ジョーダン・ピーターソン教授の論争で知った新たな人称代名詞

今年のバレンタインデーにKindleで『12 Rules for Life: An Antidote to Chaos』という本を購入した。アメリカのベストセラーとして紹介されていて、面白そうだなと何気なく買ったのだが、同じ日に買った『Crushing It!』を先に読んでしまい、そのまま忘れて未読のまま。著者のジョーダン・ピーターソン氏がどういう人かも知らないままだった。

ところがその後、YouTubeピーターソン教授とBBCCathy Newmanという女性キャスターの議論(!?)の映像を見て、この著者が現在、英語圏で大きな論争を呼んでいる話題の人だと知った。カナダ、トロント大学の心理学の教授で、自分の講義をYouTubeで流したり、ネット上で質疑応答などをしているうちに特に若者の間で評判となり、今年1月に発売となった冒頭の著書が大ベストセラーとなっているらしい。
ミレニアル世代の白人男性、特にオルトライトオルタナ右翼)に強烈に(!?)支持されていることから、彼を危険視する人たちも多いようだ。

ピーターソン教授はそもそも「ポリティカル・コレクトネス」に異を唱えたことで有名になり、Cultural Marxism(文化的マルクス主義というのか?)を忌み嫌っているそうだ。Cultural Marxismは、伝統的な道徳観や家父長制、愛国心、人種・ジェンダー差別などが抑圧を作り出していると考えているらしい。それがゆえに現在では、アファーマティブ・アクションなどに代表される「アイデンティティ・ポリティクス」が行われているが、ピーターソン教授はこのアイデンティティ政治なるものが教育システムの中に入りこんでおり、これが全体主義に繋がりかねないと警鐘を鳴らしているのだ。

確かに90年代から特にアメリカでは「ポリティカル・コレクトネス」として、女性はMissやMrs.ではなくMS.と呼ぶとか、ChairmanはChairpersonと呼ぶとか、「使っていい言葉、いけない言葉」がいくつも出てきたが、最近ではジェンダー・アイデンティティによる新たな人称代名詞がいくつも生まれているらしい。主語の場合は、「Zie, sie, ey, ve, tey, e」など何種類も! しかも、それぞれに活用形もあるわけで…。カナダでは、こういった正しい人称代名詞を使うことが要求されているとかで、ピーターソン教授は「自分はこういった代名詞は使わない!」と断言して物議をかもしたようだ。ジェンダーは主観的なものではないし、これらの人称代名詞の使用を法律で強要することは、思想・言論の自由を封殺することになる–というのがピーターソン教授の意見らしい。

私には難しいことはよくわからないが(そもそも英語だし)、ピーターソン教授の動画にはなぜか引き込まれてしまう。どんな議論をふっかけられても、カッとすることなく冷静に淡々と切り返し、それでいて情熱も感じられる話し方だからなのだろうか。そもそも、彼の主張の大まかなところは共感できるからだろうか。私自身も「ポリティカル・コレクトネス」は行き過ぎだと昔から感じていたし、言葉狩りが行き過ぎて、Zie, sie, ey, ve, tey, e…なんて新語を作り出すなんて、滑稽にすら思えるのだ。

ピーターソン教授が言う「アイデンティティ政治が教育システムの中に入りこんでいる」という現象のひとつに、国の政策として人種差別やフェミニズムなどの教育や研究に多額の予算が組まれるということがあるらしい。そういえば、最近、日本の国会でも、反日的な研究をする大学教授などに文科省から多額の研究費が下りていることが指摘されたが、逆にその指摘が「学問の自由への攻撃だ」という反論が…。なんとも難しい問題。

日本の学校教育でも、伝統的な家庭のあり方を否定(軽視)したり、変なフェミニズムが浸透しているように思う。私が小学生の頃は、学級名簿は男女別々にアイウエオ順になっていたが、我が子の時代には男女の別なくアイウエオ順になっていた。昔は男子は「○○君」、女子は「○○さん」と呼ばれていたのが、どちらも「○○さん」となったり。個人的には男女別の方がわかりやすくて便利だと思うのだけど。特に昨今は男子か女子か判別しがたい名前も多いから…って、そういう問題じゃない!?

もちろん、いろんな意見があっていいのだが、90年代に「ポリティカル・コレクトネス」が盛り上がっていた頃から私自身が感じていたのは、「これが正論だ!」と言わんばかりにドヤ顔で主張する人たちの圧力の不快感。うまく反論できないけれど、どこか違和感が拭いきれない。あなたたちが言ってることは正しいかも知れないけれど、でもちょっと違うんじゃない!?というモヤモヤ感

ピーターソン教授は、このモヤモヤをクリアにして、しかも左翼の論客たちに堂々と反論してくれたからこそ、こんなに人気が出ているのかも知れない。(ピーターソン教授は自身を、英国古典的自由主義者?とみなしているらしい。)私自身は、かつて、中野剛志氏の議論をYouTubeで見た時と同じような高揚感を久々に覚えてしまった。

アイデンティティ・ポリティクスを信奉する英米のメディアや言論界からは、ピーターソン教授への反論や抗議、また教授を危険視する論調が多いようだが、それもいわば彼の人気&影響力の大きさの裏返しということだろう。反発が大きいほどさらに人気を呼ぶという悪循環、じゃなく好循環!?

カナダの大学では、ピーターソン教授の映像を授業で学生に見せた教師が懲戒処分を受けた際、上司がピーターソン教授のスピーチをヒトラーの演説となぞらえたことが問題となり、後にその上司は謝罪したのだとか。ピーターソン教授は、結果的にこれが本の宣伝になったと冷静に受け止めていたようだけど。日本では、左翼の人たちが安倍首相ヒトラーになぞらえることがあるけれど(そんなポスターも作っていたよね)、それはまったく問題にならないのは、どういうわけなのか?(逆に自分たちがヒトラーに例えられたら、怒るんじゃないかなぁ!?)

ピーターソン教授にせよ、安倍首相にせよ、ヒトラーに例えられるというのは、それだけ一部の人から恐れられているということなのだろう。それくらい手ごわい存在なのだ。しかも、安倍首相に関しては、政策批判ではなく単なる個人(人格)攻撃、悪口としか思えない批判が多すぎて驚いてしまう。日ごろ、人権擁護に熱心な政治家や大学教授など、知識人と思われる方々がそのような低レベルの批判しかできないとは…。しかも、その人の品性を疑うような下品な言葉の数々に、憐れみさえ感じてしまう。どうしたら、個人的な関係があるわけでもない人のことを、そこまで憎めるのだろう?と逆に不思議。そんなにマスコミや左翼知識人に恐れられるというだけで、大物の証拠なのだろう。

それよりも、私はKindleの『12 Rules for Life』を早く読まなければ!!!

↓なお、これがピーターソン教授とキャシー・ニューマンの議論。(視聴回数が1千万回を越えている!)

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シンプルマインズとプリテンダーズ

ハリウッドの思い出で、なぜかシンプルマインズサンフランシスコの思い出で、なぜかアズテックカメラの曲が出てくるとは。どちらもグラスゴー出身のバンドではないか。これも私のスコットランド好きがなせる技か。

シンプルマインズジム・カーといえば、プリテンダーズクリッシー・ハインドと結婚していたのをご存知だろうか。まさに私がハリウッドを訪ねていた頃、ふたりは結婚して、娘さんが生まれていたらしい。(その頃、”Don’t You“がアメリカで1位になったのだとか。)クリッシーザ・キンクスレイ・デイヴィスと付き合って、すでに長女がいたのだけど、84年のオーストラリアツアーでシンプルマインズと出会って結婚するも、ジム・カーがツアーやレコーディングに出たきりで、離婚に至る。クリッシーはその後、コロンビア人のアーティストと結婚。ジムも女優のパッツィ・ケンジットと結婚して息子が生まれるけれど、両者ともその後、離婚。パッツィはその後、オアシスリアム・ギャラガーと結婚して次男が生まれ、その彼がいまモデルとして注目されているとか。いやはや、なんともややこしいセレブの世界。

実は昨年、プリテンダーズクリッシー・ハインドの自伝『Reckless』を読む機会があったのだが、ジム・カーのことは見事に一言も出てこなかった。レイ・デイヴィスの名前は出てくるし、娘たちが生まれたことにも言及してあったけど、シンプルマインズの字も、ジムの字も(音読すると変!!)出てこない。この本はそもそも若い頃の話が中心ということもあるけれど、読者が本当に聞きたいことには触れず、きれいごとを並べただけの自伝という印象で、正直がっかりした。しかも感動的なエピソードも、尊敬できる部分もあまりなくて、さらに残念。確かに根性がある強い人なんだろうけれど。彼女がロックの殿堂入りだなんて。そんなにすごい人だったのか~。

確かにゴシップ紙の記事を読むと、ジム・カーも当時25歳の若さでスターダムの絶頂時に娘が生まれ、家庭にうまくおさまることができなかったようだが、それでもクリッシーの自伝で一言も触れてもらえないなんて、ちょっと不憫な気が…。今では娘とも、うまく折り合っているようで何よりだけど。

さてジム・カーについては、さらに驚くことが! なんと、シチリア島の四ツ星ホテルのオーナーになっているのだ。シチリア島のタオルミーナが好きすぎて、ホテルを建ててしまったらしい。それがこちら→ Villa Angela 

さらにもうひとつ驚きのニュース。シンプルマインズは今も活動を続けているのだけど、この夏のツアーではプリテンダーズと共演するらしい。離婚してすでに30年が過ぎたクリッシージムが、ステージを共にする!? 66歳と58歳という年齢にも、いささかビックリだけど、何歳になっても夢を追い続ける人生を送らなきゃね。私もタオルミーナの景色、見に行きたい!

サンフランシスコの思い出

前回の続き。30年以上前の私の「アメリカ・カナダを回る大学卒業旅行」の最終地点は、サンフランシスコだった。途中、カナダの友人を訪ねた際に、サンフランシスコには友達がいるからと連絡をしてくれて、私は彼女の友人宅に泊まることになった。

その友人はショートカットでおしゃれな女性で、聞くと音楽事務所に勤めているという。昔はロサンジェルスに暮らすロック少女で、同じレコード店のバイト仲間がその後、モトリー・クルーのメンバーとして成功していたんだと。で、昼間は彼女の勤務先に連れて行ってもらった。そこはサンタナジャーニーの事務所で、彼らのゴールドディスクなどが飾ってあった。彼女のボスのそばには犬がいて(ゴールデンレトリバーだったか?)、アメリカのオフィスはペット同伴できるんだなぁと感心した記憶がある。

夜は彼女のお気に入りのクラブに連れて行ってもらった。なんでも、とても気になる男性がいて、そのクラブのバーテンダーとして働いているのだという。そのおしゃれなクラブは、ちょっとロンドンっぽい雰囲気で、最新のヒット曲が流れていて、彼女によると曜日によって「ゲイの日」があるとのこと。その日は「普通の日」だったけど、サンフランシスコだけあって、ゲイっぽい人たちもちらほら。彼女は私に自分の気になる男性の感想を聞かせてほしいと言う。で、恥ずかしそうに私の背後から、「ほら、あのカウンターの奥にいる人よ」と耳元で教えてくれるのだが、その様子を見て、そばにいた見知らぬ人が私たちに声をかけた。

“Are you in love?”

うっひょ~、私たち、レズビアンのカップルと間違えられたのだ。彼女も、意中の男性がもしかしたらゲイかも知れないと思い、私に感想を求めていたのだけど…さすがサンフランシスコだなぁと妙に感心した。

さて、私のアメリカでの最後の夜、彼女のボスが素敵なシーフードレストランに招待してくれた。彼女と私と彼女のボスとその奥様(?)の4人だったように思う。眺めのいいレストランで夜景を楽しみながら、シーフードを堪能して、私は翌朝、日本行きの飛行機に乗った。(彼女のボスが車で空港まで送ってくれたと思う。)

帰国後、「ああ、楽しい旅だった!」と余韻に浸っていたら、カナダの友人から手紙が来た。(そう、まだインターネットなんてものはなかったのだ。)「サンフランシスコの友達が、厚子のことを心配しているわよ」と。なんでも、彼女もボスも、あの日のシーフードにあたって、翌日は大変なことになったらしい。「厚子は飛行機の上で、お腹を壊して悲惨な思いをしたんじゃないか」と彼女もボスも気の毒がっていたのだとか。

実はその話を聞いてビックリしたのは、私の方。だって、私のお腹はなんともなかったのだから。「美味しかったな~、楽しかったな~」と余韻に浸っていたので、まさかそんなことになっていたとはビックリだった。

それ以来、一度もアメリカには行っていない私。サンフランシスコは、もう一度、行ってみたい!!

*サンフランシスコで通りかかったクラブで前日アズテックカメラのライヴがあったことを知り、「見たかったな~」と思ったことをいまだに思い出す。その後、日本でライヴも見たし、ロディ・フレイムにもインタビューしたけど、今はどうしているのかな。

ハリウッドの思い出(これもシンプルマインズ絡み)

もう30年以上前の私の「アメリカ・カナダを回る大学卒業旅行」の出発点は、ロサンジェルスだった。当時、ロサンジェルスにペンパルがいるにはいたが、それほど親しくなかったので、泊めてもらうことは考えていなかった。その頃、東京に住んでいたユダヤ系アメリカ人の友人(そもそもはユダヤ系カナダ人の友人の紹介で知り合ったのだが)がロサンジェルス出身だったので、ロサンジェルスの友人宅に私が泊めてもらえるよう手配してくれた。私の到着時に空港まで迎えに来てくれると聞いていたのだが、いざ到着してみると、迎えはおらず、しかもスーツケースも出てこない。間違えて別の空港に行ったみたいだから、みつかったら連絡すると言われ、宿泊先の住所を知らせ、航空会社のお泊りセットをもらって、ひとり空港を出た。

宿泊先の住所(ハリウッドのどこか)は持っていたので、そちら方面に行くバスに乗った。大柄の黒人の運転手さんに行き先を言って、それらしいところで降りて、だだっ広い道路を渡り、なんとか目的の家をみつけた。今思うと、よく見つけられたな~と感心するけど、よく考えたら、スーツケースが行方不明になって助かったのだ。もし大きなスーツケースを引きずりながら移動していたら、大変だったはずだし、下手すると泥棒に狙われたかも知れない。(スーツケースはその翌日だったか、航空会社が届けてくれた。間違えてラスベガスまで行っていたらしい。)

到着した家の呼び鈴を押すと、感じのいい小柄の女性が出てきた。空港に迎えに来るはずだった東京の友人の友人は留守で、彼女によると、「彼はいい加減だから…」とのこと。そのシェアハウスには3人の住人がいて、もうひとりはBBC記者のイギリス人で、取材で留守にしている間、彼の部屋を使っていいということだった。赤の他人の部屋を留守中に使っていいのか、少し気が引けたが、趣味のいい居心地のいい部屋で、なんと赤いウォーターベッドがあった。ウォーターベッドに寝るのは初めてで、とても不思議な体験だった。

結局、車もないので、ろくな観光もできず、家でのんびりしていたのだが、共用のトイレにシンプルマインズのボーカル、ジム・カーのモノクロ写真が飾ってあるのを発見。先ほどの女性に、「あのジム・カーの写真、素敵ですね」と話したら、あれは自分が撮影したのだと喜んで話し始めた。彼女はしばらくジム・カーと付き合っていたという。私はシンプルマインズが大好きだったので、興味津々で彼女の話に耳を傾けた。

それをきっかけに私たちは仲良くなり、当時、定職に就いていなかった彼女が車で私をあちこちに案内してくれた。あのハリウッドグリフィス天文台や夜のライヴハウスにも。彼女は戦時中にドイツからアメリカに渡った映画監督のお父さんと、イタリアからアメリカに渡ったお母さんの下、ハリウッド近辺で生まれ育ったそうだ。今でも忘れられないお父さんからの誕生日プレゼントは、ポニーだったという。

その後、彼女は音楽を志してロンドンに渡り、イギリス人の彼と結婚し、今もロンドンに暮らしている。そもそもハリウッドの家を紹介してくれた友人とは、いつのまにか音信不通になったけれど、この彼女と私は今も友達だ。彼女がロンドンに渡って以降、何度もロンドンの家に泊めてもらった。あの時、シンプルマインズの話をしなかったら、この友情も芽生えていなかったかも知れない。

ちなみに、私がハリウッドのその家を離れる時、彼女が私のために大音量でシンプルマインズの曲を流してくれたことが忘れられない。(↓私が一番好きだった曲『さらば夏の日』)


Someone Somewhere in Summertime by Simple Minds
(アルバム『New Gold Dream(81-82-83-84)』も傑作! 邦題も『黄金伝説』と洒落ていた!!)

同性婚をしたアメリカのペンパル

ユーレイルパスでのヨーロッパ旅行に続き、私は大学の卒業旅行としてアメリカ・カナダを回った。今度は航空会社の乗り放題パスを使った。空席があれば、その航空会社のどの便にも乗れるというパスだ。満席の場合は、次の便を待つしかないのだけど。そしてヨーロッパの時と同じように、また高校時代からのペンパルを訪ね歩いたのだが、その中のひとりに同い年のデイサという女性がいた。金髪でブルーの瞳の美しい女性で、かつては南部の大都市で暮らしていたが、その頃には南部の中都市の実家に戻り、母親と継父と暮らしていた。

私は彼女の家に一週間ほど泊まらせてもらったのだが、彼女には年上の親友R(女性)がいて、どこかに出かける時は必ずRも同行した。両親と暮らすRの家にも、しょっちゅう行って、長い時間を過ごした。私はなんの違和感もなく、デイサの家族ともRの家族とも接していたが、今でも悔やんでいることがひとつある。それはRの父親が見せてくれた旧日本兵が持っていた英語の辞典。その辞典をどうやって手に入れたか、経緯も聞いたはずだけど、うろ覚えで思い出せない。とにかく私はその辞典に目を奪われた。そこには万年筆で名前が書かれ、持ち主と思われる日本兵の写真もあったからだ。恐らく戦死したと思われるこの日本兵の家族がこの辞典を見たら、喜ぶに違いない。これは、この人の家族に戻してあげるべきだと思ったけれど、いろいろなアンティークと共にこの辞典を嬉しそうに見せてくれたRの父親に、私はそんなことは言い出せなかった。「この辞典を持ち主に返したい」という言葉が出てこないだろうかと、密かに願っていたのだけど。

私が帰国してしばらくしてから、デイサは大学に入り直し、教師の資格をとった。そして南部の大都市の高校に職を得て、Rと共にその大都市に引っ越して新生活を始めた。デイサは、その後、高校教師の団体の研修旅行で念願の来日を果たし、数日間、京都を訪れた際に我が家にも泊まってくれた。その際、いろいろ話を聞いてみると、南部の大都市でついに家を買い、彼女が住宅ローンを払い、Rが主婦として家を守っているということだった。その時ようやく私は、デイサとRは同性カップルだったのだと確信が持てた。京都の街で偶然出会った知り合いのオーストラリア人が、彼女と英語で会話をしたあと、「彼女の使う語彙などからして、彼女はきっとゲイだね」と私に教えてくれたのだが、彼が一瞬で気づいたことに、私は20年近く気づかなかったのだ!!

現在、アメリカではすべての州で同性婚が認められているそうだが、数年前にデイサとRは正式に結婚した。(とフェイスブックで見た。)デイサは今も高校教師として働き、Rも主婦&アーティストとして暮らしている。デイサの継父は亡くなり、年老いた実母が今では大都市の彼女の家に引っ越して、一緒に暮らしている。女3人の生活、楽しそうだ。

初めてのアメリカ旅行で、デイサと過ごした時間を今しみじみと思い出す。日本好きの彼女が連れて行ってくれた日本レストランが、あまりに日本らしくなくて違和感だらけで苦笑してしまったこと。それから、週末の夜に、デイサとRと3人でドライブインシアターに行ったこと。私はこれを一度やってみたかったのだ。その時に見たのは、アメリカの高校の生徒間カーストを描いた『ブレックファースト・クラブ』。この映画の挿入歌『Don’t You』で、シンプルマインズはアメリカでブレイクすることに…。ああ、なんて懐かしい!!

Don’t you forget about me…


*このシンプルマインズのPVに映画『ブレックファーストクラブ』のシーンが少し出てくる!

おっさんずラブ(私の職場編2)

おっさんずラブ』、最終回、見ました。やっぱりね、という終わり方でしたが、こういう終わりじゃないと納得できないよね、きっと。

最終回でおっさん(部長)が春田の上海転勤についていこうとしていたけれど、実は私のかつての職場でも同じようなことがありました。先日、ブログに書いた最初の職場ではなく、その後の転職先でのこと。ここも外資系だったので、トップはたいてい英語圏の外国人。私が転職した頃、新たなトップが日本に赴任してきたのですが、彼には男性パートナーがいたのです。母国では妻も幼い息子もいたのに、カミングアウトして離婚。東京赴任に際しては、新たな男性パートナーにフライトアテンダントの仕事を休職してもらい、息子さんと3人で来日したと聞きました。ということは、男3人で暮らしていたのか!?

ちなみに、男性パートナーは職場の日本人スタッフのための英語教師として雇われているという話でしたが、実際に英語レッスンをしている気配はなかったような…。「お昼になると、ふたりで向かい合ってサンドイッチとか食べていて、目のやり場に困るわ~」と、ガラス張りのオフィスで働く秘書の方がこぼしておられました。

バブリーな時代の外資系企業だったので、年末には東京湾クルーズをしながらの船上パーティが開かれ、我らがボスは「来年も一緒にがんばりましょう!」と挨拶してシャンペンで乾杯をしたのですが、その後、彼が日本に戻ってくることはありませんでした。年明け早々、会社を辞めたと聞いてびっくり。母国では、別れた妻と子供の親権を争って裁判をしているという話だったので、いろいろと事情があったのでしょうが。

そうそう、最初の丸の内の職場のイギリス人幹部にも、「おっさんずラブ」の人はいたそうです。昔、私が見ていたNHK教育の英会話番組に出ていたイギリス人もそのひとり。そもそもはその会社の東京支店に転勤になったために来日し、日本を気に入ったので、その後、会社を辞めて日本に残ったのだとか。私が働いていた時も、たまにその人がオフィスに姿を見せることがあり、「あ、テレビで見ていた、あの人だ!」と懐かしかったのですが、歩く姿がまさに「オネエ」そのものでびっくり。テレビでは座ってお話するだけだから、わからなかったのでした。

それから、イギリスの本社からやってきたお偉いさんも「おっさんずラブ」でした。当時80代くらいのご高齢で、帝国ホテルから丸の内のオフィスまでリムジンで乗り付けて、そばには若い金髪の美青年が付き人として寄り添っていました。英国映画『アナザーカントリー』を見てコリン・ファースのファンになった私は、パブリックスクール後の「おっさんずラブ」の世界を垣間見た気分でした。

意外と多い「おっさんずラブ」。海外では特に、よくあることなのかも知れません。

おっさんずラブ(私の職場編)

昨夜、帰宅した夫が「『おっさんずラブ』がクランクアップしたらしいね」と言うので、「きょうラジオで2回も『おっさんずラブ』の話題が出てたよ。すごい人気なんだね」と答えたら、夫の職場の女性陣の間でも話題沸騰なのだとか。クランクアップのニュースをその時は聞き流してしまった私。その直後に、このドラマを薦めてくれた友人から「今週の土曜日が最終回だから」と聞いて、が~ん。私はこのドラマの大部分を見逃しているということではないか!!

ところで、この『おっさんずラブ』は現実にはなかなか遭遇しないシュールな物語だから、面白いのだろうか!? それともLGBTの存在も認知され、権利も認められつつある現在だからこそ、受け入れられているのだろうか!?

そこで思い出すのが、私が大学を卒業して最初に就職した英国系の会社。オフィスは丸の内のど真ん中だった。(そう、私は丸の内のOLだったのだ!)壁にはエリザベス女王の肖像画が飾られ、制服はないけれど、女性社員はスカート着用を決められていて、外資系にしては古臭い、大英帝国の名残のような会社だった。幹部のイギリス人も、いかにもイギリス紳士という雰囲気の方が多かったように思う。

それでも、そこはやはり外資系。私がそこに就職を決めたのは、イギリス人との面接の際に「東京でひとり暮らし」をしている点を、「インディペンデントでよろしい」と評価してくれたからだ。当時は、特に大企業などの就職に際して、女性は親元に暮らしていなければダメという条件がついたりしていたのだ。

実際に就職してみると、その会社は外資系とはいえ、昔ながらののんびりした日本の中小企業の雰囲気が漂っていた。「外資系」と聞いて想像する「バリバリ感」のない会社で、先輩方も厳しい人はほとんど皆無。私にとっては居心地がよかった。そんな職場で、特に目を引く男性社員がいた。てきぱきと仕事をしていて、年は私よりだいぶ上と思われるけれど、役職はなく、いつも明るく大きな高めの声で話していて、それがまた女性言葉だったのだ。服装もほかの男性陣と違い、チェック柄のシャツやブレザージャケットだったり。女性の中にひとり混じっても、まったく違和感ない存在で、しかも男性から嫌がられることもなく、みんなのアイドル的な存在だった。先輩女性によると、彼は歌手を目指して上京し、デビュー直前までいったものの夢破れ(?)、会社員生活をしているのだという。ずっと前から歌舞伎町に暮らし、自宅に遊びに行った彼女によると、部屋の中にはスポットライトが設置してあるのだとか。

その彼の歌う姿、一度見てみたいと思っていたら、その機会はちゃんとあった。外資系にも関わらず、毎年行われる社員旅行の宴会のトリは彼が務めることに決まっていたのだ。そのため、社員旅行の幹事には毎年、「スポットライトのある舞台付きの宴会場」がある旅館を選ぶよう申し送りがされていた。旅行当日は、入念な化粧をして、歌舞伎町のゲイバー勤めのお友達から借りたという衣装を着て、彼はステージに立って熱唱した。スポットライトを浴びて。

それを見て、私たちの上司であるイギリス人のおっさんたちは、酔っ払って、浴衣をはだけただらしない姿で、紙テープ(←死語?)の代わりにトイレットペーパーを投げたりして、大喜びするのであった。普段はスーツをかっちり着ているイギリス紳士の豹変ぶりも、これまた見物だった。

いま思うと、かなり楽しい職場だったなぁとしみじみ。『おっさんずラブ』、最終回、楽しみだ。

『おっさんずラブ』ってほんとに人気なのね

私の尊敬する友人がいる。芸術に造詣が深い人なのだが、幅広い教養があり、驚くべきは「なんだそれ?」というくだらない知識も豊富なのだ。漫画も詳しいようだけど、「いったいどこにそんな時間があるのだ?」と思うほど、数々の海外ドラマも見ている。海外ドラマ好きの私は、彼女のお薦め情報を参考にすることが多い。

その彼女と先週、話した際に、「おっさんずラブ、今期、地上波でイチオシよ」と言われたので、早速録画してみた。テロ朝、あ、失礼、テレ朝の土曜ナイトドラマらしい。先週の土曜はすでに第6回。「こんな途中から見ても、面白いかなぁ…!?」と一抹の不安を覚え、なんとなく後回しにしていて、昨夜ようやく見てみたのだが…。

面白かった、ほんとに。笑えた、笑えた。「気持ち悪い!」とか言いながら。しかも、おホモ系は嫌いなはずの夫も、パソコンに向かっていたはずなのに、笑っていた。さすが、友人のお薦めだ。日本のドラマでこんなに楽しめたのは、久しぶりだわ。

で、今朝、車を定期点検に持っていき、代車で帰宅したのだが、FMがセットしてあったので、普段は聞かないFMをそのまま流していたら、「おっさんずラブ」が話題にのぼっていた。「へぇ~、やっぱり人気なんだ~」と感心。

そして午後、代車で再びカーディーラーに向かったら、またもFMで「おっさんずラブ」の話をしていた。「いやぁ、ほんとうに人気なんだ」と納得。もちろん、私も毎週録画にしておりますよ。ふふふ。

*ちなみに牧稜太役の林遣都君は比叡山高校出身だ!

NCISはファミリードラマ

我が家は昔から、基本的に朝ご飯と晩ご飯は家族3人で食べている。子供が中学に入って以降だろうか、いつのまにか夕飯時には、録画している1時間ドラマを一緒に見るのが習慣となっているのだが、3人共通で楽しめる英米のドラマを見ることが多い。今まで我が家で人気だったのは、『BONES』、『ホワイトカラー』、『スーツ』(ハリー王子と結婚したメーガン・マークルも出演)、『シャーロック』など。最近では『ツインピークス』や『スニッファー ウクライナの私立探偵』が好評だった。

けれど、我が家でダントツの人気ドラマシリーズといえば、『NCIS~ネイビー犯罪捜査班~』。アメリカ、ワシントンDCにある海軍犯罪捜査局を舞台とした一話完結のクライムドラマ。私はそんなに入れ込むほどではなく、夫と息子がえらく気に入っていて、なにがそこまでいいのだろうとずっと思っていたのだが…。

最近になって久しぶりにまた『NCIS』を見始めたところ、遠くにいた家族に再会したような喜びで妙に心が温かくなり、私もかなり『NCIS』にやられていることを実感。FOXで現在、シーズン15を放送中だが、我が家はまだシーズン14を見ている最中。ずっと前に録画してそのままになっていたものを、満を持して毎晩、3人で鑑賞しているのだ。

シーズン14ともなると、私たち、視聴者にとっても番組のキャラクターは長年、付き合ってきた友人のような存在になっている。そもそも、ボスのギブスを中心とした捜査班は「チーム」というより「ファミリー」なのだ。(実際、ドラマのセリフでもファミリーと言っている。)それぞれ個性のあるキャラたちの過去のトラウマなども、ファミリーは(そして視聴者も)知り尽くしていて、その都度、互いに助け合い、絆を深めていく。だから、視聴者にとっても彼らは愛おしいファミリーのような存在になっているのだ。

もちろん、長年の間にはメンバーの移り変わりもあるので、いくつもの別れや悲しい出来事もある。さらに、毎回、悲惨な事件が起こるのに、それでも最後にはジョークを言ったり、おちゃらけてしまうアメリカ的な明るさに救われることも多い。「なんだかんだ言って、アメリカ人って明るくて強いな~、前向きだな~」と感心する。

そしてもうひとつ感心するのは、このドラマがある意味、海軍の宣伝番組にもなっていること。軍関連の制度やサービスなどの広報、あるいは一般的な啓蒙を兼ねた内容になっていたり、クリスマスやその他の折に触れて、「国のために戦っている皆さん」への感謝のメッセージを発信している。日本人である私はその都度、新鮮な感動を覚えるのだが、よく考えればこれ、当たり前のことなのだろう。

ロシアでは5月9日の戦勝記念日がもっとも重要な祝日で、若者が第二次世界大戦を経験したお年寄りたちに、「国のために戦ってくれてありがとう」とお礼を言うと聞いたことがある。ひるがえって日本はどうなのか…考えさせらる。

Once a Marine, Always a Marine.


↑これは琵琶湖のクルーズ船

*関連記事『NCIS~ネイビー犯罪捜査班

今森光彦『オーレリアンの庭』のシンクロニシティ

いつもは5時半起きだけど、きょうはお休みなので朝寝坊した。朝食の用意をしてテレビをつけたら、NHK今森光彦氏の『オーレリアンの庭』という番組が始まり、その心癒される映像に魅せられ、ずっと見入ってしまった。

今森光彦氏は、琵琶湖を臨む里山にアトリエを構える写真家として有名だ。そのアトリエは、たぶん私の大好きなドライブコースのあの辺りにあるんだろうな~と前から思っていたのだが、この番組ではそのアトリエを囲むお庭の四季をあますことなく見せてくれた。『オーレリアン』とは『蝶を愛する人』という意味だとか。今森氏は大好きな(やその他のいきもの)が集まるよう、庭にいろんな工夫を施している。番組の中では特に黒いアゲハチョウが舞っているシーンが印象的だった。

今森氏があちこちに手を入れて作った里山の環境…自然の色彩があまりに美しくて、心が癒されたのだが、その後、ふと外を見たら、我が家の庭にも黒いアゲハチョウが舞っているではないか!! 今年、黒アゲハを見るのは初めてだったので、思わず外に出て写真を撮っていたら、もう一羽、黒アゲハが飛んできた。それから白い蝶も! なんだか嬉しいシンクロニシティ!!

草ぼうぼうになってしまった我が家の庭も、自然のままだからこそ(!?)いろんな生き物が来てくれるのか!? 私も心癒すお庭を作りたいものだわ。