トランプおじさん

昨日、作業を終えた配布物を今朝はみんなで手分けしてポスティング。その後、帰宅してお昼ご飯を食べていたら、山の集落から近所に引っ越してきた友人から電話が入り、子供の帰宅時間までお茶をすることになった。

彼女も、子供たちのこれからのことを考えて、街に引っ越して来たのだが、職場は山の集落にあるため、親の通勤負担が増えてしまい、その分、子供たちと過ごせる時間が減っているらしい。こんな風にお茶ができる自由時間を持てたのも、本当に久しぶりのことだという。

しかし・・・子供たちのためと言いながら、結果的に子供たちに前よりも寂しい思いをさせているとすれば、本末転倒。なんとか、無理のない範囲で、いい体制作りができればいいのだけど。街に引っ越すことで、仕事と家庭の区切りをきっちりつけるつもりなのだろうと、私は傍から勝手に想像していたのだが、そこまで考えての決断でもなかったのだろうか。

その人にしか出来ない、他の人には任せられない仕事もあるだろうから難しいけど、子供にとってお父さんもお母さんも、それぞれひとり。こればっかりは、代わりはいない。一緒にいればいいというものでもないけれど、そこにいてくれる安心感は計り知れないし・・・悩ましい問題です。

さて、我が家の息子はきょうも無事に楽しく塾から帰って来た。事故の影響で電車が大幅に遅れて心配したのだが、きょうは友達と一緒だった上に、不思議なことがあったのだそうだ。向いの席に、トランプを手にしたサラリーマン風のおじさんが座っていて、息子が「暇だなぁ」とつぶやくと、それならとマジックを見せてくれたのだそうだ。それが余りに見事で、トリックがわからず、「不思議だ不思議だ」と帰宅後もつぶやく息子。ちなみにおじさんは、同じ駅で下りたそうだ。また会えるといいね、トランプおじさん。

*近所のケーキ屋さんでミルクレープを食べてしまった・・・。
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娘と息子の違い

きょうは住民運動のため、自治会の有志が集まって作業をした。すでに顔なじみのメンバーが集まり、簡単な手作業をしながら、お喋りがはずんだ。偶然にも、大半が息子の同級生のお母さん方で、そのすべてが女の子。さすが女の子の情報収集力はすごくって、毎日、お母さんに学校での出来事をいろいろ報告しているらしい。私の知らなかった出来事や人間関係など、貴重な情報を教えてもらった。

母娘でのお喋りの様子を聞いていると、ほんとに楽しそう。私と息子の会話なんて、まったく盛り上がりに欠けているわ。

それにしても、ここに有志として集まってるお母さん方は、娘さんからの話を聞いて、学校内のこと、よそのお子さんたちのことまで心配して、気遣って、ときには行動に出ていらっしゃる。地域社会は、こういう人たちに支えられているんだなぁと実感。

ところで、きょうの話でちょっと問題行動のある先生の話が出てきた。家に帰って息子に、「こんな先生がいるんだって? あんた、全然お母さんに教えてくれないじゃない!?」と話したら、「お母さん、なに言ってるの? 前から僕、話してたでしょ。変な先生がいるって・・・」と反論された。あちゃー、息子の話をいつも真剣に聞いてないのがバレてしまった。菅直人さんみたいになってはいけない!と、深く反省。

父の安静は解け、きょうはいつも通り、歩いているそうだ。ほっ!
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塾が好き!by息子

きょう息子はお弁当やゴム長を持って登校し、学年全員で川の上流まで探訪したらしい。きっと疲れて帰るだろうから、塾、大丈夫かなぁ・・・と心配していたが、なんのことはない。息子はどんなに疲れていても、塾は休みたくないのだと。私から見ると、遅くまで塾がある火曜日がスケジュール的に一番ハードそうだけど、息子にとっては一番楽しい日なのだそう。

学校もそれなりに楽しそうだが、それ以上に塾が楽しいとは!
確かに、私が小学生のときも、塾はいろんな意味で刺激があって楽しかった。授業内容はもちろんのこと、いろんな学校の子が集まっているし、しかも中にすごい子や面白い子がいたりして、世間がちょっと広くなったような・・・。実際、今でも交流がある中高の同級生の何人もが、小学校時代の塾で出会った友達なのだ。

小学校もめちゃくちゃ楽しかったけど、なぜか不思議と思い出すのは、塾の教室や帰りの電車の様子や、そこで出会った印象的な人たち。風の便りによれば、当時、目立っていた人たちはみんなけっこう出世している。

もしかしたら、いま息子も大切な出会いをいくつも経験しているのかも知れない。

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夫の趣味、セッコク

パソコンと読書だけが趣味かと思っていた夫に、最近、新たな趣味ができたようだ。

それはセッコク。

この間、山から持ち帰った大量のセッコクのため、水ごけや容器を買ってきて、いそいそと作業している。昨日が出勤だったので、きょうは代休。私は久々に整体師さんに体をほぐしてもらっていたのだが、夫はセッコクの世話をしていたようだ。

気がつくと、玄関の周りがセッコクだらけ。友人・知人におすそ分けしているうちに、やがて数が減っていくだろう・・・と踏んでいるのだが、さて。

ところで、息子は塾帰りに電車を乗り過ごさないために、今後ひとりのときは決して席に座らないと決めたようだ。万一、乗り過ごしたときは、すぐに電話を入れる約束もした。これで対策OKかな!?

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母の香炉

昨日は「絶望」などと書いてしまって、大げさだったろうか。でも今は民主党だけじゃなく、とにかく日本の政治に失望を通り越して絶望・・・。本当にこの国のことを考える政治家がいたとしても、潰されるのがオチなのか。

そんな絶望も失望もすべて包み込んで昇華してくれそうな霊山(?)に、夫がきょう出かけてきた。しかも霊山の中でもっとも聖なるスポットに行って来たらしい。そして私がお願いしていたものも、買ってきてくれた。

先日、この山を訪れた際、亡母が使っていたのにそっくりな香炉を売店でみつけたのだ。実は母が亡くなったあと、母がかわいがっていた従姉から、「おばちゃんが使っていた香炉、もしよかったら形見に分けてもらえない?」と頼まれたのだ。「もちろん」と即答したものの、香炉の土台はあるのに、上の部分がみつからない。何年もかけて、私が大々的に実家の不用品処理をしたために、紛失したのかも。さすがにまだ使える陶器の香炉を捨てた記憶はないので、もしかしたら壊れてしまって、捨ててたのか・・・!? 

その後、従姉には、「みつからないのよ~」と伝えたものの、なんだか申し訳なくて、ずっと気になっていた。ただ、売店でみつけたものが本当に母の香炉と同じものか自信がなくて、写真を撮って広島の友人に送ったら、同じものだと確認できた。(彼女も、母と同じものを持っているのだ。)

母の使っていた香炉でないと形見にならないので、土台は母のものと入れ替えて、従姉に渡そうと思う。母の香炉に、聖なるお山で再会できたことをありがたく思う。

この山は、鎮護国家の霊場。日本をしっかり守ってくれい~!

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想定外の出来事(乗り過ごし)

昨晩、寝る頃はまだ雨だけだったのが、今朝方には暴風が吹き荒れ、その音で目が覚めた。息子も夫も目を覚ましていて、うるさい風の音に寝ようとしても、なかなか熟睡できない。「この調子なら、暴風警報が出て休校かなぁ」と思いつつ、全員寝不足のまま朝を迎えた。

強風のせいで電車も停まり、大雨のせいで山の集落に向かう国道も通行止めになっているのに、結局、暴風警報は出なかったので、学校はいつも通り。私も今週は安全パトロール係なので、通学路に立った。息子は眠くて仕方ないと言いつつ、登校した。

夕方、「眠いんだったら、きょうは塾、休めば?」と言ったのだが、息子は「もう眠くなくなった」と元気に出かけた。月曜は唯一、行きも帰りもひとりの日なのに、それでも塾は楽しいらしい。

が・・・、夜、駅に迎えに行くと、息子が出てこない。携帯を何度鳴らしても、応答なし。「きっと寝てしまって乗り過ごしたに違いない」と、一度家に戻り、電車の時刻表を調べ、終着駅に連絡しようとしたが電話番号がみつからず、おろおろ。その間も息子の携帯に電話をするのだが、まったく応答なし。

心配のあまり、職場で会議中の夫に電話すると、「大丈夫だよ」。しばらくして、ようやく息子から電話が入り、「あのね、どうしてだかわからないんだけど、今○△駅にいる」とのこと。うちの一つ手前の駅で、夫の職場から近い場所にある。「あれ、どうして手前の駅に? 途中で気付いて、折り返しの電車に乗って、またも乗り過ごしたのかな?」と疑問に思いつつも、「すぐに迎えに行くから」と電話を切った。

が、そのあとで、「私が車で隣の駅に向かうより、電車で帰る方が早いかも・・・」と思いながら、夫に居場所がわかったことを知らせると、「会議も終わるところだし、俺の方が近いから、迎えに行く」とのこと。それで息子に電話して、「お父さんが迎えに行くから、駅の前で待ってるように」と伝えると、「なんか、おかしいんだよ、ここ何もないんだよ」と不安そうな声。そして、「あ、お母さん、ここ○△駅じゃなかった。○××駅だ!」

うひょ~! どうやら眠りこけた息子は、七つ先の駅でふと目が覚めて、電車を飛び降り、駅名を見たら「○」の文字が見えたので、ひとつ手前の「○△駅」だと勘違いしていたのだ。が、駅の外に出ると様子が違って真っ暗で、何にもなくて、もう一度よく駅名を見たら「○××駅」であることに気付いたというわけだ。

息子には次の電車に乗って帰るよう伝え、急いで夫にそのことを知らせた。次の電車の到着時刻前に再び息子に電話して、ホームを間違えないよう念を押したが(小さな駅だったのでホームはひとつだった)、今度は時刻になっても電車がこない。さっき運行状況を問い合わせたときには、遅れなどはないと言っていたのに。不安になりながらも、5分遅れで電車は到着。無事に息子は帰ってきた。

夫もほぼ同時刻に帰宅して、みんなで遅い夕食を囲んだのだが、最初は「大丈夫」とど~んと構えていた夫が、めちゃくちゃ不機嫌そうに、すぐに連絡してこなかった息子にお小言を言い始めた。夫のこんな態度は、かなり珍しいことだ。実は、それだけ心配していたってことなんだろう。

もちろん夫も私も、そりゃあ心配したけれど、一番心細かったのは当の本人だろうと、今回だけは息子を擁護してやった。「初めてのことだから、どうしていいかわからなかったのよ。一度経験したら、次にこんなことがあっても、もう大丈夫よ」と。

親としては、想定外のことに対応できる大人に育ってくれるよう、祈るばかりだ。

*「想定外」で政府が対応できなかったら、国民は不幸になるばかり。
「原子力防災マニュアルを軽視して、場当たり的な対応に終始している。」(小佐古元内閣官房参与)

*ウォーキング中にみつけたサクランボ。子供の頃、うちの庭にもあったなぁと懐かしくなった。
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類は友を呼ぶ(?)

街に越してきてから、息子は同級生がどっと増えて、遊び相手も大勢できて、よかったと思っていたのだが(慣れるまでちょっと心配したこともあったけど)、5年生の新しいクラスにはせっかく仲良くなった男子が殆どいなくなって、いまいちだ・・・とこぼしていた。先日も、「今の学校で大勢と出会ったけど、山の学校の方が友達の数は多かった」と。

山の学校では同学年はわずか6人、全学年あわせて約20人。保育園から一緒の仲間たちなので、付き合いが濃密だったのだろう。人数が少なすぎて、互いの相性とか関係なく、否応なしに長時間、家族のように一緒に過ごしていた分、絆を感じていたのかも知れない。

いまは子供の数が多い分、友達も互いに選択できるので、友達作りが難しいのかも知れない。それでも、いろ~んなタイプの人に出会うことは面白い体験だし、本当の友達なんて、そんなにたくさんできるものじゃないから、時間をかけてゆっくり探せばいいんだよ~と息子に話していた。

息子なりに苦労があったり、考えるところがあるのかなぁ・・・と感心していたのだが、最近は同じクラスで新たに仲良くなった男子たちが、何度かうちに遊びに来るようになった。昨日も3人やってきたのだが、前と違って、なんだかみんな息子と同じ匂いがする子たちなのだ。それぞれ大好きな漫画やアニメが別々にあるのだが、みんな同じくらい深く掘り下げて、その世界にはまってるというのが共通点。で、互いの世界を見せ合って、刺激を受けてるのかな? ま、要は何を見ても読んでも楽しいようだ。

去年はとりあえず遊べる相手を探していたのが、今では同じタイプの相手を嗅ぎ分けることができるようになってきたのかな? なんだかんだ言っても、毎日、元気に学校(&塾)に通ってくれるのは、嬉しいことだ。

ところで私はきょう、久々に山のママ友たちとランチに行く予定だったが、企画してくれた友達が突然、足の痛みで運転もままならなくなり中止。私もこの間から膝が痛い。もう無理がきかない年齢です・・・。

*「里山物語」で有名な地区の棚田
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なんにも予定がない

今週末はなんにも予定がなくて、のんびりできる。(いや、正確には予定がないのは私だけで、子供はきょうは合唱の練習に行ったし、夫は明日、自治会の会合に出る。)

夫は、連休の渋滞疲れのまま仕事に突入したせいか、連休明けてすぐに喉が痛いと言い出し、数日間は風邪の症状なのか、かな~り具合が悪かった。んで、その風邪が私にうつったのか、今になって私も喉が痛い。実は昨日からちょっと体調不良だったんだけど。

これ幸いと、一日ぼ~っとしていたのだが、夕方はちょこっと街まで買い物に。いやぁ、山の集落と違って、繁華街にすぐ行けるのは便利です。全員で大型書店を探訪して、スタバで休憩して、帰りました。(先日、スタバのアンケートに答えてもらったドリンク無料券を使ったぞ!)

それから、先週、結婚した親戚から電話があり、ご主人は新婚早々、仕事で東日本に派遣されたそう。福島原発の近くかも・・・という話。若い人には酷なことだと胸が痛むけど、この国のために頑張っている人たちが大勢いることに感謝します。

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母の日ディナー

案の定、息子は「母の日」なんて頭になくて、午後から月一度のテストに出かけた。私はちょっと気の重い仕事があり、時間的にちょっと焦りつつも、気持ち的には外に出て気分転換したい。それで、息子を送り出したあと、一気にがんばって仕事のメドがついたら、夕方、息子がテストが終わる頃に街に出かけて、みんなでご飯を食べようということに。

こういう目標を立てると、けっこう頑張れるもので、無理やり、母の日ディナーを決行しました。息子には結局、なんにもしてもらってないけど、美味しいものを食べられたら上機嫌の私でした!

そうそう、帰りに本屋に寄ったけど、この間から息子が探している漫画の単行本の最新刊、やっぱりなかった。春休みには見かけたらしいのだが、おそらく店頭で売り切れて、震災の影響で増刷できてないのだろう・・・。

*昨日の披露宴でアルコールを控えたため、きょうはワインも飲んでしまったぞ~。
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母の原爆の記憶

母の日の花束をネットで注文していたせいで、今年もいかがですか?とメールがくる。「そうか~、また母の日か~」と思いつつ、今年は母がいないのだなぁと気づく。ちょっと寂しい。

被災地の悲惨な状況を報道などで聞くたびに、母がちょこっと話してくれた原爆の話を思い出す。田舎の女学生だった母は、広島に原爆が落とされたあと、救援隊として送られた。広島駅から焼け野原の市内を延々と歩き、郊外の学校にたどりつくと、大勢の負傷者が寝かされていて、女学生は食事を運んだり、傷に湧くウジを取ったりしていたそうだ。市内の様子、負傷者の様子は、あまりに悲惨すぎて言葉では表せないと言っていた。毎日、毎日、人が死んでいき、校庭には燃やされた遺体の山ができていたそうだ。その臭いが嫌で嫌で、夜はなんだか怖いので、友達と誘いあわせてトイレに行っていたとか。よく考えたら、母はそのとき14歳だったのだ。

そんな大変なことがあっても、広島の街はちゃんと復興したし、生存者たちも健康に問題はあったかも知れないけれど、意味のある人生を送られたのではないだろうか。うちの母も、病気はいろいろあったし、若い頃には苦労もあったようだけど、晩年は心穏やかな落ち着いた暮らしができて、幸せだったと思う。14歳の母は、まさか現代の豊かで便利な生活を想像だにしなかったろう。

とはいえ、何もなくて必死に生きていた14歳も、最新の医療に助けられて長生きできた晩年も、本人は同じように幸せだったと思う。心配性だったけど、何事にも一生懸命で、いつも希望を持っていたから。

ところで、うちの息子は「母の日」なんて、すっかり忘れている気配。あ~あ。

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