数日前の新聞のコラムに、かつて寺院は戸籍の管理所や子供の教育機関など
いくつもの役目があり、中でも地域の霊的センターとして機能していたと書
いてあった。しかし、現在開発される住宅地にはそんなものはない。都会の
巨大ビルの中には寺も神社も存在せず、ただただ閉じられた空間に大量の人
間の羨望や嫉妬など、重苦しい「気」がたちこめていると。
私がここに越してきて、すぐに気がついたのは、お寺と神社の存在だ。山間
の谷間を流れる川沿いに点々と散らばる各集落には、必ずお寺と神社と集会
所がある。今でもお年寄りはお寺の集まりに参加し、当番制で神社の灯りを
点し、清掃作業をする。
サイキックな占いさんに、この場所に引っ越すつもりだと話したとき、私の
話だけでこの場所の情景が見えたらしい占いさんは、「とってもいい風が流
れていて、なにかに守られているような場所ね」と羨ましそうに言ってくれ
た。
さて、私と子供の散歩道になっているお寺に行ってみると、大きな松に長年
巣食っていた蜂が退治されていた。しかし、すでに松の木は蜂の巣のせいで
枯れかけている。しかも、すぐそばのお地蔵さんは頭がとれて、下に置いて
ある。なにがあったのだろう?と、息子とふたり、いつも通りに手を合わせ
た。
街だけでなく、山も里も荒れていく。妖怪たちが怒っているかも。