夕方、イギリス人の友人宅に寄って、ミルクティーをいただいた。
台所に新たに設置された薪ストーブの横には、イギリスの古いふいごが
置いてある。
友人の経営する英語学校で、息子は彼女のお孫さんと一緒に英語を習っ
ている。先生は最近、ロックバンドを結成した若いカナダ人青年だ。
私が英語に初めて触れたのは小学校一年のとき。卒園した幼稚園で新た
に英語の先生を招くことになり、母と長年つきあいがあった園長先生が
小学生クラスに誘って下さったのだ。あの時代に、あの田舎町で英語の
クラスとは、画期的なことだった。
その先生が私が初めて出会う外国人となった。ローリーさんという、金
髪の美しいアメリカ女性だ。背も高くスタイルもよかったが、背中が少
し曲がり始めていたから、今思うと年配だったのだろう。いつも明るい
色の洋服をおしゃれに着こなし、髪型も化粧もきちんと決めて、常に笑
みを絶やさず、誰にもやさしく接してくれた。根気よく、同じ言葉を何
度も繰り返し、クラスが終わると必ずロリポップ・キャンディを全員に
くれた。テレビで見るアメリカのホームドラマのすてきな奥様が、その
まま目の前に現われたようだった。
わずか一年余りでローリーさんが日本を去ると、英語クラスは消滅した。
それでも、彼女が私に残した印象は強烈だった。よく考えると、彼女は
私が嫌いなブッシュと同じテキサス出身で、ふにゃ~とした英語を喋っ
ていたような気がするが、アメリカの女性はこんなにすてきなのかと私
は幼心に感嘆した。
あとで聞けば、彼女は軍人であるご主人と日本に来ていたという。一度
だけ招かれた彼女の自宅は、まさにアメリカのホームドラマの世界でび
っくりしたことを覚えている。あのとき、生まれて初めて飲んだ飲み物
は、今思えばクランベリージュースだったのだろう。
誰が計画したのか知らないけれど、彼女の離日前にみんなでお別れ遠足
として広島の平和公園に行った。記念写真を見ると、彼女は金髪に黒い
レースのベールを被っていた。第二次世界大戦をリアルタイムで経験し
ている彼女は、なにを思っていたのだろう。
その頃、小学校の近くではよくデモ行進が行われていた。「だんやっこ
反対!」というシュプレヒコールを聞いて、当時はやっこさんの一種か
と思い、なんのお祭りなのだろうと不思議に思っていたが、アメリカ軍
の弾薬庫建設の反対運動だったのだ。
その後、私が中学の頃、ローリーさんが再び来日し、昔の仲間でまた彼
女のレッスンを一年ほど受けたのだが、内容は基本的な日常会話どまり。
過ぎた年月を考えると、今もご存命の可能性は少ないが、彼女にとって
日本での生活はどんなものだったのか、今こそいろいろ聞いてみたい。
それよりもなによりも、本物の英語(いや米語か)とアメリカに触れる
機会を与えてもらったことに感謝したい。すべての人に平等に笑顔で接
する彼女の姿は、私にとっては古きよきアメリカそのものだった。
そんなことを思い出しながら、紅茶を飲んで一休みした私に、イギリス
人の友人がスコーンのお土産を持たせてくれた。私の場合、異文化との
ふれあいは食べ物から…かも!?
*友人宅の薪ストーブとイギリスのふいご。