今となっては信じられないのだが、小さい頃の私はわりと食が細く、好き嫌いもあって、けっこう神経質な子供だったらしい。その上、食べるのも遅かったので、小学校入学後は時間内に給食を完食できず、困った担任の先生がうちの母に、「お宅ではどんなご馳走を食べさせていらっしゃるのですか?」と訊いたという。もちろん「家で毎日、ご馳走を食べていたから、給食なんてまずくて食べられなかった」わけではなく、単に食べるのが遅い私に、先生が「早く食べろ、全部きれいに食べろ」とプレッシャーをかけてくるのが逆効果になっていただけなのだ。
小学校中学年までの担任は、3人とも年配の女性教師だったので、特に「食べ物を残してはいけない」と私たちに強く言っていたのだろう。彼女らも、私の母と同じく、戦争中にひもじい思いをした世代だったのだ。
ところが高学年になって、初めて担任が彼女らより若い男性教師となった。その先生は熱血だけど、怒ると怖いと評判だった。当時は体罰もオッケーの時代だったから、悪いことをした生徒は前に立たされて、平手打ちをされた。罰を受ける生徒が多いときは、先生も手が痛くなるので、黒板消しでガツンとやったり…。でも、叩かれた生徒は誰も反発しなかった。「自分が悪かった、叱られて当然」という時に叩かれるので、みんな納得していたし、逆に先生の愛情の証みたいに感じて、叩かれた生徒は内心、喜んでいたような…。とは言っても、先生が実際に平手打ちするのはよっぽどのことがあった時で、普段は「われ、ドタマかち割っちゃろうか!」と怒鳴るだけの愉快な先生だった。
その先生が、担任となった最初の給食の時間にこう言ったのだ。「ほんまは給食は残さず全部食べた方がええよ。じゃけど、わしは自分が好き嫌いがあって全部食べられんけぇ、あんたらにも全部食べとは言わん。なるべく食べるようにすりゃあ、ええ」。怖い先生だと思っていたので、てっきり「給食はきっちり食べろ」と言われると思っていたのに、無理して全部食べなくていいとはビックリ。しかも先生は、パンを一切食べなかったのだ。当時の給食のパンは確かに不味かったので、今となると、先生の気持ち、よく理解できるのだけど。
これは市内のすべての小学校でやっていたのか、それともうちの小学校だけだったのか、よくわからないけれど、当時、うちの学校ではプールを使わない季節には、プールで鯉の稚魚を飼っていた。(さすが、広島だ!)毎年、プール開きの前にその稚魚を売って、何かの足しにしていたのだと思う。なので、プール開きの前には、藻などで緑になったぬるぬるのプールをみんなで掃除するのが恒例だった。
パンを食べない担任の先生は、稚魚がいる時期は、給食を食べ終わるとプールに行き、パンをちぎってはプールに投げ入れて鯉の餌にしていた。私たちも、たまに一緒に行って、自分が残したパンや、先生の残したパンをもらって、プールに投げ入れた。わけもなく、すごく楽しかったのを覚えている。
そして、給食が食べられなかった私が、なんとこの先生が担任になってから、給食を楽しく完食するようになったのだ。「無理して全部食べなくていい」と言われたら、全部食べられるようになったのだから、人間って不思議。(なお、「強制しない方がうまくいく」というこの法則は、自分が子育てをするようになってから、何度も実証済みだ。)
ところで給食の残飯って、今はどう処理しているのだろう? 当時は、給食係りがまとめて大きなバケツのような容器に入れた残飯を、近所の豚小屋に持って行っていたように記憶している。(その豚小屋を覗きに行くと、豚が残飯を食べていた。)その頃は、学校のトイレもすべて水洗ではなかったので、バキュームカーが来ていたし、今思うとエコな時代だったのだ。
さて、私を「好き嫌いなく何でも食べられる人間」に変えてくれた担任の先生とは、小学校を卒業してから会ったことはない。いや正確には、一度だけ、先生の姿を見かけたことはある。私が帰省した際、夜遅くに夫と一緒に駅前の大型書店に行ったところ、先生らしき人を見かけたのだ。いつも口癖のように、「若いうちに本はたくさん読め」と言っていた先生だったので、間違いはないと思う。「年をとってから、あの時、もっと本を読んでおけば良かったと後悔するから、今のうちにたくさん読め」という先生の言葉を、まさにその通りだと思い出していたのだけど、その時の私は、すっぴんでどうでもいい格好をしていたことが恥ずかしくて、先生に声をかけられなかった。そして、そのことを今も後悔している。それ以来、どこで誰に会うかわからないから、恥ずかしい格好では出歩かないように…と言い聞かせているのだが。ちなみに、先生の住んでいらした地区は、今回の豪雨で大きな被害があったらしい。まだそこに住んでいらっしゃるかどうかもわからないけれど、今も元気でいらっしゃることを祈っている。
*ご近所さんから頂いたナス!