『週刊文春』と『週刊新潮』


この冬休みに読んだ本の中でも、痛快な一冊。かつて『週刊文春』を絶頂期に導いた名編集長、花田紀凱氏と、『週刊新潮』出身の作家、門田隆将氏のふたりが、週刊誌やメディアについて本音で語り合っている。週刊誌の黄金期に大活躍されたおふたりだけに、それぞれの体験談が生々しくて面白い。(この週刊誌の編集部にいた人を何人か知っているので、余計に!)お二方とも根性があるというか、覚悟があるというか、めちゃくちゃ腹が据わっているので、それだけでも大尊敬。

門田氏は『週刊新潮』時代から創価学会批判をしているツワモノ。本書でも、権力者たちが週刊誌を規制するために裁判所を使い、名誉毀損の賠償額を上げるルール作りをしたという内容の発言をしている。2001年に参議院、そして衆議院でも「名誉毀損の賠償額を上げるべき」という質問が繰り返し公明党議員によって行われ、80年代には100万円以下だった賠償額が、その後、何千万円単位となった経緯が説明されている。

週刊誌だけでなく、現在の新聞への批判も鋭い。新聞には、主義主張に関わらず「ファクト(事実)」を伝える「ストレートニュース」と、自分たちの主義主張に基づく「論評」との二つの側面があるが、朝日新聞を筆頭に「いまの新聞は自分の主義主張に従ってストレートニュース自体をねじ曲げている」と手厳しい。「主義主張に基づいて印象操作するのは、日本の新聞の伝統」(花田氏)だが、情報を新聞の記者クラブが独占していた時代が終わり、インターネットの登場で一般の国民が新聞の嘘を知ることになったのだ。

そう、私もまさしく、そうやってメディアの洗脳から解放されたひとりだ。その後は新聞の嘘をみつけるために新聞を読んでいた時期もあったが、それもアホらしくなって、今では新聞はとっていない。ニュースはネットで、特に気になるものに関しては必ず複数の情報源(できたら海外のメディアも含め)を当たるようにしている。日本だけでなく、海外の新聞も当然ながらバイアスがかかっているけれど。というか、バイアスのかかっていないメディア(人間)なんてないだろうけど、とりあえずひとつのメディアだけを信じることはせず、「ああ、そんな話もあるのね」とか、「そんな見方もあるのね」くらいに受け止めている。

門田氏は「新聞は『倒閣運動のビラに成り果てている』とコラムに書いたそうだが、花田氏が「(政治)活動家ならそれでいいけど、新聞記者の仮面をかぶった活動家だから始末が悪い」と嘆くように、本当に最近の新聞やテレビの報道姿勢はひどいなぁと思う。ネットの世界では、嘘や捏造はすぐバレるのに、しゃあしゃあと自分たちの都合のいいように報じて、なにも疑問に思わないのかな。今まで「権威」とされていたものが、崩れ去っていく様子を見るのも面白いけれど、物悲しさもある。自分たちで情けなくないのかな…。

新聞に限らず、これからのメディア業界がどうなるのか、かなり深刻に考えさせられる一冊だった。痛快だけど、軽く笑い飛ばせない、深いお話がたくさんありました。日本のメディアのためにも、おふたりの今後の益々のご活躍をお祈りしています。

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