香港人の上司と相馬の友達

「菅さんは、原子力委員会の委員長を呼びつけて、激しく叱責しただけ。 そうじゃなくて、『あなたに全権限を与える。責任は私が取るから、すぐやって 下さい』って言わなきゃダメだ」と、昨日のアンカーで青山さんが言っていた。ほんと、その通り。でも、そこまで腹の座ったリーダーって、実は滅多にいないのかも知れない。

かつて東京のあるトレーディングルームで働いていた頃(先日、書いたのとは別の職場です)、私たちの権限を超える金額の取引を求められたことがある。一応、私たちはプライスを出す準備はしていたのだが、上司(日本人)は支店長(外国人)に許可をもらわないと…と、あたふた。プライスは刻々と変わるので、相手も早い対応を求めているのだが、結局かなりの時間、待たせた挙句、支店長がつかまらないとうだうだしているうちに、取引はなくなった。

それから数日後、再び同じことが起きたのだが、そのとき上司は不在。そこで隣のグループの上司(香港人)に尋ねると、金額を確認した上で、「OK、何かあれば僕が責任とるから、君はプライスを出しなさい」と即答。そして、すぐに取引完了。支店長への説明といった事後処理は、その上司がやってくれたので、私たちは通常の業務をこなし、問題は一切なかった。

それ以降(いや、実はそれ以前から)、私たち若手の信頼は一気に香港人の上司に集中した。しばらくして、彼が休暇でいなくなるとき、私たちはふと不安の言葉を漏らしてしまった。すると上司は、こう言った。「あのね、僕がいなくても、会社はちゃんと回っていくんだよ。例えば、いま僕がちょっと買い物に出て、車にはねられて死んだとしても、会社の業務は滞りなく進んでいく。誰かひとりがいなくなったからといって、会社はダメになったりしない。だから安心して、やるべき仕事をやっていれば大丈夫。ただし、家族にとって僕の代わりはいないんだ」。

その大切な家族のために、責任を持って仕事をする。そんな彼の姿勢を見て、私ははっとさせられた。この上司とは家族ぐるみのおつきあいを通して、公私ともにいろいろお世話になり、いろいろ教えられた。お上を信じず、お上に頼らず生きてきた人は、性根が違う!

ところで東北には殆ど縁のない私だが、この頃、職場で知り会った友人が相馬の人だった。ミスドで朝まで語り明かしたり、戸越銀座に遊びに行ったり、一緒にソウル旅行もした。その後、イタリアで修行したシェフのお兄さんと地元に帰り、焼肉屋さんを開いたと聞いて、約20年前に一度、相馬に遊びに行った。けれど10年程前から音信普通になっている。

震災後、昔のアドレス帳を探し出し、彼女の住所を調べたら、その番地の家はなくなっていたので、どこかに引っ越したのだと思う。今はどこにいるのだろう。また何かの偶然か奇跡が起こって、彼女と連絡がとれることを祈っている。

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