明日は結婚記念日

夫はきょうも仕事が忙しそうだ。職場関係の節分行事がローカルニュースで放送されるというので、私はテレビの録画係。

息子は明日が校外学習、そして塾の初日である。新5年生から授業は1日2コマなので、お弁当持参となるのだが、初日の明日だけは例外的に1コマ授業。ただし、校外学習用のお弁当を作らねばならない。

でもって明日は私たちの結婚記念日なのだ。こんなことを、こんなところで言っていいのかわからないが、私は夫と出会えたことに日々、感謝している。結婚するまでも、ずっと自分は幸せだと思っていたけど、夫と出会ってからの人生と比べると雲泥の差だ。「結婚しなけりゃよかったかも…」なんて考えがよぎったことは、一瞬たりともない! だって今も毎晩、「ああ、この人と出会えて本当によかった!」と思いながら眠りにつくのだから。

もう何年も前に、ある知人から「人生で後悔していることはあるか?」と聞かれ、「反省はあるけど、後悔はない!」と言い切ったら、びっくりされたことがある。彼女は出会う人に、この質問をする習慣があり、「後悔はない」と答えたのは私で2人目だったのだと。

さてさて、夫に「あなたと出会えて本当に幸せだと、毎日、思っている」と伝えたら、「あなたの行動を見ていると、とてもそうは思えない」と苦笑された。思いと態度が、裏腹だったかしら? ああ、また反省。

*節分のお土産
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亡き母の夢

やはり、かなり疲れがたまっている。説明会のテープ起こしをしているが、体がしんどい。じんましんも、広がるばかりだ。(足から腕、腹部、胸部まで…)

実は今朝方も夢を見た。昨日と違って、きょうは目が覚める直前の場面がはっきりと記憶に残っている。なんと、母が出てきたのだ。去年の夏に母が亡くなってから、夢に出たのは初めてのこと。(私の意識に残っている限りでは。)しかも、その内容も気持ちいいものではなかったのだ。

亡くなった母が聖母マリアのようになっていると従姉に教えられ、地下の祭壇に行ってみると、遺体となって横たわっていた母が動き出して、私の名前を呼ぶのだ。しかも、滅多に声を荒げることがなかった優しい母が、緊急事態でも起きたかのように、私の名前を叫ぶのだ。

私の潜在意識はいったい何を訴えているのだろうか…!? 最近、夢を記憶していることがなかったので、久々に考えてしまった。

ひとつだけ言えるのは、めちゃくちゃ疲れているということ。体が悲鳴をあげているのは、間違いない。

だから、きょうは早く寝ようと思っていたのに、サッカー、アジアカップの韓国戦を見ずには寝られまい。せめて、日本代表が君が代を斉唱している姿だけでもリアルタイムで見なくては。

*今朝も雪。
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幟町教会(世界平和記念聖堂)

冬休み中に会おうと話していた同級生と、きょうやっと会えることになり、息子の塾近くのレストランで早めのランチの約束をした。その時間まで、いつものデパート&本屋には行かず、朝の広島の街を散歩してみた。

実は時間をみつけて行こうと思っていた場所があったのだ。それは幟町教会(世界平和大聖堂)。たまたま聖堂の裏側から敷地に入ってしまい、脇の戸口まで行ったら外国人の神父さんが出てこられ、中に入っていいですよと声をかけてもらった。

朝のせいか、寒さのせいか、広い聖堂には誰もおらず、ただひとり、聖堂の最前列に座った。その荘厳さに心打たれて、感動のあまり涙が出た。神様が、一対一で私と向き合って下さっているのだ。それはつまり、自分自身と向き合うことでもある。

幟町教会の中に入ったのは、約30年ぶりだろうか。あのときは、パイプオルガンの演奏を聴きに来たのだっけ? カトリックの学校に10年も通いながら、仏教徒と称して、カトリックの勉強もきちんとしたことはない私だが、カトリックの教会は大好きだ。パリに暮らした頃も、通りすがりの教会でしばし休憩する静寂の時間が好きだった。お気に入りは、サンジェルマンデプレ教会と、サンシュルピス教会。祈りの場所というのは、誰にとっても神秘的で心安らぐものだ。

きょうの私も、久しぶりに教会で祈りの時間を持てたことで、心の洗濯ができた気がした。その後、久しぶりに会った同級生からもいいエネルギーをもらって、本当にすがすがしい一日だった。

*幟町教会
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*キリスト生誕の場面(人形がリアル!)
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虹日和

DSC02068  私がひとりで京都に引っ越してきたときからの友人に、久しぶりに会いに行った。彼女は先月、14年連れ添った愛犬を看取ったばかり。殆どいつも連れ立って行動していたふたり(!?)だけに、彼女の生活にぽっかり穴が開いているのではと案じていた。私も彼女のアトリエに行くたびに、彼女の愛犬をひざに乗せて、延々とお喋りを楽しんだものだ。昨晩も息子に「オモチ(犬の名前)はお前より年上なんだぞ。お前が生まれる前は、お母さんはオモチを抱っこしてたんだから」と話したところ。そう、息子が生まれるまでは、私はしょっちゅうオモチをひざに乗せていたのだ。

そんな懐かしい話をカフェでランチをしながら延々と喋っていたら、彼女の携帯にメールが入った。なんと、私がさっき話に出した共通の友人から。それも一年ぶりくらいのメールなのだと。「噂をすれば何とやらだね」と言いながら驚くふたり。彼女と会うと、不思議な偶然がよく起こる気がするのだが、彼女は彼女で私と会うと不思議なことが起こると言う。

長いお喋りを終えてカフェを出ると、空には大きな虹! これも彼女のマジックか!??

実は彼女の愛犬は、彼女がパートナーと新生活を始めたのを見届けて安心したかのように旅立っていった。帰り際に私も初めてふたりの新居を訪ね、すでに会ったことのある彼女のパートナーに挨拶した。「またゆっくり遊びに来るね」と、その家をあとにしながら、私は思わず彼女に告げた。失礼かもと思いながら、「○○さん(パートナーの名前)、オモチに似てるね」と。すると彼女も、「そうでしょう~!?」と即答。オモチも、彼には他の誰にも見せなかったほど、なついていたという。う~む、やはり愛犬はすべてお見通しだったのか。

私はとっても幸せな気分で、大きな虹を見ながら、帰路についた。

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*きょうもまたカレー食べちゃった。@京都・北山
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山口敏太郎の世界

きょうの午後から久々に山の家に戻った。(夫は今朝もお仕事、ご苦労様です!)山の紅葉は終わりに近づき、空気も街に比べてかなり冷たい。夫はさっそく薪ストーブを焚いてくれた。

夕方、夫が近所の子供さんたちと勉強会をしている間に、私は山の家のテレビで録りためていた番組にひとり見入ってしまった。中でも面白かったのが山口敏太郎のお話。実は夏に放送された番組だったのだが、話にどんどん引き込まれ、なんでもっと早く見なかったのだ、もっと聞いていたいと思ってしまった。(なんでもトークショウで8時間喋ったことがあるらしい)。

夕飯後は近所の美容室に行って、今度は私のひとりトークショウ(!?)。今では美容師さんも私も、普段は街に暮らし、ときたま山に帰って来るという生活だ。こうやって少しずつ実質人口が減っていく…。

だけど、たまに帰るといいところなのだ。今夜は薪ストーブで暖まった古い家で、昔のように息子をあんか代わりに眠るとしよう。

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ダライラマ@東大寺

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昨日が休日出勤で、きょうが代休の夫と、おでかけした。息子を送り出した直後にふたりで駅に向かい、奈良・東大寺へ。ダライラマ法王の講演会のためだ。

講演といっても途中からは質疑応答形式で(ただし、主催者より事前に政治的な質問はしないようにとの注意があった)、ざっくばらんにお話をして下さったのだが、法王が繰り返しおっしゃったのは「自分で勉強しなさい」ということ。「意味もわからずお経を唱えるなら、歌を唄う方がまし」と、仏教の経典や解説書を自分で読んで学ぶことの大切さを訴えられた。また、瞑想を実践し、その効用を科学的視点で検証するといった21世紀的なアプローチを提言されたり、「仏像やお堂を建てるくらいなら、学ぶ場所を作って欲しい」とも。

「誰かに救ってもらおう」とか、「誰かに教えてもらおう」とか、「深く考えずに、いいと言われるものをやっておこう」とか、そんな他力本願な考えでは本当には生きていけないのだ…とガツンと言われた気がした。自らが求め、努力し、苦しんで学ぶことで、初めて本当に「生きる」ことになるのだろう。

帰宅後、国会中継をつけたら、怒りを通り越して脱力。その後、TVタックルを見たら、自民党政権がいかにまもとだったかがよ~くわかった。(そのときは、そこまでわかってなかったけど)。たけしも言ってた。「あの時はみんな、麻生さんがブレてるブレてると非難したけど、今の政府と比べたら、麻生さんに謝らないといけないな。あなたは微動だにしませんでしたって」。

私を含め、甘っちょろい考えの日本人は、ダライラマの言葉を肝に銘じなければと思う。こんな政権を選んだのも、誰のせいでもない、日本人の責任なんだから。

*奈良の鹿のずうずうしさにはびっくり。タクシーに乗るんですか?
 人通りの多い土産物屋の前で交尾する鹿もいたぞ~!!!
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雨のお通夜

私たちが住んでいた山の中で寺守をしていたおじいさんが、お亡くなりになった。平安時代創建のお寺を、その当時からずっと、このおじいさんの一族が代々守ってきた。お寺は現在、重要文化財で修復工事中。おじいさんのお宅も文化財に指定されている。この集落では、誰もが知っているお家なのだ。

夫はここに越して来る前から、おじいさんにはいろいろお世話になっていた。息子も、地元の保育園の行事やお散歩で何度もこのお寺を訪ねては、お世話になった。私も地元の行事で、おばあさんやお嫁さんのお世話になっている。

夕方、山の集落までお通夜に出かけ、地元の方々と顔を合わせた。昼間は大雨だったというが、お通夜が始まる頃には雨も上がった。このお寺で修行をした僧侶が大勢集まって、最初の法要が営まれた。後で聞くと、何人ものお坊さんが涙を流していたそうだ。それだけみんなお世話になったということなのだろう。

またひとり、山の集落を支える人がいなくなり、厳しい寒さがやってきた。なんとも寂しい。

*息子の通学路から湖を眺める。
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*雲をかぶった山の向こう側に集落がある。
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自然の流れ(算明学のアドバイス)

友人に頼まれて、きょう親戚の算命学の師匠(?)にアドバイスを求めた。この友人の相談はこれまで何度となく受けているのだが、今回は彼女自身ではなく家族の問題。彼女自身は、かつて算命学でアドバイスされた通り、仕事に注力することで成功し、仕事が忙しくなったことでほかの問題への執着が薄れ、結果的にかつての悩みもたいしたことではなくなっている。要は気持ちのもちようってことか。

逆に、家族の方は本来の人生を歩んでいないような気配。だからこそ、本人もつらいのだろう。どこで道筋がズレたのか、私にはわからないけど、環境という要因も大きいのかも。たとえば子どもには、親、そして親が作る家庭という環境が一番大きな影響を及ぼすはず。親が知らず知らずのうちに、子ども本来の人生を邪魔することもあるのかも知れない。

友人の相談事で、しばしわが身を振り返ってしまった。親の責任って重大だなぁ。

ところで私の経験則では、うま~く自然の流れに乗って生きてるときって、ビックリするような偶然(私は大げさに「奇跡」と言ったりする)がいくつも起こる。実は今年に入って、特に夏あたりからそんな偶然が多い気がする。つーことは、今の流れで進んでOKってことなのだ…と勝手に解釈してるのだが。

一方で、今年の春以降、凶事が続いている友人がいる。これは、「ちょっと立ち止まって、生活を見直しなさい」ってお知らせなのではなかろうか。

どっちにしても、そういうことをいつも感じ取れる状態にいればいいのだよね。きっと。

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仏壇のごはんに梅干

母の最後の入院は一年以上に及んだが、去年の夏は病院食以外に好きなものをけっこう食べていた。食が進まないというので、スイカや桃などの果物や、好物のチラシ寿司やおはぎなど、毎日のように持っていったものだ。けれど、その後、体調の悪化とともに病院食以外は禁止となり、最後は飲み物もほとんど飲めなくなった。味気ない病院食の友にと常備していた梅干も、持ち帰るように言われた。

そんなわけで、昨日、母にお供えしてあったご飯を見て、友人がぽつりと「ご飯に梅干、のせてあげたいわ~。でも、そんなことしたら、いけんよね…」と言ったらしい。すると今朝一番で、ホールの支配人さんが小皿にのせた梅干を持ってきてくださった。それも、高級そうなおいしそうな梅干! 

葬儀をお願いしたご住職にも、いろいろご配慮いただき、感謝感激の連続。これは両親がこれまでお寺の檀徒として信仰深く生活してきたお陰でもある。もちろん長く生きていれば、いろんな人間関係があるけれど、終わりよければすべてよし、ということで。

皆さんに感謝しています。
そして一番の感謝は亡き母へ。

*かつて母がいた病室を、最後の日にこっそり撮影しちゃいました。
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母の遺影

実家に戻って、大急ぎでアルバムからみつくろった母の遺影。わりと最近の写真で、それでいてふっくらとしていた元気な頃の姿を捕らえたもの…ということで、息子のお披露目(?)会での記念写真を選んだ。私たち夫婦は入籍をしただけで、結婚式も披露宴もしなかったので、息子が生まれたあとで、広島の親戚に集まってもらって、お披露目をしたのだ。

孫が生まれた喜びに満ち溢れていた頃の母の笑顔。その日付けを見ると、ちょうど10年前のきょうだった。このとき0歳だった息子が10歳となり、得度を終え、きょうのお通夜では母を長年導いてくださったご住職の読経に唱和していた。

父には今朝ホームに行って、母が亡くなったことを知らせ、そのままホールに連れて来て、お通夜の前に母に対面してもらった。顔を見ると納得した父。「もう会いに行けんのう」とつぶやき、「わしももう何もできんようになって、はあ、酒でも飲まんとやっとられん気分じゃ」と笑わせてくれた。実は父はまったくの下戸。甘酒を飲んでも真っ赤になる人なのだ。

いつも妄想の世界の話ばかりをする父が、こと母のこととなると、必ずいつもまともになる。きょうも「明日、葬儀にまた連れてくるから」と説明すると、「喪服がない、数珠がない」と心配し始めた。「用意しておくから大丈夫」と言い聞かせ、またホームに連れて帰ったのだが、とりあえず落ち着いている様子だったので一安心。何が起きても淡々と受け止め、決して動揺しない人なのだ。だからこそ、この年まで元気で長生きしているんだろうけれど。

そういえば、母が最後まで気にかけていた私の従姉が、きょう帰り際に「28日の朝、夢におばちゃんが出てきたのよ。きっと会いに来てくれたのね」と声をかけてくれた。6月に具合が悪くなって、意識が朦朧としたときも、母はこの従姉のことを案じていたのだ。

いろんな思いが駆け巡るけど、無事に明日の一日を終えられますよう。

*息子が母のために作ったお花。
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