易経、あなどれじ

先日からいよいよパートに出ている。わりと近所で、週2、3日の仕事なので楽勝・・・と思いきや、最初の2週間は週5で研修と相成った。本来の仕事のほかにも、いろいろとやって欲しいことがあるらしく、いくつかの部署を回り、たくさんのことを教えられた。事務所での仕事のはずが、いきなり初日の午前から接客の仕事をさせられ、びっくり。まあ楽しかったけど、冷や汗かいた。ものすご~く忙しいときは手伝いに駆り出されるかも知れないとのこと。うむ。

で、本来の部署での仕事も覚えなくてはいけないことが多くて、たじたじ。システムが複雑すぎるし、不必要に商品の種類が多いし、はっきり言って非効率だな~と思うことも多々ある。さらに、私語も殆どない事務所の空気がたまらない。社長を始め、幹部のおじさん連中の威圧感。さらに、仕事を教えてくれる同じ部署のベテランさんたちも、たまに意地悪な言動があったりして。いまどき、こんなおばさんがいるんだな~と笑いそうになったけど、一緒に研修を受けているもうひとりの新人さんは完全にビビっていた。

毎日、昼休みにはその方とふたりで思い切りグチって、ストレスを発散していたのだが、研修も終盤のある朝、彼女が社員さんに叱られていた。彼女のミスで損失が出たらしい。とはいえ、新人の彼女の仕事はすべてベテランさんがチェックしていたのだから、要は叱っているその本人のチェックミスなんだけど、あからさまな責任転嫁。この複雑なシステムこそが、ミスを誘発していると思うのだが、それを改善しようという考えはないらしい。恐らく社長のケチケチ方針のせいだと思われる。

てなわけで、落ち込む彼女に「気にしな~い、気にしな~い、私たちの会社じゃないし。損失出ても、気にしな~い」と声をかけた。「それから、あのおばさんに意地悪言われても、ひるんじゃダメよ。むしろ笑顔でスルーして、何も気にしてない風を装って。意地悪しても効き目ないと思ったら、もう変なこと言わなくなるだろうし。思い切りバカのふりして、やりすごそう!」と励ました。彼女と友情を築けたのが、この研修の嬉しい副産物だったかも。

研修が終わると、私と彼女は交代勤務となり、職場で顔を合わすことはなくなるのだが、互いにメールで業務日誌交換をしようと約束した。そして研修後の第一日目は私の勤務。家を出る前に久しぶりに易経占いをした。すると、なんとも悪い卦が出るではないか。「ふさがる」という意味もあると。幸先悪いな~と思いながら、いつも通りに家を出ると、道路が渋滞していてまったく進まない(車通勤)。3月というのに雪が積もったものの、家を出る頃には溶けていたのに。これは事故渋滞に違いない。反対車線はスムーズなのに、こちらは1センチも動かない状態が延々と続く。結局、所要時間15分のはずが、出社が1時間20分ほど遅れてしまった。遅刻したのは私だけではなかったのが幸いだったけど。

それにしても、道がふさがっていたなんて・・・易経の言う通り。

天に帰る

このところ訃報が続いている。同級生のお父様、夫の職場の方、そして息子の学校の修道士様。皆さん、病気ではあったが、今すぐ命に関わる状態ではなかったのに突然、病状が急変して亡くなられた。気温の変化の激しいこの冬の気候も影響しているのだろうか。

夫にとっては、つい数日前まで一緒に働いていた方が亡くなったことはショックだったに違いない。長年、仏様に仕えてこられた方だ。

息子の学校のブラザーは、戦後まもない頃に異国から日本にやってきて、ずっと学校運営を支えてこられたようだ。私は直接お話したことはないが、昨年のバザーの準備会や報告会では、神父様のマジックとブラザーの歌を鑑賞した。先週末の高校の卒業式でも歌を披露されたあと、その日のうちに亡くなられたという。
日本の若者の教育のため長年、奉仕され、今年の卒業生を見送ったあとにご帰天されたと知り、涙がこぼれた。

自分の家族を持たず、神や仏に仕えて生涯を終えられた方々に、尊敬と感謝と哀悼の意を表します。

易経

理想の家に引越し、毎日、美しい眺めに心癒されながらも、次なる思想現実化実験のためにも少し外に出て働いてみたい・・・という思いに駆られていた。たいていのことに迷いはない私だが、ここ数年、仕事については方向性を定めることができないでいたのだ。この年になって何を今更なのだが、自分が本当に何をやりたいのか、見極められないでいる。

昨年末に算命学の親戚から、今年は働き方を変えるのが良いとアドバイスされたので、ずっと家にこもっていたから、そろそろ外で働こうと思い立った。親戚によると、今までひとりで働いていたから、今度は組織で働くのもいいとのこと。単発の仕事でもいいし、とにかく変化があればいいらしい。フルタイムというよりも、変則的に。

私自身、いまのライフスタイルが快適なので、フルタイム勤務をする気はさらさらないのだが、ネットで仕事を検索すると、「面白そう」とか「やってみたい」とか思える仕事はどれもフルタイム。週2、3日のパート仕事は、ほぼ単純労働の類。世の中、そんな美味しい話があるわけないか・・・と納得しつつ、しばらく検索を続けていた。

そこでみつけた高時給の仕事は、フルタイムだけど期間限定。これなら頑張れるかも・・・!?と応募したが、結局、不採用。面接時に採用かな?と思っていたので、連絡がきたときは正直びっくりしたのだが、しかし、同時にほっとしている自分もいた。まったく知らない業界の上に、遠方だったので朝早くからの通勤となるはずだったからだ。

実は昨年末の荷物整理で、大昔に買った「易経セット」が出てきたため、この仕事の応募を決めたときから何度か易経占いをやってみたのだが、何度やっても悪い卦しか出なかった。易経って、実は自分のその時点の心理状態を反映しているのだろうか? いきなりフルタイムで、まったく知らないところで仕事をすることに私自身も不安を感じていたのではないか? そんな自己分析をしてみたが、要は高時給に目がくらんだだけで、本当にやりたい仕事ではなかったのだ。

『引き寄せの法則』によれば、自分にとって好ましいこと、望ましいことへ思考や気持ちを向けるようにするための指標が「感情」であるという。不安や不快に感じていたら、それは自分が望んでいることではないと判断できる。感情というナビゲーションシステムを上手に使いこなせば、自分の意に沿うものを引き寄せ、自分の思い描いた人生を送れるはず。

自分でもどんな仕事を求めているかわからない状態の私は、いろいろ試してみて、自分の感情ナビゲーションシステムの反応を見て判断するしかないのかも知れない。で、とりあえず手始めに、近所の会社で週何日か働くことになりそうだ。興味のある業界なので、勉強させてもらうつもりで。それと、家の中にいるよりは、身体を動かせるのでは・・・という甘い期待も。

今のところ私の感情ナビゲーションシステムに大きな動きはないが、易経占いをやってみると大吉ばかり。さて、これからどうなることやら。

偶然の意味

きょうは結婚記念日。正確には入籍記念日。私たち夫婦は結婚式も披露宴もしていないのだ。私は昔から結婚したいと思いながらも、披露宴だけはしたくない・・・と思っていた。「披露宴はお嫁さんのためにあるのよ」というセリフをよく聞くが、私は「絶対お断り!」だった。自分が主役の宴会というシチュエーションに堪えられない、別にお披露目しなくていい・・・という気持ちだった。

当時、私はいわゆる晩婚だったし(その後、世間の晩婚化はさらに進んだけど)、いろいろと難しい状況の中で結婚にこぎつけたので、夫も私も入籍できればそれで満足だった。実をいうと、結婚生活はとうに始まっていたのだが、夫がある事情から跡継ぎのいない家の養子になっていたことが入籍を阻んでいたのだ。夫自身は望まない縁組だったので、いつか離縁できたらと思っていたようだ。とはいえ、籍を抜くのは大変なことで、相手方に了承してもらうまではすったもんだがあった。よく入籍できたなぁと、いまだに思うが、愛情のないつながりは切れてしまうということなのかも。

さて、私の親戚に算命学の大家がいるのだが、当時、やけに私の結婚を心配して、「結婚するなら、この頃よ」としきりに伝えてきた。あとで聞くと、その頃の2、3年の期間が私が結婚したいと思う星回りで、それを過ぎると、一生独身で過ごしそうだったので、何度もせっついてくれたらしい。そのため、私が夫と出会ったことをとても喜んでくれたのだが、入籍するなら天中殺の前にと釘をさされていた。夫と結婚を決めた翌々年が私の天中殺だったからだ。

しかし、養子先の問題がすったもんだしたことで、気がついたら天中殺の年を迎えていた。親戚によると、算命学の新年は1月1日ではなく、節分明けとのことだったので、ぞろ目の2月2日に入籍しようと決めたのだが、夫の手違いですべての書類が揃ったのがなんと節分の夕方。しかし、その年の旧正月が2月5日だったので、その前なら大丈夫と、翌2月4日に役所に向った。すると、入籍の手続きをしながら、自分の用意した書類をまじまじと見ていた夫が驚きの声をあげた。件の家の養子となったのも2月4日だったのだ。養子手続きは、その家の人が勝手に進めたので、自分がいつ養子になったのか正確なことはまったく知らなかったのだという。

夫の手違いで2月2日に入籍できなかったことを私は責めてしまったのだが、それは2月4日に入籍するための天のはからいだったのかも知れない。2月4日は、私たちにとって意味のある日にちだったのだ。振り返ると、けっこう大変なこともいろいろあったような気がするが、我が家はいつも幸せな空気に満ちていると思う。夫に出会えたことに今も日々感謝しています。

*我が家の敷地に勝手に入りこむ近所の猫たち。黒猫と三毛猫が仲良くうずくまっている。
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『引き寄せの法則』から、瞑想についての考察

私の古い友人で、どんな逆境にもめげず頑張っている人がいる。その人生はドラマのように波乱万丈で、ひとつ問題が解決すると、また別の問題が発生・・・という具合。それでも常に物事の明るい面を見て、前を向いて進んでいく彼女にはいつも感心するし、尊敬もするのだが、こうも問題が続くのを見ると、これは彼女自身が招いているのでは!?と思わざるを得ない。もちろん本人は意識していないだろうけれど。

問題に向って頑張る自分、およびその状況が好きな人なんだろうなと前から思ってはいた。「問題があるからこそ、頑張れる!」という面はあるだろう。けれど、ここまでの問題を本人が心から望んでいるとは思えない。

数年前から私が繰り返し読んでいる本によると、『引き寄せの法則』とはすべての現象の基本であり、自分の経験は自分の思考に『引き寄せの法則』が働いた結果、引き寄せられたものだという。自分が焦点を定めた思考が、自らの中に波動を引き起こし、その波動に『引き寄せの法則』が作用する。だから、自分が望まないことが起こった場合も、はからずも望まないことに思考を集中してしまった結果なのだという。要は、自分の思考や感情のエッセンスを引き付ける磁石と理解すればいい。

だからこそ、自分にとって好ましいこと、望ましいことへ思考や気持ちを向けるよう、いま現在、私も訓練中なのだけど、頭ではわかっても、自分の感情をコントロールすることはなかなか難しい。引き寄せの法則など、自己啓発系の本をいくつも読んでみたが、どの本も要点はほぼ同じ。この法則をいい意味で活かすため、ほとんどの本が瞑想を薦めている。といっても、そんな本格的なものではなく、5分とか10分とか、短い時間でいいから、自分の気持ちを落ち着けて、自分が望んでいることを思い浮かべよう・・・といった感じ。また、ネガティブな気分になったり、ネガティブなことを考えていることに気づいたときは、無理に考えないようにしようとしても、余計にそちらに意識が向いて逆効果なので、自分が好きなことや楽しいことなどを思い浮かべるといい(らしい)。これくらいなら、私にも実践できそう!!!・・・なのだが、まだ願いは引き寄せられていない。いや、現在、じわりじわりと引き寄せ中・・・と思っている。

逆境に負けない友人に話を戻すと、彼女は昔から瞑想を実践しているという。それにも関わらず、トラブル続きの人生なのだ。つい先日、久しぶりに会う機会があり、いろいろと話をしていたら、彼女は今も毎日、瞑想をして、そのおかげで心が落ち着くのだと、瞑想の効用を私たちに訴えた。
「そうよね。一日、5分でも10分でも気持ちを落ち着けると、頭の中がクリアになって、いいよね」と私が同意すると、「それじゃ、短い! せめて30分、ほんとは1時間くらいやらないと!」と彼女。そのとき私はふと思った。彼女、瞑想のしすぎで、トラブルを引き寄せているのではないかと。

だって、もし煩悩だらけの人間が1時間、瞑想したとして、そのときちょっとした心配事や悩みがあったとしたら、どうしても意識の中にそのことが浮かんでくるのではないだろうか。特に心配性の性格だったら、「もしこれが、ああなったらどうしよう」などと、まだ起きていないことをあれこれ想像したり、ともかく、その問題が頭の片隅にずっと残っていそう・・・。彼女の問題のほとんどは、彼女が執着を捨てれば解決しそうなのだが、瞑想のせいで逆に執着が強まっているような・・・!?

もちろん、これはすべて私の勝手な憶測。彼女にはなにも言っていない。自分の引き寄せ実験がいくつも成功して、法則を真の意味で理解できたら、いつか彼女にアドバイスするつもりです。

ちなみに、きょうの引き寄せはこれ↓。 去年、ネットで応募したプレゼントに当選したとかで、いきなり送られてきました。シャーロックのルービックキューブ。(めちゃ難しそう!!!)

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瞬間移動装置

前回、この家に暮らすことになった経緯を長々と書いてしまいましたが、この家について運命的と思えることは他にもあります。

今まで暮らしていた賃貸住宅に比べ、この家はずっと広いので、実家の家具等、使えそうなものはこの家に持ってくることにしました。母がいつも座っていたソファや、父が老人ホームに移った際に購入した椅子を始め、たくさんのものを運びました。中でも実家のダイニングの壁面の下半分を覆っていたキャビネットが、我が家のダイニングにぴったりと収まりました。我が家を訪ねた人たちが、この部屋にもともと取り付けられたものだと思うほど。

それから・・・今までは和室がなかったのですが、この家にはりっぱな和室があるので、実家の仏壇も持ってきました。すると、これまたぴったりと収まるではないですか。私の両親はお寺の熱心な檀徒で、母は元気な頃は朝晩、仏壇の前で読経していました。私も両親が病院や老人ホームに移ったあと、実家に帰るたび、母に代わって仏壇に手を合わせていましたが、今ではこの和室で毎朝、仏壇に手を合わせるようになりました。

すると、なんとも心が落ち着くのです。まるで、実家に帰ったのかと錯覚するほど。そして部屋を見回してよくよく考えてみると、この和室の造りや方角が実家の和室とまったく同じであることに気づきました。どちらも西側に窓があり、北側に床の間と仏壇、そして押入れが並んでいるのです。同じ造りの和室に、仏壇を始め実家にあったものを配置したのですから、実家にいるような気分になるのも当然です。

お陰で私は、故郷から遠く離れたこの家で、まるで両親が暮らしていた実家にいるかのように日々を過ごしています。懐かしくて、なんだか守られているような、本当に幸せな気分です。

この和室、私にとっては懐かしい実家への瞬間移動装置となっています。この家と出会えたのも両親のお陰かしら。感謝感謝。

思考現実化Revisitedー引き寄せの法則(理想の家編)

最近、イギリスのドラマ『ブライズヘッド再び(Brideshead Revisited)』を見たもので、こんなタイトルになりましたが、去年からひそかに行っている「思考現実化」実験について、改めて書きたいと思います。

今年2月のワンダイレクションのコンサートで、花道に一番近い最前列の席をゲットしたことは既に書きました。その際に理想の家に引越したことにも触れましたが、きょうはそれを詳しく報告します。

去年の春に読んだ何冊かの本に従って、私は「理想の家に暮らす」ことを現実にしたいと決心しました。母も父も亡くなって以降の私は、誰もいない広島の実家に帰る機会もほとんどなくなり、それなのに望郷の念は増すという日々を過ごしていました。例えば、スーパーで広島産の食材をみつけると、思わず手に取り、懐かしさのあまり涙ぐみながらカゴに入れる・・・という具合。さらに湖の景色を見ると、瀬戸内海を見ているようで、心が癒されるのでした。

実は、3年前に息子が近所のカヌースクールに入ったとき、敷地内に併設されたジムの会員になったのですが、思えばそれも湖を眺めながら運動できるというのが決め手でした。そしてガラス張りのジムで、目の前の湖を眺めながらエアロバイクを漕ぎ、「ここは私の別荘!」と妄想するのが習慣となっていました。
ところが実際に、そのジムの近所には湖に面した別荘が並んでいて、それを発見したとき、「毎朝、朝日が湖の向こうから昇るのね。こういうところに住みたいな~」と強く思ったのでした。

思考現実化実験を開始した私は、具体的に家の外観や間取りや、窓からの景色など、いろいろなことを頭に思い描きました。ジムの近所の湖岸に空き地がないかも、探しました。ネットで物件検索もしました。もともと不動産のネット検索は趣味のようなものでしたが(結婚後の転居先4軒はすべて私がネットでみつけました。)、このリサーチの結果、湖岸の売物件は非常に少ないけれど、あるにはあることがわかりました。ただし、湖に面しているというだけで、土地の値段が2倍以上になるのです。珍しく市場に出た中古物件は、土地も広く、建物も古いながらも豪華で、かなりの高額、だけど間取りはいまいち。新たに造成された宅地は、ただでさえ土地代が高く、さらにそこに新築するとなると、どれだけかかるのか。しかも、残っているのは北側の数区画のみ。

それでも、私は理想の外観、間取り、立地条件などを思い描いていました。前述の、とても手が出せない高額物件を見ても、「私には手が出せない」という残念な気持ちよりも、「湖岸の物件は実際にあるのだ!」という力強い思いの方が優っていました。本当は「手が出せない」くせに、「こんな間取りの家には住みたくない」、「私の理想じゃない!」と一蹴していたのです。

当時、暮らしていた学区近辺の湖岸物件を探していたのですが、時々チェックする不動産サイトで、たまたま近所の友人の隣家が売物件になっているのを発見。しばらくして、その友人に会ったのですが、彼女はそのことを知りませんでした。その隣家はトラブルメーカーだったらしく、「早く家が売れて引っ越してくれたらいいな」と言うので、その日、私はまたその不動産サイトをチェックしてみました。

サイトの一番最初に出てきた「最新物件」をふと見ると、建物もりっぱで土地も広いのに、かなりお手ごろな値段。写真を見ると、窓から美しい湖の景色が! 間取りも、私のほぼ理想通り。「これだ!」と思いました。しかも「安い!」 昔、外国為替のトレーダーをやっていた時期がありますが、まさにこれは即「MINE!(買い)」と叫びたい物件でした。

夫に連絡すると、「いいんじゃない?」の一言。「見に行く?」と聞くと、「いいよ」とのこと。そこで不動産会社に電話をすると、売主がまだその家に住んでいるので、確認が必要だが、その週の木曜日に別の人が内覧に行く予定なので、その人の後にどうでしょう?と言われ、「はい、何時でも大丈夫です」と即答しました。夫の職場は週休1日で、それも決まった曜日ではなく、たいてい平日のどこかで休むのですが、その週は偶然にも「木曜日が休み」と言われていたのです。これは、幸先いいではないですか。

そして、木曜日、夫とふたりでその家に向かいました。そこは当時住んでいた地域から、そんなに離れてはいなかったのですが、これまでまったく縁のないエリアだったので、私の頭の中から抜け落ちて、検索対象から外れていたのです。あとでわかったのですが、その家はしばらく前から売物件として掲載され、複数の問い合わせがあったものの成約に至らなかったので、売主が値下げをして、最新物件のページに掲載されたところだったのです。私たちの前にすでに5件ほど問い合わせがあり、中には2回も見に来た人もいたとか。私たちはさらにその後、いちばん最後の内覧者でした。

古い家と庭は、しばらく手入れが行き届いていないのか、少し荒れた雰囲気がありました。開かずの間もあり、どの部屋も荷物があふれ、ちょっとした「プチごみ屋敷」に見えないこともありません。雨戸が閉め切ってある部屋もあり、室内犬のせいか、なんともいえない悪臭も・・・。けれど、家の造りはしっかりしていて、間取りも理想的で、私は玄関に入った瞬間、「買いだ!」と思いました。そして、窓から湖の景色を見て、その思いは確信に変わりました。

夫がほとんど無言だったのが気になりましたが、あとで話すと、夫も「買いだ!」と思ったようです。不動産会社の方に確認すると、先に内覧した人に優先権があるわけではなく、一番最初に手を挙げた人が購入できるというので、その日のうちに「買います!」と連絡しました。不思議なことに、「湖岸の家に暮らす」という思考現実化実験を開始してちょうど一ヵ月後に仮契約していました。

なぜ湖の見える大きな家が、そんなに安かったかというと、その家は湖に面していなかったからです。家の裏地が大きな庭となっており、窓からは緑の庭と、その向こうに広がる湖が見えたのです。よそ様のお庭と湖を眺めるという、なんともラッキーな立地。しかも土地の値段も湖岸プライスではありません。売主さんが早く売りたかったため、さらに割安な値段になったところで、私たちが発見したというのも幸運でした。

それから、もうひとつ不思議だったこと。今回の売却理由には、売主さん一家のご主人が数年前に転勤となり、もうこちらに戻ってくることはなさそうだということもあったそうですが、なんとそのご主人、私の実家から徒歩15分ほどの場所に住んでいらっしゃいました。

割安な値段で手に入れた家は、その後、リフォームして、まさに私の理想の家となりました。毎朝、目がさめると、窓から湖の景色を眺め、その美しさに感動し、この家に暮らせることを感謝しています。毎日、この家で思想が現実化したことを実感する。それだけで、幸せを感じます。今までずっと幸せだったけれど、今はさらに感動を伴う幸福感があります。もちろん、日々、小さなことでイラついたり、落ち込んだりもするわけですが、この家にいるだけで、気分が違うんです。気分がいいんです。

思考現実化実験、まだまだ続けるつもりです。

『永遠の0』と母の幻影

今さらですが、1年半前–2012年のクリスマスの話を。

当時、小6の息子は中学受験を目前に控え、冬休みも毎日のように塾に通っていました。私にできるのは、息子のお弁当作りくらい。勉強の邪魔になってはとクリスマスの行事も控えて(?)おりました。25日も息子は塾に出かけ、私は日中の暇な時間、『永遠の0』(百田尚樹著)を読み始めました。物語にぐんぐん引き込まれ、一気に最後まで読み終えたときには部屋が薄暗くなっていました。しかも、最後は泣きながら読んでいたので、私の顔はぐちゃぐちゃ。読み終えたあとも、ひとしきり号泣したもので、目は真っ赤になり、とても見られない顔に! きょうはクリスマスらしいご馳走でも…と考えていましたが、この顔では買い物にも行けないと思い、結局、ありあわせで夕飯を作りました。

塾から帰ってきた息子はありあわせの夕飯を淡々と食べ、その後は黙々と勉強を始めました。その姿を見て、なんとなく申し訳なくなった私は、夫に「今さらだけど、クリスマスケーキ買いに行こう」と提案し、ふたりで近所のスーパーに出かけました。夜7時を回っていたので、近くのケーキ屋さんはすでに閉まっていたのです。

ところが、スーパーに行っても、クリスマスケーキは見当たりません。そりゃ、そうですよね。25日の夜ですもん。24日の夜なら、叩き売りしていたかも知れないけれど、25日の夜にはクリスマス関係のものはほぼ撤去されていました。仕方なく、ケーキ屋さんで普通のケーキを買って、急いで帰ろうとしていたら、カートを押しながらスーパーに入ってきた年配女性の姿が目に入りました。元気な頃の母のようなふっくらした体型で、髪型もあの頃の母によく似ています。しかも服装も、冬になると母が好んで着ていた紫色のカーディガンのような・・・。

見れば見るほど、母なのです。本当に、元気な頃の母なのです。思わず私はその女性を凝視していたようで、すれ違いざまにその方が私の方を見返しました。すると、まったく別人の女性の姿が・・・。

私は一瞬、呆然として、「私、少し疲れているのかしら?」と自問しました。そういえば、『永遠の0』の最後の方で、戦死した特攻隊員の幻が現れる場面で号泣したばかりでした。その影響で、私も母の幻を見たのかも・・・と自分を納得させました。私には霊感もなく、幽霊だとか、そういった類のものは一切、見た経験がないのですから。

とはいえ、母の姿に感動(&動揺)した私は、その場で夫に伝えました。
「いま、ちょっとおかしなことがあったのよ。さっきすれ違ったおばあさんが、母に見えたの。」
すると、夫はこう答えたのです。

俺にも見えたよ。

私はびっくりして一瞬、言葉を失いました。そして確認のため、夫にいくつか質問しました。夫が見たのも、元気な頃のふっくらした母が紫色のカーディガンを着ている姿だったのです。どうやら私たちは同じ幻を見ていたようです。あれは本当に母だったのかと思うと嬉しくて、涙があふれそうになるのを必死にこらえました。

うちの息子の中学受験をいちばん応援していたのは母だったので、息子をしっかりバックアップするように、私たちの前に出てきたのでしょうか!?
帰宅後、息子にケーキを差し出しながら、「今夜、お前の最強の支援者が現れたぞ!」とさっきの出来事を報告しました。「第一志望に絶対、受かるよ!」

亡くなってから夢にすら一度も現れたことのなかった母が、ほんの一瞬、姿を見せてくれたとは。今でもあの瞬間を思い出すと、胸がいっぱいになって、涙がでてきます。これは『永遠の0』効果だったのでしょうか。

しかし、これで合格間違いなしと確信していた第一志望に、その後、息子は落ちてしまうのです。その続きはまた後日。

by 鳩胸厚子


夢の原因!? ボルジア家

このところ普通のテレビ番組は、ほぼ見なくなった。その分、海外ドラマをよく見ている。それも、オリジナル音声を聞きたいので、極力、日本語字幕版を見るようにしている。中でも最近、はまっていたのが『ボルジア家』。録画していたシリーズ3の最終回を、昨日、とうとう見たのだが、尻切れトンボの終わり方で、なんともすっきりしない。それもそのはず。本来はシリーズ4で完結する予定が、資金の問題によりシリーズ3で打ち切りとなったらしい。

ところで、今朝、不思議な夢を見てしまった。子供を送り出したあと、服を着替えようと寝室に行った際、そのまま二度寝してしまったのだが、ベッドに倒れたせいで、かなり真剣に寝てしまい、不思議な夢を見た。湖畔のすてきなマンションだか別荘だかに遊びに行き、湖のほとりの木陰に腰を下ろしていたら、トラがこちらに近づいて、私の右手を噛むのだ。私は恐怖におののきながらも、トラがすぐに立ち去ることを祈って、微動だにしなかった。願いが通じたのか、トラは私の指を甘噛みしただけで、去って行った。「ああ、軍手をしていて、よかった~」と私は安堵した。草抜きでもしていのか、私は軍手をはめていたのだ。

とまあ、こんな夢だったのだが、目が覚めると、本当に右手がじ~んとしている。特に人差し指がしびれて、感覚が鈍い。何があったのだろう?と思いながら、Gパンを履こうとしてビックリ。ももの内側に指のあとがくっきりとついていたのだ! 服に着替えようとパジャマのズボンを脱いで、そのままベッドに倒れこんで寝ている間に、右手を足の間に挟んでいたようだ。内ももには、4本の指と爪のあとがしっかり残っている。なるほど~、トラの甘噛みはこれだったのか~と納得。

しかし、なぜトラだったのか!? これはボルジア家の最終回の影響だ。チェーザレ・ボルジアに捕らわれた女傑カテリーナ・スフォルツァが、雌寅のようだからと黄色と黒のドレスを着せられ、檻のような馬車に乗せられてローマに連れて行かれる場面があったのだ。

奇想天外と思われた夢の出来事も、実はこんな単純なからくりだったというわけ。
ああ、それよりも『ボルジア家』の続きを見たい! 私にとっては、『ボルジア家4』こそ〝見果てぬ夢"のようです。

*夫が2年半前(?)にもらった蘭の花が、春からぽちぽち咲いていたのですが、とうとう花が6つ開きました!
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比叡山

読売テレビ「すまたん」の話が出たが、実は先週末、比叡山まで辛坊治郎氏の講演を聞きに行った。これ、毎年行われている「比叡山春季講座」なるもので、今回の講師はJT生命誌研究館館長・中村桂子氏、天台宗ハワイ別院住職・荒了寛師、そして(株)大阪綜合研究所代表・辛坊治郎氏のお三方。辛坊さんの話を聞きたいという友人に誘われて、行ってきた。お三方それぞれに深いお話を聞かせていただき、勉強になった。

日ごろの行いがよいせいか(!?)、好天に恵まれ、お寺の中を散策して、気持ちのよい、密度の濃い一日を過ごせた。まさに霊山というべきか、空気がピンと張って、清々しい! 何度訪れても、いいものだ。

ちなみに、昨日は比叡山・延暦寺で桓武天皇の命日の法要があったそうだ。なんでも手打ちそばをお供えするらしい。延暦寺では、昔からの数多くの年中行事が淡々と延々と続いているが、他の有名寺院に比べてその殆どは一般人に知られていないように思う。宣伝下手なのか、宣伝する気がないのか。ま、そういう「知る人ぞ知る」というのが、いいのかも知れません。

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*ちなみにゴールデンウィーク中は比叡山で桜祭りをやっていた!