もう何ヶ月か前になるが、NHKで『馬三家からの手紙 』というドキュメンタリー が放映された。その予告を見て、私は何気なく録画予約をしていた。ほんとに何気なく。内容について詳しく知るわけでもなく、どうして録画予約をしたのか、自分でもよくわからない。予告では実写とアニメーションからなるドキュメンタリー であることはわかったのだが、そもそも私はドキュメンタリー は好きだけれど、アニメーションは好きではない。なのに、そのアニメーションに限っては、なにか惹かれるものがあったのだ。
そうやって録画されたそのドキュメンタリー を、私はしばらく忘れていた。日ごろからたくさんの海外ドラマを録画しているので、ほかにも見るものがたくさんあったのだ。だから後回しにしていたのだけれど、ある日、子供とふたりでご飯を食べていた時、「海外ドラマより真面目なドキュメンタリー の方がいいかな」という軽い気持ちで、この映像を見始めた。ところが、すぐにこれはとんでもない物語だとわかり、ふたりして映像に釘付けになった。
始まりは2012年秋 、オレゴン州の主婦、ジュリー・キースさんが子供にせがまれ屋根裏部屋にしまっていたハロウィーンの飾りつけ を取り出したところ、箱から一通の手紙がはらりと落ちた。英語で書かれた手紙には、この飾りが製造された中国の労働収容所 で多くの人が拷問などを受けていることが綴られており、この「馬三家 」という労働収容所 の存在を世界に知らせてほしいと訴えていた。
ジュリーさんが動いたおかげで、この事実はアメリカを始め、世界各地で報道されることとなる。だが、そのとき手紙の主 はすでに労働収容所 から解放され、北京で妻と暮らしていた。手紙の主 は、孫毅 さん。英語で手紙を書いた彼は、北京で国営の石油会社で働いていたというから、おそらくエリートだったのだろう。映像を見ると、物腰もやわらかく、知的な雰囲気の紳士だ。そんな彼が労働収容所 に入れられたのは、法輪功 を信奉しているから。
彼が法輪功 に魅せられたのは、1997年。「真・善・忍 」をモットーとする法輪功 は、「心と身体を向上させて良い人間になることを目指している」と、彼は説明する。(法輪功 を学び実践する人は、学習者 と呼ばれているようだ。)彼によると、1999年7月 に中国共産党政府は法輪功 を非合法 として、弾圧 を始めたという。国内の法輪功の学習者 が7千万人~1億人 にまで増え、共産党員の数(6千万人) を上回ったことで、大きな脅威となったからだ。それでも彼はこっそり仲間たちと法輪功 の活動を続け、テキストを制作し、配布していた。映像にその様子も出てきたのだが、隠れ家で彼らが使っていたのはCanonのプリンター だった。
2008年 に入ると、北京オリンピック を前にして締め付け はさらに厳しくなり、学習者 を通報した人は報奨金がもらえることになった。その結果、彼はとうとう2月に逮捕 され、遼寧省馬三家の労働収容所 に送られるのである。そこで待っていたのは、拷問や長時間の強制労働。彼らがそこで作らされたのは、ハロウィン 用の十字架とドクロの飾りもの だった。発泡スチロールに黒い染料を沁みこませる作業を日に20時間近くやらされていたので、寝ている間も手が動いていたほどだという。
そんな中、この飾りものがアメリカ に輸出されることに気づいた彼は、夜中、こっそり音を立てないようにして、馬三家 での惨状を訴える手紙を20通ほど英語でしたためた。そしてそれを飾りものにしのばせていたのだが、ある日、このことがバレてしまう。彼の手紙のことを知りつつ協力してくれていた仲間は、口を割ることはなかったが、その後、法輪功の学習者 は、ひとりずつ呼び出され、その教えを捨てるよう拷問された。最初に連れて行かれた仲間は、最初はうめき声をあげながらも、「法輪功 は正しい」と叫んでいたが、その後、わずか10分ほどで、法輪功 をけなし始め、あっけなく教えを捨てたという。
馬三家 内の映像はもちろんないので、彼のイラストを元にしたアニメーションで描かれるのだが、これがまたリアルなのだ。拷問を受ける部屋の前には、マルクス と毛沢東 の肖像画が飾られていたりと、ディテールもしっかりと描きこまれている。彼ももちろん拷問を受けたが、教えを捨てることはなかった。
ドキュメンタリー には、当時、拷問の監視役だった人との再会シーンもある。元監視役が、「彼は友人でもなく、なんの借りもないけれど、良心のある人間なら見るに堪えない」と涙を浮かべて語っていたのが印象的だった。
家族の要請で人権派弁護士 の江天勇 氏が代理人となったことから、孫毅 さんは刑期を延長されることなく、2010年9月に釈放 され、その後も迫害の事実を知らせる活動を密かに続けていた。その間、妻に危害が及んではいけないと偽装離婚をしていたのだが、2012年に彼の手紙がアメリカで公開されたことを機に、秘密裏に映像を撮影する ことを決意したらしい。彼がカナダ在住の中国人映画監督レオン・リー氏 に連絡をとったことで、最終的にこの作品ができあがるのだが、完成前の2016年11月 、人権派弁護士の江天勇氏が消息をたった と知り、彼は妻と再婚してふたりで亡命することを決意する。
ところが、両親が病気になったと妻が実家に呼び戻され、計画は中止。その後、妻から「北京の自宅に強制捜査 が入ったから、戻ってきてはいけない」と連絡が入るのだが、まもなく孫毅 さんは逮捕されてしまう。しかし体調を崩したため釈放されるも、押収された携帯のパスワードが破られたと聞き、撮影のことがバレる前にと、ひとりで中国脱出を決行 する。妻とは「永遠の別れ 」となることを覚悟して。
2016年12月に無事に脱出してインドネシアのジャカルタ で暮らし始めた彼を、オレゴン州 で手紙を受け取ったジュリー・キース さんが2017年に訪ねる。彼女のお陰で多くの中国人がネットを通じて労働収容所 のことを知ることができたと、彼は感謝を述べる。ジュリー さんも、彼の手紙が「私の人生を変えた 」と言う。自分が買うものが、どこでどうやって作られているのか、それまで考えたこともなかったのに、「外の世界に無関心ではいられなくなった 」と。
その時、孫毅 さんは中国に残した妻 がとても脅えていて、「自分の情報や写真はすべて削除して」と言ってきたと話していた。「結婚して20年なのに、一緒に生活できたのは2、3年」、「離れている間、彼もこの同じ月を見ているのだとと思って月を眺めていた」と言っていた彼の妻は、今も脅えながら月を見ているのだろうか…と思っていると、ドキュメンタリー は衝撃のラスト を迎えた。
「私がほしいのは自由 」、「信念のためなら苦難も厭わない 」と温和な表情で静かに語る孫毅さんだったが、ジュリー さんの訪問からまもなく中国の公安関係者 が接触してきて、その2ヶ月後の2017年10月に突然、死亡 。急性腎障害ということだが、家族が要請した死因調査は行われないままだった。
まだ中国には迫害されている人がたくさんいるが、「最後には正義が悪に勝利します 」という生前の孫毅 さんの言葉で、この作品は終わる。
孫毅さんの突然死 という唐突な終わりは衝撃だったが、あくまでも温和な口調で優しい表情を崩さなかった孫毅 さんの姿が、あとからじわじわとボディブローのように効いてきて、呆然としていた私はどっと泣き出してしまった。インドネシア に脱出したことで、彼の命は助かったと思っていたが、中国共産党 はそんなに甘くはなかったのだ。
それにしても思い出すのは、私と同世代と思われる孫毅 さんの柔和なお顔。かつては中国の優秀なエリートだったであろう彼が、法輪功 と出会ったことで、生きる意義や目的を見出したからこその、あの表情だったのだろう。邪悪なものが一切感じられない、まっすぐな優しい視線。命は落としたかも知れないが、「真・善・忍 」を貫いた彼の精神 は、中国共産党に決して負けることはなかったのだ。これからも、ずっと。
*なお中国共産党は法輪功だけでなく、チベット、ウイグル人たちも弾圧していることを忘れてはいけない。
*ちなみに、ジュリー・キース さんが暮らすのは、オレゴン州 のダマスカス という町だった。シリア のダマスカス とはえらい違いだ。
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