『鳩胸厚子の日記』の2012年6月24日~6月29日の日記に、痔が痛くなって手術を受けることになるまでの顛末が書いてあります。ところが、その後、私は日記をさぼってしまい、次の記事を書いたのが2013年10月13日。私の痔の手術の執刀医の訃報が綴られ、最後に「詳しいことは後日」と書いたまま放置。
痔に悩む人にとっては、手術はどのようなものか、また術後の生活がどうなのかが気になるところだと思いますが、一応、日記を公開しておきながら、肝心な情報を記さぬままであったことを今さらながら後悔。とは言え、手術ももう5年以上前のことなので、実は私の記憶もあやふやなのです。やはりそのときに、ちゃんと記録しておかねばならなかったなぁと反省しきり。
でも、なんとか思い出して、記録に残しておこうと思います。
脊髄に麻酔を打って(私にとっては初体験!)、手術自体は30-40分で終わったはず。うつぶせになって、先生のお話を聞きながら、あっという間だったような。先生が、「これのせいで、痛かったんですよ!」と切除した痔を見せてくれました。自分ではすごく大きい障害物と感じていたけど、意外と小さくて(当たり前か!)情けない物体でした。その日はそのまま病院に一泊したのですが、術後は首から下が麻酔でほぼ動かないので、ベッドの上で何もできなくて、困りました。あまりに退屈で。(夜だったら、眠れたんでしょうけど。)夫は一泊二日の痔の手術だから大丈夫とたかをくくっていたようで、放課後、塾に行く息子のために仕事を早めに抜けたくせに、私の病院には来てくれなかったのです。(その後、夜になって来てくれたけど、私は文句たらたらでした。「このことは、一生忘れない」と思うほど、術後、ベッドでなにもできない時間が辛かった!)
夜中にはだんだんと麻酔もとれて、足の感覚も戻り始めたのですが、産婦人科以外の病院に入院したのが初めてだった私にとっては、夜の院内の方が衝撃的でした。そもそも入院患者は高齢者が多いため、たまに大きな声を出す人や、徘徊する人がいたのです。看護師さんが追いかけて、おじいさんを連れ戻したりする声が聞こえてくるのですが、病院にいるということを理解できていないおじいさんが、何度も何度も自分はどこにいるのか?と問いかけているのです。切なくなると同時に、夜勤の看護師さん、大変だなぁと感心しました。
術後は普通の生活をすればいいのですが、やはり外科手術をした跡は「沁みる」わけです。便秘にならないよう、薬をもらったような気がするのですが、せっかく痔の手術をしたのだから、便秘になっては元も子もないので、毎日、きちんとトイレに行くわけです。でも、怖いんですよね。沁みるのがわかっているから。最初は、ほんとに飛び上がるような痛さでした。しかも、それがじ~んと3分は続くのです。(初日は5分だったか!?) トイレから飛び出したあと、そのまま立ったままの姿勢で、マジで動けない(あまりに痛くて)! SFドラマなどで時間を止めて、回りの人たちがそのまま停止状態になるシーンがありますが、まさにあの状態。3分くらい経つと、ようやく痛みがおさまって、身体も動かせます。術後の3日間は特に、このトイレ後の魔の時間が恐怖でした。それでも日を追うごとに「動けない時間」は短くなり、5日か1週間もすれば、何もなかったかのようになって、その後は快適な日々が始まります。
この「沁みる痛み」の話を聞いていたので、注射で切除できる痛くない手術を望んだのですが、私の場合は外痔核なので普通の手術しか選択肢はなかったのです。実は痔の手術をしようかどうしようかと悩んでいた頃、広島に帰省した際に中高時代の同級生が痔の手術をしたことを話してくれたのです。まだ独身の20代のうら若き頃だったそうで、彼女にそんな過去があったとはビックリでした。その時、彼女が言った言葉が、私の脳裏に焼きつきました。「手術のあと、トイレに行くと痛くて痛くて。あの痛みだけはちょっと…」と。出産を経験した彼女がそう言うのですから、私が怖気づいたのは言うまでもありません。
確かに、術後の3日間のあの「魔の時間」の痛みは、出産を超える痛みでしたが、出産と違って「3分間」我慢すれば消えていきます。それに、その後の快適な生活を考えれば、あの「魔の時間」は耐える意義のある痛みだったと思えます。
「手術してよかった!」これが私の結論です。
by 鳩胸厚子
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