映画『愛さずにいられない(un monde sans pitié)』日本語字幕版放送キボンヌ(←死語!?)

1989年、フランス語もわからないのにパリに渡った私が、フランス語がわからないまま映画館で見たフランス映画エリック・ロシャン監督
の『愛さずにいられない(un monde sans pitié)』。そこら中にこの映画のポスターが貼ってあって、それで見たくなったんだっけ!? アパルトマンの近くには映画館がいくつもあって、週末になると夜遅くまで上映していたので、言葉がわからなくても映画はたまに見に行っていたのだ。田中好子主演の『黒い雨』や、江戸川乱歩原作の『屋根裏の散歩者』も、近所の映画館で見た。たぶん日本にいたら、見ることはなかったかも知れない。

で、この映画。イポリット・ジラルド演じるチンピラのようなチャラ男、イッポが彼とは住む世界が違うインテリ女性に惚れてしまうという恋愛ドラマ。イッポみたいな男は好みのタイプではないし、現実世界ではけっこうムカつくキャラだと思うけど、俳優さんの魅力のせいなのか(!?)、なんとなく目が離せなくて、キザな振る舞いもプッと笑えてしまう。フランス語はわからなくても、パリの街と、めくるめく恋の空気が感じられるだけで、うきうきしてしまう映画だった。

妙に気に入って、しかも内容をきちんと知りたかったので、帰国後に日本の映画館に再度、観に行ったように思う。ビデオも持っていたはずだけど、何年も前にビデオやレーザーディスクはすべて処分してしまった。その後、この映画のことを思い出し、もう一度観たいと調べたけれど、残念ながらDVD化はされていないようだ。YouTubeにはオリジナル版がアップロードされているが(これ違法!?)、私は日本語字幕版をもう一度観たい!! DVD化は無理でも、どこかの有料映画専門チャンネル放送してくれることを切に願う!!

といっても、正直言えば、私にとって、この映画の内容はたいして問題ではなかったのだ。私が何度も思い出すのは、パンテオンがどか~んと映るところから始まるオープニングのシーン。パンテオンからリュクサンブール公園近くのカフェ(Le Rostand)が映り、イッポが闊歩する通りもなんとなく見覚えがあるような気がして…まさに私の生活圏が舞台だったので、忘れられない作品だったのだ。

オデオンからリュクサンブール公園方面に向かう途中に、(たぶん)ベトナム華僑が経営する安くておいしい中華屋さんがあり、そこでセットメニューを食べるのが、映画館に行くのと同じくらい当時の私にとってはささやかな楽しみだった。スープは必ず酸辣湯。ああ、あの酸辣湯をもう一度、食べてみたい!
おしゃれな映画から中華の話になってしまったけど、次回はリュクサンブール公園の思い出について書こうと思う。
(*ちなみに2010年7月5日の日記でも、このお店に触れている。)

ちなみに、もうひとつ、この映画で忘れられないシーンがある。イッポと彼女が、夜、窓からエッフェル塔を眺めていて、イッポが指を鳴らすと、エッフェル塔の灯りが消えるという・・・。ね、キザでしょ!? 笑っちゃうでしょ!? でも、そこがいいんだなぁ、不思議なことに。ああ、イッポ、現在、62歳。どっひゃ~。

今さらながらの『ツインピークス』


*毎朝、我が家にやって来るスズメたち。

アメリカで1990年に放送されて大ヒットとなったデヴィッド・リンチ監督のドラマ『ツインピークス』。日本でも、特におしゃれな業界人などの間で話題になっていたと記憶している。実は私が念願の転職を果たして、初めて翻訳したのが『ツインピークス』でローラ・パーマーを演じたシェリル・リーのインタビューだった。なのに私は、この作品を見ていなかったのだ。

でも、この最初の翻訳仕事は印象に残っている。「人間は、社会的に自分が置かれたポジションをわかっている。大抵の人間はそこまで強くないので、そのポジションに対して社会が期待するとおりの人間になろうとする」というようなことを、シェリル・リーが話していたのだ。なんとも深い話ではないか。よほどシリアスな物語なのか…と思って、私はツインピークスを敬遠したのだろうか。

その『ツインピークス』の放送が、先日からWOWOWで始まった。今回はしっかり録画して、家族全員で見ているところ。息子も昨夏、アメリカ研修中にデヴィッド・リンチのことを知り、興味を持ったらしい。まだ全30話の半ばまでしか見ていないのだが、私の感想は一言。

「ツインピークスって壮大なコメディだったのね!」

娘のローラが殺されて嘆き悲しむ母、そして父の姿は、あまりに異常すぎて、私は声を出して笑ってしまった・・・。ツインピークスは架空の町だが、ワシントン州のカナダ国境に近い場所という設定のようだ。この町全体の少しとち狂った感じ、どこかで見た気がする…と思ったのだが、これって、ニルヴァーナカート・コバーンの狂気の世界に似ているような…。彼もまた、ワシントン州の小さな町の出身だった。

う~む、これはかなり深くてシリアスなコメディなのかも。

*まもなくツインピークスの25年後を描いた『ツインピークス The Return』の放送も始まる。これには、NINトレント・レズナーも出演するとか。うう…楽しみ。

「アンダーコントロール(under control)」付記

1月22日の日記で、「The situation is under control」について触れたところだが、AXNミステリーでイギリスのドラマ、『検視法廷シーズン2』(2016)を見ていたら、またこのフレーズが出てきた。事件の調査のために資料館に行かされた部下が、上司(主人公)からの電話を受けて、

It’s under control

と答えていたのだ。字幕は「ちゃんとやってます」、だったかな? 実際には、資料館に着いたばかりで、まだ何もしていないんだけど。アメリカのドラマでも、同じような状況でこのセリフが使われていたことから考えても、このフレーズは少なくとも日常会話においては、「現時点では解決の糸口すらみつかっていないけれど、それに向けて努力している」状態で使われるのかな。文字通りの意味より、軽い感じ!? 

IOC総会のスピーチで安倍首相が「福島はアンダーコントロールだ」と嘘をついたと批判した日本の(一部の)人たちは、このフレーズを文字通りの意味で受け止めすぎていたということかも!? 外国語のニュアンスを正確に理解するのは、難しい。

イヤーワーム(earworm)な『オドループ(oddloop)」byフレデリック


*寒さのあまりじっと寄り添う3匹の金魚。

中学の頃、洋楽に目覚めて以来、ずっとアメリカやイギリスのロックが好きで、ただただ来日したバンドのコンサートを見たいという一心で東京の大学に進学した私。だけど子供時代にピアノレッスンも早々に脱落し、歌もいまいちで、音楽は聴くことしか能がない。
夫は高校時代にバンドを組んでギターをやっていたというので、息子も高校生くらいでバンドを始めることを密かに願っていたのだが、ロックは「うるさい」と言って興味を示さない。小学生の頃、合唱団に入っていたので歌うことは好きなくせに、カラオケもほぼ行かない。「息子のライヴを観に行く」のは見果てぬ夢となった。

なので、私は息子の学校の文化祭で、(ほぼ)毎年、「よその息子さんのライヴを観に行く」のである。ほとんどが知らない人の息子さんだけど、高校生バンドは初々しくて、微笑ましくて、青春していて、羨ましい! 中にはとても上手い人がいたりして、感心、感動したりもする。

去年は特に、可能な限りずっとライヴ会場に居座って、たくさんのバンドを観た。今ではほとんど音楽を聴かなくなり、最近の音楽もまったく知らないので、今の若い世代の音楽を知る機会となった。あとで演奏曲目を教えてもらって、ネットで本物のオリジナルバージョンを調べて(YouTubeって、ありがたい!!)、いま人気のバンドをいくつか知ることができた。昔と違って、いまは日本のバンドも海外のバンドも音を聴いただけでは区別できない。すごいなぁ。

そんな中、いくつものバンドがライヴ演奏したことで耳に残っていた曲が、フレデリックの『オドループ』。もう3年前の曲らしいのだが、知らなかった。(ユニクロのCM曲だったとか!?)最初は歌詞が気になっていたんだけど、YouTubeで本物のPVを見たら、なんだかはまってしまって、この曲のPVを繰り返し再生していた。耳には残るけど、すごく素敵な曲と思っていたわけではなかったのに、なぜか気になって、また見たくなって聴きたくなって、気がついたら病みつきになっていた。誰かが「これ、なぜか5回見ていた」と書き込みをしていたけど、まさにそう。なんだかウィルスに感染したみたいに、やられてしまうのだ。

とまあ、このような症状が私に現れたのは昨年9月だったのだが、そのときは遠くから「なにをそんなに聴いてるの?」と不思議そうにしていた夫が、最近、『オドループ』のPVを見ているのを発見。しかもその後、何度か繰り返して見ているではないか。ははは、夫も感染するぞ~と思っていたら案の定。5回見たら、完全に病みつきになってます。

なんなんでしょうね、この感染力。恐るべし、フレデリック

イヤーワーム(earworm)とは、「歌の一部などが頭の中で反復して、音楽が頭にこびりついて離れない状態」。元々は16世紀に「ハサミムシ」のドイツ語を英訳した言葉だったらしい。ハサミムシは、眠っている人の耳の中に入って害をすると考えられていたんだって!

雪の日がますます寒くなる~『トラップ 凍える死体』

かなり寒い日が続きますが、厳寒の季節にふと思い出すドラマがあります。

AXNミステリーで見た『トラップ 凍える死体

これ、アイスランドのドラマです。アイスランドのドラマなんて見たことないから、「どんなんかな~!?」という好奇心で見たのです。

アイスランドといえばビョークというエキセントリックなシンガーを思い出しますが、それ以外にも私は山奥の過疎地に住んでいた頃、まるで魔法使いのようなミステリアスなアイスランド人ご夫婦に遭遇したことがあり、私の中では勝手に「おとぎの国」のようなイメージが出来上がっていたのです。

ところが、このドラマ。ただ延々と暗くて寒いんですよ。首都レイキャビクから遠く離れた田舎の小さな港町にデンマークからのフェリーが到着すると同時に海に浮かぶ死体が発見されるのですが、吹雪のため交通が遮断されて、首都警察からの応援も来ず、誰もその町から出られない状態で、事件の捜査が始まるのです。しかし田舎の警察の人員はわずかに3名。物語は、警察署長のアンドリという熊みたいなおっさんを中心に展開していくのですが、こんな田舎町なのに、デンマーク人やらリトアニア人やらアフリカから人身売買で連れてこられた女性やら、意外と国際的なのです。ま、私も山奥の過疎地でアイスランド人に遭遇したくらいですし。(これについては、2009年4月13日の日記を参照)

悪天候で孤立状態の町の中で、なぜか次々に事件が起きるので、アンドリは大忙しなのですが、外があまりに寒そうで、移動するだけでも大変そう。陽も射さないので、雪と氷の世界なのになんとなく薄暗く、みんなの服装も地味(制服や防寒着だから仕方ない)。致命的なのは、北欧というと長身で紅毛碧眼の美男美女を想像するのに、出演者に美形がひとりもいないこと。「これはドキュメンタリーか!?」と思うような顔ぶれです。(敢えて、そういうキャスティングをしているのでしょうか!?)主人公のアンドリは、前述したように熊のようなおじさん。ただし、真面目で誠実なキャラクターですが。

なので、これ、華やかさが1ミリもないドラマなんです。ジョークもないし、笑顔になれる場面もない。ネタばれになることは書きませんが、真面目で誠実なアンドリは最後まで報われません(これもネタばれ?)。なんなのだ、このドラマは!

ま、このドラマの効用があるとしたら、とにかく寒いってことでしょうか。実は私と夫は、このドラマ、夏に観たのです。暑い夏の日の夜に、暗くて寒いアイスランドのドラマを見るのは乙なものでした。ただただ暗くて寒くて地味なドラマの展開に、とうとう私たちは笑うしかなく、「アンドリ?」と嫌がらせのように互いに呼びかけておりました。

今でも夫が突然、「アンドリ?」と言うと、思わず笑ってしまいます。えらく長いこと効果が続くドラマですね。コメディじゃないのに、我が家の定番ジョークとなってしまった「アンドリ」。やはりアイスランドは不思議な国です。

by 鳩胸厚子

字幕ドラマ

字幕版のドラマを見ると、勉強になることも多い。聞き取れない部分もたくさんあるけど、聞き取れたけど意味のわからない言葉を調べたり、「こんな言い方をするのか~」とか、「こんな使い方をするのか~」など、いろいろな発見がある。(その数々の発見も記憶からするすると抜け落ちて行くのだが…。)

CCTV」は私にとっては「中国中央電視台」だったが、イギリスの複数の刑事ドラマで「監視カメラ」(closed circuit television)の意味があることを知った。

先日は、『BULL/法廷を操る男』を見ていた子供が、「この前、学校で聞いたProbonoという言葉が出てきた!」と教えてくれた。(プロボノ=各分野の専門家がその知識やスキルを活かして社会貢献するボランティア活動全般。もともとは弁護士などが公益のために無報酬で行う法律家活動を指していた。)

ずっと昔に『BONES』で日本のメイドカフェもどきが出てきて、そのファッションを見てブース(主人公のひとり)が「アマロリ」と言っていたのにビックリ。ゴスロリは聞いたことあったけど、「アマロリ(甘いロリータ)」という言葉はこの時、知った!

それから2013年のIOC総会で東京オリンピック誘致のために安倍首相が行ったスピーチの「The situation is under control」発言が問題視されていた頃、テレビをつけたときに偶然やっていたアメリカの犯罪ドラマで同じ表現を耳にしたことがある。いつも見ているドラマではなかったし、たまたまつけたらこの表現が聞こえただけなので、どういう物語だったのかわからないし、字幕でどのような翻訳がされていたのかも思い出せない。ただ覚えているのは、住宅前の芝生(あるいは公園?)で殺人事件が発覚した直後で、現場には黄色いテープが張られていて、そこに警察の偉い人(たぶん)がやってきて状況を尋ねると、警官(か刑事)が「under control」と答えたのだ。つまり、殺人事件の解決の糸口はまだまったく見えてないけど、現場はちゃんと管理して、捜査も始めていますよという状況に見えた。ぼんやりとした記憶では、「(捜査は)ちゃんとやってます」というニュアンスの字幕だったような気がするのだけど…。

安倍首相のスピーチでは、同時通訳は「事態は収束に向かっている」、その後の報道では「状況はコントロールされている」、官邸ホームページでは「状況は制御されている」と訳されていたようだ。この発言を問題視する人の中に、「同時通訳は意味を変えている」と発言した人がいたが、あのドラマを見る限りでは、同時通訳の方の日本語が英文のニュアンスに一番近いのではないだろうか!? 少なくとも、アメリカではそういう感覚で使われる表現なのかな~と思ったのだが、本当にそうなのか誰かに確認してみなければ。言葉って難しい!

字幕か吹替か

前にも書いたけど、私は海外のドラマや映画は基本的に字幕版を見る。ドラマの中でセリフはとっても大事なものだからこそ、その国の景色の中で、その国の人物が演じる物語のセリフは、その国の言語で聞きたい。たとえまったく知らない言語でも。その響きを聞くだけで、その国のイメージが出来上がるし、俳優さんたちの声の使い方も演技の一部だし。

子供の頃は、テレビで吹替えの海外ドラマや映画を当たり前のように見ていて、声優に憧れたこともあった。アラン・ドロンといえば野沢那智野沢直子が姪だったとは、つい最近まで知らなかった!)で、クリント・イーストウッドといえば山田康雄という時代だったし。

ところが大きくなって、映画館で字幕版の洋画を見るようになると、「え!? この人、本当はこんな声だったの!?」と、声(と言語)の違いで俳優さんのイメージが激変することに驚いた。それに吹替えだと、どうしてもわざとらしい日本語にならざるを得ない部分もあるから、言葉の意味はわからなくてもオリジナルバージョンの方が自然に聞こえる。ただ、日本語字幕を読まないと物語を追えないので、画面に集中できないというデメリットもある。吹替え吹替えで、確立された文化だと思うので、否定するつもりもない。

そういえば東京で働いていた頃の同僚に、子供の頃、有名な海外ドラマの吹替えをやっていた人がいた。もちろん私も見ていたドラマだったので、最初の頃は彼女の声を聞くと不思議な気分だったが、彼女の方がドラマの女優さんよりずっと美人だったことにも驚いた。

ところで学生時代にヨーロッパ旅行をした際に、スカンジナビアやオランダの人たちは英語がとっても上手なのに、それに比べてドイツの人たちはいまひとつであることに気づいたのだけど、その違いはもしかして字幕かも!?と思ったのだ。スカンジナビアやオランダでは、英米のドラマが字幕で放送されていたのに、ドイツでは吹替えだったのだ。映画館でも吹替えが多かったように思う。

ドラマや映画で外国語が勉強できたら楽しいし、まさに一石二鳥。私もいまだに英米のドラマを見るときは、無意識のうちに英語を聞き取ろうと一生懸命、見入って聞き入ってしまう。

それになんと言っても、俳優さんに惚れ込むときって、見た目もあるけど、それ以上に重要なのは「」。私の場合は、コリン・ファースに始まり、最近ではベネディクト・カンバーバッチマシュー・マクファディン。あれ!?全部イギリス人。確かに低くて深みのある声の俳優さんが多いし、イギリス英語の響きを聞いているだけで、なぜかうっとりしてしまう。これは単に、イギリス英語が好きというだけか!? でも私だけじゃない! イギリス英語に憧れるアメリカ人って、かなり多いと思う。英語の本家だものね。

『成功の実現』中村天風述


顔面麻痺で入院した直後は、目薬が手放せなかったくらいで、読書をする余裕はなかった。その後も、ステロイドの点滴のせいで逆に身体が弱ったのか、読書をする元気がなかった。入院後、しばらくして、ようやく夫に持ってきてもらっていた大量の本を読み始めたのだが、その中でも一番役に立ったのが中村天風のこの分厚い本だ。中村天風述となっているように、これは天風先生の10回にわたる講演会をまとめたもののようだ。

1876年(明治9年)生まれの中村天風氏は華族の出で、小さいときから武術や英語に長け、今で言う軍事スパイとして日露戦争時に活躍。その後、不治の病を治すためアメリカに行き、コロンビア大学で医学を学び、さらにヨーロッパに渡り、それでも病気はよくならず、日本に帰国する途上のエジプトで出会ったヨガの達人についてヒマラヤ山麓で修行をして、悟入天地を拓いた。日本に初めてヨガを伝えた人と言われている。帰国後、実業家として成功したにも関わらず、43歳で突然、地位も財産も投げ出して、救世済民のため辻説法を始めた。その人生哲学に各界の重鎮初め、さまざまな人が感銘を受け、天風氏が自ら創設した公益法人「天風会」は現在も全国で活動を続けている。天風氏は、1968年(昭和43年)、護国寺内に天風会館が落成した年に92歳で亡くなった。

この1万円以上する本をなぜ持っているかというと、ずっと以前に夫が仕事の関係で天風会の方と知り合い、それから何年か後に、その方がわざわざ夫の職場までこの本を届けて下さったから。それを私が読み始めたのだが、分厚くて重かったので、読みかけのまま放置していたのを、「病気になった今こそ!」と思い出し、「これだけは病室に持って来てほしい」と私が夫に頼んでいたのだ。

そして、それは正解だった。病気の時だからこそ、すべての言葉が身体の芯まで沁みこんでくる。今だからこそ、心底、理解したい、吸収したいという思いで一字一句を読み続けた。講演録なので、天風先生の時にべらんめぇ調の話しぶりが非常に愉快! 明治の人の話し方って、こんなだったのか~という面白さもある。とにかく、すべてにおいてなにがなんでも前向きに!というのが天風先生の哲学の基本なので、どのお話も明るくて、思わずぷっと笑ってしまう。

しかも天風先生が教えて下さるのは考え方だけではない。身体を健康に保つための簡単な呼吸法など、具体的な実践方法も説明してある。私も早速、病室でやってみた。

それももちろん素晴らしいのだが、何より一番面白いのが、天風先生の身の上話! まるで壮大な大河ドラマを見ているかのような波乱万丈の人生! 「本当に!?」と思うような驚くエピソードばかり。多少、ご自分で誇張されている部分もあるかも知れないけど、それを差し引いたとしても、あまりにドラマティックて引き込まれます。昔の人って、スケールが大きいなあ。天風先生の交友関係もなかなかすごいものがあります。

未だに大勢の人が天風哲学や健康法に心酔しているのも納得の1冊。生涯、我が家の宝とします!

『週刊文春』と『週刊新潮』


この冬休みに読んだ本の中でも、痛快な一冊。かつて『週刊文春』を絶頂期に導いた名編集長、花田紀凱氏と、『週刊新潮』出身の作家、門田隆将氏のふたりが、週刊誌やメディアについて本音で語り合っている。週刊誌の黄金期に大活躍されたおふたりだけに、それぞれの体験談が生々しくて面白い。(この週刊誌の編集部にいた人を何人か知っているので、余計に!)お二方とも根性があるというか、覚悟があるというか、めちゃくちゃ腹が据わっているので、それだけでも大尊敬。

門田氏は『週刊新潮』時代から創価学会批判をしているツワモノ。本書でも、権力者たちが週刊誌を規制するために裁判所を使い、名誉毀損の賠償額を上げるルール作りをしたという内容の発言をしている。2001年に参議院、そして衆議院でも「名誉毀損の賠償額を上げるべき」という質問が繰り返し公明党議員によって行われ、80年代には100万円以下だった賠償額が、その後、何千万円単位となった経緯が説明されている。

週刊誌だけでなく、現在の新聞への批判も鋭い。新聞には、主義主張に関わらず「ファクト(事実)」を伝える「ストレートニュース」と、自分たちの主義主張に基づく「論評」との二つの側面があるが、朝日新聞を筆頭に「いまの新聞は自分の主義主張に従ってストレートニュース自体をねじ曲げている」と手厳しい。「主義主張に基づいて印象操作するのは、日本の新聞の伝統」(花田氏)だが、情報を新聞の記者クラブが独占していた時代が終わり、インターネットの登場で一般の国民が新聞の嘘を知ることになったのだ。

そう、私もまさしく、そうやってメディアの洗脳から解放されたひとりだ。その後は新聞の嘘をみつけるために新聞を読んでいた時期もあったが、それもアホらしくなって、今では新聞はとっていない。ニュースはネットで、特に気になるものに関しては必ず複数の情報源(できたら海外のメディアも含め)を当たるようにしている。日本だけでなく、海外の新聞も当然ながらバイアスがかかっているけれど。というか、バイアスのかかっていないメディア(人間)なんてないだろうけど、とりあえずひとつのメディアだけを信じることはせず、「ああ、そんな話もあるのね」とか、「そんな見方もあるのね」くらいに受け止めている。

門田氏は「新聞は『倒閣運動のビラに成り果てている』とコラムに書いたそうだが、花田氏が「(政治)活動家ならそれでいいけど、新聞記者の仮面をかぶった活動家だから始末が悪い」と嘆くように、本当に最近の新聞やテレビの報道姿勢はひどいなぁと思う。ネットの世界では、嘘や捏造はすぐバレるのに、しゃあしゃあと自分たちの都合のいいように報じて、なにも疑問に思わないのかな。今まで「権威」とされていたものが、崩れ去っていく様子を見るのも面白いけれど、物悲しさもある。自分たちで情けなくないのかな…。

新聞に限らず、これからのメディア業界がどうなるのか、かなり深刻に考えさせられる一冊だった。痛快だけど、軽く笑い飛ばせない、深いお話がたくさんありました。日本のメディアのためにも、おふたりの今後の益々のご活躍をお祈りしています。

正しい日本語とは!?(「お和服」って言う?)

お正月料理にもそろそろ飽きて、久しぶりにエスニックを食べに行き、店内にあったマダム向けの雑誌をぱらぱらとめくっていたら、「お和服」という見出しにビックリ。「お着物」とは言うけど、「お和服」って言う??? ものすご~い違和感…。お着物をお召しになった皇室の方々のお写真が出ていたので、とにかく「」をつけて丁寧にってことなのでしょうか!?

気になって調べてみたら、どの単語の前に「」をつけるか、明確なルールはないようですが、「お和服」は言いにくいし、さすがにないんじゃないかなぁ。有名な雑誌が堂々と、こんな丁寧語を使っていいのかなぁ。

言葉なんて、どんどん変化していくものだから、有名雑誌が堂々と使っていれば、そのうちそれが当たり前になるのかもしれませんが。
だけど、この雑誌、さらにめくっていたら、またも気になる見出しがありました! 有名人とその家族の写真が載っているのですが、敬称がないのに丁寧語っていう…。私を例にすると、「鳩胸厚子 翻訳家 ご家族」という具合。それなら、「翻訳家 鳩胸厚子さんご家族」とか「鳩胸厚子さん(翻訳家)ご家族」にするのでは!?

本文は読んでいないのですが、見出しって目立つから余計に気になるんですよね。

そういえば、礼儀作法には詳しいと思われる某有名人が、天皇陛下の「ありがとう」というお言葉に「どういたしまして」と答えたと聞いて驚いたことがありますが、正しい日本語を使う人ってなかなかいないのでしょうね。(もちろん私も含め)


こういう正しい(!?)日本の家も少なくなりました。