デュラン・デュラン

急ぎの仕事は、最近また復活したというデュラン・デュランの記事だった。なんで今頃?と思ったら、なんと明日が東京公演らしい。田舎にいるせいか、まったく情報に疎くなってる!

思えば、彼らの初来日時に、たまたま日本に来ていたカナダ人の友人が、「友だちだから」と彼らの公演に連れて行ってくれた。公演後は楽屋に行き、そのまま一緒にタクシーに乗って、六本木に繰り出した…。私はその場にいただけなんだけど。タクシーのラジオがフォークランド紛争のニュースを伝えていて、「戦争が大きくなったらどうしよう」とメンバーが心配そうに言っていたことを覚えている。

個人的にはデュラン・デュランより、スパンダー・バレエが好きだったのだが、同年代の活躍ぶりを見るとおおいに励まされる。私もまだまだこれからだ、がんばろう!と。

なのに、さっき息子と戦いごっこをして遊んでいたら、こんなひと言を言われた。「お母さん、首に“おシワ”が!」
なんで「お」がつくのかようわからんが、がくっと力が抜けて笑ってしまった。あとで、あれはシワではなく、胸の谷間のことだったと苦しい言い訳をしていたが。

*近所のおばちゃんから山菜の天ぷらのおすそ分け。
13apr08

秋の夜長のお笑い番組

こまかい仕事を片付けながら、ちょっと長めの原稿を待って
いるのだが、なかなか届かない。夕方、電話が入り、原稿を
打ち合わせ先に忘れてきたので、もう少し待ってほしいとの
こと。

おかげで、今夜は心おきなくお笑い番組を見ることができた。
この間から友人に薦められていた『リチャードホール』のDVD
と、昨晩録画した『ジャイケルマクソン』。いやぁ、涙が出る
ほど笑わせていただきました。

これで明日から仕事にがんばれますっ!

yfifotohateos7

朝風呂とトマト

久々に朝風呂に入った。
ここに越してきてから、初めてのことかも知れない。
うちは紙ゴミや薪をくべてお風呂を焚いているので、夫が夕方から沸かしてくれたお風呂に次々と入るのが習慣となっている。

ところが、昨日はかなり気温が高かった上に、夫がいつも以上に薪をくべたらしく、夜中近くにお風呂
に入ったら、お湯が熱すぎて浴槽に入れない。仕方なくそそくさと切り上げ、きょうの朝入ることにしたというわけだ。

いつもより急いで朝の家事をすませて、一風呂あびる…なんだかとても優雅な気分。しかも外は暴風雨。

そして風呂上りに届いたのは、故郷のトマト。この間、NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」で紹介された倉橋島の農家が作ったお宝トマト。完熟で、みずみずしくて、おいしいよ~!

otakaratomato

ちくわ笛

小さい仕事を抱えながらも、少し時間に余裕ができ、たまった新聞を読んだ。「その日に読まなきゃ意味ないじゃん」とも思うが、ここは新聞配達の区域外なので、朝起きたら新聞が読めるわけではない。その日の朝刊と前日の夕刊が郵便で届くのが、大体午前十時。しかも郵送料は自己負担なので、古新聞も読まずに捨てる気になれない。(最終的には風呂焚きに使われるのだが)。

なので、私の観点は最新の情報よりも、いかに面白いニュースを探すかにある。そして、昨日の新聞の文化欄に久々のヒットをみつけた。

ちくわ笛に命吹き込む

岡山市の職員の男性が、ちくわに穴をあけて笛を作り、演奏活動をしているというもの。ご本人の寄稿により、その苦労がうかがえる。
ついに大事なことを悟った。ちくわは生きているのだ」とか、
鯛をふんだんに使った高価なちくわが最良と分かった」とか、
演奏後のちくわは必ず家に持って帰って食べること」とか、
思わず笑ってしまうが大切なことが書かれている。読んでいるうちに、私は笑いながらも感動を覚えた。

この文化欄には内容が学術的なもの、著名な方の寄稿なども多いが、地方の一般市民の非常にユニークな活動が本人の寄稿により発表されることもある。実は、これが一番面白い。こういう人たちをみつけてきて、全国紙に発表の場を与えるなんて、しゃれている。

もう十年以上も前の文化欄の記事を、私は今も覚えている。本職は不明だがある男性が公園の砂場などに残る犬の足跡を石膏で固めて取り続けていた。それがアート作品としてコンテストに入賞し、ニューヨークに招待された彼はセントラルパークでも犬の足跡を取り続け、「アメリカの犬は大きい!」などと感心していたのだ。なぜ、彼がそこまで足跡に情熱を燃やすのかはさだかではなかったが、そのひたむきさとたゆまぬ努力には感動した。

そう、感動の種はどこにでもある。人生はその気になれば、いくらでも面白くなるのだ。

ありがとう、ちくわ笛名人、住宅正人(スミタク・マサト)さん!

*このところ雨が続き、霧だらけです。
tikuaw

Depeche Mode(デペッシュモード、初来日でサインもらったなぁ!)

フレディ追悼ライヴに刺激されたのか、久々に音楽を聴きたいモードになっている。若い頃は、四六時中音楽を聴いていないと嫌だったのに、関西に越して来てからは静寂を楽しむようになり、外の小川の流れや鳥や虫の鳴き声に癒されていた。最近になって、ときたま音楽を聴きたいと思うようになったが、もっぱら昔のCDばかりを聴いていた。ところが、夫がFMラジオを聴ける状態にしてくれたお陰で、最近はBBCの最新ヒットチャート番組を聴くようになった。

そこでチャートインしていたのが、Depeche Modeの新譜。80年のデビュー以来、ずっと彼らのファンだった私は、今も彼らが現役として新作を出し続けていることにも感動したが、CDを買ってますます感動。彼らの音楽の集大成のような作品でありながら、新しい! 常に時代の先端を行く彼らは今も健在だ。

私とほぼ同世代の彼らの活躍は、本当に嬉しい。U2ほどおやじになっていないところもさすがだ。デビュー当初は、イギリスのパッとしないもてない君たちが集まってできたバンドかと思いきや、初来日のニューラテンクオーターでのライヴに出かけて、その美少年ぶりにびっくりしたものだ。しかも待ち時間に偶然、会場横のホテルで出会うと、気さくにサインに応じてくれた。(そのときスタッフと間違えて話しかけた人が、なんとピーター・バラカン氏であった。)

彼らの人生にもいろいろなことがあったのだろうが、それでもこうやってすばらしい音楽を作り続けていることに感謝したい。私が最初に好きになったアイドルバンドはとうに解散し、悲惨な人生をたどっているメンバーもいる。人気にも、お金にも、地位にも名誉にも才能にもその他の誘惑にも惑わされてはいけない。

さあ、きょうもFMでバラカンさんの番組を聴こう。

depeche

*関連記事「デペッシュモードはどうして来日しないのか

キアヌとアンディとトニー

テレビの芸能ニュースで、キアヌ・リーブスアンディ・ラウトニー・レオンが来日したと伝えていた。みんな好きだが、キアヌに注目が集まって、トニーの映像が少なかったのが残念。

私は一時、かなり香港映画にはまっていた。最初はアンディ。彼が主演のウォン・カーウァイ初監督作品をユーロスペースで観て以来だ。その後、私はカーウァイ監督の二作目の応援団に参加し、その活動の一環で出演者のトニーカリーナ・ラウとの会合に出席するチャンスがあったのだが、迷った挙句、私はその日、武道館での坂本龍一のコンサートに行った。こちらも感動だったが、それは私が生トニーを見たことがなかったから言えたのだ。

その後、私は香港アンディジャッキー・チョンのコンサートも見たし、東京でアンディの舞台挨拶や、今は亡きレスリー・チャンの記者会見やファンの集いにも行ったし、そうそう、転職後の初仕事としてレオン・カーファイにも取材した。みんな、みんな、それは魅力的で、まさにスターのオーラを持った人たちだった。

しかし、しかし…トニーなのである!
その頃の私はジャッキーの歌声、そのたたずまいや演技力にかなり心酔していたのだが、当時、香港にいた友人にくっついてカーウァイ監督の新作の制作発表記者会見に行き、トニーを間近に見た途端、やられてしまったのだ。あの色っぽい目線に。隣には美しいレスリーがいるのに、私はトニーに釘付けになった。

万一、実生活でこんな男と出会ったりしたら、それこそ大変なことになるのではないか…と思わせるほど色気たっぷりの男。それ<がトニー・レオンだった。(あくまでも私の意見だが。)ちなみに、このとき友人にくっついて撮影現場にお邪魔したのだが、友人には英語で話しかけたスタッフが、隣の私には北京語で話しかけてきた。私は日本人に見えなかったということね? 確かに北京に一年滞在した後で、北京の香りがしていたのかも知れないが…。買い物に行っても、店員さんに広東語でも英語でもなく、北京語で「謝謝」と言われたし、空港でも中国人に間違われた。それも北京語ができるからではなく、単に見た目の印象で。北京にいた頃は、中国人からは中国人に、韓国人からは韓国人に、日本人からは謎のアジア人と思われることが多かったんだけどね。

*写真はトニーとまったく関係なし。きょう、裏のおばちゃんからもらった山菜と庭でとったつくし(の一部)。山菜づくしの夕飯となりました。うちの庭にも食べられる野草がたくさん生えていることを教えてもらった!

山菜

Martin FryとTony Hadley(なんて知らない?)

なにを思ったか、昨晩ネットでマーティン・フライを検索した。80年代にABCというバンドで一世を風靡したシンガーだ。するとビックリ、なんと二月からABCトニー・ハドリーとツアーをするそうな! まだ活動していたんだ、しかも同じく私が大好きだったシンガー、トニー・ハドリーと。

くだらない話だけど…と、このことを大学時代の友人に早速メールした。今朝、彼女から「くだらなくない話だよ」と返事がきた。
思えば、彼女と出会ったのは、渋谷のパルコの前。マーティン・フライの公開トークショウがあるというので、私は朝早くから友人と一緒に整理券を取りに行った。実はそんな早くに行かなくても、余裕で入場できたんだけどね。で、私たち以外に並んでいた<のが、彼女とその友達。ふと見たら、彼女が私の大学の手帳を持っていたので、話かけてみたら、同じ大学の同学年であることが判明。しかも、彼女はかつて、私の実家の近くに住んだことがあるという。たぶん、高校時代は同じ電車で通学していたらしいとわかり、話がはずみ、今に至る…というわけ。 彼女に限らず、人の出会い、縁というのは不思議なものだ。ちなみに、このトークショウで私はマーティン・フライに手紙とプレゼントを渡した。しばらくして、マーティンから返事がきた。私の日記風の手紙のことを「masterpiece」だ!と言ってくれた。<そして、自分が最近見た映画やライヴの感想や近況などを綴り、「put pen to paper soooon!」と結んであった。そのあと、ピクチャーシングルも送られてきた。いい人だなあ…と感動した。

saru2

“Martin FryとTony Hadley(なんて知らない?)” の続きを読む

鑑真和上とヨン様

数年ぶりに奈良を訪ねました。80歳を過ぎた伯母の見舞いが目的です。思いのほか元気な姿に安心しましたが、そうとう愚痴がたまっていたらしく、私の夫を連れ出し、ひとしきり喋っていました。私に言っても笑われるだけだからと。(たしかに。)

さすがに夫がかわいそうになり、そろそろいいだろうと助け舟を出しに飲み物をもっていき、冬ソナの話題を出したら、伯母の表情がぱっと明るくなりました。そして、またひとしきり喋る、喋る。冬ソナ20回は見たそうです。巷には50回も見た人がいると聞いて驚いていたけど、私の身近にも似た人がいたなんて。(しかも血縁者!)伯母はベッドに横になり、顔の下にハンカチを敷いて見るのだそうです。涙をいちいち拭わなくてもすむように。しかし、伯母と話を合わせるために冬ソナを見たというお嫁さんが、気の毒でした。

せっかく奈良まで来たので、近くの唐招提寺も訪ねました。私は何度も来ていますが、夫とオランダの友人は初めて。以前、ここで初めて鑑真和上像と対面したとき、思わず「よくいらっしゃいました」と、感動がこみあげたことを覚えています。そのお姿を見るだけで、涙が浮かぶなんて、鑑真和上ヨン様くらいかも。

しかし夫にとっては、とんだ一日だったことでしょう。せっかくの休日、しかも自分の誕生日なのに仏像を見て、おばあちゃんの愚痴を聞いて…これじゃ、普段の寺生活と変わらない!しかも長い道のりを運転させて…お疲れ様でした。ありがとう!
寺

冬ソナの効用:雪が降っても楽しめる!

やっと冬ソナ、見終わりました。夫の職場の先輩は奥さんのためにDVDを入手したものの、自分は見ていないのだとか。「冬ソナって、そんなにいいの?」と訊かれた夫は、なんと答えたか。雪が降っても、私が怒らなくなった…ですと。たしかに。

このお正月も60センチほどの積雪となりましたが、私は雪を見るだけで冬ソナの世界に浸って、うっとりしておりました。

去年、初めての冬をここで迎えたときは、最初こそ喜んでいたものの、雪が降るたびに「寒い!」、「雪かきで肩がこる」、「出かけられない!」、「車のバッテリーがあがった」などと文句たらたらでした。

温暖な地方で育った私は、「なんでこんな寒いの!」とマジで怒っていたのですが、雪国の人はなんと我慢強いことか。見習わなくては。

それにしても、私にとっての冬ソナの効用は、夫とのなにげない会話も冬ソナごっこで盛り上がること。「チュンサン」と呼べば、「ユジン」と答えてくれる。20話もあるから、ネタもたくさん。

さしつかえなければ、みなさんもパートナーや恋人と一緒にごらんになることをお勧めします。
mori

冬ソナについて

テレビをつけても、気の滅入るニュースか、くだらないバラエティ。だからというわけじゃないけど、マジではまっています。冬ソナ。いまさらですが。クリスマスのディナー(というほどのもんじゃないが)も早々に切り上げ、子供を寝かせ、こたつに入って、DVDに釘付けです。メールをしたり、年賀状を書きながら見ようと思っていたのに、そんなの無理、無理。

NHK総合で放送されていた頃、偶然にちらっと見たときには、「なんだ、このメロドラマは!?」という印象しかなかったのに、最初から見ていくと、もう、はまる、はまる。なぜ、ユジンがあんなに涙を流すのか、わかる、わかる。

夫とふたりで見ていると、互いにウルウルくるポイントが違っていたりして、それもまた面白い。そして、ふたりしてヨン様のセリフにノックアウトされるのです。あんな言葉を言われて、惚れない女はいないだろう。なんと心の広い男だ!と。夫はヨン様のセリフを、いくつもいくつも、心のメモに書き留めています。いったい、いつ使うつもりだ?

それにしても、ヨン様(というか役名でいえばミニョンさん)のセリフはすばらしい。「私にも言って、言って!」、と日本中のおばさん(だけでなく若い女性も)が思ったとしても不思議ではない!

が、私たちはこれ、日本語の吹き替えで聞いてるんです。萩原聖人の声がいまいち高めで、ちょっと不満なんだけど。だから、二回目は字幕で見ようと思っています。なるほど、こうやってみんな、韓国語バージョンに流れ、やがて韓国語クラスに通うようになるのだな…。多分ヨン様のセリフを紅毛碧眼の青年が言っても、ダメなんだよね。見た目は日本人と変わらなくて、でも、日本人の男にはとても言えないことを言ってくれる。これが、おばさんたちの心をくすぐるのは当然でしょう。(私もくすぐられてますよ、おおいに。)

そんなわけで、お正月の準備がなかなか進みません。このところ寝坊も続いてます。夫との会話も、冬ソナの引用ばかり。ああ、おそるべし、冬ソナ。

ところで、私がヨン様の年齢だった頃、中国に留学したことがあります。留学生寮の二大勢力は日本人と韓国人で、当時、両者の間には壁がありました。日本人の若者は、団結力もなく、小グループに分かれ、特に韓国人を意識することもなく、のほほんと過ごしていました。一方、韓国人は学校内に韓国人学生組織を作り、日本人との恋愛関係はご法度と決めたりして、日本人への対抗意識を露わにしていました。それでも、文化的にも近い日本人と韓国人は結構仲良くなったりして、私も韓国人の学生とよく遊びました。

今思えば、ヨン様と同世代の青年たちだったのだな~と、懐かしく思い出します。大学の広いキャンパスで、私の姿をみつけ、遠くから大きく手を振りながら、大声で私の名前を呼んでくれたパクくん。特に仲良しでもないのに、私の買い物袋を当然のように運んでくれたキムくん。そして、みんなの前では知らんふりしながら、影では声をかけてくれたり、太極拳を教えてくれたチュングン。そういえば、彼はミニョンさんみたいに、米国在住だったなあ。などと、遅ればせの青春時代に思いを馳せる年の瀬なのでありました。

リース