『王様ゲーム』のおかげで

学校の友達から噂を聞き、読みたい本があると言って、この間から本屋に行くたびに探していた息子。結局、みつからないまま日にちが過ぎていたが、昨日の本屋でみつけたらしい。すでに映画化が決まっている『王様ゲーム』というホラー小説で、昨日の本屋では一番目立つところにデカデカと置いてあったのだ。なんでも作者がこの町の人で、その本屋にもやって来たらしい。

息子は昨晩、一気にその本を読み終え、珍しく私たちと一緒に川の字になって眠った。もしかして、ホラー小説が怖かったせいか!? お陰で、久しぶりに息子と並んで寝ることができた! きょうも、和室で一緒にゴロ寝をするつもりらしい。

地元の友人に聞いたところ、この本の作者はこの間までプー太郎だったらしい。アマゾンのレビューはかなり厳しいようだが、私もこっそり読んでみようかな。

*久々に出かけた大戸屋。久々すぎて、ポイントカードの有効期限が切れていた~!
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If You Want by Himrock

先日、YouTubeで見て感動したヒムロックの”If You Want”、残念ながら今のところ発売の計画はないらしい。次のアルバムに収録される見込みのようだが、それが完成するのはまだまだ先だよね~。

住民運動も、ひとつ展開があったと思えば、ひとつ障害が・・・。

何事も思うようには進みませぬ。

でも、ひとつ、ひとつ確実に。

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Nellie the Elephant(トイドールズ)

この国の状況を考えていると、くら~くなってきたので、同じパンクでも笑える曲を聞きたくなり、思わず検索してしまったのがこの曲。子供向けの曲をパンクバンドのToy Dollsがカバーして、イギリスで大ヒット。私がパリの銀行で一緒に働いた、パンクスからは程遠いホワイトカラーのイギリス人たちも、この曲はジェスチャーつきで歌っていた。

このToy Dolls、日本にも固定ファンがいて、一時は毎年のように来日していた。実は私も、毎回ライヴに足を運んでいた時期がある。人気が高まり、最後はどこかのホールで演奏したと思うけど、やっぱり一番楽しかったのは新宿ツバキハウスでのライヴだった。みんなでジャンプしまくり、歌いまくり、もみくちゃにされながら、相当の体力を消耗した。たった3人のバンドなのに、その演奏はパワフルで、コミカルで、本当に楽しかった!

Toy Dollsはニューキャッスル近郊の出身で、ローマ字読みに近い訛りがあり、そこがさらに愉快だった。Butがブット、punkがプンク、jump upがジュンプウップという具合だ。しかも早口の歌詞が多くて、アメリカ人のペンパルは歌詞カードがなければ何を歌っているかわからないと言っていた。

数年前、山の集落で友達がパーティを開いた際に、京都在住のスコットランド人男性を紹介された。名前はDougyだというので、Toy Dollsの名曲を思い出し、「Dougy GiroのDougyですね!?」と言うと、めっちゃくちゃ喜ばれた。「そう、Dougy GiroのDougyと同じ名前だよ!」と。 そして思わず、一緒に合唱した。”Dougy, Dougy Giro, Dougy, Dougy, Dougy, Dougy, Dougy, Dougy Giro!”

やっぱりコミックバンドも捨てがたいのだ!

 

Anarchy in the UK(セックスピストルズ)

このことろ懐古趣味に走ってる・・・。ピストルズのデビューは1976年。この「アナーキー・イン・ザ・UK」の歌詞には、MPLA(アンゴラ解放人民運動)とか、UDA(アルスター防衛協会)とか、IRA(アイルランド共和国軍)なんてのが出てくる。北アイルランド紛争が激しかった時代だ。当時の私はもちろん何もわかってなかったけど。

後にジョン・ライドン(当時はジョニー・ロットン)自伝の日本版制作に関わったとき、遅まきながら、ようやく、当時のイギリスの時代背景が理解できた。それにしても、ロンドンの下町で暮らすアイルランド移民の貧しい生活ぶりは、けっこう衝撃だった。一億総中流といわれた同時代の日本人には、想像できないかも。

思えば、中学高校時代の私はイギリスの多くのバンドに憧れ、その音楽のもつエネルギーにひきつけられていたけど、その背景にある社会的、政治的事情など、実はよくわかっていなかった。自分が若かったこともあるけれど、日本ではミュージシャンが政治を語ったり、まして歌にするなんて一般的ではなかったもの。

今回の震災後、テレビで誰かが「チェルノブイリの事故後、ポーランドは安定ヨウ素剤を一斉に子供たちに配ったが、それは核攻撃に備えて用意しておいたものだった」と話しているのを耳にした。米ソ冷戦時代、私たち平和ボケ日本人は、なんの恐怖も持たず、のほほんと暮らしていたように思う。けれど、その頃、私が文通していたヨーロッパの同世代の若者は、「いつ第三次世界大戦が起こるかわからないから、結婚しても子供はいらない」などと、真剣に手紙に書いていた。それを読んで、日本人との意識の違いに愕然としたことを覚えている。私たちは同じバンドの曲を聞きながら、まったく違うことを感じていたのかも知れない。

そういえば、80年代に南アフリカの問題を知ったのも、イギリスで”Biko”や”Free Nelson Mandela”といった曲がヒットしたからだ。その後、90年代半ばに東京で出会った中国人女性から、「日本の若者の間で流行っている歌には、深い意味がないですね。歌詞を読んでも、胸に響かない」と言われたことがある。天安門世代の彼女が中国で聞いていたロックには、おおっぴらには主張できない政治的なメッセージなどが言葉の裏に込められていたのだと。

日本って、これまではよくも悪くも、若者が能天気な歌をうたっていられる国だったのだ。でも、このまま民主党政権が続けば、いずれ天安門世代のような経験をする可能性もあるのでは・・・と不安になるきょうこの頃だ。(特にマスコミを見ていると・・・)

Still a punk―ジョン・ライドン自伝
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God Save the Queen

子供にうるさいと言われながら、きょうもYouTubeでQueenを検索していたら、こんなのをみつけてしまった。
2002年にエリザベス女王戴冠50周年で、クイーンのブライアン・メイがGod Save the Queenをバッキンガム宮殿で演奏した映像だ。すご~い、こんなことやってたのね。

昔、クイーンの人気が出始めた頃、「Queen, England」の宛名のファンレターがバッキンガム宮殿に配達され、後日それがクイーンの元に届けられたという記事を読んだことがある。最初は日本でしか人気がないとか言われていたけど、その後、イギリスでも国民的人気のバンドとなった。フレディの訃報を聞いたときのことは今でも覚えている。当時、イギリス系の会社に勤務していたのだが、ロンドンと電話をしていたイギリス人スタッフが一報を聞き、大声でみんなに知らせたのだ。そのあと、そのイギリス人が立ち上がって、”We Are the Champions”を歌い始めると、ほかのイギリス人もそれに加わった。

それから、これは何年のことだったか・・・。ヨーロッパで皆既日食があったとき、イギリスに留学中だった友人が、ブライアン・メイがBBCで皆既日食の説明をしていたと教えてくれた。クイーンって、本当にイギリスを象徴する存在なのだ。

で、God Save the Queenときたら、やっぱりどうしてもこれを見たくなっちゃうよね~。
当時は若すぎて社会的な意味合いもわかってなかったけど、あのパンクのむちゃくちゃなパワーはなんだかすっごいものに思えたのだ。

音楽の喜びーフレディマーキュリー トリビュート

DSC02992 久々に音楽で感動してしまい、きょうもYouTubeでいろいろ検索してしまった。気がつけば、年に何度も検索して見てしまうのが、Queenのフレディ・マーキュリー追悼ライヴでのジョージ・マイケルが歌う”Somebody To Love”の映像だ。曲自体もすばらしいのだが、あの日、あの場で歌われたこの曲は何度見ても心揺さぶられる。

この追悼ライヴが行われたのは、すでに20年近く前の1992年4月20日。クイーンの3人のメンバーに加え、豪華メンバー勢ぞろいのライヴが収録された2枚組LDを私は持っていた。当時、東京の外資系証券で働いていた私は、毎朝このLDの一部を見てから出勤するのが日課になっていた。(その頃は確か7時半出社だったか)。さあ、きょうもがんばるぞ~というパワーがもらえる場面がいっぱいあったのだ。

けれど、時代が変わってLDも廃れ、私のLDプレイヤーも壊れてしまい、長年買い集めてきた音楽や映画(特に香港映画が多かった!!!)のLDはすべて処分されてしまった。でも私の脳裏に焼きついた感動の場面をどうしても見たくて、今では便利なYouTubeのお世話になっている。(フレディ追悼ライヴは、新しくDVDを買えばいいのだけどね・・・)

それにしても、この広いウェンブリーアリーナにいっぱいの人々が、この曲で心ひとつに、声を合わせて歌う光景は何度見ても感動する。その一体感を引き出したジョージ・マイケルの歌唱力もすごい! この追悼ライヴを全編見るとわかるのだが、クイーンの曲を歌いこなすのは至難の業なのだ。そうそうたるロック界の重鎮である名シンガーがステージに上がり、それぞれにクイーンの曲を自分なりに歌う姿はなかなか見ごたえがあるのだが、それでもやはりフレディに比べると、どうしても物足りない。嫌でもクイーンの曲の難しさ、フレディの歌唱力を改めて認識させられる。ところが、ジョージ・マイケルだけは、まるでフレディが乗り移ったかのように、彼の歌のすばらしさをそのまま再現してくれているのだ。変に自分風にアレンジしてごまかすことなく、あくまでもフレディがレコードで歌っていたそのままを再現してくれる。さすが無名時代にロンドンの地下鉄でクイーンの曲をバスキングしていたというジョージ・マイケルだけあって、長年、フレディのまねをして歌いこんできた成果なのだろう。

楽曲のすばらしさ、歌い手と演奏者のすばらしさ、観衆のすばらしさーーそれがすべて一体になって、そこにフレディの魂が注ぎ込まれた至福の時間。このすべてに出会えたこと(映像を通じてだけど)に感謝したい!!!

さぁ、仕事もしなきゃ。(ウォーキングもしたぞ!)

IF YOU WANT (News Zeroテーマ曲)

住民運動もこの夏が山場となりそうで、きょうも別の自治会までチラシの配布に行った。気温がさほど高くない午前中に半分弱、そして夕方に残りの半分。私にとっては、いい運動になりそう。

一方で急ぎの仕事が突然入ったため、今週はちょっと忙しくなりそう。(こんなことなら、前からやってる仕事をさっさと終えておくべきだった・・・と反省)。

その仕事の関係で調べ物をしていたら、この映像に遭遇。日本テレビ系列『NEWS ZERO』のテーマ曲、氷室京介の『IF YOU WANT』。画面に映し出される被災地の方々の姿を見ていたら、涙がとまらなくなった。同じ日本に暮らす者として、しっかりこの国を支えていけるよう、がんばらなくては・・・と強く思った。

*チラシ配布中に見かけた他人のベンツ。
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Kindleを買うべきか

息子は本も漫画も大好きなのだが、この間からクラスの友達に薦められたライトノベル(なのかな~?)にはまっている。古本屋で一冊ずつ買って読んでいるのだが、早く次が読みたくてたまらないようだ。

私はといえば、このところわりと時間の余裕があるので、こういうときこそ読書をしたいと思うのだが、暑くてなかなか集中できない。(つーか、すぐにうとうと眠ってしまうのだ。)

なのに、ただでさえ読みたくて買ったはいいが、積み上がっているだけの本が相当たまっているというのに、ここ数日、Kindleを買うべきか悩む私。まずは積み上がっている本を読めよ!と自分につっこんで、結局、買ってないんだけど。

私は何冊もの本を同時に読み始めるタイプなので、早く読み進めないと、わけわからんよーになってしまうのです。この夏はカフェに避難して、本でも読むかな~。ただし、居心地のいいステキなカフェが近くには殆どないんですが。(私が知らないだけ?)

*先日訪れた友人宅の裏庭。こんなところで読書できたらいいな~。
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ダン・フォーゲルバーグ

Angel Visit仲間から、見たこともないきれいな白い花に出会ったと連絡がきた。あれ以来、白い花が気になるのだとか。彼女には時々、仕事の上でお世話になったり、アメリカなど海外の情報を教えてもらったり、いろんな意味で刺激を与えてもらっている。

アメリカの話を聞いたせいなのか、なぜかふと、昔好きだったアメリカのミュージシャン、ダン・フォーゲルバーグの名前を思い出し、無性に彼の歌が聞きたくなった。何枚も持っていたレコードは、実家の納戸に眠っている。ということは、最後に彼の歌を聞いてから、どれだけの時間が過ぎたのだろう!?

ネットで検索すると、昔のアルバムはかなりお手軽な値段になっていたので、懐かしさに駆られて何枚か注文した。ああ、届くのが楽しみ! 

だけどショックだったのは、ダン・フォーゲルバーグが2007年に亡くなっていたこと。知らなかった。もう新しいアルバムを聞くことはないのね・・・。

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「ねこの森」とオールナイトニッポン

中高時代のことを思い出したついでに、鳩胸厚子という名前の由来を。当時、東京の大学生が「ねこの森」というミニコミ誌を作っていて、その編集長が広島出身ということで、校内でもその雑誌が出回っていた。いつか東京の大学に行きたいと思っていた私も、そのミニコミを通じて大学生の世界を垣間見ていた。で、回りの友達と一緒に編集部に手紙を出すと、返事が返ってきたりして、うわ~、大学生から手紙がきたって喜んだりしていたのだ。たぶん今見たら赤面確実のくだらない手紙を真剣に書いていたと思う。

で、経緯はよく知らないんだけど、ミニコミに触発されてか(?)、いつのまにか高校生(になってたんかな?)の間でノートが回っていた。一冊のノートが、私の通う女子高と近くの男子校の間を往復していて、いろんな人がいろんなことを書き綴っていたのだ。それが私のところにも回ってきたとき、とりあえず考えたペンネームが鳩胸厚子だった。鳩胸で胸板が厚いという自分の体型をそのまんま表しただけ。都合の悪いことはすぐに忘れる性格なので、当時、その名前でどんなことを書いたのか、まったく記憶にない。

けれど、その後、ちゃんと夢かなって東京の大学生になったとき、私はこのペンネームでラジオ番組に投稿してハガキを読まれたことがある。それは、高橋幸宏のオールナイトニッポン。当時、祖師ヶ谷大蔵の安アパートに暮らしていた私は、駅前にできた「フライ男爵」という惣菜屋さんのイカマリネを食べたのが病み付きになり、殆ど毎日のようにイカマリネを買いに行っていたのだが、イカマリネを主食にしていると思われるのが嫌で、毎回、わざわざ違う店員さんに当たるようにして、いかにも初めて客のように装って、迷いながらイカマリネを注文している…という話を書いたのだ。実際、そのハガキを選んでくれたのは、番組を一緒にやっていた放送作家の景山民夫だったと思うのだが、「バカな人ですねぇ」とふたりが笑ってくれたのが嬉しかったことを覚えている。

その後、景山民夫は某新興宗教にはまり、ちょっと腑に落ちない形で亡くなってしまったが、その新興宗教の問題で実はいまこの地域は困っているのだ。そういえば、景山民夫って本籍地は広島で、広島の小学校にも通った時期があったらしい。でもって、同じ信者仲間の小川知子も、広島生まれだった…。

ちなみに、ねこの森に関わっていた学生で、現在マスコミ関係で活躍している人たちも(何人も)いるそうだ。

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