ネガティブな引き寄せ


引き寄せの法則』によると、自分の経験することはすべて自分が引き寄せたものだという。となると、例えば自然災害や犯罪の被害に遭う人も、自分で引き寄せたというのか!? 『引き寄せの法則』の本でも、「泥棒が盗む相手に引き寄せられるのは理解できるが、罪もない被害者が泥棒を引き寄せたり、あるいは差別された人が偏見を引き寄せたというのは理解できない」という質問が投げかけられている。

自分が望むか望まないかに関わらず、自分が関心を向ける対象のエッセンスである波動が引き寄せられるので、「本当に望むこと」は実現するし、また「本当に嫌だと思うこと」も実現するそうだ。例えば、泥棒の記事を新聞で読んだだけなら、激しい感情を抱かない限り、引き寄せが働くほどの状態にはならない。けれど詳しい状況について読んだり、見たり、話したりして、感情的な反応が起こると、自分も同じような経験を引き寄せるきっかけとなる。つまり、望まないことに多大な関心を向けていると、望まない目に遭うことに。だから、もし凶悪事件があったと聞いても、「それは誰かの経験だ、私はそれを選ばない」と考え、望まないことについて考えることは止めて、望むことについて考えるというのが、正しい対処法らしい。例えば貧困に喘ぐ人々を見ても、かわいそうだと同情(ネガティブな感情=波動が発生)するのではなく、彼らが豊かになっている状況を思い浮かべる(ポジティブな感情=波動が発生)のだ。

この考え方を一応、頭では理解していたつもりだが、この間、ふと魔がさしたのだろうか。車で出かける際に、久しぶりに『引き寄せの法則』のCDではなく音楽を流していたせいなのだろうか。運転しながら、ふと交通事故に遭った知人のことを思い出したのだ。「その時、どういう気持ちで運転していたのだろう?」と想像して感情移入しまい、「あ、これはヤバい!」と思い、急いで他のことを考えて頭を切り替えた(つもりだ)。それで無事に目的地に到着したのだが、帰り道になんと自転車と接触! といっても、相手は自転車を押していて、その前輪に接触したので幸い怪我はなかったのだが(私の車も無傷)、こんなことは初めてで本当にビックリした。相手がいい方だったので救われたけど、かなり動揺した。

私はネガティブな意味で、『引き寄せの法則』を実践してしまったのかも。これを肝に銘じます。

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