』の報告を投稿せねばと思いながら、なにもできないまま、時間が過ぎてしまいました。11月が終わる前に、あの日のことを少しだけ記しておきます。

秋の穏やかな日に、スタッフを入れると20数名が「むあ文庫」さんに集まって、午後の間中、るみこちゃんのことを語らいました。関西はもとより、富士宮、鎌倉、東京、そして遠く仙台からも、るみこちゃんの綴った文章が大好きという方々が参加してくださいました。

この日、特別にお店を開けてくださった「むあ文庫」さんの玄関先には、「鈴木るみこさんを偲ぶ会」の案内板が立てられ、カフェの先の絵本の館(!?)には、「むあ文庫」さんが特別にるみこちゃんのこれまでの記事/エッセイに関連した絵本を選びだしてディスプレイしてくださっていました。

photo by Rin Matsubara
「偲ぶ会の案内板」

会が始まる前に、その入口の写真を撮っていたら、きらきらと光る風が何度か吹き渡り、「るみこちゃんがやって来たのかしら?」と私たちは囁きあっていたのですが、会のあと、窓際に座っていた参加者の方から、「窓の外で、風が何度もきらめいていて、るみこさんかと思いました」と言われ、確信しました。永遠の光の塔のことも。

photo by Rin Matsubara
永遠の光の塔から!?

ほとんど初対面の方ばかりなのに、「るみこちゃんの言葉で綴られた世界が好き」という共通点だけで、昔からのお友達のようにお話ができたのは不思議でした。皆さん、それぞれの想いを語ってくださり、参加者のおひとりがおっしゃったように「宝物のような時間」を過ごしました。るみこちゃんの文章が、こんなに素敵な方々を引き寄せて、結びつけてくれたなんて、感謝してもしきれません。忘れられない日となりました。

これは当日とは別メニューのアップルクランブル@むあ文庫

あの日のことを、いまだにうまくまとめられないので、いちはやく「偲ぶ会」のことを書いてくださった参加者のブログ等を以下、紹介します。ほかにもあれば、お知らせください。

【花と空】57歳から始めた雑記ノート。by yuki-bee-62

picchipucchiさんのインスタグラム

台湾手帖 田中六花さんのインスタグラム

Hopinほぴん さんのnote

Rinのオフィシャルブログ

*12月2日に追加→ mai_nogamiさんのnote

ベルローズさんの波動バラ

*当日は、るみこちゃんが大好きなバラを飾りました。愛媛のベルローズさん波動バラ。終了後、参加者の皆さんに持ち帰っていただきました。

追記:この日の参加者の中に、同じ小学校の同級生(しかも同じクラス)だったおふたりがいたことが帰宅後に判明。会の間は、お互いに気づいていなかったとか。これも不思議なご縁でした。

【鈴木るみこさんを偲ぶ会】を開きます

2018年5月に編集・文筆家の鈴木るみこさんが永眠されました。『Olive』、『anan』、『クウネル』、『つるとはな』等の雑誌を中心に活躍されたるみこさんを追悼する会を、遅ればせながら開きたいと思います。彼女の文章が好きだった読者の方、あるいは彼女と仕事やプライベートで交流のあった方、どなたでもご参加ください。比叡山の麓で、鈴木るみこさんの文章や彼女にまつわる思い出など、語り合いましょう。

日時:2019年11月4日(月・祝) :午後1時~4時30分
    *事前申込制(11月1日現在、午後3時前後の来場のみ受け付けております。)

                 
場所:むあ文庫 muabunko.com 

最寄駅:(京阪石山坂本線)坂本比叡山口駅/(JR湖西線)比叡山坂本駅

参加費:1,500円(飲み物・お菓子付)

お申込、お問合せは、hatomuneatsuko.comのお問合せページにお願いします。

息子の引き寄せ力(会いたい人には会える!)

息子は6年間お世話になった学校を巣立ったあとも、何かあれば学校に足を運んでいる。学校で同級生と待ち合わせたり、たまたま出会った先生と2時間もお喋りしたり。そんなに学校が好きなんかい!と、思わず羨ましくなるほど。

つい先日、私があるホテルのパーティに出席したら、偶然にも向いの宴会場で息子の学校の先生方のパーティが開かれていた。夫にお迎えを頼んだ際にそのことを話したら、夫と一緒に息子もお迎えに現れ、うまい具合にロビーで先生に遭遇し、宴会場に入れてもらっていた。担任を始め、いろいろな先生と雑談してきたらしい。(よく聞いたら、その前日も学校に行ったけど、担任の先生には会えなかったのだとか。)

それからちょうど一週間後、息子はまたも学校の行事に出向き、友達と一緒に後片付けまで手伝って、やっと帰ろうとしていたら、またも担任の先生と出会い、友達と一緒に夕飯をおごってもらって帰ってきた。男同士の絆が深まってる感じで、羨ましい。

最近では、小学校時代の同級生との再会も相次いでいる。息子は山奥の過疎地の小学校から、新興住宅地の大規模小学校に転校し、その後、中学受験をしたのち、またも市内の近隣地区に引っ越したため、いまの家の近所には友達がいない状態だ。小学校時代の仲良しとは、たまに連絡をとりあっていたが、彼らも東京だの大阪だので新生活を始めた。その中で、ひとりだけ近況がわからない友達がいて、共通の友達(複数)に訊いても、わからないまま。一応、家の場所もわかっているけど、いきなり訪ねる理由もなく、そのうちどこかで会えるかな~と思っていたら、数日前に会えたそうだ。電車に乗ったら、そこに彼がいたのだと!

しかし電車がけっこう混んでいたので、一駅過ぎた際にちゃんと顔を確かめて、そこでようやく話ができたそうだ。息子は連絡先を交換しようと思ったものの、カバンの中の携帯をすぐに取り出せず、とりあえず番号を口頭で伝え、「覚えてたら電話して」と言って、その次の駅で降りたらしい。私だったら一度で覚えるのは無理だと思うが、その夜、ちゃんと息子の携帯は鳴り、ふたりは久々にゆっくりと話せたようだ。

「会いたい人には会える!」ということを、改めて息子に教えられた。


*夏休みの思い出*

鈴木るみこちゃんの思い出

るみこちゃんとは同じ大学の一年違いで、出会ったのはバイト先だった。同じシフトの時には、恋愛話など、たわいないことを語り合った。そこにはいつからかノートが置いてあって、日誌のようにみんな何かしら書いていくのだが、るみこちゃんの文章はいつも際立っていた。

大学卒業後、るみこちゃんは大手出版社の編集者となり、その会社の学生向けの新聞広告の一面にデカデカと写真が載っているのを見て、やっぱりここでも花形なんだなぁと誇らしく思った。時代はまさにバブル期。出版界は特に華やかだった。 

私の留学前後は東京のアパートを引き払っていたので、るみこちゃん家に泊めてもらったことが何度もある。その後、私が関西に越してからは、るみこちゃんが我が家に何度も来てくれた。生後3ヶ月の息子を抱いた、るみこちゃんの写真がアルバムに残っている。

東京を離れたあとも、こんな風に付き合いが続いていたのに、ある時、ちょっと気まずいことになり、実はそれ以降は会わないままだった。といっても、表面上は今まで通り。たまにメール等で連絡はしていたし、本屋でるみこちゃんの文章をみつけては喜んでいたんだけど。

それがおととし、突然ハガキが届き、それまでと違う筆跡と文章に驚いた。すぐにでも会いに行きたかったのに、私自身も仕事に追われて体調を崩した。ようやく落ち着いた頃、るみこちゃんからのメールに関西に遊びに行きたいと書いてあったので、きっと近いうちに会えると思っていた。メールには、仕事のことなど、ほかにもいろんなことが書いてあったので、るみこちゃんも元気になったと思っていたのだ。

どうして私はその後、連絡していなかったのか、自分でも不思議でならない。いや、連絡したつもりだったのだ。「いつでも来てくれて大丈夫よ。私もいつでも遊びに行けるよ」と伝えたつもりだった。それで、ずっと待っていたのだ、るみこちゃんからの連絡を。

るみこちゃんからの最後のメールを読み返したら、関西に遊びに行けたらいいなという書き方をしていた。つまり、自信を持って遊びに行ける状態ではなかったのだろう。そして、私に対して、遊びに来てねと書いてくれていた。それなら、私が会いに行けばよかったのだ。

いつでも、すぐにでも、会いに行くつもりだったのに、私の心のどこかに遠慮があったのだと思う。あの気まずい一件のせいで。もうわだかまりはなかったはずなのに。るみこちゃんの心の中にも遠慮があったから、あんな書き方をしたのだろうか。というより、それを読み取れなかったあの時の自分が情けない。そして、それを今になって気づいている自分も情けない。

もうずっと前、るみこちゃんが山奥の我が家(当時)に遊びに来てくれた時、幼かった息子にはまだ生まれる前の記憶が残っているかも知れないからと、るみこちゃんが「生まれる前はどこにいたの?」と尋ねたことがある。息子は、その時、肌身離さず持っていた大好きなアニメのゲーム攻略本をぱらぱらめくり、目に入った単語を組み合わせて、「永遠の」+「光の塔」と答えた。それを聞いて、「本当にそうかも!」、「すてきな言葉だね~」と盛り上がったのだが、るみこちゃん、今ごろはその「永遠の光の塔」に帰っているのだろうか…。

るみこちゃんが残した宝石のような言葉の数々・・・たくさんの人の心の中で今もきらめいていると思う。
すてきな思い出をたくさん、ありがとう。

——-追記——

Olive』、『anan』、『クウネル』、『つるとはな』等の雑誌を中心に活躍された鈴木るみこさんを追悼する会を、遅ればせながら開きたいと思います。彼女の文章が好きだった読者の方、あるいは彼女と仕事やプライベートで交流のあった方、どなたでもご参加ください。比叡山の麓で、鈴木るみこさんの文章や彼女にまつわる思い出など、語り合いましょう。

日時:2019年11月4日(月・祝) I部:午後1時~2時30分

                  II部:午後3時~4時30分

* 事前申込制、定員各20名。(空きがあれば両方参加も可)

場所:むあ文庫 muabunko.com 

  最寄駅:(京阪石山坂本線)坂本比叡山口駅/(JR湖西線)比叡山坂本駅

参加費:1,500円(飲み物・お菓子付)

お申込、お問合せは、hatomuneatsuko.comのお問合せページにお願いします。

*劇団を観に行ったときに流れていて、るみこちゃんに教えてもらった曲。マイク・オールドフィールドの「To France

おっさんずラブ(オランダ編)

私が初めてオランダに行ったのは、もう30年以上も前、大学の夏休みを利用して、ユーレイルパスヨーロッパ各地を旅行した時のことです。高校時代から文通をしていたペンパルの家を訪ね歩いたので、宿泊費も浮くし、現地の暮らしぶりがよくわかって、それぞれの国の違いも発見しました。

中でもオランダペンパルとは、いつも長文の手紙を互いに交換していたので、気持ちの上ではすでに親友気分でした。私よりひとつ年上で、すでにひとり暮らしをしていた彼女のアパートに1週間ほど泊めてもらい、彼女の友人や家族と知り合い、その後、彼らとも手紙のやりとりをするようになりました。

彼女自身はボーイフレンドがいましたが(当時のボーイフレンドの前につきあっていた人のことも、私は手紙を通じて知っていましたが)、彼女の友人の男性がゲイだったので、好きな人のこととか、いろいろ教えてくれました。北ヨーロッパには、夏はギリシャに行くという人がたくさんいましたが、ゲイが集まるギリシャの島があるのだとか。また、同性愛者がナチスに弾圧されたことを忘れないための小さな旗が、彼の部屋に飾ってありました。

その時、彼には密かに思い焦がれる人がいたのですが、彼の妹がその人と関係を持ったと聞いてショックを受けていました。「妹には負けられない!」と言うので、「でも、妹さんと深い関係になったということは、あなたには可能性はないんじゃない?」と言うと、「大丈夫、彼はバイセクシュアルだから!」との答え。なるほど~、いろんな人がいるんだな~と感心しました。

そうそう、私のペンパルの女友達にもバイセクシュアルの方がいました。その人は、離婚してシングルマザーとして息子さんを育てていて、当時は10歳年下のハンサムなボーイフレンドがいたのですが、その後、別のボーイフレンドと暮らすようになり、その人と結婚するのかと思いきや、彼女の浮気が発覚。その浮気相手は女性で、しかも彼女と名前が同じ。ボーイフレンドとの修羅場は、さぞ混乱したことでしょう。その後、彼女はどちらとも別れて、息子さんも独立したので、一時、シェアハウスに暮らしていました。

バイセクシュアルの彼女は、当時、タバコの葉を自分で紙に巻いて吸っていました。かと思えば、ペンパルの友人の大学生は、禁煙運動をやっていて、「大麻は吸うけど、煙草は吸わない。身体に悪いから」と言っていたり。いろんな人がいるなぁと20歳そこそこの私は驚いたものです。オランダって、いろんな意味で先をいっている国ですね。

おっさんずラブ(私の職場編)

昨夜、帰宅した夫が「『おっさんずラブ』がクランクアップしたらしいね」と言うので、「きょうラジオで2回も『おっさんずラブ』の話題が出てたよ。すごい人気なんだね」と答えたら、夫の職場の女性陣の間でも話題沸騰なのだとか。クランクアップのニュースをその時は聞き流してしまった私。その直後に、このドラマを薦めてくれた友人から「今週の土曜日が最終回だから」と聞いて、が~ん。私はこのドラマの大部分を見逃しているということではないか!!

ところで、この『おっさんずラブ』は現実にはなかなか遭遇しないシュールな物語だから、面白いのだろうか!? それともLGBTの存在も認知され、権利も認められつつある現在だからこそ、受け入れられているのだろうか!?

そこで思い出すのが、私が大学を卒業して最初に就職した英国系の会社。オフィスは丸の内のど真ん中だった。(そう、私は丸の内のOLだったのだ!)壁にはエリザベス女王の肖像画が飾られ、制服はないけれど、女性社員はスカート着用を決められていて、外資系にしては古臭い、大英帝国の名残のような会社だった。幹部のイギリス人も、いかにもイギリス紳士という雰囲気の方が多かったように思う。

それでも、そこはやはり外資系。私がそこに就職を決めたのは、イギリス人との面接の際に「東京でひとり暮らし」をしている点を、「インディペンデントでよろしい」と評価してくれたからだ。当時は、特に大企業などの就職に際して、女性は親元に暮らしていなければダメという条件がついたりしていたのだ。

実際に就職してみると、その会社は外資系とはいえ、昔ながらののんびりした日本の中小企業の雰囲気が漂っていた。「外資系」と聞いて想像する「バリバリ感」のない会社で、先輩方も厳しい人はほとんど皆無。私にとっては居心地がよかった。そんな職場で、特に目を引く男性社員がいた。てきぱきと仕事をしていて、年は私よりだいぶ上と思われるけれど、役職はなく、いつも明るく大きな高めの声で話していて、それがまた女性言葉だったのだ。服装もほかの男性陣と違い、チェック柄のシャツやブレザージャケットだったり。女性の中にひとり混じっても、まったく違和感ない存在で、しかも男性から嫌がられることもなく、みんなのアイドル的な存在だった。先輩女性によると、彼は歌手を目指して上京し、デビュー直前までいったものの夢破れ(?)、会社員生活をしているのだという。ずっと前から歌舞伎町に暮らし、自宅に遊びに行った彼女によると、部屋の中にはスポットライトが設置してあるのだとか。

その彼の歌う姿、一度見てみたいと思っていたら、その機会はちゃんとあった。外資系にも関わらず、毎年行われる社員旅行の宴会のトリは彼が務めることに決まっていたのだ。そのため、社員旅行の幹事には毎年、「スポットライトのある舞台付きの宴会場」がある旅館を選ぶよう申し送りがされていた。旅行当日は、入念な化粧をして、歌舞伎町のゲイバー勤めのお友達から借りたという衣装を着て、彼はステージに立って熱唱した。スポットライトを浴びて。

それを見て、私たちの上司であるイギリス人のおっさんたちは、酔っ払って、浴衣をはだけただらしない姿で、紙テープ(←死語?)の代わりにトイレットペーパーを投げたりして、大喜びするのであった。普段はスーツをかっちり着ているイギリス紳士の豹変ぶりも、これまた見物だった。

いま思うと、かなり楽しい職場だったなぁとしみじみ。『おっさんずラブ』、最終回、楽しみだ。

無能な上司(不倫がバレてないと思っているのは本人だけ!?)

私が入院するほどのストレスを溜め込んだ期間限定仕事。そのストレスの最大の原因は上司たちだった。ひとりでも尊敬できるというか、まっとうな上司がいてくれたらだいぶ違っていたのだろうけれど。

その中でも、小物感ハンパない上司がいて、どこに行っても誰に聞いても、とことん評判が悪いという徹底ぶり。どうしたら、そんなサイテー男になれるのか!?というくらい。こんなに嫌われているのに、どうしていまだに左遷もされず、失脚もせず、えらそーにしているんだろう!?と最後まで不思議でならなかった。

しかも、どこに行っても誰に聞いても耳に入るのが、悪評だけでなく、不倫の話。それも職場だけでなく、関連会社のスタッフや、近所の奥様方まで知っているという。不倫相手の車に同乗していたとか、あるお店の駐車場で待ち合わせていたとか、ホテルに入って行ったとか、そんな目撃談を私は何人もの人から聞いた。だいぶ昔のことらしいので、今も不倫が続いているとは思わないが、派遣社員の私の耳にも入ってくるほど、あちこちで語り継がれているわけだ。

ご本人はまさかこんなことをみんなが話しているなんて、知らないのだろう。みんながクソミソに悪口言っていることも。自分がどれだけ回りの人たちに嫌な思いをさせているのか、気づいてさえいないのだろうか。本当に、その嫌われっぷりと言ったら…。

職場でその上司が全館放送をした際、たまたま私の目の前にいた方が、その声を聞いた途端に、「あのバ~カがっ!」と吐き捨てるように言ったので驚いたことがある。関連会社の温厚な運転手さんですら、ここに書くのが憚られるほどの信じられないような言葉で罵っていたというから、一体、今までどんな言動を重ねてきたのだろう。

私が不思議なのは、周囲にネガティブな空気を撒き散らして、さんざん恨みを買っているはずなのに、彼は病気にもならず、のうのうとしていること。いや、実際はご本人もかなりのプレッシャーやストレスを感じているのは見てわかるのだが、私やほかの複数のスタッフのように入院するでもなく、元気に暮らしているではないか。そんな強靭な精神の持ち主にも見えないのに。

きっと私たちには見えないところで、相当ネガティブなものを抱え込んでいるのだろうと思う。
彼の魂がいつか救われますように。

LINEのスタンプ(の使い方って…?)

長らく抵抗してきた私も、今ではスマホでLINEを使っている。とはいえ、登録している友達の数も少なめ。夫との業務連絡や、近所の友人・知人との連絡に役立っているし、遠方の友人とのたまの近況報告も今ではLINEで済む。写真もすぐに見せられるし、確かに便利。

ネット記事などを見ると、私のような世代と若い人たちではLINEの使い方が違うらしいのだが、私はそもそもLINEを使いまくっているわけでもないので、いったいどういう使い方がメジャーなのか、良しとされているのか、いまだにわからないまま。

LINEの友達登録はしているものの、殆ど連絡をすることのない、わりと近所の知り合いがいる。以前は親しくしていた時期もあったのだが、我が家が引越した頃から疎遠になった。物理的な距離と同時に、心理的な距離もできてしまったのだ。まあ、そこに至るには、長年の間に小さなことがいろいろ積み重なっているのだが。とはいえ、諍いがあったわけでもなく、単に疎遠になっただけ。用事があるときは、あちらからも普通にLINEでメッセージが届いていた。

前にホスピスで亡くなった友人の話を書いたが、彼女が昔、遊びに来てくれたとき、この知り合いのお店を紹介したら、とても気に入って、その後、ご主人とも再訪。彼女が亡くなったあと、ご主人がこの旅行を思い出し、つい先日、息子さんとふたりで同じルートを辿り、私たちにも会いに来て下さった。事前に知り合いのお店にも行くつもりだと聞いていたので、私はそのことをLINEで知り合いに知らせた。もちろん、友人が亡くなったことも伝えて。

すぐに返信はきたが、『了解しました!』のスタンプのみ

用件としては、確かにそれで済む話だけど、それってどうよ!?
なんともいえない寂しい気持ちに襲われた私です…。

by 鳩胸厚子

LILINA ハワイの恵みから生まれたノンシリコンシャンプー



変な引き寄せ

一年限定の派遣仕事をしている間、なぜか私は職場の人に何度も何度も遭遇した。スーパーで、コンビニで、パン屋で、映画館で、パスタ屋で、駅前で…。「どうしてこんなところで会うの?」と思うことも、しばしば。職場の方のデートを目撃してしまったことも。私にとってはストレスいっぱいの職場だったので、この引き寄せは嬉しくないのだけど、すべてのことに意味があるのだとしたら、これは一体どういうことだったのか!?

派遣期間を終了し、入院という想定外の出来事が起きたのち、実はつい最近も偶然に職場の方々に遭遇した。その中に、私がもっとも苦手としていた人もいて、どうしようと思ったけれど、私は颯爽とその人に言葉をかけて立ち去った。これで、いい具合に決別できたような気がして、すっきり。この引き寄せは確かに意味があったのだと思う。さあ、次に進まなくちゃ。

by 鳩胸厚子

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