転落の歴史に何を見るか

このところ真剣に本を読んでいる。息子が「これ面白いから、読んでみたら」と置いていく漫画や小説も積み上がっているのだが、まずは先日、夫が薦めてくれた増補『転落の歴史に何を見るか』齋藤健著

現衆議院議員の齋藤氏が、経産省の官僚時代に書かれたものだが、その当時よりも今現在の方がこの本の訴えていることが真に迫っているように思える。「学校では近現代史にちゃんと時間を割いてくれなかった」というのが、これまで私がこの時代のことをよく知らないことの言い訳だったが、恥ずかしいことにこの年になっても、まだ自らこの時代について詳しく知ろうとしていなかった。いや、知りたいという思いはあっても、その時間と労力を惜しんでいた。けれど、今現在のこの国や世界の状況を見るにつけ、過去の歴史を知らずに将来のことを語ることはできないと痛感している。この国の未来を何とかしなきゃと思うなら、過去を知らなければ話にならない。子ども、特に男の子どもを持つ親として、日本の歴史をきちんと知っておくのは義務ではないか・・・と今、深く反省中。

この文庫版の増補を出すにあたり、齋藤氏がちょうど一年前、平成23年2月に記した「あとがき」で、戦艦大和から生還した乗組員、吉田満氏の『戦艦大和ノ最期』のエピソードが紹介されている。

最期の出陣を前にして、生きて帰れないということは、若い乗組員たちもさすがにわかっていたという。エリート士官たちの間に、大和は何のために出陣するのか、自分たちは何のために死ぬのか、大疑問が湧き上がる。
死は当然と教えられてきた連中にも、さすがに、自分たちの死は犬死ではないのか、何のために死ぬのかという命題が重くのしかかってきた。つかみ合いの議論になった。
そして、最後に、哨戒長の白淵大尉(21歳)の言葉で皆静かになったという。それは、次のようなものであった。

進歩のない者は決して勝たない。(中略)敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか。俺たちはその先導になるのだ。日本の新生にさきがけて散る、まさに本望じゃないか。

齋藤氏は、戦後、われわれは本当に目覚めたのだろうかと疑問を呈する。先人たちの死を犬死にすることだけは、絶対に避けたい。まだ私は涙が止まらない。

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