悶々と考える

近所の友人たちと話したり、本を読んだり、テレビを見たり
して考える中で、地域の問題から国政の問題に至るまで結局
根っこの本質部分は同じなのだと痛感する。

各地で、いろんなレベルで問題が噴出したり発覚しているの
も、大きな時代のうねりの中での必然なのかも。

長年の慣習や組織に染み付いた体質、まして人の価値観なん
て、そう簡単に変えられない。結局、少数の力では、どうに
もできないのだ…なんて、決して私は思わない。たとえ何も
変えられなくても、「声をあげる」ことに意味があると思う
から。表面上は何も変わらなくても、みんなが一瞬でも「考
える」きっかけになるのなら…。

たとえば生きていくために不可欠な「水道」について、ある
いは、子どもたちが受ける「義務教育」について、なにがど
のように決められていて、誰がどれだけ権限を持っていて、
実態はどうなっているのか…そんな仕組みすら、私はつい最
近まで知らなかった。自分たちの生活でもっとも大切なこと
について、こんなに無知で、人まかせ(というか国まかせ)
で生きていたことに我ながらビックリした。

若い頃は、自立した人間になろうとがんばっていたつもりだ
が、本当の自立の意味をいまになって考えている。個人、地
域、国家のレベルで。

身近な問題を考えるとあまり希望が持てなかったりするのだ
が、絶望的な状況の中でも、各地で志ある人たちが着実に姿
を見せているような気がする。そういった人たちがネットワ
ークを作って、各地で行動を起こしていったら…いいのにな。
テロは絶対容認しないけど、新しい組織形態として、アルカ
イダ方式は有効かも。

暑い夏の夜に、悶々と考えている。

24jul08

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