「人が死ぬということ」

夏休みの最終日。息子は夜になって、やっと学校の宿題を仕上げた。夏休みの宿題に親はどれくらい関与するべきかわからないが、私は“見るに見かねた”ときだけ、アドバイスや指示を与えている。それをすんなり聞いてくれることは滅多にないけど。

今年は自由研究課題は二つ。これを最後の数日でやろうというのだから・・・。結局、選択肢の中からすぐにできそうな作文と書道を選んだものの、作文にかなり手こずっていた。テーマは昨夏の祖母の死だ。いつもいい加減な作文を書いていたので、今回はちゃんと下書きをして、推敲をしてから、清書をするよう指導したのだが、最後の結びとタイトルをどうするか、悩みに悩んでいた。そして出来上がったのが、「人が死ぬということ」という2000字近い作文だった。

そういえば、この前の土曜日、泊まりの仕事に行っていた夫が、深夜にメールをくれた。正確には日曜の午前1時近く。母が亡くなったのは、去年の今くらいだったねと。そういえばそうだったなぁ~と、線香をたいて、こうやって思い出してくれている夫に感謝した。

実は母の葬儀で、家族の中で泣いたのは夫だけだった。父も私も息子も、不思議と涙は出なかった。夫と母の付き合いは10年ちょっとだったけど、母は一目見たときから夫のことが大好きだった。「自分が産んだわけでもないのに、わが子のように可愛い」と私に言ったことがある。夫は私よりも、ずっと賢くて、頭がいいとも常々言っていた。

考えてみれば、母は幸せ者だった。入院するたびに、優しい夫が(95歳頃までは)毎日、病室まで看病に来てくれたし、葬儀では娘の婿が本気で泣いてくれたのだから。孫はいまだにその死が実感できないようだが、そのことについては、いまだにいろいろ考えているようだ。

とりあえず新学期の準備完了!

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