冬ソナの効用:雪が降っても楽しめる!

やっと冬ソナ、見終わりました。夫の職場の先輩は奥さんのためにDVDを入手したものの、自分は見ていないのだとか。「冬ソナって、そんなにいいの?」と訊かれた夫は、なんと答えたか。雪が降っても、私が怒らなくなった…ですと。たしかに。

このお正月も60センチほどの積雪となりましたが、私は雪を見るだけで冬ソナの世界に浸って、うっとりしておりました。

去年、初めての冬をここで迎えたときは、最初こそ喜んでいたものの、雪が降るたびに「寒い!」、「雪かきで肩がこる」、「出かけられない!」、「車のバッテリーがあがった」などと文句たらたらでした。

温暖な地方で育った私は、「なんでこんな寒いの!」とマジで怒っていたのですが、雪国の人はなんと我慢強いことか。見習わなくては。

それにしても、私にとっての冬ソナの効用は、夫とのなにげない会話も冬ソナごっこで盛り上がること。「チュンサン」と呼べば、「ユジン」と答えてくれる。20話もあるから、ネタもたくさん。

さしつかえなければ、みなさんもパートナーや恋人と一緒にごらんになることをお勧めします。
mori

今年初めてのゴミ収集日

昨晩からまた雪が降っています。今朝は今年初めてのごみ出しの日。雪かきを終えた夫がごみを抱えて出勤しました。(そのため、ヨン様ごっこはなし。)

毎朝、ニュースを見るたび、スマトラ地震の被害が大きくなっています。映像を見ては、言葉を失うばかり。

自然の威力の前では、人間なんて無力なもの。地球にとって、人間は迷惑な存在でしかないもんなあ、などとゴミをつめながら、考えてしまいます。

人間は自分たちが作り出したもので、苦しんでいる。不思議な動物ですね。自分たちが作った道路や家が壊れたことで困ってしまう。<形あるものはいつか壊れる…ということもわかっているはずなのに。ところが、最近は壊れないもの、あるいは壊すに壊せないものを作って、もっと困るハメに陥ったりして。地雷や核兵器や環境汚染物質や…。雪の日も顔を出すサルを見て、彼らのように暮らせたらいいのにな…などと思ってしまいます。 わがまま言って駄々をこねる子供に、「自分の都合だけ言ってはダメ。世界が自分の思い通りに動くと思ったら、大間違いよ」と諭しながら、これって私を含め、全人類にいえることだわ、とはっとしてしまいました。ほんとに自分勝手な私たち…。

きょうの初ゴミはどれだけ多いことでしょうか。

ごみだし

子供時代の感情のコントロール

うちに遊びに来てくれたお客さんが帰るとき、うちの子は悲しさのあまり、暴れだすことがあります。きょうも悲しさに眠さと空腹が加わって、収拾がつかなくなりました。本人にもコントロールできない状態です。悲しくて、足をバタバタさせながら、「行かないで~」と泣き叫ぶ姿を見たら、6~7歳頃の自分を思い出しました。

その頃、我が家は父の勤務する会社に住み込んでいたのですが、会社のおばちゃんたちが仕事を終えて帰って行く後姿を、私が泣きながら追いかけていくので、いつも母が後ろから引き止めていたのです。明日も会えるとわかっているのに、この世の終わりかと思うほど悲しかったことを覚えています。

いったん悲しみがおさまると、ケロリとして、いつもの明るい表情に戻っているのが子供のいいところ。もてあますほどの感情があるのはいいことだけど、そのコントロール方法を身につけてもらわないとなあ。

いや、子供よりもまずは自分が身につけるべきか。子供は親の鏡だと、つくづく思います。

寝姿

お正月に広がる友達の輪

食べ物をどっさり抱えて、友達が泊まりに来てくれました。当分、料理しなくてもよさそうなくらい。食べて、飲んで、喋って、冬ソナ見て、また喋って…。こんな夜更かしは久しぶり。

偶然にも、彼女とオランダの友人は人生の二度の転機を同じ年齢で迎えていました。そして今年はふたりとも、大きな一歩を踏み出す予定。ふたりの決断に、心からのエールを送ります! こうやって、それまで知らない同士だった友人たちが仲良くなっていくのも嬉しいこと。
前の晩のカラオケと、夜通し喋ったせいで、私の声はガラガラとなりました。
おせち

過去か未来か(日本とヨーロッパのお正月の違い)

初めて日本のお正月を体験したオランダの友人が、こんな指摘をしてくれました。ヨーロッパでは大晦日が一番のお祭りで、お正月はさほど重要ではないのに、日本ではお正月が一番大切で、大晦日お正月を迎えるための準備をする日だと。

考えてみれば、あちらでは真夜中に花火を打ち上げ、一晩中にぎやかに過ごすけれど、日本ではおごそかに除夜の鐘をうって、初日の出を拝む。

ヨーロッパでは夜日本では朝に重きがおかれているような気がするけど、どうなんでしょうか。一年を振り返ってパーティをするヨーロッパと、これからの一年を思ってお祝いをする日本。日本人って、過去のことは水に流して、未来に重きをおく人たちなのかもしれませんね。
いや、単に私がそういう人間なのか。

ちなみにこのあと、オランダの友人は初めてのカラオケも体験しました。

二日

大雪のハッピーニューイヤー!

うちの夫はお寺に勤めているので、実はお正月を一緒に迎えたことがありません。それでも、今年は泊まりではなく、元旦の午前3時前には帰宅しました。しかも大雪の中! 24時間開いてるはずのお寺も、大雪のため、早く閉めてしまったそうです。

そんなわけで、今年最初の私たちの共同作業は雪かきとなりました。ふぅ。ご近所さんも、次々と現れ、新年の挨拶を交わしました。そして一仕事したあとのコーヒーのおいしかったこと。

もちろん、朝はお雑煮をいただきました。近所の方々からいただいた色とりどりの珍しいお餅。すべて手作り。おいしそうでしょ。

もち

雪が降る

天気予報のとおり、大雪です。全国的に雪のようですが、ここもすごい。ただし、うちの実家辺りでは雨がぱらついただけとか。暖かくていいなあ~と思いながら、雪がやんで晴れ間が見えた隙に犬の散歩に出かけました。

見渡す限りの白銀の世界。空気も透き通っていて、息をするたびに体の中から浄化される気がします。「ここでユジンとチュンサンが現れてもおかしくないわ」などと、相変わらずはまってますが。があの純愛ドラマに欠かせないのも、もっともです。ここにいるだけで、神聖な気持ちになるのですから。

みんな、よい年を迎えられますように。

レオ

最後の買出し

隣町まで今年最後の買出しに出かけました。「明日は雪となるのでお買い物はきょう中に」という天気予報のアドバイスに従って。とはいえ、うちの周りはすでに雪国状態。このまま冬ソナを見ていたいなあと思いながら、雪の中をドライブすれば、気分はヨン様

買い物が終わると、ちょうどガラポン一回分の券が集まりました。子供と一緒に列に並んでいると、前後の人たちが余った券をくださり、結局二回できることに。結果はどっちもハズレ。でも子供は満足したようです。

さあ、これで大雪が降っても、正月の間、大丈夫かな。

わに

記憶

先日、なんでだか、うちの子(4歳)がおなかにいたときの話になり、本人に「そのときのこと、覚えてる?」と尋ねると、「覚えてな~い。」これまでも何度か尋ねたけれど、いつも同じ答え。が、今回は自分の作り話で、そのときのことを語り始め、それがあまりにリアルだったので、びっくり。やはり潜在意識の中に、しっかり残っているんでしょうか。

自分について考えると、どうも私の記憶装置は自分に都合のいいことばかりを覚えさせているようです。この年まで生きていると、悲しかったこと、つらかったことも多少はあったかと思うのですが、いい思い出しか思い出せない。

自分の意識のどこかに悲しい記憶も残っているんでしょうか。いや、悲しかった過去の出来事は、事実として記憶に残ってはいるのだけど、それを思い出しても、悲しみは蘇らない。逆に、幸せな思い出は、今思い出しても、そのときの幸福感が味わえるのです。なんとも都合のいい、私の記憶装置!

そういえば、チュンサンとしての記憶を失ったはずのミニョンさんが、チュンサンと同じことを言ってたなあ…。と、また冬ソナのこと、考えてる。やばい、やばい。

木

みんなで鍋パーティ(&オランダのお菓子、ドロップ)

きょうは、友人たちを招いて、みんなで鍋を囲みました。久々に会った友人は、4日続けて虹を見た話をしてくれました。一番すごかったのは、飛行機から見た「虹の輪」だったとか。雲の上に、虹のリングが浮かんでいるんですって!

が、しかし、やがて話は冬ソナに。日本語の殆どわからないオランダの友人まで、第一話を見ただけでのめりこみ始めているのです。(と、無理やり見せてる私!)<家にテレビを置いていない友人夫婦に、まるで新興宗教の勧誘のように冬ソナの魅力を語り続ける私たち。(そう、私だけではないのだ。)

さて、おいしい鍋と、お土産にいただいたおいしいケーキといちごを食べたあと、オランダの友人が持ってきてくれたかの国のお菓子、ドロップをみんなで試食。ゴムを噛んでいるような感触とアニス系(?)の匂いが私はダメ。見た目はごらんの通り可愛いのですが。これを初めて口にした友人たちの顔も、見ものでした。
ドロップ