一秒でも早く母のもとへ

2学期から転校予定の小学校に初めて足を踏み入れた。子どもの数が増えたために校舎も増築され、4年生の教室のひとつは図工室を急遽、教室に替えてあった。教頭先生から、「2学期からの転校生は6人。ここは新興住宅地で、みんな転校生みたいなもんだから、すぐ慣れますよ」と説明された。息子は迷子になりそうな広い校舎を見学して、わくわくしているようだ。

家に帰ると、私はすぐに帰省の準備。新幹線を予約して、お昼のパンを買って電車に乗り込んだ。広島駅に着いたところで病院にいる友人から電話があり、母の具合がどんどん悪くなってるから、とにかく急いで来てほしいとのこと。意識があるうちに、帰っておいでと。

ところが私が病室に入ると、母は顔をあげて、つまった鼻をいじろうとしているではないか。この間は顔を上げることさえ、できなかったのに。私を見ると、「鼻をとって」と声を出した。この間は、単語を発するのがやっとだったのに!

あとで話をきくと、母は日に日に悪くなり、本当につらそうだったらしい。私が帰るのを待って、がんばっていたようで、私には精一杯元気な姿を見せたのだろう。そして安心したのか、その後はだんだんと弱ってきた。

主治医の話を聞いて、急遽、夫と息子も今夜中にこちらに戻ってくることとなった。その時間まで、母のそばで得度式の様子など、いろいろ話すことができたので、私も悔いはなし。あとは少しでも母が楽になるよう祈るだけ。

*新しい学校
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母の死に目にあえるだろうか

午後、息子は楽しかった合宿から帰ってきた。
母の調子が悪そうなので不安は募るが、明日の朝、転校手続きをすませてから広島に帰るつもりだ。
高校卒業時に故郷を離れてから、親の死に目にあえない覚悟はしていたけれど、できれば息子の得度の様子を母にきちんと報告できればと思う。

*得度式に来てくれた友人からプレゼントされた
 手作りのリース。
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父も病気

今朝は友人が母の病院にいる間に、息子を塾に送り、その後、友人と交代。本当に日に日に弱っていく母の姿に、こちらもなんとも言えない気持ちになる。どうにもしてあげられないことがほとんどだけど、そばにいて手を握るだけでも、お互いほっとする。

夫と一緒に息子を迎えに行き、お昼を食べて再び病院に行き、母に孫パワーを浴びて(?)もらった。母を優先して、いつも後回しにしている父のホームに後で行ってみると、施設長さんが「ちょうどいいときにいらした」とおっしゃる。なんと、父も数日前から発熱しているのだと! 昨日は熱も下がり元気になっていたのに、きょうの午後になって再び発熱。往診を頼んだところだという。

父のベッド脇に座って様子を見ていたら、お医者さんと看護師さんが来てくださった。以前、自宅に訪問看護に来てくださっていたので、父のこともよくわかっている看護士さんだ。その方が来たのを見計らったかのように(?)、父はお昼に食べたものを嘔吐して、すっかりその方のお世話になってしまった。てきぱきと動いて処置してくださる看護師さんの姿に私も感動!

その後は点滴2袋分が終わるまで、父のベッド脇でずっと父の様子をみていた。母のことを察知して自分まで具合が悪くなったのだろうか。この暑さで、疲れが出たのだろうか。ずっと元気にしているとはいえ、年は年だし…。いつも後回しにして、ごめんね!と思いながら、すやすや眠る父を見ていた。

いつも「早う帰れ、わしのためにわざわざ来んでもええ」と心配する父なのだが、きょうは久々にゆっくりと父のそばで時間を過ごせた。

ふたりとも心配だけど、やっぱり仲良し夫婦なんだろうかと微笑ましくも思う。
ああ、でも気疲れした~!!

*すてきな家をみつけると、つい写真を撮ってしまう。ここはまだ工事中。
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*逆側からも見てみたい!
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プチ同期会

友人一家と駅で別れを告げ、我が家も広島へと向かった。両親の面会時間には間に合わないので、息子と夫は一度実家に戻ってから車でお気に入りのショッピングセンターに行き、私は同期会で会えなかった同級生2名と落ち合うことに!

昨夏以来の同級生ひとりと駅前で待ち合わせ、もうひとりの同級生の自宅へと向かう。ふたりは高校卒業以来の再会だという。そこで友人の手料理やアンデルセンのサラダやパンなどを食べながら、おしゃべりの花を咲かせる。XX年ぶりの再会というのに、最初っからすっかり昔の雰囲気でうちとけて話ができるのが、同期生の不思議なところだ。互いの近況や、在校時の思い出、さらには普通の雑談まで話題は尽きず、あっという間に時間が過ぎた。

母のことが気がかりで、精神状態が落ち着かないままの私だけど、昔の同級生と会うことでまたも癒された気分。なんともいえない安心感に満たされたような…。

ちょっとアルコールも入ったせいで、すっかり昔に戻った私(!?)。帰り道、「話し方が普段と違う」と夫と息子に指摘されてしまった。旧友って、いいもんです。

*無料実験中の道路を走って帰った。
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母からの電話「ありがとう」

今朝はお盆の仕事がある夫を送り、家に帰っていたら携帯が鳴った。運転中で取り損ねたので、家に到着して携帯を見ると、母からの着信。焦ってかけなおしたら、すぐに母が出て、「ありがとう」と言う。「火曜の朝には顔を見に行くから、待ってて」と言いながら、急いで玄関に入り、息子に携帯を渡した。母は息子の声を聞いて安心して電話を切ったようだ。私たちの声を母に聞かせるために電話をしてくれた友人に感謝、感謝!!

午後、仕事を終えた夫を迎えに行ったのだが、夫は一度帰宅して着替えてから、夜もお仕事。その間、私と息子は友人一家とともにお寺のライトアップを楽しんだ。山の上はさすがに涼しくて、なかなか快適だった。

もちろん母のことも、しっかりお祈りした。

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忍者を求めて

昨晩のNINJAレストランに続き、きょうは東映太秦映画村で忍者ショーを見た。他にも、お化け屋敷や仮面ライダーのショーなど、子どもも大人も楽しめた。映画村なんて、高校の修学旅行以来!(暴れん坊将軍を撮影中の松平健の写真を撮ったことを覚えてる!)

一方、母の世話をお願いしている友人が、メールで母の様子を知らせてくれた。あんなにおむつは嫌だからとがんばってトイレに立っていた母が、きょうからおむつになり、「楽になった」と言っているらしい。心電図も看護士さんがチェックしているようで、日に日に弱っている感じだ。

ここ20年弱、私よりずっと長い時間を母と過ごして世話してくれている友人が、結局最後まで母のそばにいてくれることで、母も私も心強い。私に比べて、本当にやさしくて、よく気がつく彼女には感謝しても、しきれない。

映画村でも母のことが気になる私に夫がかけてくれた「あなたも十分、親孝行してきたよ」の言葉に、ちょっと救われたけど、母があまりつらい思いをしていないよう、ただただ祈るのみ。

*映画村の水戸黄門パフェ!
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移動(その2)

昨日、父と母に月曜の夜に帰ってくるから、それまで待っててと伝えて、今朝、私と息子とで広島を発った。初めて青春18切符で移動。踏み切り事故のせいで、いきなりローカル線で遅れが発生したものの、ずっと座ったままで、スムーズに京都まで行けた。列車の心地よい揺れの中で熟睡できたし、初めての景色も楽しめたし、電車の旅ってなかなかいいものだ!

夫が京都駅まで迎えに来てくれて、その後、遠方から里帰り中の友人一家と合流。ご主人&お子さんとは初対面だけど、最初からすんなり打ち解けて、楽しいディナータイムを過ごした。(忍者好きの男子たちのために、またもNINJAレストランへ!)

両親のことも気がかりだけど、友人一家が楽しいバカンスを過ごせるよう尽力することで、両親も喜んでくれるはず。とりあえず、うちの息子は大喜びの様子だった!

*明石からの景色
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*帰り道、息子は3歳のボクを背負って歩いた。
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病室の移動

ひとり部屋に移って急激に病状が悪化して以来、三人部屋に戻してもらった母が、きょうから再びひとり部屋に移った。家族と心置きなく時間を過ごせるように、またナースステーションに近いところに、という病院側の配慮のようだ。

前回はひとり部屋で人との接触が急に減ったことが悪影響を及ばしたのだが、今の母は誰にも気兼ねのないひとり部屋でほっとしているようだ。

ナースステーションに近いことで、人の気配も感じられるので、寂しいこともないだろう。と、私もほっとしている。

*広島の自動販売機!
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母にとって最後の夏

今年が母にとって最後の夏になるだろうという予感があったので、この夏もずっと広島に滞在するつもりでいたのだが、息子の得度を始め、自宅に戻らなくてはいけない用事がいくつかできた。お別れ会を企画してくれた地元の友人たち、そしてはるばる遠方からやってくる友人たち。最初は私は広島にいるのでと、再会を断念するつもりだったが、夫や息子にとっても大切な友人だし、次の機会がいつ訪れるかもわからないし、普段通りに行動することに決めた。

それが、今になって揺らいでいる。私だけでも広島に残って、母のそばにいてあげたい。正確には、「いてあげたい」ではなく、「そばにいたい」という私のわがままなんだけど。

ただ、母が弱っていく姿を見るのは辛いし、そばにいてもほとんど何もしてあげられないし、むしろ母も元気なところを見せようとして逆に弱らないだろうかとも思う。

きょうは息子の塾が午前と午後とにまたがっていたので、午前と午後と母の様子を見に行けた。今のこの時間を大切にすれば、悔いはない…はず。

*田舎の喫茶店でブランチ!
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原爆記念碑の半旗

今朝、病院で母の主治医から話を聞くはずが、急患があったため、先生は救急車に乗って行かれた。結局、午後になって先生から母の病状について詳しい説明を聞かされた。いろいろ話し合って、延命処置や本人が辛い思いをしそうな積極的な治療はしないことになった。あとは本人の寿命が訪れるのを見守るだけ。これまで何度となく危機を乗り越えてきた母だから、予測はつかないのだけど。

毎日、帰り際に息子は母と握手することになっている。(息子の生命力が少しでも母に伝わるようにと、私が指示をしたのだ。)私も手を握って、ついでに頬にチュッとするのだが、さすがに息子はそれはできないらしい。ま、顔を見せるだけでも十分、力になっていることだろう。

きょうは長崎の原爆の日。6日に続いて、きょうも交番に半旗が掲げられていた。

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