『増刊!たかじんのそこまで言って委員会』で気になったこと

きょうは子供の11歳の誕生日。バースデーディナーのリクエストをきくと、例年と同じ。ということで、きょうの夕食は私のお手製ミートソース・スパゲティ。そして、偶然にもきょう広島から届いた「お宝トマト」のサラダ。ケーキは夫と子供が散歩がてら、近所のお店で選んできた。

今年の誕生日プレゼントは、なんとパソコン! これで私のパソコンを貸さないですむ。しかもプレゼントと言いながら、子供の積み立て口座の資金で購入。子供は嬉しくて、たまらない様子。

おかげで夜は久々にゆっくりとテレビタイム。昼間に録画していた『増刊! たかじんのそこまで言って委員会』を見た。震災をテーマとした先日の番組をノーカットで放送していたのだが、そこで初めて耳にした気になる発言があった。

勝谷誠彦氏によれば、田中康夫氏が南相馬市長を取材した際に、「自衛隊が原発から100キロ圏外に避難するよう言ってきた」という発言があったそうだ。勝谷氏は、その事実確認をしたかったようだ。

ネットで調べてみると、そのインタビュー映像を見ることができた。CS放送の番組だったらしい。その中で南相馬市長は、「福島第一原発の3号機が爆発寸前のとき、自衛隊のある部隊が14日の深夜、制服のまま庁舎に入り、100キロ避難の指示を出したので、防災無線で県に確かめたが、役所内がパニックになり、その間に逃げ出した職員もいる。民間の病院にも足を入れたので、そこでも職員が逃げ出し、病院が崩壊した。自衛隊の統括はどうなっているのか。防衛省にも言ったのだが、私たちの精神を打ち砕く許しがたい行為だ、怒りを感じる」といった内容の発言をした。(その後、14日のお昼前に3号機は爆発している。)

南相馬市長は自衛隊の統括がバラバラになっていると怒っていたのだが、これがもし事実なら、自衛隊は原発の周辺が危険な状態にあることを知って、避難を指示したように私には思えるのだけれど…。

もちろん自衛隊の指揮統括におかしなことがあってはいけないけれど、危機管理の観点で言えば、危険の可能性があるなら、とりあえずすぐに逃げるのが鉄則ではないだろうか。安全が確認できれば、その時点で戻ればいいのだから。ただ、この市長さんは自衛隊の言うことが信用できなかったのだろう。で、結局、県や国からどういう指示が出たのか、そのとき南相馬の人たちは本当に避難しないでよかったのか、そのあたりは一切明らかになっていない。
その後、14日夜に東電側が政府に「福島原発から職員全員、退去させたい」と申し入れて拒否されたというニュースが出ていたけれど。

もうひとつ、たかじん増刊号で飯島勲氏が、何をやっているかわからないけれど、原発事故直後からCIAなどアメリカの専門家が400名ほど日本に入っていると発言していた。

民主党政府よりも米国の方が信頼できる。この現状があまりに悲しい…。

*倉橋島のお宝トマト、フルーツのように甘い!!!
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エイプリルフールの嘘だったらいいのに。

DSC02549 花瓶に活けていた花のつぼみが、いつのまにか開いていた。きょうから四月。新たな気持ちで新年度をスタート!と思いながら、朝の「す・またん」を見ていたら、「エイプリルフールの嘘であってほしい」と思うニュースが多くて、嫌になった。

原発事故当初から、ネットでは「菅総理がヘリで視察に行ったせいで、対応が遅れ、惨事となった」とか、「アメリカが原子炉の冷却材一式を提供すると言ったのを日本側が断った」と言われていた。辛坊さんも、「デマかと思っていたけど、ここにきて、どうやら本当だったと明らかになってきましたね」と言っていた。

さっき「アンカー」で森田実氏が、「この期に及んでも、役人は3.11以前の体制のままで、菅さんと枝野さん以外の指示に従うと違法になるからと、自主的に動かないらしい。そして、菅さんと枝野さんからは、まったく指示がない。マスメディアの批判を交わすためにアイデアは出すが、実際に政府の中では何も議論していない。無責任がまかりとおって、視察に行ってめくらましをやっている」という発言をされた。

先週、辛坊氏の番組に出演した飯館村長が、「政府から何の情報も入ってこない、マスコミの人から情報を聞いている」といった発言をしたのがきっかけで、片山総務相が保安院に「被災市町村にしっかり情報を提供しているのか」と問うと、「2週間かけてやります」と答えたとか。まさに、森田氏の発言を証明するエピソードだ。

震災後3週間で、復旧のための特別立法のニュースに関して、「震災後の政府の対応は、すべてが遅い」と、私が見た番組のすべてのキャスター、コメンテーター、専門家が言っていた。ポジションや組織や内閣官房参与を増やすばかりの菅さんは、自分が判断責任を負いたくないから、責任転嫁できる相手を増やしているようにしか見えない(素人の私の目には)。

辛坊さんなんて、「私が総理なら、『全国の皆さん協力してください、全額被災地復興のために使うから、消費税3%ちょうだい』と言う。じゃあ、お金使おうかという人も出ますから。そういうことを総理大臣が出て、がーっと言ったらいいのに。3週間、なんにも言わないなんて。俺が総理大臣になったほうがいいと思うね」とまで言っていた。さらに、「昨日のフランス・サルコジ大統領との共同記者会見を見て、情けなくて、恥ずかしかった」と。「日本だって先進国の一員なのに。共同記者会見をしたというより、させられたという、非常に屈辱的な思いがした」と。

それから、辛坊さんは、「報道していなかった我々も悪いかも知れませんが、『トモダチ作戦』で被災地に入っている米軍は、数百人程度かと思ったら、実は1万8千人も。被災地の方は知っているかもしれませんが、全国的には殆ど報道されていなかった」とのこと。そういえば、別の関西ローカルで、勝谷氏が「日本では震災のニュースで『遺体と自衛隊』を映さない」と言っていたが、昨日のニュースでは、インタビューされた被災地の子供さんが、「大きくなったら、自衛隊に入って、困った人を助けたい」と答えていた。被災地の人たちは、誰が一番頑張ってくれたか、わかっているのだろう。

勝谷氏はついでに、「原発事故直後に、アメリカは無人偵察機で写真を撮影、それを見て第7艦隊は逃げた。実は自衛隊も無人ヘリを飛ばしているのに、その映像は出て来ない。尖閣のときと一緒だ」と、いつもながらの過激な発言をしていた。また、菅さんの谷垣さんへの入閣要請は単なるパフォーマンスで、「党に持ち帰って相談する」という谷垣さんに、「この場で決めろ」と迫り、「じゃあ、断ったということでいいんですね」と電話を切ったのだと。(横でこの会話を聞いていた人から聞いた話だそう。)

政府もマスコミも頼りにならないどころか信用できないという思いで、気分が暗くなったので、きょうは春休み中の息子と一緒に3月24日に録画した「カンブリア宮殿」を見た。はやぶさプロジェクトマネジャー、JAXAの川口淳一郎教授をゲストに迎えた「あきらめなければ未来は拓ける」。このタイトルと、村上龍氏の編集後記「科学は復興に貢献する」という言葉の通り、日本の科学者&技術者への信頼&希望を感じられる内容で、すっごく前向きで明るい気持ちになれた!

*ちなみにこちらは、水道問題でお世話になった信州大学、
中本信忠先生のブログ

玄米効果と関テレ『アンカー』

震災直後、東京のお店から米が消えたと騒ぎになっていたが、この辺りは農家が多いので、知り合いの農家から30キロ単位でお米(玄米)を譲り受ける人がけっこういる。我が家もそう。あちこちにコイン精米機があるので、自分で精米しに行けばよい。(うちの息子は白米好きなのだ。)

けれど、その日の気分で、たまには5分づきの玄米でも食べてみたい。それで精米機の購入をずっと考えていたのだが、ちょうど次の30キロの玄米を開けるときがきたので、これを機に思い切ってネットで注文。で、それが届くまでの二日あまり、玄米を食べたのだが、あんなに白米!と言っていた息子が、「噛めば噛むほど甘い、白米より甘い!」と喜んだ。そして私も、玄米を食べると、なぜか食欲がわいてきて、ここ数日はご飯&おかずの量が増えている。これって、やっぱり健康的なことなのかしらん?

ところで昨晩は、東日本大震災の復興支援のためのサッカーの慈善試合を見て、感動してしまった。政治家にはない、選手たちのメッセージの発信力! 言葉に行動が伴っているからだ。

きょうの関西テレビ『アンカー』でも、福島第一原発の事故について驚く話があった。青山繁晴氏によれば、たまり水だけではなく、3号機とタービン建屋の間に自衛隊などが集めたガレキからも3月25日午前に1シーベルト検出されているのに、このことを保安院は隠しているという。また、アメリカもフランスも、日本政府に不信感を持っており、アメリカのNRC
(原子力規制委員会)は初期段階から、首相官邸&保安院と話すことをやめ、警察庁とやりとりしているそうだ。そして、内閣府の原子力委員会原子力防護専門部会の専門委員である青山氏に、原発事故の情報はまったく入ってこないという。

同じくきょうのゲスト、安斎育郎立命館大学特命教授は、現時点で放射線の身体的影響は苦にするようなレベルではないと明言した上で、心理的影響と社会的影響の大きさを懸念しておられた。また、福島の避難所に行って、放射線のサーベイランスをした大阪の放射線科医師は、除染が必要な住民は皆無であったが、住民が政府に対して疑心暗鬼になっているので、話を信じてもらうのに苦労したとのこと。放射線を恐れる避難民への心のケアの重要性を訴えられた。

それもこれも、安斎教授の指摘の通り、「隠すな、嘘をつくな、過小評価に陥るな」の三原則を政府が厳しく守っていないから。過剰な不安を抱かず、今は復興に向けて集中すべきという教授の言葉に深く頷きつつ、それでも政府の対応に不安を抱いてしまう私です。

*息子が自分のために買ってきたレッサーパンダのぬいぐるみ。毎晩、一緒に寝ているらしい。
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そこまで言って委員会(増刊号):地震について(ゲラー先生の話)

以下、3月19日放送の「たかじんのそこまで言って委員会 増刊号」でのゲラー先生のお話です。
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「地震は予知できません!」 その衝撃的発言でおなじみの地球物理学者、ロバート・ゲラー東京大学大学院教授は、専門家の多くが想定外と口をそろえる今回の東日本の大地震をどう見ているのか?

僕は必ずしも、想定外と言うべきではないと思います。この地図をちょっとご覧下さい。1952年、1960年1964年、2004年、そして先週と、これまでの60年間くらいで全世界で5回、マグニチュード9の地震がありました。ですから、全世界で60年の間に5回くらい起きるものは、想定内と言うべきだと、私は思います。もちろん、どこで起きるかというのは想定できないが、プレート沈み込み型の(地震が)プレート境界面で起きることは、私はすでに想定内です。

しかしテレビに出てくる地震学者の皆さんは、口をそろえて想定外と語っている。これはいったいなぜなのか?

普通はね、それは非常に困る、構造的問題ですね。例えば、原発や飛行場の建設のとき、どれくらいの地震を想定して建設するか、決めないといけない。マグニチュード9.1や9.5を想定すると、建設コストがものすごく高くなりますよ。そうすると、コストダウンのために、原発を作りたい会社は、例えばいろんな研究者に尋ねて、9.0という先生は「はい、ありがとうございました。また30年後に連絡します」と言われるかも知れないが、8.0とか7.5という研究者は、「はい、どうぞ、どうぞ、あなたと契約を結んで、あなたの想定を建設の基準にさせてもらいたい」と。

つまり、コストダウンのために、意図的に非現実的な低い想定値を採用している疑いがあると言うのだ。しかも…

もちろん、そのリスクはその近辺に住んでいる人が背負うものとなってる。

その例は関西にもあると言う。

皆さん、阪神大震災をまだ覚えてると思いますけれども、震災の前に神戸空港の想定震度について、いろんな学者は「震度7に想定すべきだ」と言ったんですが、審議会は「震度7では、とてもじゃないが建設費用が…」という議論で、結局、落としどころとして震度6が想定値になった。まあ、そういう類のやりとりは、よくあるだろうと思います。

この決定プロセスだけでも問題視されるべきなのだが、ゲラー先生はもっと根本的なところに疑問を呈する。

特定のエキスパートに発注すると、神戸は7.3、青森は8.0、八戸は8.3とか、想定震度やマグニチュードが出てくる。この地図を見ると、日本の地震と海外の地震は異なってない。どこでも物理の法則は同じ、どこでも地質科学の法則は同じです。だから沈みこみ型プレートだったら、環太平洋のどこでもマグニチュード9.5の地震があって、おかしくありません。

さらに今回の地震を想定内とするべきだった理由がもうひとつ。

いま、昔の日本の歴史をいろいろ調べて、貞観地震(貞観11年、西暦869年)のときにも同じような津波があった。貞観地震のときに起こったことが、なぜ想定外と、一部の研究者や一部の電力会社の重役に言われないといけないのか、解せないのは僕だけでしょうか? もちろん、頻度から言うと、千年に一回かも知れないですけど、特定の地域で。でも「稀なもの」と「あり得ないもの」は違いますよ。あったんです。

そして、兼ねてからゲラー先生が警鐘を鳴らし続けているのは、これまで政府が推し進めてきた地震対策について。

阪神淡路大震災の前に、この辺に住んでいる人はみんな、なぜだか不思議だけど、自分には地震の危険はないという思い込みがあったでしょう? それはなぜでしょうか? 特に近畿地方は安全だと、研究者は言ってなかったんだけども、だけども、いつも東海地震とか東南海地震とか、シナリオに過ぎないものをいつも同じ言葉を繰り返して使っていました。そこに自分の地域を言われてない人たちは、「じゃあ、僕たちは安全だ」と思いこんだでしょう。特に安全だとは、大勢の研究者は言ってないんだけども、なんとなくそういう思い込みが、みんな、あったでしょう。なぜそうなったか。いつもテレビで東南海地震とか東海地震とかを予測できるという印象を、国民に植え付ける宣伝をやりました。だから僕に言わせてもらいたいのは、日本はどこでも危ないですよ。我々、残念ながら今の学問では、地域別にあと何年で何%という数字を、政府の機関は出しているんだけども、そんな数字は殆ど無意味で、やめてほしいです。

さらに、こんな皮肉も。

政府は、地域ごとに地震が起こるべきとしました。ところが、地球は日本政府が区切った通りには地震を起こさない。勝手に地球は、これくらい広域的に一発でどでかい地震を発生させた。日本政府の審議会の非常にきれいな分け方を無視した。地球はけしからんと、日本政府は考えているでしょう。
地震のリスクはどこにでもあると、国民に正確に伝えたならば、人的災害・物的災害の両方を減らせたかも知れません。

メディアの責任を追及した上で、ゲラー先生は今すぐ廃止すべきものとして、かねてからある法律を槍玉にあげています。

1978年にいわゆる大震法(大規模地震対策特別措置法:東海地震を予知し、地震による災害を防止・軽減することを目的とした法律)が制定されました。その法律によって、いわゆる東海地震の――その言葉もやめるべきだと思うんですけど――24時間の地震予知体制が今でも気象庁で稼動中です。それも今チャンスとして、見直すべき。地震予知は学問的には不可能と、殆どの研究者が認めますが、ただカメラが回っているときに殆どの研究者は口ごもる。研究者は、国会答弁みたいな曖昧な言葉を使うべきではないと思います。事実関係ありのまま、研究者は語るべきだと、私は考えます。

ただ、その地震学者の多くが、東日本大地震後の頻発地震を誘発地震と言っているが。

それは、ある意味では正しい話です。誘発の話。つまり、いろんな国に大きな地震が起きた後の、回りの地域の地震活動を見ると、経験的な話ではありますが、間違いなく通常より頻繁に地震が起きるというのは、確実に言えます。ただしね、A地震の後に確実にB地震、そして確実にC地震が起きて、因果関係のある連鎖になったとは言えない。あくまで確率的な話です。

ここで改めてゲラー先生に伺いますが、本当に地震予知はできないんですよね?

できるはずがないです。

では、できるはずがない理由を、わかりやすく教えて下さい。

たかじんの番組になじみのない方、学問的用語で申し訳ないんだけども、非線形物理という分野がある。非線形というのは、たとえば鉛筆がちょっと曲がっても何も起きないが、もうちょっと曲がって、もうちょっと曲がって、突然バーッと折れちゃう。でも、いつ折れるかは予測できない。ひずみの影響が、崩壊する、崩壊しないに比例しない。

つまり、鉛筆が折れるのも予測できないのに、地球のプレートがいつずれるか、分かるわけはないという解釈でよろしいんでしょうか?

その通りですよ。

最後にゲラー先生は、福島第一原発の深刻なトラブルを目の当たりにし、日本のエネルギー政策の将来について、こう憂慮している。

中東で戦争があって油が調達できなくなると、日本はどうなるかというのも考えないといけない。原発のリスクと、油不足のリスクと、両方。まず原発作ったのはね、政府は「絶対安全だ」と言い続けていました。そこで作ることの了解を地元で得ました。そもそも、それは間違いと僕は思います。人間が作るものには、必ずリスクがある。だから原発のリスクもあるんです。油を調達できなくなるリスクもあるんです。そのふたつのリスクをどうやってバランスとるか。またマグニチュード9.0や9.5に耐えられる原発を作るには、コストが非常に高くなる。そのコストと、いま福島県民が背負っているコストと、日本の国民全員に背負わせるコストと、そのバランスをどうやって考えるか。非常に暗い話ですけど、要は政府はそういう事実に蓋をして、「これは安全です、任せて」と地元への地域振興策でお金をつぎ込み、合意を買った。火力発電も問題がある、原発も問題がある、水力発電は限界がある。まあ、地震があるとき原発は危ない。どの話でも問題ですよ。そのバランスをどう考えるか。国民を含めて、これまでのことを全部リセットして、どうやって再起動したらいいか、みんなで一緒に検討しましょう。

そこまで言って委員会(増刊号):武田教授(後半)

「たかじんのそこまで言って委員会 増刊号」(3月19日放送)の武田教授のお話の後半部分です。
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*予断を許さぬ状況の福島第一原発、付近住民は安全をどう守ればいいのか?

放射能は風で流れるわけですよ。放射能は、皆さん、四方八方に行くと思っている。そうじゃない。放射能というのは物質ですから。ガスとかミストですから。微粒子ね。だからドーンといったら、風に流れていくんですよ。この原子力発電所で事故が起こったら、どこに放射線が流れるという計算はあるはずなんです。なければ困るんです。事故対策やってないことになる。20キロ四方(の住民)を逃がすなんて、無意味なことなんです。円を示してもダメなんですよ。例えば福島原発でいま3月に事故が起こったら、大体どっち方向に飛散するという計算値はね、これはもちろんみつかりませんよ、たぶん、だけど、なきゃおかしい。なきゃおかしいけど、ない可能性もある。なぜかと言うと、住民側から考える人がいないから。ただ逃げろと、こう言うだけですからね。チェルノブイリのときに、もうわかっていた、我々専門家は。チェルノブイリの例があるから。あのときは全部風下がやられたんですよ。ある幅で。ずっとそれがポーランドくらいまでいったんですよ。殆ど同じ幅で。ま、少し広がるけど。気象庁は、いま、風の計算できるわけですよ。風上にさえいれば、安全だ。それは国際的には当たり前。でもこれも建前なんですよ。要するに、20キロ四方を逃がすと言って、風向きは言わない。なぜなら風は変動するから。それで変動しない無意味な数字だけ言うんですよ。だから僕は親戚から電話がかかってくると、全部ね、「風はこっち向いてるから、あなたのところはこうだ」と言う。朝のNHKの放送で、面白いこと言ったんですよ。福島第一原子力発電所近くの風向計は壊れていると。上の方の仙台あたりと…北と南とで(風向計測)やってましたよ。事故の起こった次の日に、気象庁の部隊が行かなきゃいけませんよ。風向きが一番大事なんだから。そんな壊れてるなんて、4日もたって何言ってるんだと。風がどっちに向いているか、もし地震でこの中のが壊れたなら、気象庁がさっと来て、政府が言って、ここら辺、どこでもいいから風力計や風速計をつければね、もう完璧に言えるわけですよ。周辺の観測網を10個くらい作って、コンピュータで処理して、それで刻々とどっちに風が吹いてますと。それをなぜ出さないかというと、国民のことは考えてないんですよ、全然。スタンスが違うんですよ。だから私が原子力安全委員会の部会で、地震指針が出たときに、悲しい質問をしたんですよ。「この指針は原子力の建物を守るための指針ですか? 付近住民の被ばくを守る指針ですか?」と冒頭に訊いてるんです。なぜかというと、明らかに原子力の建物だけ守ればいいと思ってるんですよ。みんなはそのとき、どういう顔をしていたかというと、「なに武田先生、言ってるんだよ。原子力の建物が守れれば、守れるじゃないか」。違うんですよ。今度のことでよくわかったように、ポンプが壊れてもダメだし、津波が来てもダメだし、万が一漏れたときはどこに逃げるかというのもあるから。だから付近住民の目から見たときと、原子力をやる立場の人から見たときと、全然違う。

* まさか、原子力発電所までもが国民不在で進められていたとは。さらに武田先生は嘆きます。

ひとつだけ言わなきゃならないのは、僕から見たらどうしても不完全な地震指針を通そうとするから、もうしょうがないと。「それじゃ付近住民にオートバイと、子供にはヨウ素が飲めるように配って下さい」と僕が言ったら、やらないって言うんですよ。なぜなら、「安全が建前だから」。さっきの配管の問題と一緒なんですよ。原子力発電所を認めるというのは、安全だから。「逃げるためのオートバイを配ったり、ヨウ素を配ったりしたら、原子力発電所が事故を起こすことを認めることになるじゃないか」と。万全を期すと。いや、万全は期してないんですよ。でも万全を期しても起こることに用意すると、これが鉄則ですよ。万全を期さないで、且つ、起こることを予想しない。僕が意地悪で言えば、万全を期してないからね、やっぱり全部そういう体系になってるわけですよ。あと、どうしたら自分が逃げられるかと。責任から逃げられるかと、そこだけに焦点が合っている。

*そして最後に武田先生は、これまでに見たことのないほどの真剣なまなざしでこう語った。

原子力というのは、巨大技術なんですよ。原子力発電所の所長さんなんかに、ときどき会うんですよ。福島第一の人は会ったことないけど。要するにこれは、戦艦大和なんですよ。その重要さから言って。今度みたいなことにもなるし。原子力行政とか原子力発電所の責任者っていうのは、何が大切かというと、戦艦大和の艦長なんですよ。「俺は国民のために、これを動かすんだ。責任とって俺は(いざというときは)腹を切る」、こうガチッと思ってないと、ダメなんですよ。僕がウランの施設の所長をやってるときに、朝日新聞の記者が、「所長さん、この施設は安全ですか?」と来たんですよ。「もちろん、安全じゃなきゃ、やらない。なぜなら、ここで働いている部下が130人いる。(何かあれば)この人たちが真っ先に死ぬ。もちろん周辺の住民のことも心配しているし、私は危ないことは、やりません。あなたに訊かれる筋合いはありませんよ」と言った。そういう気持ちでやらないと、出来ないんですよ。サラリーマンじゃ、ダメなんですよ。隠そうとしたりするし。これをすると、せっかく所長になったのがダメになるとか思うから。やっぱり軍隊みたいな訓練を受けた、貴族みたいな人たちがやらないとダメ。官僚もそうなんです。つまり、万機公論に決する。そういう立場に立てる人じゃないと、ダメ。原子力発電をちゃんとやるためには、技術は一番大丈夫だから。みんなが間違ってるのは、技術がボロいからと思ってるから、いつまでも解決しないんですよ。そうじゃなくてね、人の心なんです。設計したりする人の心と、運転する人たち、そしてそれを見る人たちの覚悟。これが重要です。巨大技術というのは、そういうものを持ってるんです。

そこまで言って委員会(増刊号):原発について

ようやくテレビ番組も通常モードに戻り、昨日は「たかじんのそこまで言って委員会 増刊号」が放送された。その中で、異色の科学者(?)、中部大学の武田邦彦教授が原発について語っていた。おそらく関西以外では殆ど放送されないと思うので、その内容を文字に起こしてみた。取り急ぎ、前半のみ。

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日本の原子力発電所は、地震国日本でありながら、地震で倒れてもいいという設計に、もともとなっていた。今までは偶然にも、あまり震源地に近くないところだったので、まだよかったのですが、新潟の地震と今回の地震と、震度6くらいの地震がくると100%とは言いませんが相当部分が壊れると、今度のことでわかったということですね。

*これまで原発は安全に万全を期して、建設されていたのではないのか?

安全は殆ど関係なく作られるんですね。その一番典型的なのが、中部電力の浜岡原発。あれは東海地震の震央地―あまり広くないんですよ、大体50キロくらいしかない-ここが東海地震の中心ですよ、というところの真ん中に建てた。普通だったらね、東海地震みたいな巨大地震が起こるであろうと思われるところに原発を作るなんて、本当は辞めた方がいいわけですよ。原子力は、技術的には安全だけど、原子力を危険にしているのは人災だと、私はずっと言ってるんです。どうしてかと言うと、立地においても、運転や耐震基準においても、政治だとか利権が入ってきて、それを皆さん、日本人も目の当たりにしてるんですよ。実際、浜岡原発は震央地に建てられているわけですから、「おかしい、どうしてこういうことになったの?」と訊かなきゃいけないんですけどね。そうなってないんですね。

*さらに武田先生は2007年の新潟県中越沖地震の際、柏崎刈羽原子力発電所で起きたトラブルが地震対策を見直すきっかけだったのに…と後悔する。

だから、みんなマスコミが全部ごまかしてる。ごまかされたから、原発は地震で倒れないとまだ思っている。

*では一体何をごまかしたというのか?

ふたつ起こったんですね。ひとつは炉の中で何かがひっくり返って、放射線が少し漏れた。もうひとつは、原子力の建物の外で原子炉とは関係ないものが燃えて、黒煙をもくもくと上げた。で、なんと言ったといえば、「原子炉に関係ない建物が燃えたのはまずいけど、原子炉の安全には関係ありません。」これは嘘です。だって原子炉というのは、全部で機能していて、どこかが火事になっていいわけじゃない。耐震は、その耐震でやってなきゃいけない。ところが、その耐震では行われてないんですよ。要するに、付近の住民を守ろうとしているんじゃなくて、原子炉を守ろうとしているわけです。もうひとつ、変な理屈があって、「漏れたことは漏れたけど、人の健康には害がない」と言う。「いえ、あなたね、人の健康に害がなければ、漏れていいと説明していましたか?」ということ。「地震があっても、漏れません」と言ってるんだから。それが漏れたということを、少なくとも東電は説明していない、何が間違っていたのかを。「人の健康に害がなかったことは不幸中の幸いでした。だけども地震でこんなに簡単に放射線が漏れるとは、どこを我々は間違っていたのだろう?」ここを言わなきゃいけないのに、すり替えるんです。すり替えで、コロッっとやられちゃうんです。そういううまい言い訳がいっぱい用意されているんです。で、コロッとやられちゃうんです。

*では、なぜ安全がないがしろにされてしまっているのか?

そりゃ、保安院がいるからダメですよ。

*原子力安全保安院とはいったいどういう組織なのか?

もともと日本国は、原子力は大切で危ないので、大切だという方は原子力委員会がやりましょうと。昔は科学技術庁、今は内閣府。しかし原子力は危ないから、危ない方だけ見るところもないといけない。これは世界、どこでもそうですね。で、独立した機関として原子力安全委員会ができた。これが昔、科技庁で今、内閣府。これに委員長がいて、独立してるんですね。それぞれの違った見方からやる。そういうことでスタートしました。そうしますと、やっぱりややこしいわけです。原子力委員会は「やれ」と言うし、原子力安全委員会は「やるな」と言ったり、「これは気をつけろ」と言ったりするから。原子力委員会は推進派、原子力安全委員会は規制派。これでバランスをとるというのを、各国ともやっているわけです。ところが、原発も40発くらいになっちゃった。日常的にいちいち原子力委員会と原子力安全委員会にお伺い立てるのは面倒くさい、やっちゃえということで通産省に出来たのが、原子力安全保安院。そうなると電力会社は、安全委員とかは関係なく、保安院の了解をとって進める。日常的には保安院がやります。現実的に私もそういう仕事をして、なんかどっかに置かれたみたいなんです。力も強い、経産省だから。こっちは内閣府なんて、ぼやーっとしてる。それは多くのマスコミの人も知らない。もう原発やれやれどんどんという感じで。

*その原子力保安院が大きな影響力を持った結果、困った事態が起こったと武田先生は指摘する。

私はウラン濃縮研究所長というのをやってたわけです。そのときの経験ですが、ウラン濃縮研究所の中を改造したんです。ものすごく複雑な装置です。それを国に出した。国がそれを審査して、現場に来て、はんこ押して認めてくれた。その後、半年くらい経ったときでしたかね、僕が現場を見回ったら、一箇所だけ間違いがあったんですよ。何か事故があれば、ウランが海の方に出ることがわかったんです、その配管があると。普通は万が一でも出ないようになっている、もちろん。物理的に配管や溝がないんですよ。そんなことしてると、そこにいっちゃうから。万が一でもウランが海に流れないように完璧にしてるんです。ところが、間違った配管があったんですよ。それで僕が連絡して、「所長ですが、これがあると万一のときにウランが日向灘に出て迷惑かけちゃうから、これを撤去したい」と言ったら、なんと言ったと思う? 「いや、認可したものだから取れません」 それで僕は、「そんなこと言ったって、私のミスだから、謝りますので、取らせてください」と言ったら、「いや、国が認めたことだから正しいんだ」と。結局、中間に立つ人にこっそり聞いたら、「あなたが自分でやりなさいということだ」と。認められたものを法を犯して、勝手に改造しなさいと。役所は知らないよと。役所は事故が起こらなければどう言うか。「あれは所長が勝手にやったことだ」と。もし事故が起こったら、「運転がいかん」と。こういう体質なんですよ。これは現実に起こった話、私が体験したんだから。役人はウランが海に出ることについて、まったく関心がない。国民の健康を守ろうなんて、全然思ってないですよ。自分の責任を問われないためには、そんなの改造してもらっちゃ困る。もし僕が申請書を出すと、国の審査が間違ってたことになるから。

*ミスに気づかなかった自分たちの責任だと?

そうなんです。自分たちの責任と国民の安全とを比較すると、自分たちの身を守るほうが大切だという実例ですから、これ。だから、こんなこといつでも起こってるんですよ。僕に起こった例なんて、たいしたことない。もっとひどいのが、いくらでもあるわけですよ。だから、そのことがあるので、今度みたいなことが起こるし、いろいろみんながわからないと、こういうことが起こるんですね。だけどテレビで保安院の説明を聞いた多くの人が、おかしいと思ったんですよ。おかしいという感覚は何かと言うと、彼らは放射能が外に出ていても全然平気なんですよ。「私たちの責任じゃないですよ、私たちは完璧に仕事してるんですから。謝る必要なんてないですよ」と。

*東京電力の責任だと思ってる勢いですか?

そういうことです。だけど、通常、認可しているのはあそこですからね。津波に対して、これじゃダメだと言うのもあそこですから。だから本当は保安院に責任はある。「申し訳なかった、見通しが甘かった」と。

*さらに武田先生はあらゆる人たちの無責任さを指摘する。

今度は、地震学者はなんて言ったか。簡単ですよ。「今度は予想外に600メートルも崩壊して、連続しました。こういうことは私たちは考えていませんでした」と言うんですよ。「これは私たちの限界ですから」と。そうすると、地震学者は責任ないんですよ。それに基づいて作った建設会社も、責任ないんですよ。それに基づいて運転した方も責任ない。保安院も別に関係ない。それで私が言ったのは、「こういう体制でやってると、最終的に安全かどうかということは、誰が考えるんですか」と。国民にとって安全か、福島県の人にとって安全か、誰が考えるんですか? いないでしょ。だから私は、「地震学者の意見を参考にするのはいいけど、日本で起こった最大の地震、震度7くらいでも壊れないようにしといてもらわないと。地震学者が言ったから私は知りませんじゃ、ダメじゃないんですか」と安全委員会で発言したんです。基準部会で。詳しく言えば、安全委員会の地震指針の部会ですけど。それがいないんですよ。国民は絶対そう思ってませんよ。安全について考えるところがあると思ってる。地震があれば津波が来るんじゃないかとか、地震学者がいくらと言っても、もしかしたら間違うんじゃないかとか。もし事故が起こったときは、どうしたらいいのかとか、そういうことを考えるところがあるだろうと(思うでしょうが)、ないんです。

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合唱団の定期演奏会

東北では信じられない状況になっているが、こちらはいつもの週末である。仕事や確定申告の手続きなど、やるべきことはたくさんあるが、家にいるとついテレビの前から動けなくなる。

きょうは予定通り、子供の合唱団の定期演奏会が開かれた。午後から夫と一緒に出かけ、子供たちの歌声を聞いてきた。久々に山のママ友たち、先生たちにも再会した。

ゲストとして、山の中学を卒業して、いまは東京芸大で声楽を学んでいる先輩がオペラの独唱をしてくれた。山の学校の運動会や文化祭で見かけていたあの少年が、こんなりっぱな青年になり、すばらしい歌を聴かせてくれた。数年前に山の市民センターでの小コンサートでも独唱してもらったが、あのときより、一回りも二回りも進化したのがよくわかる。ママ友たちも、「鳥肌がたったね」と感想を漏らしていた。

たまたま山の中学校に赴任してきた校長先生が音楽の先生だったので、彼はその才能を見出され、音楽の道へと進んだのだ。なんでも、彼は廊下でよく声を出していたらしい。これが大規模中学だったら、もしかして、才能を見出してもらえなかったかも!?
すべて運命だというつもりはないけれど、不思議なものだ。

それにしても、テレビを見るのが辛い。この国はどうなっていくのだろう。こうなったら、敗戦時の気持ちになって、国民一丸となって立ち上がり、がんばるしかない。そして、今もただただ祈っている。

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ごんぎつね(ベルギーの列車の中で)

昨晩はまたも愚行を冒してしまった。夫の帰宅後、3人でバレンタインのティータイムをしたのだが、夫もお土産を持ち帰っていた。それは、料亭で食べ切れなかったお寿司とステーキ。息子も私もお腹はいっぱいだったけど、明日の朝では食べられない…とばかりに一口食べると、これがまあ、美味しかったのだ。それでも息子は、「もうこれでいい」と一口で箸を置いたのに、私はもったいないからと寝る直前にまた食べてしまった。(ちなみに、私はケーキは食べていないのだけど。)

寄る年波には勝てないようで、案の定、明け方3時に気持ち悪くて、目が覚めた。強靭な私の胃腸も、さすがに大量の高級食材は消化しきれなかったようだ。そして、前回のうどん&搔き揚げ事件と同じく、最終的には嘔吐して、やっと気持ち悪さがおさまった。美味しいものを食べた幸福感も、これで台無し。以後、腹八分目に徹することを心に誓った。

さて、きょうは遅くに塾から帰った息子が、学校の音読の宿題が残っているとうんざり顔。普段は楽しい音読なのに、今回は長すぎて、嫌なのだと。何を読むのかと思えば、『ごんぎつね』。こりゃ、長い!

『ごんぎつね』は、私も子供の頃に読んで心に残った名作だ。息子が字が読めるようになった頃、一番最初に買った絵本のひとつでもある。さらに、思わぬところで出会った思い出の本でもある。

パリ留学時に、クリスマス休暇をオランダの友人と過ごすため、ひとり電車旅行をしていたときのこと。途中、ベルギーで乗車した男性が私の隣に座り、私が読んでいた本をちらちら覗きこもうとした。読んでいたのは、パリのルームメイト(日本人)から「ぜひ読んで」と渡されたシャーリー・マクレーンの『アウトオンアリム』だったのだけど、隣の男性が気になって、読書が進まない。逆に、その人を見てみると、彼も本を読んでいる。しかもその様子が、「見てくれ!」と言わんばかりの堂々たる態度。なんのつもりだろう?と思って、よく見ると、彼も私と同じく視線を上から下へと動かして本を読んでいる。あれ、縦書き!?

ちらりと彼の本を盗みみると、やはり日本語。しかも、「おっかあ」だとか古臭い言葉が見えたので、いったい何を読んでいるのか質問したら、待ってましたとばかりに彼は嬉しそうに答えてくれた。「ごんぎつね。知ってますか?」

いきなりヨーロッパの電車の中で、「ごんぎつね」と聞いて面食らう私に、その青年は自分はベルギーの大学で日本語を勉強していて、今からブリュッセルまで小津安二郎の映画を観に行くところなのだと、語ってくれた。

さすが、日本語を勉強しているだけあって、日本人らしき人をみつけてもすぐに話しかけられない、奥ゆかしい(?)タイプのベルギー人だった。話をするときの態度も、日本人より日本人的で、ブリュッセルに着くと、私に向かって何度もお辞儀をしながら下りていった。

そうそう、それから昨日の話の後日談。私が夫と出会って、「この人と一緒になるのかな~」と思っていた頃、パリで出会った元「理想の人」が京都にやって来たのだ。美しいフィアンセも一緒だったので、私はふたりを連日、京都案内したのだが、彼は正直、あんまり幸せそうには見えなかった。彼女がトイレに立ったときに、「実は婚約は解消した」と言っていたけど、詳しいことはわからなかった。そのふたりを連れて銀閣寺を観光していたら、なんとあの時、東京からパリに遊びに来てくれた友人とばったり出会った。「ほら、昔、パリで会った●●よ!」と彼の方を指差すと、彼女は「ええ~っ!?」と一瞬言葉を失い、「●●って、あの、かっこよかった●●? まるで別人じゃない!? 子沢山でやつれたおじさんかと思った」と驚いていた。京都観光につきあってもらった別の友人からも、私がその彼ではなく、夫と一緒になることになって良かったね…としみじみ言われてしまった。

私も深く同意。だから反省はあっても悔いはない人生なのだ、今のところ。

*これを食べ過ぎたばっかりに…。
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*チョコレートケーキはこちらのお店で。
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民主主義って…!?

三連休最終日の日曜日、息子は8時半の電車でテストに出かけた。私と夫は午前中は自治会の会合に参加した。住民有志で繰り広げてきた運動に関連して、自治会の臨時総会を開くかどうかが焦点となっている。臨時総会を求める署名は3分の2を超える住民から集まり、すでに先月提出済みなのだが、いまだに臨時総会は開かれていない。

ここは新しくできた自治会のため、臨時総会開催の明確な規約がないことが災いしているのだが、隣の自治会では住民の5分の1が求めれば、臨時総会は開催されるのだという。ならば、3分の2以上の署名があれば、即開催でもおかしくないと思うのだけど…。

帰宅後、テレビの「たかじんのそこまで言って委員会」を見ていたら、憲法改正の手続きのハードルが高すぎると論じられていた。現在の憲法では、「各議院の総議員の3分の2以上が賛成した上で、国会が発議し、その後の国民投票で過半数の賛成が必要」なのだと。

もしかして、うちの自治会の臨時総会の開催は、憲法改正よりもハードルが高いのか? どうにも納得いきません。

*昨日の新幹線から(大阪)
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*夫が広島駅で買った穴子夫婦弁当(?)
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ギャグマンガ日和

こちらに転校したお陰で、大勢の男子と遊ぶようになった息子。外で遊んだり、カードゲームをしたり、DSしたり…といろいろのようだが、「YouTubeで面白い動画を一緒に見る」という遊びもあるらしい。いまどきの子は、「あのテレビ見た?」ではなく、「あの動画見た?」なのだ。

冬休みに、広島で私の同級生とランチをしたとき、息子のマンガやアニメの話に付き合ってくれた同級生が、「ギャグマンガ日和」というマンガの面白い動画が、「YouTubeにいろいろあるよ~」と教えてくれた。

早速、それを見て爆笑した息子は、ギャグマンガ日和の単行本も買い、だんだんとはまっていった。「どうやって、あの人はこういう情報を集めるんだろう?」と、息子は私の同級生に尊敬の念を抱き(?)、質問メールまで出していた。

3学期が始まり、クラスの子に話してみると、一部の男子はすでにこのマンガにはまっていたらしい。以来、誰かの家に集まると、YouTubeを見て爆笑!なんてことをやっているらしい。

もちろん家でも、息子は機会があれば私のパソコンを占領して、ギャグマンガ日和を見る。そして、一日中、テーマソングを口ずさんでいる。顔がニヤけているので、気持ち悪い。しかし、息子がパソコンに向かうたび、その曲は私の耳にも入り、やがて私もはまっていたのだ。

「コートの中には、まものがすむもの。頼れる仲間はみんな目が死んでいる…」
これを歌うと、思わず顔がにやける。どんなに不機嫌なときも。それは息子も私も同じ。そして今では夫まで…。

これを教えてくれた同級生に、私も尊敬と感謝の念を送りたい! で、今夜も我が家のパソコンからはギャグマンガ日和が流れている~。

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