何のためにブログを書くのか

最近、「好きなことを仕事にしよう」とか、「ネット(SNS)を利用して自分の好きなことをビジネスにできる」といった主旨の本がたくさんあって、私もいくつか読んでみた。確かに時代は変わったと実感するし、大きな可能性も感じるのだが、「では自分に何ができるのか?」と考えると、ビジネスに繋がるようなことは思い浮かばない。

そもそも、このブログも2004年にデジカメを手に入れたことが嬉しくて、自分のために始めたものだし。今となっては、自分にとっての貴重な記録となっているので(両親を看取るまでの期間は特に)、やっていて良かったと思うけれど、金銭的にはなにも得ていない。

お金を払ってでも私にやってもらいたいことはなに?」と周りの人に聞いてみるといい…というのを本で見て、早速、夫にこの質問を投げかけたら、「う~ん」と言ったきり返事がなかった。が~ん、何もないのかよ。

このところ「作戦会議」と名づけて、ときどき集合して夢を語る(?)仲間がいるのだけど、思ったことはすぐに行動に起こす友人にかなり触発されながらも、私はまだ何もできずにいる。というか、何をしたいか、この年になっても、よくわかっていないという…。もちろん、基本的に家にいるのが好きなので、今のままでハッピーなんだけど、何歳になっても夢は持っていたいから、いろいろと模索中。今は天中殺期間だし、次のステップの準備期間と思って、いろいろ勉強しようと思っている。もともとパソコンを使いこなせていない私が、ワードプレスやったり、ポッドキャスト作ること自体が、すでに自分にとっては大きな挑戦! やり続けていたら、いつか新境地が開けてくるかも!?

*もしかして先日の子亀の親か!? 亀の歩みって、意外と早い! 見習わなくちゃ。

おっさんずラブ(私の職場編2)

おっさんずラブ』、最終回、見ました。やっぱりね、という終わり方でしたが、こういう終わりじゃないと納得できないよね、きっと。

最終回でおっさん(部長)が春田の上海転勤についていこうとしていたけれど、実は私のかつての職場でも同じようなことがありました。先日、ブログに書いた最初の職場ではなく、その後の転職先でのこと。ここも外資系だったので、トップはたいてい英語圏の外国人。私が転職した頃、新たなトップが日本に赴任してきたのですが、彼には男性パートナーがいたのです。母国では妻も幼い息子もいたのに、カミングアウトして離婚。東京赴任に際しては、新たな男性パートナーにフライトアテンダントの仕事を休職してもらい、息子さんと3人で来日したと聞きました。ということは、男3人で暮らしていたのか!?

ちなみに、男性パートナーは職場の日本人スタッフのための英語教師として雇われているという話でしたが、実際に英語レッスンをしている気配はなかったような…。「お昼になると、ふたりで向かい合ってサンドイッチとか食べていて、目のやり場に困るわ~」と、ガラス張りのオフィスで働く秘書の方がこぼしておられました。

バブリーな時代の外資系企業だったので、年末には東京湾クルーズをしながらの船上パーティが開かれ、我らがボスは「来年も一緒にがんばりましょう!」と挨拶してシャンペンで乾杯をしたのですが、その後、彼が日本に戻ってくることはありませんでした。年明け早々、会社を辞めたと聞いてびっくり。母国では、別れた妻と子供の親権を争って裁判をしているという話だったので、いろいろと事情があったのでしょうが。

そうそう、最初の丸の内の職場のイギリス人幹部にも、「おっさんずラブ」の人はいたそうです。昔、私が見ていたNHK教育の英会話番組に出ていたイギリス人もそのひとり。そもそもはその会社の東京支店に転勤になったために来日し、日本を気に入ったので、その後、会社を辞めて日本に残ったのだとか。私が働いていた時も、たまにその人がオフィスに姿を見せることがあり、「あ、テレビで見ていた、あの人だ!」と懐かしかったのですが、歩く姿がまさに「オネエ」そのものでびっくり。テレビでは座ってお話するだけだから、わからなかったのでした。

それから、イギリスの本社からやってきたお偉いさんも「おっさんずラブ」でした。当時80代くらいのご高齢で、帝国ホテルから丸の内のオフィスまでリムジンで乗り付けて、そばには若い金髪の美青年が付き人として寄り添っていました。英国映画『アナザーカントリー』を見てコリン・ファースのファンになった私は、パブリックスクール後の「おっさんずラブ」の世界を垣間見た気分でした。

意外と多い「おっさんずラブ」。海外では特に、よくあることなのかも知れません。

ダマスカス(シリア)のおじさま

私が入院するほどのストレスを感じていた外での一年間の仕事も悪いことだけではなかった。上司には恵まれなかったけど、いい出会いもいくつかあったからだ。中でも、一番インパクトがあったのが、シリアのおじさまだ。内戦中の国で、一応、安全と思われる地域にお住まいのようだが、それでも財産の多くを失い、この先どうなるかわからない状況の中、希望を失わず、国の平和のために祈り続けていらっしゃる。英国の大学で学ばれたので英語ができるのはもちろんだが、高齢にも関わらず、デジタル機器を駆使して、メールやメッセージアプリで連絡をくださる。本来であれば、用件のみのメールのやりとりだけで終わるはずが、一言、二言の雑談的なフレーズが加わるようになり、いつのまにかお互いに親しみを感じていた。まるで父と娘のような感じで。

おじさまは、個人的な話やシリアの状況についても教えてくださるけれど、政治的な発言は一切なし。そして、しばしばコーランの言葉を引用して、絶えず神に祈っている。お陰で私はリアルなイスラムの世界を、初めて垣間見ている気分。イスラムの祈りの歌のビデオを見せてもらったり、メッセージアプリのお陰で、日本にいながら異文化体験ができる!

仕事上の関係はもうないにも関わらず、今も時々メッセージを送ってくださるおじさま。私が入院したときも、心配して、何度もメッセージをくださった。日本にいらしたときには、ナッツとクッキーと、それからドレスをお土産に持って来てくださった。ただでさえ大変なときに、わざわざこんなにたくさんのお土産を・・・と言葉もなかった。

ここしばらく、シリアでは雨も雪もほとんど降らず、このままでは干ばつとなり、作物も収穫できないのではないかと心配されているそうだ。日本では降雪量が多すぎて逆に大変なことになっているというのに。うまい具合に、雪雲・雨雲が散らばってくれたらいいのに・・・。
おじさまは、きょうも神に祈っているはずだ。

いまの私の夢のひとつは、シリアまでおじさまに会いに行くこと。おじさまが元気なうちにシリアが平和になることを、私も切に祈っている。

「アンダーコントロール(under control)」付記

1月22日の日記で、「The situation is under control」について触れたところだが、AXNミステリーでイギリスのドラマ、『検視法廷シーズン2』(2016)を見ていたら、またこのフレーズが出てきた。事件の調査のために資料館に行かされた部下が、上司(主人公)からの電話を受けて、

It’s under control

と答えていたのだ。字幕は「ちゃんとやってます」、だったかな? 実際には、資料館に着いたばかりで、まだ何もしていないんだけど。アメリカのドラマでも、同じような状況でこのセリフが使われていたことから考えても、このフレーズは少なくとも日常会話においては、「現時点では解決の糸口すらみつかっていないけれど、それに向けて努力している」状態で使われるのかな。文字通りの意味より、軽い感じ!? 

IOC総会のスピーチで安倍首相が「福島はアンダーコントロールだ」と嘘をついたと批判した日本の(一部の)人たちは、このフレーズを文字通りの意味で受け止めすぎていたということかも!? 外国語のニュアンスを正確に理解するのは、難しい。

「ブルジン」ってなに?(「ブルゾンちえみ」ではない!)

昨日の続きで、東京でバリバリ働いていた20代の頃の話をもうひとつ。

当時、私は英国系企業の東京支社に勤務していて、社内にはイギリス人が何人もいた。その中に、ハゲ・チビ・デブの3拍子が揃った愛らしいスコットランド人のおじさまがいて、社内で人気だった。スコットランド好きの私も、もちろん彼のものすご~いスコットランド訛りを聞くのが楽しみだった。他のイギリス人は、たいていエリート面して、ツンとしたタイプが多いのに、彼はとっても気さくな田舎のおじさんそのもので、相手が部長だろうが平社員だろうが清掃員だろうが、みんなに同じように「おはよう!元気?」と声をかけていた。しかも、ほかのイギリス人よりも早く出社してきて、社内を隈なく見て回る、気配りの人であった。彼はいわゆるエリートではなく(エリートなら、あれほど強い訛りはないだろう)、叩き上げでここまで出世した人だと聞いて納得。この会社に入って以降、旧大英帝国の植民地を転々としてきたらしい。しかし、海外生活がこうも長くても、きついスコットランド訛りはそのままというのは、彼にとってスコットランド訛りは、「訛り」ではなく「誇り」だったのだろう。

彼の訛りはほんとにすごくて、普段はイギリス人上司と問題なく会話している同僚たちが、戸惑うこともしばしば。たとえば、「purpose」が「パルポス」としか聞こえない。一度、会社のパーティにキルト姿で登場した際に、「どういう時にキルトを着るのですか?」と訊かれ、いくつか祝日や記念日を挙げてくれたのだが、最後に「ロベルト・ブルンズの誕生日」と言った際には、吹き出しそうになった。カタカナではイントネーションが表わせないのが残念だが、彼が言っていたのは、スコットランドの国民的詩人、「ロバート・バーンズ」。

そしてある時、会社主催の打ち上げパーティが開催されることになった。女の子大好きのそのおじさまは、当日の昼間、私たちのところにやってきて、「ハウ・メニ・ゲロズ・アー・カミン?」と訊いた。つまり、「How many girls are coming?」 思わず、「ワシらはゲロか!?」と突っ込みたくなった。で、その夜のパーティで、私はおじさまと同じテーブルだったのだが、別のテーブルでは普段は上品で神経質な若いイギリス人が、お酒のせいで顔を紅潮させて、ウェイトレスの女の子に絡んでいた。彼が何か変なことを言ったらしく、回りの人たちがたしなめていたので、私の隣にいた同僚が、「なんて言ったんでしょうね?」と訊くと、スコットランド人のおじさまが「彼女にブルジンかどうか訊いたんだよ」と答えた。同僚が「え?」と聞き返すと、おじさまは「ブルジンかどうか」と繰り返した。それでも同僚がぽか~んとしていると、おじさまが「彼はブルジンも知らないのか。なんと純粋な青年だ!」と笑ったので、同僚は私に真顔で尋ねた。

鳩胸さん、ブルジンってなに?

「だから~、バージンかどうかって訊いたんですよ!」と、私まで赤面するはめに。それくらいすごいスコットランド訛り、懐かしく思い出す。ちなみに、このあと、おじさまは帝国ホテルのレインボーラウンジ(今もあるのかな?)に連れて行ってくれたり、実はロバート・バーンズと同じくフリーメイソンだったり、ただの田舎のおじさんではなかったのだ。真冬の六本木も、全然寒くないと言って、コートなしのスーツ姿で闊歩していたし。

まさに80年代バブリーな私の「ブルゾンちえみ時代」の思い出だ。

無能な上司(不倫がバレてないと思っているのは本人だけ!?)

私が入院するほどのストレスを溜め込んだ期間限定仕事。そのストレスの最大の原因は上司たちだった。ひとりでも尊敬できるというか、まっとうな上司がいてくれたらだいぶ違っていたのだろうけれど。

その中でも、小物感ハンパない上司がいて、どこに行っても誰に聞いても、とことん評判が悪いという徹底ぶり。どうしたら、そんなサイテー男になれるのか!?というくらい。こんなに嫌われているのに、どうしていまだに左遷もされず、失脚もせず、えらそーにしているんだろう!?と最後まで不思議でならなかった。

しかも、どこに行っても誰に聞いても耳に入るのが、悪評だけでなく、不倫の話。それも職場だけでなく、関連会社のスタッフや、近所の奥様方まで知っているという。不倫相手の車に同乗していたとか、あるお店の駐車場で待ち合わせていたとか、ホテルに入って行ったとか、そんな目撃談を私は何人もの人から聞いた。だいぶ昔のことらしいので、今も不倫が続いているとは思わないが、派遣社員の私の耳にも入ってくるほど、あちこちで語り継がれているわけだ。

ご本人はまさかこんなことをみんなが話しているなんて、知らないのだろう。みんながクソミソに悪口言っていることも。自分がどれだけ回りの人たちに嫌な思いをさせているのか、気づいてさえいないのだろうか。本当に、その嫌われっぷりと言ったら…。

職場でその上司が全館放送をした際、たまたま私の目の前にいた方が、その声を聞いた途端に、「あのバ~カがっ!」と吐き捨てるように言ったので驚いたことがある。関連会社の温厚な運転手さんですら、ここに書くのが憚られるほどの信じられないような言葉で罵っていたというから、一体、今までどんな言動を重ねてきたのだろう。

私が不思議なのは、周囲にネガティブな空気を撒き散らして、さんざん恨みを買っているはずなのに、彼は病気にもならず、のうのうとしていること。いや、実際はご本人もかなりのプレッシャーやストレスを感じているのは見てわかるのだが、私やほかの複数のスタッフのように入院するでもなく、元気に暮らしているではないか。そんな強靭な精神の持ち主にも見えないのに。

きっと私たちには見えないところで、相当ネガティブなものを抱え込んでいるのだろうと思う。
彼の魂がいつか救われますように。

ストレス(@特に職場)は大敵



派遣社員の一年契約の終了間際に緊急入院したと書きましたが、自分でも驚きの展開でした。しかし、考えてみると、フルタイム勤務になったことで、ジムに通う時間がとれなくなり、昨秋から運動らしい運動をしていませんでした。加えて、職場では御菓子が配られることがしょっちゅう。国際会議開催前の一ヶ月は残業続きで、不健康な生活だったと思います。

しかし、なんといっても

病気の一番の原因はストレス

だったと思います。

自分では適度にストレス発散しているつもりだったし、『引き寄せの法則』の実践として、ネガティブな感情を極力排除するよう努めたつもりですが、職場のストレスは相当なものでした。実際、私は途中で仕事を辞めたいと派遣会社に訴えたほど。(結局、それは叶いませんでした…)

仕事がきつかったというよりも、人間関係のストレスが大きかったのでしょう。上司の理解のなさは致命的で、理不尽なことが多かったのです。それでも国際会議が無事に終わって、ほっとしていたのですけど。

実は入院中、点滴で免疫力が落ちていたせいか、ずっと前からのできもの(@下腹部)が腫れて、痛くなりました。膿が溜まっていたようで、すぐに皮膚科で切開してもらいました。

そうやって膿を出し切ったその夜、なぜか腹の底からふつふつと怒りが湧きあがってきたのです。自分でも不思議なほどに。

口から「ガオ~ッ!」と炎を噴き出したいくらいの怒りでした!

私、こんなに怒りを溜め込んでいたんだ…と我ながらびっくり。この怒りが病気の元だったのでしょうか。おかげで、ちょっとすっきりしましたが、ストレスって、怖いですね。

主婦のパート

そもそも家で自由な時間に仕事をしていた私が、フルタイム勤務を始めたことに無理があったんですよね。ほんとは週2、3日(できれば2日がベター!)くらい外で働きたかっただけ。刺激というか、生活のメリハリがほしい。でも自分の自由な時間、のんびりできる時間も確保したい…となると、それくらいが理想的。そう思っている主婦って、多いんじゃないでしょうか?

だけど実際にパート仕事を探してみると、内容的に面白そうな仕事はほぼフルタイム。週2、3日でもOKという仕事は、誰にでも出来そうなものが多いのです。

私がみつけた派遣仕事は、国際会議の準備をする英文事務。内容的に面白そうだし、通勤しやすい場所でしたが、週5日のフルタイムであること、それから時給がけっこう安いことがネックでした。でも一年限定だし、国際会議の裏方に興味もあったし、思い切って契約しました。

だけど、やはりこの年になって、いきなり週5日のフルタイム勤務はきつかった~。家庭をもってから、毎日、外で働くなんて初めてのこと。今までより30分早く起きて、お弁当作って、朝食作って、家族を送り出して、洗濯して、掃除機かけて、出勤する。仕事が終わると、スーパーに寄って急いで帰宅して夕飯を作る。世の中のワーキングマザーは、みんな、こういう生活を毎日送っているんですよね。皆さん、よくやっているなぁと改めて感心しました。

でも私には一年が限界でした…。それが証拠に、契約終了間際に、突発的な病気となり、緊急入院してしまったのです。

そういえば、病気になる直前、隣町のコーヒーチェーンで『週2日からOK』というパート募集のポスターを見たら、私の時給よりも高くて、愕然としたんですよね~。「こっちの方がよかったじゃん!」って自嘲しました。

主婦のパートを上手に活用できたら、日本経済はぐんと成長するだろうに…。ああ、もったいない。



フリーランス

2017年もあと一月となりました。前回の投稿が年明けだったのに…。一年は早い!(というか、自分が怠けていただけ)

昨秋に始めた一年契約の派遣社員の仕事も、すでに終了して、また以前と同じフリーランス生活に戻っています。

関西に引っ越してから、ずっとフリーランスとして、家でひとりで仕事をしていたので、何年か前から久しぶりに外で働いてみたいな…と思っていたわけですが、実際にこの一年、お勤めをして得た結論:

『雇われの身は嫌だ!』

つーか、そもそも雇われの身が嫌だから、フリーランスになったんですけどね。それを今になってしみじみ実感するという…。

なんとも成長がない私。まあ、一年の間にいろいろあったんですよ。また追ってお話します。