シリア、ダマスカスのおじさま、その後

今朝、アメリカがシリアのダマスカス近辺をミサイル攻撃したというニュースが流れた。日本のテレビでは映像ニュースがまったくなかったので、すぐにCNNにチャンネルを合わせた。(残念ながら、うちはBBCが入らないのだ。)夜空にミサイルが飛んでいく映像が流れていた。

シリアのおじさまに連絡をすると、こちらのお昼過ぎに返信があった。今回の攻撃は限定的なもののようだが、夜中に雷のような音で目が覚めたという。ミサイル攻撃とわかり、家族が脅えて泣きながら神に祈っていたとも。

おじさまは政治的なことは一切、口にされないが、立場上、現政権側の人であろう。そうでなければ、今もダマスカスに暮らしていないだろうと思うのだが、詳しいことはわからない。高齢になって、自分の国が7年も内戦のような状態にあって、荒廃していく様子を目の当たりにするのは、さぞかし辛いことだろうと思う。この先の希望がまったく見えないのだから。

シリアの歴史も現在までの状況もほとんど知らない若輩者の私には、おじさまにかけるべき言葉もない。以前、「日本も敗戦時には荒れ野原だったのが、こんな風に復興したのだから、シリアも大丈夫です!」と話したら、おじさまはこう言った。「日本は、全国民が一丸となって復興に頑張ったでしょう? シリアの一番悲しいところは、国民同士が戦っていることなんです」と。

私はまたも言葉を失った。本当に、それでは希望のかけらもないではないか。さらに、そこにいくつもの外国勢力がそれぞれに思惑を持って入り込んでくるのだから、もうぐちゃぐちゃで収拾がつくわけがないという…。

それでも人生に絶望することなく、イスラム教徒としての篤い信仰心を持って、シリアに暮らし続けるおじさまには畏怖の念しかない。信仰の力って、すごいんだなぁ。

日本に生まれた幸運に感謝しつつも、私も含め、今の日本人は平和ボケしすぎてないか…?とちょっと心配。
こちらは吉野山の桜。↓

シリアも春の兆し(でもちょっと絶望的?)

ようやく暖かくなってきた。本当に久しぶりに庭の草むしりをしたら、桜が咲いていた!(実のなる桜で、いつも開花が早いのだ。)今年初めてのウグイスの鳴き声も聞こえたような・・・。

春の兆しに嬉しくなり、シリアのおじさまに写真を送ったら、シリアも花が咲いているよと写真が送られてきた。↓
とはいえ春が訪れても、平和が訪れる兆しはなく、いつまで耐え忍べばいいのだろうとおじさまは嘆く。
しかも雨はもう長いこと、一滴も降っていないそうだ。
それでもおじさまは神を信じて、祈り続けるのみ。
私にも祈ることしかできないけれど。

国際女性デー(アエロフロートの思い出)

日本では馴染みがないけれど、3月8日国際女性デー。今朝のニュースで、ロシアでは多くの男性がこの日、女性に花を送ると解説していた。そういえば、私がこの日を初めて知ったのもソ連がらみだった。それは、ソ連崩壊直前の80年代終わりにパリに留学していたときのこと。

東京の会社を辞めて正式に留学する前に、準備のためにパリに行った際、私は初めてアエロフロートを利用した。自分で貯めたお金で留学するので、少しでも渡航費を節約するためだ。アエロフロートは北回り(だから早く着く)の中では一番安かったのだ。けれど、実際に乗ってみて驚いた。椅子が壊れていたり、機内食はアルミの食器で見た目も味も昔の給食のようだったり。(アイスクリームだけは、とっても美味しかったけど!)一番びっくりしたのは、モスクワで一度、飛行機を下りて再搭乗したら、自由席になっていたこと!!(要は早い者勝ち!)

パリから東京に帰る便では、いかつい大柄なロシア人男性グループの中にぽつんと座るはめになった。幸い隣の男性は、そのグループの中でも小柄な方だったので、さほど窮屈ではなかったけれど、そこら中の空気がなんだか男臭いし、みんな見た目も怖くて、とんでもない席になってしまったなぁ~と思っていた。ところが隣の男性は、とてもフレンドリーで、片言の英語でいろいろと話しかけてきて、私を女王様のように扱うほど異常に親切だった。実はその一団は、ソビエトのナショナルラグビーチームで、フランスに遠征していたのだという。

当時はゴルバチョフ大統領の時代で、彼は「グラスノスチはいいが、ペレストロイカはダメだ」と言っていた。彼自身はグルジア人で(いまはジョージア人と言うのか?)、ジョージア旧グルジア)とモスクワに家があり、ロシア人は嫌いだと言っていた。そして日本のことをいろいろと聞いてきた。

飛行機がモスクワに近づくと、彼は私にモスクワの家に泊まっていけという(ちなみに彼は既婚者)。「ビザがないから無理」と答えると、「なんとかなる」と言い張っていたが、「とにかく無理」と言うとお別れにキャビアをくれた。飛行機を降りる際に、手荷物としてタバコ(マルボロだったと思う)をたくさん持っていて、「これは空港の職員のため」と言っていたから、それで何か便宜をはかってもらったのだろうか!?(もしかしたら、ビザも本当になんとかなったのかも知れない。)

その後、彼のことは忘れていたが、正式に留学してパリでの生活が落ち着いた頃、東京の元同僚から連絡があった。私宛てにモスクワから電話がかかってきたので、パリの連絡先を知らせたというのだ。電話の主は、あのグルジアのラグビー選手以外に考えられない。連絡先を教えてくれというから当時の名刺を渡したのだが、本当に東京に電話していたとは!!

それから一度、手紙が届いたような気がするが、その後、彼はパリの私に電話をしてきた。しかし片言の英語なので、会話も一苦労。事前の手紙にも書いてあったのだが、彼のおばさんがフランスに渡航できるよう、招待状を書いてほしいと言っているようだった。ソ連の人が海外に行く場合、相手国の受け入れ先からの招待状がないとビザを取得できないらしい。「私が日本にいる時であれば、日本への招待状を書くけれど、私はフランスに来たばかりで、ここでは外国人なので、申し訳ないけれど、あなたのおばさんの保証人にはなれない」と返事をしたのだが、彼にちゃんと伝わったかはわからない。電話をしてくるぐらいだから、けっこう焦っている気配だった。今思えば、崩壊前のソ連を脱出するルートを確保したかったのだろうと思う。彼自身はナショナルチームの選手として海外に出ることは可能だったろうけど、ほかの家族のために。

助けてあげられなくて心苦しかったけれど、私自身もフランスでの生活がおぼつかない状況だった。しかも電話の最中に、突然、オペレーターが出てきて途中で通話が途切れたり、なんだか怖くなったのだ。あとで日本人の友人から、「フランスに来たばかりなのに、モスクワから電話がかかってきたりして、スパイだと思われるよ!?」と怖い冗談を言われたくらいだ。

それからだいぶ時間が過ぎたある朝早く(6時前後だったか)電話が鳴った。「フランステレコムですが、あなた宛にモスクワから電報が届いていますので、とりあえず電文を読み上げます。ただし私はロシア語がわからないので、スペルアウトします」と言われ、びっくり。「いや、私だってロシア語、わからないよ…」と思いながら聞き流し、電話を切った。その2時間後くらいに、実際の電報が届いたが、何が書いてあるのかわからない。差出人はあのグルジア人のラグビー選手だ。

手紙ではなく電報ということは、何か重要なことに違いないと思い、私は近所のロシア語専門書店を訪ねてみた。(そう、パリにはそんなお店があるのだ!)下手なフランス語で、「こんにちは。ロシア語の電報が届いたのですが、ロシア語がわからないので、意味を教えてもらえませんか?」と尋ねると、店主はすぐに電報を見て説明してくれた。「女性の日、おめでとう」と書いてあると。「え、なんじゃ、それ!?」とびっくりする私に、店主は3月8日は女性の日なのだと教えてくれた。

ええ~、なんだか拍子抜け! それを言うためだけに電報を送ってきたとは!!(これでは公安に、何かの暗号と思われるではないか!!)
確かその後、バラ模様のカードも届いたので、もしかしたらカードが3月8日に間に合わないからと、電報を打ってくれたのだろうか!?
結局、彼とは音信不通になってしまったが、1991年末にソ連が崩壊してから、どうなったのだろうと、国際女性デーがくるたびに思い出す。

リュクサンブール公園追記ー私の妄想

リュクサンブール公園で「走るダニエル・デイ=ルイス」に遭遇したとき、私と一緒にいたのはフランス企業に入社したばかりの若いイギリス人だった。といっても彼は東欧系移民2世で、出身国の言葉も堪能だったようだ。オックスフォード大学出身の長身のエリートで、アルマーニのスーツはこういう人が着てこそ、映えるのだなぁと感心したものだ。でも中味は新卒ほやほやで、まだまだ若いなぁ青いなぁと、すでに20代後半だった私は微笑ましく思っていた。職場のイギリス人チームのほかのメンバーからは「若いくせに生意気だ」と嫌われていたけど、「移民」目線のある彼は、ほかのイギリス人にはないシンパシーを東洋人である私に示してくれていたので、私はけっこう仲良くしていたのだ。親しくなって、いろいろ話をしてみると、理系のインテリのくせに実は予知夢など、けっこうスピリチュアルな体験をいくつもしていたのでビックリ。人って、わからないものだ。

オックスフォードでは、彼が在籍していたカレッジに秋篠宮様が留学されたので、当時はカレッジのパーティなどでご一緒したらしい。「Prince Ayaはとてもいい人だったよ」と話していた。同じくオックスフォード在学中に、MI6にスカウトされたこともあると話していた。東欧の言語ができるエリートだから、目をつけられたのだろう。

そんな彼とは、日本に帰国直後は連絡をとっていたのだが、いつのまにか互いに音信不通になった。彼に限らず、留学時代の多くの知り合いとはしばらくの間、疎遠になっていたのだが、SNSが普及するようになって昔の知り合いとネット上で再会することが多くなった。フランス企業のイギリス人チームのメンバーとも、滅多に連絡を取り合うわけではないが、お互いにどこにいて、何をしているかくらいはわかっているので、何かあれば連絡はとれる状態だ。ところが、この東欧系の彼だけは、ネットで検索しても、一切みつからない。どのSNSでも、みつからない。東欧系の珍しい名前なので、本名を名乗っていればすぐにみつかりそうなのだが、みつからない。

もしかして、名前を変えたのだろうか!? でも、両親の母国を誇りに思っていた彼が、わざわざ本名を変えるだろうか!? もし変えるとすれば、素性を隠して別人にならなくてはいけない、なんらかの任務を負っているのだろうか!? たとえば、MI6の諜報員として…!? 
と、私の妄想は広がるのでした。

でも本当に、どこに消えたんだろう・・・!?

*スパイといえば、ケンブリッジ・ファイヴガイ・バージェスをモデルにした『アナザー・カントリー』を思い出すけど、AXNミステリーで見た『ケンブリッジ・スパイ』も面白かった! マギー・スミスの息子、トビー・スティーブンスキム・フィルビー役だ!

リュクサンブール公園にダニエル・デイ=ルイス

あのあとイポリット・ジラルドについて調べていたら、広島を拠点に活動している諏訪敦彦氏と『ユキとニナ』(2009年)という作品を共同監督していた。イッポ広島と繋がっていたなんて…。

で、昨日の続き。話は学生時代に遡る。英米のバンドの来日公演を見たい一心で広島から東京の大学に進学した私は、洋楽好きの広島時代の同級生と一緒によくコンサートを観に行った。そのうち同じく洋楽好きの彼女の友人とも知り合い、音楽の趣味が似ていたので、何度かコンサートに一緒に行った。私も彼女も、Depeche Modeが大好きだったのだ。

その後、私がパリ行きを準備していた頃、彼女もヨーロッパを一ヶ月ほど旅行する予定と聞いて、「パリで会えたらいいね」なんて話していた。それからしばらくして、ようやくパリに落ち着いた私は広島時代の同級生に新たな連絡先を知らせたが、Depeche Mode好きの友人はすでに旅立っていて、私の連絡先を渡せなかったと返信があり、パリでの再会は夢と消えた。

と思っていたのだが、ある日、日本人の友人とリュクサンブール公園を散歩していたら、後ろから「厚子ちゃん?」と声をかけられ、振り向いたらDepeche Mode好きの友人が立っていたのだ! 結局、うちに泊まってもらい、何日か楽しく過ごし、友情を深めることになった。

その後、私は留学先のカリキュラムの一環で、インターンシップとしてフランス企業にしばらく勤務した。フランス語が不自由なせいもあって、イギリス人チームの中で働いていたのだが、ある日、その同僚のひとりとリュクサンブール公園を散歩していたら、目の前を長髪のダニエル・デイ=ルイスが走って行った。それも猛スピードで。わりと寒い時期だったように記憶しているが、確かランニングシャツだったと思う。(一瞬のことで、自信はないけど。)

ダニエル・デイ=ルイス!?」と思わず声を出したら、私の性格をわかった上でか、「落ち着いて。彼に声をかけないように」と同僚は私を制した。実際にはあっという間に走り抜けていったので、声をかける間もなかったのだけど、しばらくすると再び猛スピードでダニエル・デイ=ルイスが現れ、長い髪をなびかせて走り去った。「なんなんだ、これは!?」と思いながら、散歩の間、何度も走るダニエル・デイ=ルイスを見た。当時はイザベル・アジャーニと付き合っていると聞いていたから、パリにいるのは不思議じゃないけど、なぜあんなに髪を伸ばし、しかも猛スピードで走り続けていたのか、不思議だった。

帰国後、ダニエル・デイ=ルイス主演の新作映画を観に行って、その謎は解けた。新作のタイトルは、『ラスト・オブ・モヒカン』。この中で長髪のダニエル・デイ=ルイスが猛スピードで走っていたのだ!! リュクサンブール公園でもモヒカン族になりきって(!?)走っていたとは!!! 噂通りの徹底した役作りに取り組んでいたんだなぁ。

*ちなみに日本では今年5月公開予定の『ファントム・スレッド』で、ダニエル・デイ=ルイスは俳優を引退するそうです。

映画『愛さずにいられない(un monde sans pitié)』日本語字幕版放送キボンヌ(←死語!?)

1989年、フランス語もわからないのにパリに渡った私が、フランス語がわからないまま映画館で見たフランス映画エリック・ロシャン監督
の『愛さずにいられない(un monde sans pitié)』。そこら中にこの映画のポスターが貼ってあって、それで見たくなったんだっけ!? アパルトマンの近くには映画館がいくつもあって、週末になると夜遅くまで上映していたので、言葉がわからなくても映画はたまに見に行っていたのだ。田中好子主演の『黒い雨』や、江戸川乱歩原作の『屋根裏の散歩者』も、近所の映画館で見た。たぶん日本にいたら、見ることはなかったかも知れない。

で、この映画。イポリット・ジラルド演じるチンピラのようなチャラ男、イッポが彼とは住む世界が違うインテリ女性に惚れてしまうという恋愛ドラマ。イッポみたいな男は好みのタイプではないし、現実世界ではけっこうムカつくキャラだと思うけど、俳優さんの魅力のせいなのか(!?)、なんとなく目が離せなくて、キザな振る舞いもプッと笑えてしまう。フランス語はわからなくても、パリの街と、めくるめく恋の空気が感じられるだけで、うきうきしてしまう映画だった。

妙に気に入って、しかも内容をきちんと知りたかったので、帰国後に日本の映画館に再度、観に行ったように思う。ビデオも持っていたはずだけど、何年も前にビデオやレーザーディスクはすべて処分してしまった。その後、この映画のことを思い出し、もう一度観たいと調べたけれど、残念ながらDVD化はされていないようだ。YouTubeにはオリジナル版がアップロードされているが(これ違法!?)、私は日本語字幕版をもう一度観たい!! DVD化は無理でも、どこかの有料映画専門チャンネル放送してくれることを切に願う!!

といっても、正直言えば、私にとって、この映画の内容はたいして問題ではなかったのだ。私が何度も思い出すのは、パンテオンがどか~んと映るところから始まるオープニングのシーン。パンテオンからリュクサンブール公園近くのカフェ(Le Rostand)が映り、イッポが闊歩する通りもなんとなく見覚えがあるような気がして…まさに私の生活圏が舞台だったので、忘れられない作品だったのだ。

オデオンからリュクサンブール公園方面に向かう途中に、(たぶん)ベトナム華僑が経営する安くておいしい中華屋さんがあり、そこでセットメニューを食べるのが、映画館に行くのと同じくらい当時の私にとってはささやかな楽しみだった。スープは必ず酸辣湯。ああ、あの酸辣湯をもう一度、食べてみたい!
おしゃれな映画から中華の話になってしまったけど、次回はリュクサンブール公園の思い出について書こうと思う。
(*ちなみに2010年7月5日の日記でも、このお店に触れている。)

ちなみに、もうひとつ、この映画で忘れられないシーンがある。イッポと彼女が、夜、窓からエッフェル塔を眺めていて、イッポが指を鳴らすと、エッフェル塔の灯りが消えるという・・・。ね、キザでしょ!? 笑っちゃうでしょ!? でも、そこがいいんだなぁ、不思議なことに。ああ、イッポ、現在、62歳。どっひゃ~。

ダマスカス(シリア)のおじさま

私が入院するほどのストレスを感じていた外での一年間の仕事も悪いことだけではなかった。上司には恵まれなかったけど、いい出会いもいくつかあったからだ。中でも、一番インパクトがあったのが、シリアのおじさまだ。内戦中の国で、一応、安全と思われる地域にお住まいのようだが、それでも財産の多くを失い、この先どうなるかわからない状況の中、希望を失わず、国の平和のために祈り続けていらっしゃる。英国の大学で学ばれたので英語ができるのはもちろんだが、高齢にも関わらず、デジタル機器を駆使して、メールやメッセージアプリで連絡をくださる。本来であれば、用件のみのメールのやりとりだけで終わるはずが、一言、二言の雑談的なフレーズが加わるようになり、いつのまにかお互いに親しみを感じていた。まるで父と娘のような感じで。

おじさまは、個人的な話やシリアの状況についても教えてくださるけれど、政治的な発言は一切なし。そして、しばしばコーランの言葉を引用して、絶えず神に祈っている。お陰で私はリアルなイスラムの世界を、初めて垣間見ている気分。イスラムの祈りの歌のビデオを見せてもらったり、メッセージアプリのお陰で、日本にいながら異文化体験ができる!

仕事上の関係はもうないにも関わらず、今も時々メッセージを送ってくださるおじさま。私が入院したときも、心配して、何度もメッセージをくださった。日本にいらしたときには、ナッツとクッキーと、それからドレスをお土産に持って来てくださった。ただでさえ大変なときに、わざわざこんなにたくさんのお土産を・・・と言葉もなかった。

ここしばらく、シリアでは雨も雪もほとんど降らず、このままでは干ばつとなり、作物も収穫できないのではないかと心配されているそうだ。日本では降雪量が多すぎて逆に大変なことになっているというのに。うまい具合に、雪雲・雨雲が散らばってくれたらいいのに・・・。
おじさまは、きょうも神に祈っているはずだ。

いまの私の夢のひとつは、シリアまでおじさまに会いに行くこと。おじさまが元気なうちにシリアが平和になることを、私も切に祈っている。

字幕か吹替か

前にも書いたけど、私は海外のドラマや映画は基本的に字幕版を見る。ドラマの中でセリフはとっても大事なものだからこそ、その国の景色の中で、その国の人物が演じる物語のセリフは、その国の言語で聞きたい。たとえまったく知らない言語でも。その響きを聞くだけで、その国のイメージが出来上がるし、俳優さんたちの声の使い方も演技の一部だし。

子供の頃は、テレビで吹替えの海外ドラマや映画を当たり前のように見ていて、声優に憧れたこともあった。アラン・ドロンといえば野沢那智野沢直子が姪だったとは、つい最近まで知らなかった!)で、クリント・イーストウッドといえば山田康雄という時代だったし。

ところが大きくなって、映画館で字幕版の洋画を見るようになると、「え!? この人、本当はこんな声だったの!?」と、声(と言語)の違いで俳優さんのイメージが激変することに驚いた。それに吹替えだと、どうしてもわざとらしい日本語にならざるを得ない部分もあるから、言葉の意味はわからなくてもオリジナルバージョンの方が自然に聞こえる。ただ、日本語字幕を読まないと物語を追えないので、画面に集中できないというデメリットもある。吹替え吹替えで、確立された文化だと思うので、否定するつもりもない。

そういえば東京で働いていた頃の同僚に、子供の頃、有名な海外ドラマの吹替えをやっていた人がいた。もちろん私も見ていたドラマだったので、最初の頃は彼女の声を聞くと不思議な気分だったが、彼女の方がドラマの女優さんよりずっと美人だったことにも驚いた。

ところで学生時代にヨーロッパ旅行をした際に、スカンジナビアやオランダの人たちは英語がとっても上手なのに、それに比べてドイツの人たちはいまひとつであることに気づいたのだけど、その違いはもしかして字幕かも!?と思ったのだ。スカンジナビアやオランダでは、英米のドラマが字幕で放送されていたのに、ドイツでは吹替えだったのだ。映画館でも吹替えが多かったように思う。

ドラマや映画で外国語が勉強できたら楽しいし、まさに一石二鳥。私もいまだに英米のドラマを見るときは、無意識のうちに英語を聞き取ろうと一生懸命、見入って聞き入ってしまう。

それになんと言っても、俳優さんに惚れ込むときって、見た目もあるけど、それ以上に重要なのは「」。私の場合は、コリン・ファースに始まり、最近ではベネディクト・カンバーバッチマシュー・マクファディン。あれ!?全部イギリス人。確かに低くて深みのある声の俳優さんが多いし、イギリス英語の響きを聞いているだけで、なぜかうっとりしてしまう。これは単に、イギリス英語が好きというだけか!? でも私だけじゃない! イギリス英語に憧れるアメリカ人って、かなり多いと思う。英語の本家だものね。

「ブルジン」ってなに?(「ブルゾンちえみ」ではない!)

昨日の続きで、東京でバリバリ働いていた20代の頃の話をもうひとつ。

当時、私は英国系企業の東京支社に勤務していて、社内にはイギリス人が何人もいた。その中に、ハゲ・チビ・デブの3拍子が揃った愛らしいスコットランド人のおじさまがいて、社内で人気だった。スコットランド好きの私も、もちろん彼のものすご~いスコットランド訛りを聞くのが楽しみだった。他のイギリス人は、たいていエリート面して、ツンとしたタイプが多いのに、彼はとっても気さくな田舎のおじさんそのもので、相手が部長だろうが平社員だろうが清掃員だろうが、みんなに同じように「おはよう!元気?」と声をかけていた。しかも、ほかのイギリス人よりも早く出社してきて、社内を隈なく見て回る、気配りの人であった。彼はいわゆるエリートではなく(エリートなら、あれほど強い訛りはないだろう)、叩き上げでここまで出世した人だと聞いて納得。この会社に入って以降、旧大英帝国の植民地を転々としてきたらしい。しかし、海外生活がこうも長くても、きついスコットランド訛りはそのままというのは、彼にとってスコットランド訛りは、「訛り」ではなく「誇り」だったのだろう。

彼の訛りはほんとにすごくて、普段はイギリス人上司と問題なく会話している同僚たちが、戸惑うこともしばしば。たとえば、「purpose」が「パルポス」としか聞こえない。一度、会社のパーティにキルト姿で登場した際に、「どういう時にキルトを着るのですか?」と訊かれ、いくつか祝日や記念日を挙げてくれたのだが、最後に「ロベルト・ブルンズの誕生日」と言った際には、吹き出しそうになった。カタカナではイントネーションが表わせないのが残念だが、彼が言っていたのは、スコットランドの国民的詩人、「ロバート・バーンズ」。

そしてある時、会社主催の打ち上げパーティが開催されることになった。女の子大好きのそのおじさまは、当日の昼間、私たちのところにやってきて、「ハウ・メニ・ゲロズ・アー・カミン?」と訊いた。つまり、「How many girls are coming?」 思わず、「ワシらはゲロか!?」と突っ込みたくなった。で、その夜のパーティで、私はおじさまと同じテーブルだったのだが、別のテーブルでは普段は上品で神経質な若いイギリス人が、お酒のせいで顔を紅潮させて、ウェイトレスの女の子に絡んでいた。彼が何か変なことを言ったらしく、回りの人たちがたしなめていたので、私の隣にいた同僚が、「なんて言ったんでしょうね?」と訊くと、スコットランド人のおじさまが「彼女にブルジンかどうか訊いたんだよ」と答えた。同僚が「え?」と聞き返すと、おじさまは「ブルジンかどうか」と繰り返した。それでも同僚がぽか~んとしていると、おじさまが「彼はブルジンも知らないのか。なんと純粋な青年だ!」と笑ったので、同僚は私に真顔で尋ねた。

鳩胸さん、ブルジンってなに?

「だから~、バージンかどうかって訊いたんですよ!」と、私まで赤面するはめに。それくらいすごいスコットランド訛り、懐かしく思い出す。ちなみに、このあと、おじさまは帝国ホテルのレインボーラウンジ(今もあるのかな?)に連れて行ってくれたり、実はロバート・バーンズと同じくフリーメイソンだったり、ただの田舎のおじさんではなかったのだ。真冬の六本木も、全然寒くないと言って、コートなしのスーツ姿で闊歩していたし。

まさに80年代バブリーな私の「ブルゾンちえみ時代」の思い出だ。

スポットライトー世紀のスクープー

この間の連休中に夫と久しぶりに映画館に行こうという話になり、『スポットライトー世紀のスクープ』を見てきた。今年のアカデミー賞の作品賞と脚本賞を獲得した作品。カトリック教会の神父たちが長年にわたって子供たちを性的虐待していた事実を、アメリカの地方紙ボストン・グローブ紙が暴くという実際の出来事を映画化したものだ。

よく出来た映画ではあったが、ストーリー自体はすでに明白だし、華やかな出演者がいるわけでもなく、ものすごいスリルがあるわけでもなく、高揚感がわきおこるでもなく、いたって地味な作品であった。マイケル・キートンといえば、個人的には『ビートルジュース』のイメージが強かったが、近年は次々とシリアスな作品で頑張っているのだなぁと感心した。

禁欲を強いられる神父様の中に、このような行為に走る人がいることは容易に想像がつくような気がするが、それは非キリスト教世界の視点であって、キリスト教世界の人にとっては受け入れ難い衝撃的な事実なのだろうか。カトリック国ではないアメリカにおいてですら、事実の暴露を阻止する巨大な圧力が働いていたのだ。欧米社会におけるカトリック教会の存在の大きさを、改めて実感した。

ところで、私はカトリック系の学校に何年も通ったのだが、今でも思い出す神父様のお話がある。ヨーロッパ出身のその神父様は若い頃に日本に赴任して、以後、半世紀を過ごし、いつも流暢な日本語でお話されていた。
「自分は皆さんの年齢の倍の年月を日本で過ごしてきました。私には子供はいませんが、皆さんが私の子供のような存在です。」
そこまで言うと、神父様は一瞬、黙って考えるような表情を見せ、「私には子供はいないと確信していますよ。保証はできませんけど」とニヤッと笑ったのだ。

私は、その正しい日本語の使い方に感心すると同時に、意外な人間的側面の発露に、なんてチャーミングな神父様だろうと思ったのだが、今にして思うと、あれは日本人相手だから可能な発言だったのかも知れない。