孫の得度を待つ母は…

息子は得度式のため、明日から泊り込みなので、きょうの夕方3人で自宅に戻る予定だが、両親の具合によっては私がこちらに残るべきだろうか…と考えていた。今朝一番で父の様子を見に行くと、微熱程度となり、おかゆもしっかり食べ、夜も自分でトイレに立っていたという。ベッドのそばで話していたら、目を開けて起きようとしたので、「ゆっくり休んで」というと、「な~に、一日中、寝とったのに!」と言うほど回復していた。これなら大丈夫そう…!

息子は塾に行き、その間、私と夫は母のもとへ。お昼まで一緒に過ごし、主治医の先生とお話してから、予定通り自宅に帰ることにした。何かあれば、すぐに先生が連絡してくださるはずだ。

「命のともしびが少しずつ小さくなっていく感じですね」と先生に話したら、「本当にそうですね。今は気力でがんばってらっしゃるように思います。先週を乗り越えられたのが不思議なくらい。『20日が大切な日なんですよね?』と言うと、うなづいていらっしゃいましたし」とのこと。やはり孫の得度を見届けたいという気持ちが強いのだ。

塾帰りの息子が「得度して、合宿に行って、転校手続きして帰ってくるから、それまで待っててね」と母に声をかけた。もしかしてこれが最後になったらどうしよう…と思うと離れ難いのだが、いよいよ立ち去る私たちに母が最後の力を振り絞るように顔を上げて手を振ってくれた。

*駅前の消防署で訓練中。命を守る仕事は、どれも大変!
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父も病気

今朝は友人が母の病院にいる間に、息子を塾に送り、その後、友人と交代。本当に日に日に弱っていく母の姿に、こちらもなんとも言えない気持ちになる。どうにもしてあげられないことがほとんどだけど、そばにいて手を握るだけでも、お互いほっとする。

夫と一緒に息子を迎えに行き、お昼を食べて再び病院に行き、母に孫パワーを浴びて(?)もらった。母を優先して、いつも後回しにしている父のホームに後で行ってみると、施設長さんが「ちょうどいいときにいらした」とおっしゃる。なんと、父も数日前から発熱しているのだと! 昨日は熱も下がり元気になっていたのに、きょうの午後になって再び発熱。往診を頼んだところだという。

父のベッド脇に座って様子を見ていたら、お医者さんと看護師さんが来てくださった。以前、自宅に訪問看護に来てくださっていたので、父のこともよくわかっている看護士さんだ。その方が来たのを見計らったかのように(?)、父はお昼に食べたものを嘔吐して、すっかりその方のお世話になってしまった。てきぱきと動いて処置してくださる看護師さんの姿に私も感動!

その後は点滴2袋分が終わるまで、父のベッド脇でずっと父の様子をみていた。母のことを察知して自分まで具合が悪くなったのだろうか。この暑さで、疲れが出たのだろうか。ずっと元気にしているとはいえ、年は年だし…。いつも後回しにして、ごめんね!と思いながら、すやすや眠る父を見ていた。

いつも「早う帰れ、わしのためにわざわざ来んでもええ」と心配する父なのだが、きょうは久々にゆっくりと父のそばで時間を過ごせた。

ふたりとも心配だけど、やっぱり仲良し夫婦なんだろうかと微笑ましくも思う。
ああ、でも気疲れした~!!

*すてきな家をみつけると、つい写真を撮ってしまう。ここはまだ工事中。
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*逆側からも見てみたい!
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母からの電話「ありがとう」

今朝はお盆の仕事がある夫を送り、家に帰っていたら携帯が鳴った。運転中で取り損ねたので、家に到着して携帯を見ると、母からの着信。焦ってかけなおしたら、すぐに母が出て、「ありがとう」と言う。「火曜の朝には顔を見に行くから、待ってて」と言いながら、急いで玄関に入り、息子に携帯を渡した。母は息子の声を聞いて安心して電話を切ったようだ。私たちの声を母に聞かせるために電話をしてくれた友人に感謝、感謝!!

午後、仕事を終えた夫を迎えに行ったのだが、夫は一度帰宅して着替えてから、夜もお仕事。その間、私と息子は友人一家とともにお寺のライトアップを楽しんだ。山の上はさすがに涼しくて、なかなか快適だった。

もちろん母のことも、しっかりお祈りした。

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病室の移動

ひとり部屋に移って急激に病状が悪化して以来、三人部屋に戻してもらった母が、きょうから再びひとり部屋に移った。家族と心置きなく時間を過ごせるように、またナースステーションに近いところに、という病院側の配慮のようだ。

前回はひとり部屋で人との接触が急に減ったことが悪影響を及ばしたのだが、今の母は誰にも気兼ねのないひとり部屋でほっとしているようだ。

ナースステーションに近いことで、人の気配も感じられるので、寂しいこともないだろう。と、私もほっとしている。

*広島の自動販売機!
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母にとって最後の夏

今年が母にとって最後の夏になるだろうという予感があったので、この夏もずっと広島に滞在するつもりでいたのだが、息子の得度を始め、自宅に戻らなくてはいけない用事がいくつかできた。お別れ会を企画してくれた地元の友人たち、そしてはるばる遠方からやってくる友人たち。最初は私は広島にいるのでと、再会を断念するつもりだったが、夫や息子にとっても大切な友人だし、次の機会がいつ訪れるかもわからないし、普段通りに行動することに決めた。

それが、今になって揺らいでいる。私だけでも広島に残って、母のそばにいてあげたい。正確には、「いてあげたい」ではなく、「そばにいたい」という私のわがままなんだけど。

ただ、母が弱っていく姿を見るのは辛いし、そばにいてもほとんど何もしてあげられないし、むしろ母も元気なところを見せようとして逆に弱らないだろうかとも思う。

きょうは息子の塾が午前と午後とにまたがっていたので、午前と午後と母の様子を見に行けた。今のこの時間を大切にすれば、悔いはない…はず。

*田舎の喫茶店でブランチ!
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原爆記念碑の半旗

今朝、病院で母の主治医から話を聞くはずが、急患があったため、先生は救急車に乗って行かれた。結局、午後になって先生から母の病状について詳しい説明を聞かされた。いろいろ話し合って、延命処置や本人が辛い思いをしそうな積極的な治療はしないことになった。あとは本人の寿命が訪れるのを見守るだけ。これまで何度となく危機を乗り越えてきた母だから、予測はつかないのだけど。

毎日、帰り際に息子は母と握手することになっている。(息子の生命力が少しでも母に伝わるようにと、私が指示をしたのだ。)私も手を握って、ついでに頬にチュッとするのだが、さすがに息子はそれはできないらしい。ま、顔を見せるだけでも十分、力になっていることだろう。

きょうは長崎の原爆の日。6日に続いて、きょうも交番に半旗が掲げられていた。

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同期会 

何十年ぶりかで参加した二年前の同期会を機に、音信不通となっていた何人かの同級生と連絡をとりあうようになった。当時は学校に「心からなじんでない」と思っていたけど、中高の6年間というのは、人生の中でかなり大きなウェイトを占めていると、今にして思う。私の母をみていても、今でも女学校時代の友達が大きな存在のようだし。

今夜は二年ぶりの同期会に出席した。母のことでもお世話になった同級生も参加するというので私も行くことにしたものの、たまに連絡をとっている他の同級生たちは欠席だ。仲のよかった人をみつけられないかも…と一抹の不安に駆られつつ、でも行ってみるとなんのことはない、クジ引きで決めた座席につくと、いきなりお喋りが始まるから不思議だ。当時はそれほど親しく付き合っていたわけではないのに、共通の思い出があるだけで、こんなに盛り上がれるとは。それに、みんなすばらしいキャリアを積んでいたり、幸せな家庭を築いていたり、ひとりひとりの人生物語を垣間見るだけでも、かなり刺激的だった。

実はきょうの昼間、母を見舞った際、またも母に無視されて、故意でないのはわかっているものの、先日の心ない言葉もあったので、「もう、腹立つ~!!」などと大人気ない態度で立ち去った私。親子ゆえ、母の前では今までどんな感情もさらしてきた私だけど、母の具合が悪くなってからは大人の対応をしてきたつもりだったのに、最後の甘えが出てしまった…と、同期会の最中も心中で反省していた。

途中、トイレに立ったとき、携帯に母の病院から何度も着信履歴があることを発見。(話に夢中でぜんぜん気づいてなかった!!)夜なのに電話してくるなんて…もしや…と、焦って電話したら、私が広島に戻っていることを知らない看護士さんが、母の容態が悪化しつつあることを知らせようと、まずは自宅に電話して、留守電だったので携帯に何度か電話をしてくださっていたのだ。容態の急変ではなかったことにほっとしたものの、きょうはあのあと、少し調子が悪かったようだ。明日、まずは母に謝って仲直りしなければ…と思いながら、一足先に同期会の会場を後にした。

他愛もない話しかしていないのに、共に成長した仲間と時間を過ごしたことで、なぜかとっても気持ちが癒されたように感じるのはなぜだろう? みんなのパワーを感じて、元気になれた気がする!

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マツダスタジアム

昨日の「長い一日」には続きがあって、夕方から家族三人で初めてのマツダスタジアムでナイター観戦をした。「おお、眺めが違う! でかい!」と驚きながら、回りの応援も盛り上がって、暑くてさらに熱い夜となった。残念ながら負け試合となり、家の遠い我々は早めに切り上げた…(じゃないと、帰宅は夜中過ぎたかも)。

で、きょうは父を母の病院に連れて行った。これが最後になるかも…と思いつつ、3ヶ月ぶりの夫婦の再会。前回は病院の看護士さんに勧められるまま車椅子に乗った父だったが、今回はまたちゃんと自分で歩いて移動した。母から父の話を聞いていた看護士さんたちが、「これが97歳のおじいちゃん?」と廊下に集まっていらしたので、なんだか父も嬉しそう(?)だった。

不思議なもので、父は母に会うと、おかしなことは一切言わない。母も父に会うとシャンとする。自宅に暮らしていた頃は、互いに自分が相手の介護をしていると思っていたふたり。夫婦助けあって生きてきたんだものね。

別れ際に握手をするふたりをカメラに収め、あとで見ると、ふたりとも本当にいい笑顔。この両親の下に生まれて、つくづくよかったと思う。

*昨晩の写真
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とりあえず一安心

昨日はちょっと具合の悪かった母も、きょうは回復していた。心配していた父も、顔色がよく、今までと変わりなし。こうやって顔を見て、話ができる今が幸せなのだ。

久々に広島ののどかな田舎道を走って、夕方からはショッピング。最近、またも太った私は、この夏、まともに着られる服が殆どないのだ。

買い物客も意外と多くて、にぎやかな街の空気に心がなごんだ。やっぱり故郷はいいものだわ。

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体質の変化

きょうは息子のリクエスト通り、街の家で過ごすことに。
夏休みのスケジュールもほぼ決まり、来週の帰省に向けて準備しなきゃ。この夏は、いろんな用事があるので、実家と自宅を何度も往復することになりそうだ。

さて、街の家ではエアコンつけて、「暑い暑い!」と言い続けている。周りをみると、窓を開け放っている家がけっこうあるので、皆さん、意外とエアコンつけていないのかなぁ。

「寒冷地の気候に慣れて、体質が変わったんだよ」と夫は指摘するのだが、確かにそうかも。暖かい瀬戸内海で育った私も、ようやく雪深い冬の寒さにも耐えられるようになり、冬の間は京都に行くと「暖かい!!」と感じていたのだ。逆に、夏は街に行くと、「暑すぎる!」のだろう。

そういえば、夏の日本を訪れた北欧の友人が、あまりの暑さにバテてしまったことがある。逆に、スコットランド出身の上司は真冬の真夜中、六本木をワイシャツ一枚で歩いていた。東京で働いていた頃、夏のオフィスでは、暑がりのイギリス人上司たちがオフィスのエアコンを18℃に設定するので、女性陣が「寒い!」と抗議していたものだ。イギリスではオフィスの気温は18℃が適温だと言い張る上司たち。肉付きのいいスーツ姿のイギリス人のおっさんたちには、18℃が快適かも知れないけど…。(夏の間、熾烈なエアコン攻防戦が続いたものだ…!)

あれ、もしかして私が暑がりになったのは、山の気候に慣れただけじゃなく、あの上司たちのように肉付きもよくなったせい!?? うっ、暑さに耐えて、汗を流さねば!

*幼稚園のお泊り保育のお手伝いをして戻ってきた夫が、突然、こんな格好で現れた!
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