呉署の晋川尚人さんに関する報道について

昨日の記事『西日本豪雨で行方不明の晋川尚人さん(続報)』は、7月14日(土)の読売新聞の記事に基づいて書いた。その後、FNN7月15日の朝日新聞、そしてきょう7月16日テレビ朝日『モーニングショー』でも報じられたようだ。この『モーニングショー』の報道に基づいて、晋川さんらの記事をアップしたニュースサイトには、人数が間違っているというコメントが寄せられたそうだ。そこで、正確な情報を知りたいと、私宛てに問い合わせて下さったのだが、私が返信する前に夕方の日本テレビの報道を見て、情報を修正されたようだ。

その後、友人を通じて晋川さんのご家族にこの件をお知らせしたところ、正確な人数を教えてくださった。しかし、マスコミの中には勝手に、あるいはいい加減に報道するところがあるようで、直接マスコミ対応する余裕はなさそうだった。朝日新聞の記事には、直前にお父さんが晋川さんに電話をしたと書いてあったが、「実際には電話していない、誰かの話とごっちゃになっているのでは?」とのこと。どうしてそんなことを間違えるのだろうか!?

一番大事な「人数」という情報を間違えて報道するテレビ。そして「事実ではない話」を報じる新聞
災害当日の混乱の中ではなく、一週間以上過ぎてからの取材で、こんないい加減な報道がされているとは。
ただでさえお疲れのご家族の心労を増すような結果になっているとは、残念でならない。
すべてがそうだとは思わないが、ますますメディアへの信頼が揺らぐ。

西日本豪雨で行方不明の呉署の晋川尚人さん(続報)

昨日(7月14日)、横浜の友人から晋川さんのご家族が7月13日の私のブログ記事をご覧になったと連絡があった。晋川さんには、奥様との間に2歳の息子さんもいらっしゃるとのこと。ますます涙が出てくるけど、7月14日付の読売新聞に記事が出たと聞き、多くの方が晋川さんのことを知ってくださったのが、せめてもの救いだ。

けれど、友人が送ってくれた新聞記事を読むと、またも涙が出る。同じ車で帰宅中だった呉署の警察官晋川尚人さん山崎賢弘(かつひろ)さんは、土砂崩れで行く手を阻まれた際、立ち往生しているほかの車の人たちに「避難しましょう」と声をかけ、誘導していたのだ。恐怖におびえる女性に「大丈夫ですよ」と声をかけ、一番後ろに移動した二人は「これがベストだよな」と確認しあっていたそうだ。ところが、またも土砂が押し寄せ、後ろにいた晋川さん山埼さんともうひとりの男性の姿が消えていたという。残りの7人は、幸いにもその後、救助された。

記事には、晋川さん山埼さんの顔写真も載っていた。お二人とも、なんていいお顔をしていらっしゃるんだろうと、またも涙。こんな若くて、りっぱな警察官を失ったとは悲しすぎる。勤務時間外でも、私たちの安全を守ろうと最善を尽くしたお二人に、国民のひとりとして感謝を捧げたい。しかも、私の故郷の警察官だなんて、誇らしい限りだ。

お二人については、その後、FNNや朝日新聞などでも報じられているようだ。ご本人、そしてご家族の無念さを思うと、悲しくてやりけれないけど、晋川尚人さん山埼賢弘(かつひろ)さんのお名前は忘れないと思う。私が広島を愛する理由がまたひとつ増えた。

お二人を含め、行方不明の方々が一日も早くご家族のもとに帰られることを祈っています。

*2018年7月13日の記事「呉署の晋川尚人さん(西日本豪雨で行方不明)

呉署の晋川尚人さん(西日本豪雨で行方不明)

きょう横浜の友人からラインが来た。かつて広島に暮らしていた頃の同級生の息子さんが、このたびの西日本豪雨で行方不明になっているのだとか。息子さんは呉署の警察官で、帰宅途中に熊野から矢野に抜ける道で土砂崩れに巻き込まれた人を助けているうちに流されてしまったという。

東日本大震災の時もそうだったけど、死者・行方不明者の人数だけ、毎日、ニュースで耳にするけれど、そのひとりひとりに家族や友達がいて、悲しみに暮れていらっしゃるのだと思うと、ただただ胸が痛む。突然、いなくなるなんて、本人も家族も、受け止められないだろう。

友人からのラインの最後には、毎日、息子さんを捜索に行っているという親御さんからのメッセージがあった。

最後の親ばか、息子の名誉をせめて拡散してください。

          呉署、晋川尚人。

 名前出してもらっていいです。

こうやって文字に残すことで、親御さんの思いがより一層、尚人さんに届きますように。

*2018年7月15日の記事「西日本豪雨で行方不明の呉署の晋川尚人さん(続報)

食パンにマヨネーズが初恋の味(これも小学校の思い出)

小学校のラブレター事件のついでに、初恋の思い出を。おませな私は、小学校1、2年生の時、同じクラスのM君のことが好きで好きで、家に帰っても、「私は将来、M君と結婚するから!」と毎日母に宣言するくらい好きだった。はっきり覚えていないけれど、それくらい好きだったんだから、たぶん学校でも、公言しないまでも、明らかにバレバレだっただろうと思う。

なぜM君のことが好きだったのか、実は今となるとよくわからないのだが、たぶん公明正大でものすごくまっとうな人だったから尊敬できたのだと思う。見た目は清潔感があって、感じよかったけど、ものすごくイケメンというわけでもなかったし、むしろ将来、サラリーマンになった姿が簡単に想像できるような、子供らしくない子供だったような気もする。だけど、真面目で、間違った言動をしない人だったのだ。

そのため、M君の前では思わず私もいい子ぶったりしたものだ。たとえば、学校の金網のフェンスが破れているところがあって、その穴をくぐると近道になるので、私も普段はそこを通っていたのだが、ある日、M君と一緒だった時、私はいい子ぶって、「この間、先生がこの穴を通っちゃいけないと言ったよね」と言って立ち止まった。しかし、M君は意外にも、「他人に迷惑をかけることならダメだと思うけど、この穴を通っても誰かに迷惑かけることにはならないから、大目に見てもらえるよ」と言って、穴を抜けて行ったのだ。「なるほど~!」と妙に感心して、私はますますM君を尊敬してしまった。

M君はうちの近所にある大きな会社の社宅に住んでいて、私も一度、放課後に遊びに行った。学校の募金活動にふたりで参加することになり、その準備だったのか、「じゃあ、きょうの帰りにうちに来れば」という経緯だったように記憶している。突然のことだったので、M君の家に行くと、お母さんも留守で、おやつもなかった。するとM君が、「うちではおやつがないと、これ食べるんだ」と、食パンにマヨネーズを塗って出してくれた。うちで母がサンドイッチを作ってくれることはあったけど、こんな食べ方は初めてだった。小学校低学年の私にとっては、この意外なおやつ、目からウロコの美味しさで、私はまたもM君を尊敬してしまった。

そして私の初恋は、2年生の席替えで最高潮を迎えた。いまどき、こんなことしたら批判が出るのではという気もするんだけど、担任の先生はどういう意図だったのか、教室の前に男子を一列に並ばせ、後ろには女子を一列に並ばせ、男女を向かい合わせて、隣の席になりたい異性を選びなさいと言った。当時は、ふたりがけの机だったので、男女のペアで席順を決めていたのだ。

もちろん私は大好きなM君のことしか頭にないのだが、みんなの前で手を挙げて、「M君がいいです!」なんて恥ずかしくて言えない…と心の中で葛藤していた。でも、もし一番に言えなくて、ほかの誰かが先にM君がいいと手を挙げたら、M君と同じ席に座れなくなる…。好きで好きでたまらないのに、みんなの前で恥ずかしくて言えないというこの気持ち…。どうしよう…としばらく悩んでいた。教室はし~んと静まり返って、まだ誰も手を挙げない。

ところがその時、M君が手を挙げて、「鳩胸さん!」と言ってくれたのだ。「すごい、クラスで一番最初に勇気を持って手を挙げるなんて!」と、私はまたもM君を尊敬してしまった。しかも、私を選んでくれたなんて。もう私は夢見心地で、M君と共に一番に席に座り、そのあとの席替えがどうなったのか、まったく記憶にない。(それにしても、担任の先生はどういうつもりだったんだろう!?)

しかし、こうやって成就した(!?)私の初恋は、3年生になる前にM君がお父さんの仕事の関係で他県に引っ越したことで、あっけなく終わりを迎えた。住所も聞いたように思うけど、そのまま疎遠に。それ以来、たまにおやつがない時は、食パンにマヨネーズを塗って、M君を思い出したものだ。ちなみに、その後、30歳を過ぎて夫と出会うまで、私の恋愛歴は暗黒の時代が続くのだけど、その話はまたいずれ。

*これは湖畔のカフェのフルーツフレンチトースト↓

湖畔の生き物

山奥の集落に暮らしていた時は、さまざまな生き物に遭遇した。家の周りに鹿サルが出てきたり、ヘビタヌキイノシシなど。家の中にもが入ってきたり、ガマガエルムカデカメムシカマキリヒルヤモリなど、なるべくなら出会いたくないような生き物が否応なく出現した。

新興住宅地に引っ越してからも、ムシや鳥や小動物には遭遇したけれど、その後、湖のそばの現在の家に暮らすようになってからは、湖畔の自然の豊かさを実感している。いろいろな生き物が生息している上に、湖畔の自然環境の中での生態を観察できるからだ。

例えば、朝から窓の外を眺めていると、スズメが遊びに来たり、が歩いていたり。ほぼ日に一度、イタチがうちの庭を横切るし、近所の飼い猫もうちの庭に侵入する。湖のそばの林には、たくさんの鳥類がいる気配だ。トンビタカ類?と思われる大きな鳥も、時々、優雅に飛んでいる。ここに引っ越してきた当初、オオタカ?の子供と思われる鳥がうちの窓に激突して、脳震盪を起こしたのか、窓の外で気を失っていたことがある。(その後、意識が戻って、飛び立っていったけど)。

それからカラス。夏の晴れた日には、家族なのか3羽のカラスが芝生の斜面で羽を広げて日干しする姿を見かける。まるでコウモリ傘が並んでいるかのような光景だ。といっても、本当に日干しかどうか、わからないんだけど。

↓ちなみに今はまだそこまで暑くないからか!?、羽を全開にしていない。しかも2羽のみ。

初めての選挙。まともな野党はいないのか?

日曜日に知事選挙があった。今年18歳になった息子にとって、初めての選挙だったので、家族そろって投票所に出かけた。今回の投票所は駐車スペースが少ないから、車が停められるかなぁと心配して行ってみたら、なんと1台も停まっていなかった。予想通り、投票率はかなり低そうだ。

というのも、立候補しているのは現職と共産党推薦の新人のみ。現職は共産党以外のすべての党派の支援を受けているので、結果は最初からわかりきったようなもの。

それでも息子にとっては初めての選挙なので、一応、選挙公報もきちんと読んだのだが、これを見て唖然!

もう黙っていられないアベ政治。あなたの一票で変えよう! 暮らし第一の県政へ
改ざん、隠ぺい、ねつ造・・・国民から退場の審判をつきつけられるアベ自民党。国の悪政と対決できる知事でこそ、県民のいのちと暮らしを守れます。

なんで知事選に「アベ政治」が関係あるのか!? しかも、「アベ自民党が国民から退場の審判をつきつけられてる」!? 最新の内閣支持率、上がってたぞ。

それに現職の知事は、かつて民主党(当時)の衆議院議員だったのに知事選に立候補して、自民党が推す候補を破って知事になった人だよ。今回は自民党の支援も得ていると言っても、「アベ政治」とは関係ないと思うけど…。そもそも、なんで「アベ」がカタカナなんだ!?

国会のニュースを見てもいつも思うのだけど、まともな主張をする野党はいないのか? 与党は少なくとも、政策の決定・実行についての責任は負っているのに、野党は無責任に人の批判(中には揚げ足とりや人格攻撃まで)ばかりやっているようにしか見えない。ネガティブなことを聞かされ続けると、こちらも嫌な気分になってしまう。具体的な政策提案など、建設的で前向きな話をしないと意味ないじゃない!? 政治家が将来への希望を語れないで、どうするんだ!?

ちなみに、ただ「アベ」批判をするために立候補したのかと思えるこの対立候補、地元の国立大学の元副学長と書いてあったので、さらにがっくり。記念すべき息子の初選挙は、盛り下がりすぎでありました。

指圧の心は母心(小学校時代の思い出)

いつもポッドキャストで聞いているラジオ番組『飯田浩司のOK! CozyUp!』で、きょうは飯田浩司さんの小学校時代の担任の先生からのメッセージが読まれた。それを聞いているうちに、思わず自分の小学校時代の恥ずかしい思い出が蘇ってきた。

確か私が2年か3年の頃。当時、テレビで「指圧の心は母心」というのが流行っていた。浪越徳治郎という温和な顔のおじさんが、「指圧の」と言いながら親指を立てた右手を前に出し、次に「心は」と言いながら親指を立てた左手を前に出し、最後に両手を胸に当てながら「母心」と言うのだ。

ある日の休憩時間、私は教室のドアのそばで、友達の前でそれをやって見せていた。ところが、「指圧の心は」と手を出した瞬間、クラスの男子が教室に入ってきて、私のげん骨が彼の顔を直撃。そして鼻血が出てしまったのだ。ビックリした私は、ともかく平謝り。「ごめんね、大丈夫?」と何度も謝ったが、大勢の女子の前で鼻血を出してしまった恥ずかしさからか、彼は無言のままだった。そして、その後、私とは口をきいてくれなくなった。

こちらも悪気があったわけではないことは、わかってくれていたと思うけれど、そのまま無視され続けて、週末を迎えたので、さすがに私もなんとかせねばと思い、家で謝罪の手紙を書いた。そして月曜の朝、早めに登校して、彼の机にその手紙を入れた…つもりだった。ところが、授業が始まってしばらくしてから、彼とは別の男子が突然、大きな声を上げたのだ。

先生! 僕の机の中にラブレターが入っとる!

「ぎょえっ! それ、私の手紙だ!!」と焦っても、もうあとの祭り。当時そのクラスでは、縦の列の席順は同じまま、毎週、廊下側から窓際に1筋ずつずれることになっていたのに、それを私は忘れていたのだ。なんという不覚。

先生はその男子から受け取った手紙を開封して読んでいる。「ああ、どうしよう…!!」と焦る私。手紙を読み終わった先生は、「これはラブレターじゃなかったよ。本当は○○君じゃなくて、xx君に宛てたものでした」と言うと、その手紙を今度は声を出して読み始めた。ますます焦る私。そして先生は読み終わると、「というわけだから、xx君、鳩胸さんを許してあげなさいね」と言ったのだ。

さすがにみんなの前でそんなことを言われたxx君は、もちろん許してくれたのだが、2度も大勢の前で恥ずかしい思いをさせたようで、私は申し訳なくて仕方なかった。私が席を間違えさえしなければ、こんなことにはならなかったのに。その後、彼は以前と同じように、仲良くしてくれたと思うけど、今でもこの事件が彼の記憶に残っているのかなぁと気になっている。

ちなみに、その後、私の母と彼のお母さんは同時期に同じ病院に入院して、彼のお母さんが弱っていた私の母の病室まで来てくれたりしていたそうだが、結局、彼のお母さんの方が先にお亡くなりになった。そして、その後、我が家と同じ霊園に彼のご両親のお墓があるのを発見。お墓参りに行くと、彼のご両親のお墓にもお参りすることにしている。

実は最近になって広島の高校時代の同級生から、このxx君と飲み屋で偶然知り合ったと連絡がきた。出身地の話が出て、私と同じ小学校だったと判明したらしい。なので、連絡しようと思えばできるのだが、私はいまだに「指圧の心、ラブレター事件」で気が引けて、連絡できずにいる。

それはそうと、そもそも「指圧」って、浪越徳治郎氏が始めたのだそうだ!!! 歴代総理大臣、モハメド・アリ、マリリン・モンローなど、たくさんの著名人を治療して、指圧を世界に広めたすごい人だったのだ。

(潜在的)地震恐怖症 / seismophobia

2018年6月18日(月)の午前7時58分

大阪北部地震で、この辺りも震度5弱の揺れがあったらしい。「らしい」と言ったのは、私は震度5弱と思える揺れを体感していないからだ。

普段は車通勤の夫が、その日は夕方から打ち合わせを兼ねた宴会に出席するというので、私が珍しく職場まで送って行った帰り道に地震が発生。といっても、私はスマホのアラームにビックリしたものの、「もしかしてちょっと揺れたかな?」というくらいで、そのまま走り続けたのだ。(たぶん、アラームのせいで、前後の車も徐行してたけど)

その5分後くらいに帰宅すると、家の中も外もなにも変わっていなかった。鴨居にかけていたハンガーも、そのまま。しかしよく見ると、金魚の水槽の水が少しだけこぼれていた! 

地震発生時、学校(@京都)の教室にいた息子や、うちからさほど離れていない職場にいた夫も、ものすごい揺れだったと話していたので、揺れの恐怖を感じなかった私はラッキーだったのかも。

私はいまだに震度4までしか、体験したことがない。どうも潜在的な地震恐怖症らしく、太平洋岸にも、高層マンションにも、住みたいと思ったことがない。というより、絶対住みたくないのだ。地震国である日本に絶対安全な場所なんて、ほぼないだろうと思うけど、それでも地震が来てもまだ大丈夫そうなところを選んで住んでいるつもりだ。(とりあえず生き延びれそうなところ。)

そして今回なによりも実感したのは、家族が一番ということ。みんな無事で一緒にいられることが、本当に幸せなのだ。ありがとうね。

*関連記事「私の東京脱出の理由(阪神淡路大震災の日に)

紅茶を飲みながら、英国の歴史を考える(さすがブリカス)

私も夫も朝はコーヒーと決まっていたのに、なぜか夫が去年あたりから紅茶を飲むようになった。私も紅茶好きの友人たちの影響もあり、最近になって夫と共に紅茶を飲むように。また、友人たちから紅茶の淹れ方や、カップのことやらアフタヌーンティーの歴史などを聞きかじっている。先日も、そういった本を貸してもらって読んでいたら、学校のテスト勉強をしていた息子の世界史の範囲と被っていたらしく、ふたりでしばし英国の歴史談義。(今では私が息子に教えてもらう側なのだが。)

ついでに、私が録画していたエリザベス1世メアリー・スチュアートのドキュメンタリー番組も一緒に見たのだが、見終わったあと、なんとも言えない気持ちになり、思わず言ってしまった。

結局、よそのお家のゴタゴタじゃない!? それをわざわざ世界史で勉強して、テストすることないよね~!?

すると、息子がこんなことを教えてくれた。ネットの世界でイギリスは「ブリカス」と呼ばれているのだと。

ブリカス!? 

つまり、ブリティッシュはカスってことね!? 確かに、いま現在の世界の大問題の原因は、そもそもブリカス(や欧米)が作ったものだと言えるし。世界史を勉強すると、「結局、イギリスが悪いんじゃねぇか!」という気分になるわけだ。納得。

紅茶にしたって、英国お茶が入ってたかだか350年ほどの歴史しかないくせに、「何をえらそーにアフタヌーンティーとか言ってんだ!?」と言いたくもなるのだが、それでもその優雅な雰囲気に憧れの気持ちも抱いてしまうのは、私も欧米文化に洗脳されている証拠!? 反発がありながらも、英国ドラマのあの雰囲気はやっぱり好き。

ちなみに、日本に初めてお茶を持ち帰ったのは、遣唐使だった最澄と言われている。805年お茶の種子を持ち帰ったそうで、今も比叡山の麓に日本最古の茶園がある。(日吉茶園)最近、ここのお茶のDNAを調べたら、最澄が留学していた中国・天台山お茶のDNAと同じことが判明したらしい。

ところで、よく考えたら、私も高校生の頃、シュテファン・ツヴァイクの『メリー・スチュアート』を読んだ記憶が蘇ってきた。小論文まで書いた記憶があるのだけど、本の内容はさっぱり思い出せない。やはり所詮、よその家のゴタゴタなのだ。

さっき聞いたばかりの新語「ブリカス」も、間違えて「ブリクソ」と言ってしまったし、私の記憶力、衰えてる! ま、カスもクソも似たようなものか。実は私の故郷では、「ブリ(本当はブチ)」は「very」の意味なので、「ブリカス」は「めちゃくちゃカス」という意味にとられそう。

*もしかして、「ブリクソ」と勘違いしたのは、「ブリクサ」のせいかも!? → ブリクサ・バーゲルトドイツのバンド、アインシュテルツェンデ・ノイバウテンのリーダー。こういう名前はちゃんと覚えているのが、我ながら不思議!

何のためにブログを書くのか

最近、「好きなことを仕事にしよう」とか、「ネット(SNS)を利用して自分の好きなことをビジネスにできる」といった主旨の本がたくさんあって、私もいくつか読んでみた。確かに時代は変わったと実感するし、大きな可能性も感じるのだが、「では自分に何ができるのか?」と考えると、ビジネスに繋がるようなことは思い浮かばない。

そもそも、このブログも2004年にデジカメを手に入れたことが嬉しくて、自分のために始めたものだし。今となっては、自分にとっての貴重な記録となっているので(両親を看取るまでの期間は特に)、やっていて良かったと思うけれど、金銭的にはなにも得ていない。

お金を払ってでも私にやってもらいたいことはなに?」と周りの人に聞いてみるといい…というのを本で見て、早速、夫にこの質問を投げかけたら、「う~ん」と言ったきり返事がなかった。が~ん、何もないのかよ。

このところ「作戦会議」と名づけて、ときどき集合して夢を語る(?)仲間がいるのだけど、思ったことはすぐに行動に起こす友人にかなり触発されながらも、私はまだ何もできずにいる。というか、何をしたいか、この年になっても、よくわかっていないという…。もちろん、基本的に家にいるのが好きなので、今のままでハッピーなんだけど、何歳になっても夢は持っていたいから、いろいろと模索中。今は天中殺期間だし、次のステップの準備期間と思って、いろいろ勉強しようと思っている。もともとパソコンを使いこなせていない私が、ワードプレスやったり、ポッドキャスト作ること自体が、すでに自分にとっては大きな挑戦! やり続けていたら、いつか新境地が開けてくるかも!?

*もしかして先日の子亀の親か!? 亀の歩みって、意外と早い! 見習わなくちゃ。