『さらばわが愛/覇王別姫』と香港・北京の思い出

先日、『普通の人々』に続けて見たもう一本の映画、『さらばわが愛/覇王別姫』(1993:中国・香港合作)は、当時、香港映画にはまっていた私が試写会を含め、何度も見た作品だ。その頃、私は外資系企業から雑誌の出版社に転職していたので、この映画の記者会見に行き、陳凱歌(チェン・カイコー)監督と主演のレスリー・チャンに質問をした。(でも、何を訊いたのか思い出せない!)しかも、その何年か前に、陳凱歌(チェン・カイコー)監督の著書『私の紅衛兵時代 ある映画監督の青春』を読んでいたので、記者会見後はこの本にサインまでもらってしまった! なんというミーハー!

この映画の舞台は北京。子供の頃から厳しい修行を重ねた京劇の名優コンビの物語で、時代は1920年代から日中戦争文化大革命を経て、四人組の失脚後まで。ふたりが演じる『覇王別姫』は、前漢の高祖に敗れた項羽が愛姫虞美人と最後の宴を開き、そこで虞姫が剣の舞をした後、その剣で自害するという史実に基づく京劇の演目で、「四面楚歌」の由来となった有名な物語だ。

時代に翻弄されながらも、逞しく生きてきた主人公たち…なのに、彼らにはさらに試練が待っていて、中国ってほんとに、これでもか、これでもかっていうくらい過酷な国だよなぁと思う。日本軍はもちろん憎い敵ではあるのだが、それでも京劇(中国文化)を理解し、敬意を持って扱った人たちとして描かれている。なのに、文化大革命により中国の伝統文化は否定され、破壊されるのだ。中国・香港合作の映画なのに、これを見る限り、「日本軍はまだ全然マシだったよなぁ」という描き方だ。文化大革命をもろに体験している陳凱歌(チェン・カイコー)監督だからこそなのだろうけれど、1993年にはこういう作品を作ってもOKだったということだ。(現在だと、どうなのだろう!?)

私が中国に太極拳を習いに行ったのは、この映画が公開された数年後のことだが、この頃、中国政府は中国武術をオリンピック種目にすべく、いろいろと活動していると聞いた。だから、海外からの太極拳を始めとする中国武術の留学生も好意的に受け入れていたのだと思う。武術を世界的な競技にするためなのか、私たちは中国政府が制定した簡化太極拳というものを習い、大会で競うのもあくまでも「表演武術」だった。素人の留学生にも、中国の大会で優勝経験がある優秀な先生方が教えてくれたのだが、その先生方の高齢の師匠たちは、文化大革命中はこっそり隠れて武術の練習をしていたと聞いた。武術という伝統文化も、弾圧されていたのだ。

この映画を見たあと、私は実際に京劇『覇王別姫』を観に行った。踊りといい、音楽といい、かなり楽しめたと記憶している。その後、中国の伝統楽器の演奏会にも行ったのだが、国家一級演員による太鼓や二胡のソロ演奏は、ヘヴィメタのギターやドラムソロにも匹敵する超絶技巧だった。香港では、ジャッキー・チェンやチョウ・ユンファなどが国家一級演員に選ばれていると聞くが、私が見た音楽家もかなりすごい方だったのだろう。

話が逸れてしまったが、『さらばわが愛/覇王別姫』で、覇王役の小楼を愛する女形の蝶衣の悲恋を演じきった主演のレスリー・チャンはその後、香港のウォン・カーウヮイ監督の『ブエノスアイレス』に主演。これもゲイの物語なのだが、私は幸運にもこの映画の記者会見&クランクインにも香港で立ち会った。友人(日本人)のアシスタントとして、連れて行ってもらったのだけど、撮影がクリストファー・ドイルということもあり、現場には広東語北京語、そして英語が飛び交っていた。レール上のカメラが移動する際に、香港人と思われるスタッフが友人に対して英語で「気をつけて」と言ったのに、その隣にいる私には北京語で「気をつけて」と言ったので、私は大陸から来た中国人と思われていたのであろうか。実際、その時の私は北京から駆けつけていたので、北京の匂いでもしたのだろうか。香港には何度も行ったけれど、あのときだけは土産物屋でも、空港でも、北京語で話しかけられたことを思い出す。

ブエノスアイレス』の記者会見には、レスリー・チャンに加えて、トニー・レオンも参加していて、私はトニーに釘付けになった。それまで映画を見て、色気のある人だと思っていたけど、生で見るとその色気はハンパなくて、殆ど何も喋っていないのに、たぶんその場にいた女性たちは彼に軒並みノックアウトされたのではないだろうか。その時、私はものすご~く後悔していた。実はその何年か前、同じくウォン・カーウァイ監督の『欲望の翼』という映画の応援団に入った際、プロモーション来日したトニー・レオンカリーナ・ラウとのミーティングなるものが企画されていたのに、私は坂本龍一の武道館ライヴと重なっていたため、悩んだ末にライヴに行ったのだ。トニーカリーナは当時から私生活でもカップルとして有名だったこともあり、特に興味がなかったのだが、あとで聞くと、ふたりを交えてみんなで夕食をしたというではないか。その時も、少し後悔したのだけど、香港での記者会見で生トニーを見たら、「なんであのときライヴに行ったんだろう」と、本当に本当に後悔した。

トニーは長年のパートナー、カリーナと2008年にブータンで結婚。つい最近も誕生日を迎えたトニーの写真をカリーナインスタグラムに投稿するなど、相変わらず仲が良さそうだ。

一方、レスリーは『さらばわが愛/覇王別姫』の蝶衣と同じくゲイであると言われていたが、その役柄を地で行くように、2003年4月1日香港のマンダリン・オリエンタルから飛び降りて亡くなった。映画と同じくあまりにショッキングな最後(最期)だが、彼の作品を今でも見られることが救いである。

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