左翼の社会科教師の告白(昭和天皇の広島行幸)

先日に続き、私の広島での女子校時代の思い出話である。女子校にも、もちろん男性教師はたくさんいて、その中にダンディーな社会科の先生がいらした。私は世界史と公民を教えてもらったように記憶している。授業中にたまに雑談が始まり、熱くカープ愛を語ってくださったりもしたが、その話しぶりから、なんとなく左翼思想の方なのだと認識していた。それも、けっこう筋金入り…という印象。まあ、当時の社会科教師は殆ど左翼思想だったろうけど。素直な高校生だった私は、お陰でしっかり自虐史観に染まり、戦争を体験している両親に突っかかっていったことがある。

けれど、私がその先生の雑談で今でも覚えているのは、昭和天皇の広島行幸の話。先生がどの程度の左翼だったのかはわからないが、普段は「天皇なんて…」といった態度だった先生が、たまたま昭和天皇の広島行幸に遭遇。天皇陛下がお出ましになったのか、それともお車が通過したのか、詳しいことは覚えていないが、陛下がいらっしゃるとわかった瞬間、気がついたら「はは~っ」と深々と頭を下げていたそうだ。恐れ多くて、身体が自然に反応したらしい。「その時、なんだかんだ言っても自分は日本人なんだなぁと思った」という先生の言葉が、ずっと心に残っている。頭でどうこうじゃなく、日本人の身体にしみついているものがあるということなんだなぁと、少し嬉しい気持ちになったのだけど、今の日本人はどうなのだろう!?

ところで、この昭和天皇の広島行幸はいつのことだったのだろうと調べてみたら、1947年、1951年、1971年と行幸されているので、1971年のことだったのだろうか。

ちなみに、1947年12月昭和天皇戦後最初の広島巡幸の際、小学校3年生だった中沢啓治氏(『はだしのゲン』の作者)は、「天皇制を否定していた父の影響で、家族3人が被曝死したのは天皇のせいだと思っていた」ため、学校の先生に歓迎の日の丸の小旗を作るよう言われても作らなかったそうだ。

その日の様子を、中国新聞はこう報じている。「5万人の国歌大合唱が感激と興奮のルツボからとどろき渡る。陛下も感激を顔に表され、ともに君が代を口ずさまれた。涙…涙…感極まって興奮の涙が会場を包んだ」。そして天皇陛下のお言葉のあと、市民は帽子や手やハンカチを振りながら「万歳!」と絶叫したという。この市民の熱狂を、当時の広島市長は「他国で苦労した子供が、理屈なく両親に会いたくなる気持ちに似たようなものがあったと思う」と説明している。

先生の話と同じく、ここでも「理屈なく」なのだ。これは日本人にしかわからない感覚なのかも知れない。いや、正確には、もしかしてこの感覚を共有しているのは「昭和の日本人」までかも知れないけれど。

そこで思い出すのが、私が高校生で初めてイギリスに行った時のこと。英語の授業でイギリスの王室日本の皇室がテーマとなり、「日本の天皇とはどういう存在か?」と質問された。語彙の乏しい中で、とりあえず「国民がリスペクトする人」だと答えたところ、イギリス人の先生にこう言われた。「リスペクトするかどうかは、その人がどういう人物かによって決まるのであり、ある特定の地位にある人だからリスペクトするというものではない」と。先生の言わんとすることは理解できたけれど、それでも私はその時、心の中で反論していた。「でも、多くの日本国民は現実に天皇陛下リスペクトしていると思う…」と。だけど、その理由をどう説明していいかわからなくて、黙っていた。せめて、「イギリスの王室とは違うんだよ」と言いたかったけれど、この感覚はやはり日本人以外には理解し難いものかも知れない。

きょうは、73回目の終戦記念日であった…。


*豪雨でレモンの被害があったと聞いて心配していたけど、今年も瀬戸内海の大崎上島からブルーベリーが届いた!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です