耐震強度偽造問題で、世間は揺れている。私は家を見るのは好きだけど、
不動産を所有することには興味がない、というか、あまり意味を見出せ
ない。こんな家に住みたい、こんな家を作りたい、という気持ちは理解
できるけど、土地を所有して「ここは私のものだ」と言い張ったり、そ
れを投資や投機の材料にするなんて。まして、ここは地震国。
だから自分が不動産を所有することはないと思っていたが、実はこの山
の中での暮らしは古家付の土地を購入したことで実現した。こんな田舎
では貸家も売家も滅多にないのだが、たまたま縁があったのだろう。た
だし、「ここは私のもんだ!」と言い張っても、こんな山の中ではサル
に笑われそうだし、まして山の神様になんと思われることか。ただ、こ
の場所を買うことで、ここにずっと暮らす覚悟と、この場所を使わせて
くださいという気持ちの表明にはなったと思う。(といっても固定資産
税も殆どかからないほどの物件なのだが…)
長年、空家だったこの家は、あと数年遅れていれば朽ち果てていたかも
知れない。そんな家を丁寧に測量して、どんな風に生き返らせるべきか、
家に語りかけるように考えてくださったのは、友人の友人ということで
知り合った建築家。そして、その方が選んでくださった若い宮大工の棟
梁が熱心に仕事をしてくださったお陰で、我が家はできた。
設計の段階から何度も話し合い、作業が始まってからも、現場でのコミ
ュニケーションは続いた。私たちも材木の塗装作業に加わり、職人さん
たちが熱心に作業する姿を見ながら、家ができあがる様子を目の当たり
にした。施主、建築家、棟梁ともに30代前半の同世代であったことも幸
いしたのか、和気藹々と熱気あふれる現場だった。
近所のお年寄りも、騒音を嫌がるどころか、朝から晩まで仕事をする若
い職人さんたちに会えるのを楽しみにしてくれたようで、お昼休みにお
味噌汁を持ってきたり、お土産に野菜を持たせてくれたらしい。
そうしてできあがった家になにか問題が起これば、建築家と棟梁に相談
する。顔が見える関係だからこそ、一生の付き合いだからこそ、信頼が
ある。儲けよりもいい仕事をしようという姿勢がわかるだけに、こちら
も労力に見合った報酬を払いたいと思う。仕事ぶりを見ているからこそ、
納得できる。
生協の生産農家を訪問したときにも痛感したが、大方の人たちは生活の
基本である衣食住を、顔も知らない生産者に依存している。それはすご
く簡単で便利なことのようだけど、実は大きな危険もはらんでいるので
はないか。特に住まいや日々の食の影響は大きいと思う。本来なら自分
でやるべきことを、他の人にやってもらっているのだから、安さだけを
追求してはいけないのだろう。
*職人さんたちが作ってくれた我が家。きれいに掃除して、大事にしな
くてはと反省してます…。