去年の夏から、早くシングルにならないかな~と待ち続けていたヒムロックの”If You Want”が、いよいよ明日、発売となる。この曲の著作権料はすべて東日本大震災の被災地への支援金となるそうだ。
すでに予約しているのだが、発売前にサンプル盤が届き、感謝感激! 特典映像も一足早く見てしまった!
びわ湖畔に暮らす翻訳家の物語
昨晩は地域の住民運動の印刷のお手伝いをするため、待機していた。夜中近くになって原稿が仕上がり、住民有志で手分けして印刷して、なんとか間に合った。私は印刷をちょこっとしただけだが、資料・原稿作成から用紙などの準備、配布、その他、厖大な作業を自主的に引き受けて下さる方々がいる。本当に頭が下がる思いだが、その献身ぶりに私は内心、「身体や仕事や家庭は大丈夫なのだろうか」と心配している。
どんなにすばらしい意図を持って始まった活動であっても、それが組織となって時間が経過すると、なんらかの問題が生じるのは仕方ないことなのだろう。企業であれば営利目的であることが明白だから、むしろやりやすい。けれど、ボランティアとなると却って厄介なことに・・・。
活動にのめりこむ人がいくらかいて、その人たちのお陰で活動が持続できるのだけど、そののめりこみ具合に逆に大半の人は共感できなかったり、恐れをなしてしまい、結局、固定メンバーがますますのめりこむ・・・という悪循環。
実は昨日、待ち時間に読もうと思いながら、結局読めなかった本がある。
日本共産党 (新潮新書)
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著者は、かつて日本共産党の最高幹部だった筆坂秀世氏。最近は『たかじんのそこまで言って委員会』のパネラーとして、至極まっとうな発言をしていらっしゃるのを見て、この本を手にとった。サヨク嫌いの私は共産党にはまったく無縁だったが、最近、私の知り合いで実は共産党員という人が何人もいることを知り、ちょっと興味を持ったのだ。だって、今まで身の回りに共産党関係者なんて、いるわけないと思っていたから。それが意外といるんだな~と、新鮮な驚きだったのだ。
ところが、この本を読んでみると、やはり共産党は勢力低下に苦しんでいるらしい。(2006年の本だけど)。赤裸々に綴られた内部の実態を読むと、こう言ってはなんだが、彼らが敵対しているカルト教団と大差はないように思える。信じる対象が違うだけで、やってること、組織の体質はほとんど同じ!? 所詮、人間のやることって、一緒なんだわ・・・。
やはり、何事ものめりこみすぎないのが賢明かと。
*広島の従姉にもらった保命酒粕。メーカーによって、味がかなり違うのだ。
今朝は友人がテレビに生出演するというので、録画予約をしておいた。彼女とは約10年前に出会ったのだが、今ではけっこう有名になっているみたいだ。本人は昔と変わらないし、彼女をとりまく状況も基本的には変わっていない。その都度、何か問題が起きて、それが解決すると、また別の問題が起きる・・・という風に、常に何かに頑張っている人のようだ。私には真似できない!
さて、きょうも息子のスケート教室に行ってきた。前回の待ち時間は、息子がのめりこんでいた小説『Another』を読んだのだが、これ、背筋も凍るホラー小説で、さむ~いスケートリンクの中で私は心まで凍えてしまった。それを聞いた息子がきょうは自分のお気に入りの漫画、『日常』を持たせてくれた。これなら、私の心もほっこりと暖まると思ったらしい。
ま、確かに。
*スケートリンクはさむ~い。当たり前だけど。
今朝起きると、雪が15センチくらい(?)積もっていた。この街に引っ越して以来、最大の積雪かも。とはいえ、山の集落にいた頃に比べたら、かわいいもんだ。雪かきしなくても、すぐに解けてくれそう。
実際、息子はいつものスニーカーのまま、合唱団の練習へと出かけて行った。ただし、電車は行きも帰りもダイヤが乱れていたようだ。山の集落のメンバーも、大雪のせいか、殆どが欠席だったとか。唯一、出席していたのは、一番山奥に暮らす姉妹だったという。さすが、あそこのお母さんは根性あるのだ。彼女の家から街の練習場まで、今朝は11台の車が立ち往生していたらしい。
私は雪かきもせず、家の中で雪景色を眺めながら、読書をしたりして・・・なんだか申し訳ない気分。きょう読んだのは、教育関係の本。著者は、受験や塾の話から、具体的な勉強の仕方、果ては子育ての極意など、多数の著作がある。私もずっと前に一冊、読んだことがあり、その視点がけっこう新鮮で面白かったことを覚えていたので、その方の最新作をつい手にとったのだ。今回は、日本の教育がどうしてダメになったのか・・・という大テーマ。そもそもはGHQが日本の国力を落とすために作った教育プログラムのせいで、国語力が低下したことを著者は何度も指摘し、嘆いていた。著者の考えのすべてに共感したわけではないが、基本的な主張はもっともなことだと理解できた。けれど、けれど、この本、もっとも根本的なところで説得力に欠けていた。あくまで私の主観だけど、国語教育のプロと自負する著者の国語力に疑問を感じたのだ。文章力については私も他人のことは言えないので、批判はしない。でも、「文法的に、どう考えてもおかしいでしょ」という言い回しがあるのだ。
GHQの政策が奏功していることを、著者が身をもって示しているということか!?
2月7日のブログで、薬害エイズ事件をテーマにした小林よしのり氏の『ゴーマニズム宣言 脱正義論』を紹介した。この運動の中で、小林氏は帝京大学の安部英医師を極悪人のように描いていた。小林氏だけでなく、ほぼすべてのマスコミはずっと安部医師がA級戦犯であるかのように報じていた。今でもこの認識のままでいる人が多いのではないか。
実は薬害エイズ事件に関する書籍で、私が『ゴー宣』よりだいぶ前に入手していたものがある。それが『安部英医師 薬害エイズ事件の真実 誤った責任追及の構図』(武藤春光、弘中惇一郎 編著)だ。非加熱製剤でエイズに感染した血友病患者(一名)がその後、死亡したことについて業務上過失致死罪で起訴された安部医師は、裁判で無罪となった。この本は、安部医師の弁護団と当時、厚生省の生物製剤課長だった郡司氏、ミドリ十字の元社員の岡本氏が執筆している。
当時、上っ面の報道しか見ていなかった私は、なんとなくだが「医師や厚生省のお役人や製薬会社の癒着や怠慢が原因でこういう悲劇が起こったに違いない。許せんことだ」と思っていた。その後、何年もたってからNHKで川田龍平氏と郡司氏の対談番組を見たときも、最後まで謝罪しなかった郡司氏を見て、憤りを感じたことを覚えている。
ところが、何かの拍子でネットでたまたまこの本のことを目にして、もしかして私はまたもマスコミに騙されていたのかも・・・と思い、すぐにこの本を入手したのだ。なのに、ずっと未読のままだったのは、私にとって読みにくい本だったからだ。横書きの上に、弁護士さんの文章だからなのか、やたらと句点が多い。事件の全容を解明するためとはいえ、同じ内容が何度も出てくる。とは言え、いったん読み始めれば、すんなり読み終えることができたのだけど。
結局、私は購入時期とは逆に、『ゴー宣』読了後にこの本を読んだ。被告の弁護士が書いたのだから、被告を擁護するのは当たり前だが、それを差し引いても、薬害エイズという悲劇が引き起こされた構造的問題、そしていびつな犯人探しと過剰な糾弾という大きくて深い問題を目の前に突きつけられた。当時の厚生大臣だった菅氏のパフォーマンスや、マスコミの過剰な個人バッシング、その背景にあった盛り上がる市民運動、そしてそんな世論におもねるかのように最初から出来上がっている台本通りに話を進める検察・・・。齋藤健氏の『転落の歴史に何を見るか』を読んだ後だけに、この国は何度、同じことをしているのだろうか・・・と寒々とした気持ちになった。いや、本当に恐ろしくなった。
だって、いまだに「薬害エイズ事件」の真実は広く知られていないと思うから。(弁護団の話が全面的に正しいとは言わないけれど、少なくとも、マスコミ報道を受け入れてきた人は、弁護団の話も聞いてみるべきだと思う。)今思えば、あのNHKの対談番組で自分の責任は認めながらも、最後まで謝罪しなかった郡司氏(元厚生省)はすごいと思う。あれだって、番組の意図に沿って編集されていたのだろうけれど。
つい先日も、息子から「お母さん、『騒音おばさんの真実』って知ってる?」と聞かれたばかり。何事も一面的に見てはいけないのだと、つくづく思う。
このところ真剣に本を読んでいる。息子が「これ面白いから、読んでみたら」と置いていく漫画や小説も積み上がっているのだが、まずは先日、夫が薦めてくれた増補『転落の歴史に何を見るか』齋藤健著。
現衆議院議員の齋藤氏が、経産省の官僚時代に書かれたものだが、その当時よりも今現在の方がこの本の訴えていることが真に迫っているように思える。「学校では近現代史にちゃんと時間を割いてくれなかった」というのが、これまで私がこの時代のことをよく知らないことの言い訳だったが、恥ずかしいことにこの年になっても、まだ自らこの時代について詳しく知ろうとしていなかった。いや、知りたいという思いはあっても、その時間と労力を惜しんでいた。けれど、今現在のこの国や世界の状況を見るにつけ、過去の歴史を知らずに将来のことを語ることはできないと痛感している。この国の未来を何とかしなきゃと思うなら、過去を知らなければ話にならない。子ども、特に男の子どもを持つ親として、日本の歴史をきちんと知っておくのは義務ではないか・・・と今、深く反省中。
この文庫版の増補を出すにあたり、齋藤氏がちょうど一年前、平成23年2月に記した「あとがき」で、戦艦大和から生還した乗組員、吉田満氏の『戦艦大和ノ最期』のエピソードが紹介されている。
最期の出陣を前にして、生きて帰れないということは、若い乗組員たちもさすがにわかっていたという。エリート士官たちの間に、大和は何のために出陣するのか、自分たちは何のために死ぬのか、大疑問が湧き上がる。
死は当然と教えられてきた連中にも、さすがに、自分たちの死は犬死ではないのか、何のために死ぬのかという命題が重くのしかかってきた。つかみ合いの議論になった。
そして、最後に、哨戒長の白淵大尉(21歳)の言葉で皆静かになったという。それは、次のようなものであった。
進歩のない者は決して勝たない。(中略)敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか。俺たちはその先導になるのだ。日本の新生にさきがけて散る、まさに本望じゃないか。
齋藤氏は、戦後、われわれは本当に目覚めたのだろうかと疑問を呈する。先人たちの死を犬死にすることだけは、絶対に避けたい。まだ私は涙が止まらない。
ちょっとアマゾンプライムって、ひどいんじゃない? 無料で一ヶ月お試しという言葉に、うかつに乗ってしまった自分が悪いのだけど、その一ヶ月が過ぎると自動的に契約されてたみたい。年会費がカードから引き落とされてるのを見てビックリ。
なんだか騙された気分。
契約後に何も注文していなければ解約できたようだけど、私は知らず知らずのうちに注文していたので、年会費を無駄にしないよう、最近、やけくそ買いをしている。これじゃ、まるで相手の思うツボなんだけど、もともと買おうと思っていたものとか、夫が買おうとしているものを、私がアマゾンプライムで注文しているのだ。どんなに安いものでも、翌日配達! 最大限に活用するのだ~と思いつつ、いまだに釈然としないのだけど、アマゾンに不信感が募る一方で、クロネコヤマトはすごいな~と感心する。
んで、早速、夫は私のアマゾンプライムでゲットした文庫本を読みふけっている。面白いので、私も読むべきとのこと。
著者の斉藤健氏といえば、武部の「最初はグー、サイトウケン!」のせいで(!?)選挙に落ちちゃったけど、いまはれっきとした自民党衆議院議員(元通産官僚)。彼の国会での質問を私はいつも楽しみにしている。特にラップ調に編集され、YouTubeにアップされた平成22年11月の衆院予算委員会の名演説は有名だ。
つい先日(2月1日)の国会質問も、きっとYouTubeにアップされているはずだ。しかし、YouTubeは気をつけてみなくてはいけない。息子が面白がって、ときどき困ったことになるからだ。我が家では、斉藤議員の「言っちゃった!」が流行り言葉になっちゃったし、『民主党に騙されるな』というサウンドオブミュージックのドレミの歌のパロディで大受けしたときは、「この替え歌は絶対、家の外では歌ってはならない」ときつく言ってきかせたものだ。
これでも息子に変な影響を与えないようにと、気を遣っているのです。ま、きょうは朝からテストを受けに行っているので、心おきなくYouTubeを見られるのだけど。
*いま探してみたら、斉藤さんの2月1日の質問もラップバージョンでアップされてた!
最初はなにを調べていたのか忘れてしまったが、ネットでいろいろ検索している最中にふとみつけ入手した。小林よしのりの『新ゴーマニズム宣言スペシャル脱正義論』。タイトルは有名だけど、実はゴー宣シリーズ、読んだことがなかった私。帯にはこう書いてある。
ゴーマニズム、伝説の“運動論”! 〔団体・デモ・抗議・署名活動〕 運動は、なぜ破綻するのか?
薬害エイズと闘う子供たちとの出会い、「訴訟を支える会」代表就任から、運動の摩擦と興奮、焦燥と失望の日々、そして怒りと悲しみの追放まで、伝説の“薬害エイズ訴訟支援運動”全顛末。
初版は96年発行なのだけど、いま読んでもよくわかる。いや、いま読むから、よくわかるのか・・・。では、しばし読書に没頭いたします。
昨年12月に絶版になった本(『偽情報退散! マスコミとお金は人の幸せをこうして食べている (5次元文庫)
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』)のことをここに書いたのだが、なんと再版が決まったらしい。出版元から、「絶版の判断はまちがいであり、再版したい」と連絡が入ったそうだ。再版の要望が多数寄せられたのだろうか? そうだとしたら、最近、巷で起こっているフツーの国民のちょっとした行為(抗議行動や不買運動など)もやがて確実に世の中に影響を与えていくのかも知れない。と、ちょっと希望を感じる。
だけど、きょうはショックなこともあった。息子が、きょう学校で先生からいじめの話を聞かされたというのだ。それも、いじめられているのは、昨日、うちに遊びに来ていた男子。息子は知らなかったようだが、なぜか女子がその子を避けているとのこと。なにか事件があったわけではなく、外見のことだけで生理的に過剰反応しているらしいのだが、本人にはまったく非のないことで、これ、どうするのが最善の解決方法なのだろう? みんなに周知されるのも、本人にとっては辛いことのような気もするし。とりあえず、昨日は男同士で楽しそうに遊んでいたのだが・・・。
掃除と片付け、あまり思うように進まないけど、衣類と台所だけはだいぶすっきりした。
勤めで外に出るわけでもないし、おしゃれしたくなるような体型でもないし、近年は必要に迫られない限りは洋服など買わない生活だけど、それでも不要な衣類はたくさんあった。実家の母が着ていた服をついついもったいないからと持ち帰ったり、奈良の伯母があつらえた年に似つかない洋服をもらったりで、けっこうたまっていたようだ。母の洋服は重宝したものもあったけど、やはり微妙にサイズや趣味が違うので、なんとなくしっくりこない。それでも生前、母が着ていたものを粗末にしたくないという思いで、無理やり着ていたような気がする。
確か、こんまりさんの本に今、不要なものを溜め込むのは、「過去への執着と未来への不安」があるからだと書いてあった。母を懐かしく愛おしく思うのと、母の持ち物に執着するのはまったく別のことと思ったら、ふっきれた。
でも、まだまだモノはあるんだよね~。
*夫のリクエストで新しい掃除機を購入。充電式なのでコードレス。しかも取り外してハンディクリーナーとしても使える!