『生きがいの創造』飯田史彦著を読んで

何事にも適切な時機があるのだろう。

7月6日の西日本豪雨で行方不明になった晋川尚人さんが、ようやくみつかってから何日か過ぎた頃、以前、聞いていたポッドキャスト番組が更新されていたので、なんとはなしに聞いていたら、飯田史彦氏による『生きがいの創造』という本の話が出てきた。「あ、この本、聞いたことある」と思って本棚を探したら、あった、あった! 何ヶ月も前から、「これ、読んでみよう」と思って本棚の目立つところに置いて、そのままになっていたのだ。そもそも、この本を買ったのは(正確には思い出せないけど)もう何年も前のはず。どこかで紹介されていて、面白そうだと思い、具体的な内容はまったく知らないまま、買ったのだと思う。

そのポッドキャストを聞いて、「これはいま、読まなければ!」と思い立ち、すぐに読み始めたら面白くて、かなり分厚い文庫本だが苦もなく読めた。本を買ったときに想像していたのとは、まったく違う内容だったことにもビックリしたけれど、私自身が今まで感じていたことにいっそうの確信が持てる内容だったので、なんだか心強い気持ちになった。

生まれるずっと前のことや、胎内でのことを覚えている子供たち、退行催眠によって過去生を語る人たち、臨死体験をした人たち…といった不思議なお話がたくさん出てくるのだが、この本の目的はそういうスピリチュアルな世界の探求にあるのではない。そういうもののしくみを認識し(必ずしも肯定しなくてもいい)、自分たちの存在の意味を理解しようとすることで、愛情と希望をもって、この人生を生きようと提唱しているのだ。(あくまでも私の感想だけど)。

大学の経済学部で経営学について20年近く教鞭をとっていた著者は、現在は経営心理学者として、カウンセリングを始めとして、幅広い活動をされているようだ。広島県出身の同世代ということで、勝手に親近感を覚えて本を読みながら、ふと同じく広島の同世代である晋川さんのご両親のことを考えていた。

著者は、本書の初版が出て何年も過ぎた後に、自身も臨死体験をされたそうだ。そして今では(それとも昔から?)、不思議な力を得ていらっしゃるようだ。これについては、また別の著作を読んでみないと詳細はわからない。ただ、本書でもその臨死体験について、「自分の体から離れて、まぶしい『光の次元』とつながり、『究極の光』と表現するしかない存在と会話したあと、いくつもの美しい『光』たちから、素晴らしいメッセージをたくさんいただいたのです」と書いてある。退行催眠や臨死体験を経験した人の多くも、こういった「光」と出会うという。

私は退行催眠も臨死体験も経験したことはないが、昔、夢の中で「光」のような存在に出会って感激したことがある。目覚めたときに、本当に涙が流れていて、自分でも驚いたくらいだ。今もその夢ははっきりと記憶に残り、今でもあの時の感動が蘇るほど。本書を読んで、この夢が私に与えた影響の大きさを改めて認識した。そして、いまこの本を読んだことにも、何か意味があるのだと思っている。

最後に、著者の飯田史彦氏が2004年11月、筑波大学で開催された「日本死の臨床研究会」での特別講演で提唱されたことを記しておく。

「二十一世紀には、『死』の定義が、新しいものへと変わるはずです。それは、『死ぬということは、体から離れて生きるということである』、という定義です。私たちの正体である意識または魂は、肉体が機能を失うと離れるだけであって、決して宇宙から消えてしまうわけではないのです。この宇宙に存在することを『生きている』と表現するならば、死ぬということは、単に、体から離れて生きるということにすぎません。体を持っている人も、体を持っていない人も、みな同じく、生きているのです」

興味がある方は、ぜひご一読を。

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