やっと年賀状を書いています。年賀欠礼のハガキが前より増えたような気がするのは、私自身が年を重ねている証拠でしょうか。
そして、年賀状を出せない友人・知人にしばし思いを馳せています。特に、番狂わせの思いがけない死に直面した友人のことを思うと、胸が痛むばかりで、言葉を失います。
年賀状を書けない友人にこそ、この休みの間に心をこめて手紙を書こうと思います。
びわ湖畔に暮らす翻訳家の物語
テレビをつけても、気の滅入るニュースか、くだらないバラエティ。だからというわけじゃないけど、マジではまっています。冬ソナ。いまさらですが。クリスマスのディナー(というほどのもんじゃないが)も早々に切り上げ、子供を寝かせ、こたつに入って、DVDに釘付けです。メールをしたり、年賀状を書きながら見ようと思っていたのに、そんなの無理、無理。
NHK総合で放送されていた頃、偶然にちらっと見たときには、「なんだ、このメロドラマは!?」という印象しかなかったのに、最初から見ていくと、もう、はまる、はまる。なぜ、ユジンがあんなに涙を流すのか、わかる、わかる。
夫とふたりで見ていると、互いにウルウルくるポイントが違っていたりして、それもまた面白い。そして、ふたりしてヨン様のセリフにノックアウトされるのです。あんな言葉を言われて、惚れない女はいないだろう。なんと心の広い男だ!と。夫はヨン様のセリフを、いくつもいくつも、心のメモに書き留めています。いったい、いつ使うつもりだ?
それにしても、ヨン様(というか役名でいえばミニョンさん)のセリフはすばらしい。「私にも言って、言って!」、と日本中のおばさん(だけでなく若い女性も)が思ったとしても不思議ではない!
が、私たちはこれ、日本語の吹き替えで聞いてるんです。萩原聖人の声がいまいち高めで、ちょっと不満なんだけど。だから、二回目は字幕で見ようと思っています。なるほど、こうやってみんな、韓国語バージョンに流れ、やがて韓国語クラスに通うようになるのだな…。多分ヨン様のセリフを紅毛碧眼の青年が言っても、ダメなんだよね。見た目は日本人と変わらなくて、でも、日本人の男にはとても言えないことを言ってくれる。これが、おばさんたちの心をくすぐるのは当然でしょう。(私もくすぐられてますよ、おおいに。)
そんなわけで、お正月の準備がなかなか進みません。このところ寝坊も続いてます。夫との会話も、冬ソナの引用ばかり。ああ、おそるべし、冬ソナ。
ところで、私がヨン様の年齢だった頃、中国に留学したことがあります。留学生寮の二大勢力は日本人と韓国人で、当時、両者の間には壁がありました。日本人の若者は、団結力もなく、小グループに分かれ、特に韓国人を意識することもなく、のほほんと過ごしていました。一方、韓国人は学校内に韓国人学生組織を作り、日本人との恋愛関係はご法度と決めたりして、日本人への対抗意識を露わにしていました。それでも、文化的にも近い日本人と韓国人は結構仲良くなったりして、私も韓国人の学生とよく遊びました。
今思えば、ヨン様と同世代の青年たちだったのだな~と、懐かしく思い出します。大学の広いキャンパスで、私の姿をみつけ、遠くから大きく手を振りながら、大声で私の名前を呼んでくれたパクくん。特に仲良しでもないのに、私の買い物袋を当然のように運んでくれたキムくん。そして、みんなの前では知らんふりしながら、影では声をかけてくれたり、太極拳を教えてくれたチュングン。そういえば、彼はミニョンさんみたいに、米国在住だったなあ。などと、遅ればせの青春時代に思いを馳せる年の瀬なのでありました。
今朝も雪が降りました。宿直で不在の夫に代わり、犬の散歩に行きました。きょうは、いつもの川の流れる音と、朝の鳥のさえずりに加えて、山の木々から雪が融けて落ちる音が聞こえます。
おととい保育園のノートに書かれていた先生の言葉が、まだ気になっています。うちの子は、ほかの子供たちの世界とちょっと違うところがあって、話がかみ合わないこともあるのだとか。その日は、アメリカのブッシュの話をしたそうです。
テレビのニュースを見ていると、子供がときどき質問します。たとえば、子供向け番組の戦いのシーンとは明らかに違うイラクでのテロや戦闘の場面。「どうしたの?」「あれ、どこなん?」
こういうとき、どう答えればいいのか、悩みます。大人の言葉でとりあえず説明すると、子供なりに解釈して、さらに質問してきます。
「なんでブッシュは、イラクを壊したん?」
こんな平和なクリスマスイブの朝、美しい日本の山の中で、私はまだ息子の質問について考えています。
今朝は近くの山のてっぺんがうっすら白くなっていました。とはいえ、昼間はしとしと雨降り。その中で裏のおばちゃんはせっせと畑でなにやら作業。ときどき笛を吹いたり、大声を出しているので、サルが出ているんだな・・・とわかります。
さて、私もそろそろ犬の散歩に・・・と雨の中、いつもの道を歩いていたら、落し物をみつけました。カバーつきの新しい本です。雨に濡れる、と手にとってみたら、
『間違いだらけの中高年の性-高齢化時代の性を考える』
石浜淳美著
とありました。
国道から奥に入った、殆ど人通りのない山道で、誰がこんな本を落としたのでしょう? う~ん、想像がふくらむ~!
サルの出現に森の荒廃を実感し、自然環境について考えさせられていたのに、山道の落し物で、今度は高齢化社会について考えさせられ…「田舎ののどかな生活」というのもむずかしい!
長い間、空家だった古民家を改築する際に、囲炉裏やおくどさん(かまど)、ぽっちゃん便所も取り壊しました。けれど、この五右衛門風呂だけは、残しました。まだ使えそうだったし、タイルが可愛かったから。
焚き火が趣味、という夫は、毎日喜んで風呂焚きをしています。以前は、たまに食事の支度をしてもらっていたのに、今は風呂焚きがあるため、役割分担が定着した感あり。
が、このところ、夫が帰宅する前に私が風呂焚きを始めることが多くなりました。寒くなったので、早く沸かして早く入りたいというのが最初の理由でしたが、今ではこんな楽しいこと、夫にやらせてなるものか(!?)と。
保育園帰りの子供と一緒に、焚きつけ用に杉の葉を拾い集めるのも、楽しいものです。
実は私も子供の頃は、五右衛門風呂を焚いていました。我が家は、お風呂のない古くておんぼろの借家に住んでいましたが、ある日、父が家の建替えで不要になった五右衛門風呂を知人からもらって来たのです。ついでに不要になった材木もたくさん持ち帰り、家の裏に家族三人で風呂場を作りました。お風呂の釜はコンクリートで固めただけ。それでも、私にとっては大満足の出来上がりでした。その後、いくつかの家に暮らしましたが、鮮明に思い出せるお風呂場はこの五右衛門風呂だけ。思い出がいっぱいつまっています。